ティエラフォール・オンライン ―トラウマ少女のゲーム日誌―   作:輪叛 宙

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第一六話:建設拠点を手に入れました

 密集した木々の合間を抜け、空から降り注ぐ温かな陽気を浴びる。吹き抜けた涼風が髪を攫うと、キラキラと輝く水面が揺れ、草原の葉がないだ。

 甘い蜜の香りが漂う湖畔、青い羽根を休ませた蝶が飛ぶ。まるでアルプスの山々が峰を連ねるように、大山脈が澄みきった湖を囲う。

 山々の麓にある湖畔は美しく、雄大な自然が生み出した風景に息をのむ。風光明媚な湖は、ユーナの目を奪うのに十分な広大さを誇る。

 

 ちょっとすれば、穴場というヤツだろうか。大猪に追われたのは災難だったが、それを差し引いても余りある報酬だったと思えなくもない。

 草原の草が肌を撫で、ちょっとかゆくはあったけれど、それが気にならないほどに、空の鏡絵を映す湖畔に見惚れてしまったのだ。

 森の奥地にあるためか、他の来訪者はいない。小さく膨れあがった島のある湖畔を眺め、こんなにも綺麗な景色を四人で独占しても良いのだろうかとさえ思う。

 

「絶景スポット、見つけちゃったのかも」

「綺麗な場所やちゃ、目を奪われてまう」

「静かなのも最高です、心が落ち着きます」

 

 湖畔に響く鳥の泣き声に耳を傾ける。水面を跳ねる魚が水飛沫を飛ばし、また深い湖に潜る。湖に歩み寄った一同は、しばし安息の余韻に浸った。

 水辺の湿った空気を肺に吸い込み、湖畔の穏やかさに感じ入る。湖畔の山水に心奪われるのもそこそこに、ユーナは水辺に生えた薬草を視界に入れる。

 アヤメの花に似た薬草は、採集対象のタリエステナハーブ。四つ以上は確実にある、本日のクエスト目標は達成したと言えるだろう。

 

 一本ずつ薬草を摘み、しかしユーナは立ち止まる。大猪に追われ、当てもなく獣道を逃げ続けた。道順など覚えているはずもない。

 また、この湖畔に来られるだろうか。自信はない、などと不安が過り、立ち去り辛くなってしまう。森の奥地にある絶景の秘境を発見したのは偶然の産物。

 ユーナは胸のざわつきを覚えた。澄み渡る空色の湖畔が放つ美しさに心を奪われたのか、後ろ髪を引かれてしまう。きっと湖畔に漂う清らかな雰囲気が好ましかったのだ。

 

「あんた、ここが気に入ったの?」

 

 不意打ちだった。心を読まれたのか、そう錯覚してしまうほど自然に、ミオンが語りかけてきたのだ。見透かしたような目が憎らしい。

 普段は優位に立ち回れるはずなのに、今は少し無理そうだ。素直に認めるのは恥ずかしい。だから冗談ではぐらかすのだが、照れ隠しが通用しそうにない予感はあった。

 たまには正直になってみよう。しおらしいところを見せるなんて、自分らしくはないけれど。ぎこちない照れ笑いを浮かべ、頬をかいたユーナは頷く。

 

「クエストが終わったら解散する約束だったよね。せっかく綺麗な場所に出たし、フォトモードの撮影とかはダメかな、と。初日の思い出に」

「いい提案ですが、スーはちょっと眠いです」

「時間が時間ですものね。就寝までは余裕がありますが、明日のことも考えませんと」

 

 現実の時刻は午後九時。クエスト報告などの時間も考慮すれば、解散は十時頃になるか。ゲーム内にも夜が訪れつつあり、西日に傾く。夕刻となったのだ。

 煌めく湖畔が茜色に染まり、それはそれで美しくはあったが、夕焼けに彩られた空は友との別れを諭すふうでもある。残念に思う、しかし無理強いはできなかった。

 それほど多くはないが、女学校の授業で出された課題もある。湯舟に浸かったあと、鏡台で髪の手入れをする時間も加味すれば、このあたりがやめ時だった。

 

「そっか。心残りはあるけど、仕方ないか」

「ユナ、すいませんです。またお願いしますので」

「夜更かしは美容の大敵ですものね。ウラもまだ一緒に遊びたかったやがけど」

「いいよ、いいよ。ロケーションが良かったせいか、急なお願いしちゃっただけだし。パーティ組んだ時は言ってなかったし、これはあたしのミスだ」

 

 愛想笑いをしたユーナが手を振る。顔に出たかとの不安はあったが、なるだけ強がっておこう。撮影場所はまた探せばいい。湖畔を目的地とした探索をするのはどうか。

 ピクニック感覚も味わえる。まさに一石二鳥、寂しがることなどない。眉根を下げ、ユーナは水面の波打つ湖畔を振り返る。

 夕日の影が落ちた横顔を覗き込まれ、ふと親友がため息を溢す。表情に出過ぎなのだと肩を落としつつ。

 

「このゲーム、拠点機能があるのは知ってる?」

「拠点? ハウジングの建設地とか?」

「そう、個人が任意の土地を買えるの。ここも候補地かもしれないわ」

 

 ミオンが指差したのは、湖畔の岸辺にある立て看板だった。水辺に立つ看板には「売地」との文字がある。このロケーション一帯が建設候補地の証拠だった。

 このゲームには特定の場所に開発拠点を設ける機能がある。土地の権利書を購入すれば、指定範囲内における建設台(ワークショップ)を利用する権利を得るのだ。

 家を建てたり、生産工場や農場を作ったり。領地内のカスタマイズは自由自在、自分好みの拠点を建造できる。領地はゲーム内フレンドとの共有も可能。

 仲間内で楽しく家を組み立てていけるのである。ギルドの拠点やリスポーン地点にも登録でき、ユーザーの多い地域では既に土地の奪い合いも勃発しているのだとか。

 

「私らは過疎地を選んだし、この湖は森の奥の穴場。まだ間に合うんじゃないの?」

「そっか。ここを建設地にしちゃえば、わざわざ探す必要もなくなるのか!」

 

 ちょっと待ってね、とパーティメンバーに断りを入れ、ユーナは湖畔の立て看板にアクセスする。売却者はなし、まだフリーの土地だった。

 ユーザーアクセスの少ない不人気の大陸を選んだことと、ゲーム発売日の初日という条件が功を奏したのだろう。まだユーザー認知の少ない土地のようだった。

 希望の目が見えてきた。一切の迷いなく、ユーナは土地の購入に踏み切ったのだけれど、ブブー、という効果音が響いたところで目を覚ます。

 

「まさか――っ!!」

 

 ユーナの予想は的中した。土地の販売額1200000Gの表記、そう土地の権利者がタダで貰えるはずがなかったのだ。愕然とする。圧倒的な予算不足だった。

 当然よね、とミオンが悟ったふうに言う。建設地が無償だったならば、醜い争いに発展するのは自明の理。予防線があるに決まっていた。

 なんと憎らしいことか、我が親友は購入条件があることを知っていたはず。これでは生殺しだ、課金の二文字が脳裏を過った。リアルマネーを投資するしかないのか。

 

 誘惑に負けそうになる。けれど、学生の財布に潤いはない。ゲームに課金するためにお小遣いをせびりでもすれば、無言の微笑みを浮かべた母の鉄槌が下るだろう。

 それは嫌だ。遠方の女学校に通うということで、アパートの家賃も肩代わりしてくれている。寮住まいの生徒からも羨ましいとの声が飛び交う好待遇なのだ。

 親不孝者にはなれなかった。そのあたりの線引きはしているつもり。むむむ、と悔しがるユーナは、何か手はないものかと、届かぬ願いを抱くのだった。

 

「ユナ、この場所が買いたいですか?」

「眺めもいいし、落ち着いた雰囲気があるからね。絶望的なゴールド不足だけど」

「金策するにしても、お金が貯まった頃には売約済みとなるかもしれませんものね」

「それなんだよね、横取りされたみたいで悔しいし」

 

 自分が最初に見つけた理論というか、目標金額に達したにも関わらず、目的の土地がなかったとなれば、ゲーム意欲の爆下がりは必至。

 なかなかの屈辱を味わうことになる。それは避けたかったのだが、お金が勝手に増えることもなく、諦めるほかないのもまた事実。

 落胆したユーナは立て看板に凭れかかり、名残惜しさに嘆息を漏らす。すると、親友のことを可哀相に思ったのか、勿体ぶるのをやめたミオンが言う。

 

「まあ、待ちなさいよ。まだ確認を取りたいことが――」

 

 そして彼女が策を弄しようとした矢先のことだった。

 

「はい、はい、はーい! お困りのようですね、このスペシャルAIのランちゃんが相談に乗りましょう。運営の問い合わせサービスで呼ばれました。どうしましたか?」

 

 ゲーム内空間が歪み、いきなり登場したランちゃんが、図々しくも横槍を入れてきたのである。まるで再登場の瞬間を窺っていたかのようなタイミング。

 いいや、間違いない。自己主張の激しい彼女は、ユーザーの呼び出し待機していたに違いなかった。運営に問い合わせをした張本人、ミオンさえも驚くほどの神対応。

 ランちゃんの性格設定もあってか、運営への対応批判は少なくなりそうだ。良くも悪くも、有能AIの面目躍如となったランちゃんなのだった。

 

「ミオンさんが言いたかったのは、ログイン歓迎キャンペーンのことですね」

「それはそうだけど、私が説明する前に来るとは思わなかったわ」

「これが私の真なる実力なのです。チュートリアルの解説をプレイヤーの皆さんに奪われるようなポンコツではありません。最先端の技術が集約した高性能な人工知能です」

 

 クワッと目を見開いたランちゃんが力説する。彼女の勢いに飲まれそうになるが、だいたいはこういう内容だった。まず、初回ログインキャンペーン期間中とのこと。

 発売当初のオンラインゲームにはありがちだが、各プレイヤーごとに50000Gを配布中だという。運営が配信した感謝メッセージに付属しているのだとか。

 ホーム画面をいじり、運営メッセージを確認すれば、50000Gプレゼントとの文字が輝く。派手な演出と効果音が披露され、ユーナの所持金が増加した。

 嬉しいには嬉しいが、はした金でしかない。ゲーム内の土地が買える金額には及ばなかった。喜びも束の間かと思いきや、ランちゃんは一気に畳みかける

 

「まだ終わりませんよ。今ならばなんと、ギルド設立キャンペーンも追加です。設立者に三十万、ギルド加入者には二十万の特典があるのです!」

「ええ!? そんなに貰えるの、出血大サービス!」

 

 新規のプレイヤーを逃がさぬ処置か。ゲームが賑わえば、転がる金も増える。初回のユーザー離れは避けるべき事態。ふふん、とランちゃんが邪悪な笑みを作る。

 普段はポンコツ面の多いAIだが、奇妙なところで知恵が回るようだった。今だけ、とランちゃんは煽て文句を繰り返す。限定商法は売り込みの基本である。

 のだが、ユーナはチョロかった。運営の思惑などはどうでもいい。配布される金額の大きさに、土地購入の芽が見えてきたと錯覚する。

 セールスマンの手玉に取られた少女。さっそくとばかりに、ユーナはギルドの立ち上げを視野に入れたのだ。

 

「ちょっとは考えなさいよ。合計額の計算も――」

「よーし、登録したよ!」

「はっや! もうあれね、あんたは訪問販売とかに気をつけなさいよ。カモになる未来しか見えないし」

 

 赤っ恥をかいたかのように、顔を覆ったミオンが嘆く。彼女は心配性なお母さんみたいだった。まったく、どこに問題があったというのか。

 今だけ、初回限定。これを聞けば、手を出さないはずがないだろう。お買い得キャンペーンみたいなものだし、貰える物は貰っておくべきだ。

 ふんふん、と鼻歌を口遊み、ユーナは湖畔の土地を購入しようとした。ブブー、とまた警告音が響く。夢から覚めた。衝撃を受けたユーナは振り返り、

 

「どうしよう、まだ足りなかった!」

「当たり前でしょ? あたしの加入金を追加しても、六十万にしかならないのに!」

「あー! 何の計画もなく、ギルド作っちゃったー!」

「やっぱおバカでしょ、あんた!」

 

 申し開きの言葉もありません、と現実に舞い戻ったユーナは蹲る。柔らかい草の茂る草原に手をつき、オーマイガ、と沈み込んでいく。

 

「ユーナさん、やってしまったかもしれませんわね」

「でも、いい機会だったです。スーも、このままお別れはちょっと寂しかったので」

 

 落ち込むユーナを眺め、ふと首を縦に振った二人が囁き合う。トテトテと歩み寄ったスージーに肩を叩かれ、ユーナは顔をあげる。

 すると、背中で手を組んだ赤毛の天使が微笑み、

 

「ユーナさん。せっかくですし、ギルド加入の申請をしてもよろしいでしょうか?」

「えっ? あれれ?」

「エリーと相談したです。加入金もユナにあげます」

 

 また遊ぶです、とスージーが小指を立てた。指切りげんまん、ユーナは彼女と約束を交わす。申請を飛ばせば、ギルドに二人の名前が加わった。

 現実が飲み込めない。放心したユーナの懐に500000Gが追加される。仕方ないわね、と肩を落としたミオンの名も連なる。さらに25000Gが加算された。

 スージーに手を引かれ、ユーナは湖畔の看板にアクセスする。話術スキル発動、1200000Gの土地は、1080000Gまで値下がりした。

 ユーナの手元には友情の1100000Gがある。残高20000Gは四等分することに決まり、そしてユーナは人里離れた湖畔の土地を手に入れた。

 

「ここまでされちゃ、私も空気読むしかなかったわね。よかったの、二人とも?」

「いいちゃ、ウラも二人とは仲良なっていけそうやったさかい」

「スーもエリーと一緒です。友情は大事にします、コミュ障ではないので」

「そう。じゃあ、聞いてみるとしましょうか?」

 

 と一呼吸おき、ミオンはユーナに尋ねる。

 

「ほらほら、ギルドマスター。ちゃんと教えてくれない?」

「えっ? あれれ?」

「まだボケてるわね。あんたの作ったギルドの名前よ!」

 

 ミオンに催促され、ようやくユーナは自我を取り戻す。草原に吹いた風に草埃が舞い、湖の水面が波打つ。サラリと凪ぐ髪をかきあげた少女が告げた名は――

 

 湖畔の乙女《ダーム・デュ・ラック》。

 

 アーサー王伝説に登場する湖の乙女に(あやか)った名前。魚人族のユーナは水のニンフを連想したのだ。この場所に居を構えたギルドらしい名だと皆が賛同する。

 次のログインが楽しみだと騒ぐ少女らを遠巻きに眺め、これもランちゃんのお仕事ですね、とプレイヤーの笑顔を見届けたAIは柔和な笑みを溢すのだった。


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