Xenoblade2 The Ancient Remnant 作:蛮鬼
今回はサブタイトルにもある通り、あのキャラが再登場します。
「――馬鹿じゃねぇのか、あんた」
商業区の片隅に設けられた鍛冶場。
比較的に大きめに造られたその一軒家の作業場では、屈強な体躯を惜しげもなく晒した老巨漢が、眼前に置かれた『石棺だったモノ』を見て呆れたようにそう呟いた。
「不懐の石棺を壊すなんざ、神族連中ですらできなかった偉業……いや、愚業だぞ?
況して一時の感情に任せて暴走した挙句の始末とは……」
「す、すまない……自業自得だと言うのは理解している。
だがその上で、お願いしたい。石棺を直してほしい」
長身を縮こまらせ、申し訳なさそうな表情を浮かべるスタクティ。
それでも恥を忍んで頼み込むのは、偏に現在の身体の力不足――それにより招くかもしれない、最愛の娘たちの危機を退けるためだった。
その娘たち――ホムラとヒカリの2人。そして仲間であるレックスたちは今、ここには居ない。先にヴァンダムが言っていた、『世界樹』への到達方法を知る人物の下へ向かったのだ。
本当は皆、一緒に石棺の修理ができるかどうか聞くまで居たかったのだが、アンドレイの強い意向により、スタクティ1人と話ができる状況を作るため先に行ってもらったのだ。
彼らに気遣わせた以上、是が非でも元に戻らねばならない。
“天の聖杯”排斥派の眷属たち、そして未だ姿を現さぬ他の
そして、500年前の因縁――もう1人の“我が子”と戦うためにも。
「……一晩だ」
「え……?」
「一晩だ。絶えずソウルを注ぎ続け、接着させながら打ち直せば、元に戻せるだろう」
「本当か!?」
短くても数日は掛かると思っていた修理が、まさか一晩で済ませられるとは流石にスタクティも予想できず。喜びのあまり身を乗り出し、顔をぐいっと近付けた。
それを驚き、目を見開くもすぐにアンドレイは身を乗り出すスタクティを押し戻し、「ただし」と付け加えて、先の話の続きを語り出した。
「注ぎ足し用のソウルは勿論、あんたから頂く。あと、打ち直しの最中は他のことには手が付けられん。よって、別に修理したいモノがあるなら早めに出しとけ。
……どうせ旅の最中に1つや2つ、やっちまってるんだろ?」
「あ、ああ……恥ずかしながら……」
頬を掻きながら片手で虚空を歪め、自分のソウルに接続すると、そこから鉄屑と成り果てた愛用の『上級騎士防具』を取り出し、アンドレイの前に差し出した。
もはやガラクタの山と言っていい有り様の騎士鎧に一瞬瞠目するも、すぐに鉄片の一欠片を手に取り、状態を確認した後、軽いため息を白髭に包まれた口から漏らした。
「……派手に壊しやがったな。まあこれぐらいなら、ものの一時間も掛からずに終わらせられる。
防具を先に修理して、それから石棺に移る……これでいいかい?」
「勿論だ。本当に、恩に着る……!」
「……」
深々と頭を下げ、精一杯の感謝を示すスタクティとは対極に、アンドレイはどこか曇った表情を浮かべ、眉間に僅かな皺を寄せていた。
それは怒っているようにも見えるが、それ以上に悲哀の色が強く、まるで誰かを怒りながら、同時に別の誰かを哀れんでいるような、複雑怪奇な表情だった。
それでもそれを悟られまいとすぐに浮かべた表情をかき消し、仏頂面で上塗りすると顔を上げるように促し、傍に置いてあった金鎚を手に取った。
「……なぁ、スタクティ。1つ聞いていいか?」
「何だ? 私で答えられることならば、何でも答えるが……」
「そうかい。じゃあ――今のあんたは、
「……?」
質問の意味がよく分からなかった。
何故にそのような問いを口にしたのかと、逆に訊ね返して見れば当のアンドレイは「分からないならそれでいい」と言い、それきり何も言わなくなった。
沈黙が支配する鍛冶場。
スタクティのことなど気にも留めず、早速防具の修理に掛かり始めたアンドレイを見ていると、それまで鍛冶場の隅にいた者たち――到着と同時にソウルから解放し、顕現させたパッチたちがやって来た。
「旦那、“灰”の旦那。アンドレイ親父もこんな感じですし、そろそろ例の劇場に向かった方がいいんじゃねえですか?」
「……そう、か?」
「そうだね。アンドレイ殿は今日、あまり機嫌が良くないみたいだ。このまま待ってても会話の機会はもうないだろうし、時間の無駄だよ。
それなら先にあの少年たちが向かった劇場――そこに居るという『世界樹』へ至る方法を知る者に会うべきだろう」
「2人の言う通りだ。……スタクティ、早く行ってやれよ」
「そうか……皆がそう言うのなら……」
「案内は私が務めよう。本来の活動場所はスぺルビアのアルバ・マーゲンだが、フォンス・マイムでも顔は広いと自負しているからね」
さあ行こう、と半ば無理矢理な形でドーナルがスタクティを連れて行き、鍛冶場から2人の姿が消えた。
彼らの姿が完全に見えなくなると、鎧を鍛え直す金鎚の音が若干弱まり、アンドレイの意識も鎧から外れ、パッチと
「……どうだった。お前さんらから見た
「どうもこうも、以前と全く同じだな。妙に気が抜けてて、隙が多い。
戦いの最中にはそんなことはないんだが、気を許した相手にはとことん無防備……間違いない、俺たちの知っている
「そうか……やっぱり、そう見えるかよ……」
防具を打つ手を止め、金鎚から手を離して、その空き手を額に宛がう。
自分だけがそう見えているならまだ良かった。既に肉体の主導権を奪われ、
もしそうなら――何の躊躇いもなく
「――良いのかい?」
鍛冶場の一ヶ所。複数の椅子が並ぶ簡易休憩所から低い声が発せられる。
1つの椅子に腰掛け、さらに2つの椅子を並べ、そこに足を置いてくつろぐ大男――『傭兵』ウィリアム。
こことは異なる別の世界線の不死人は、暗い雰囲気を醸し出すアンドレイらとは異なり、どこまでもマイペースに問い掛ける。
「俺を喚んだのはつまり、あいつの処理だろう? 万が一にその『封印』ってのが失敗しちまった時のための、最後の保険……そんなところじゃないかい?」
「……ああ。話が本当なら、あんたは奴と――『闇の王』と戦った経験があるんだろう?」
「ある……とは言っても、その何でもかんでも滅ぼしちまうっつう出鱈目な力は見たことがないから、それを得る前のことになるが……ありゃァ、同じ
『闇の王』は、言うなれば『感情』の怪物だった。
初めて邂逅した時でさえ、溢れんばかりの憤怒を身に宿し、紡ぐ言葉は全て、万象一切の死と破滅を願う呪詛ばかり。
憤怒の化身、殺戮の権化、破壊者――あらゆる行為が負に傾向し、全てが破滅へ繋がっている。
それでも共感を抱いてしまうのは、ウィリアムと『闇の王』に、共通するものが存在しているからだろう。
終わりの定められた世界にて、最後まで『傭兵』という立場を貫き通した男と、全ての歪みと汚濁を絶滅させるべく奔走し、あらゆる負念を一身に担った男との、唯一の共通点――『信念』が。
「あれは『感情の怪物』だが、同時に『信念の怪物』でもある。
ただやみくもに暴れ狂い、感情任せに暴走する狂獣とは違う。己の中に確かな願いを持ち、それを信じ、一切の疑念も持たない……狂人のそれとも似ているが、骨子にして柱となる願望が完全に固定されている分、そちらの方がより性質が悪い」
「って、言うと?」
「迷いがないのさ。そして迷いがない相手は至極手強い。……俺の知る中で最もソレに当てはまるのは、『輪の都』で戦ったゲールの爺さんだな。だから……白状すると、グウィンやアルトリウス、古竜の生き残りであるシースよりも手強かった」
「じゃあ、俺たちの世界の『闇の王』……あいつも、同じくらいに?」
「かもしれん。いや――聞いた話の中身と、俺が直に会った時の奴の感情度合いから計るに、危険性と強さはゲールの比ではない」
話に虚偽と誇張が無ければ、文字通り単騎で世界全てを絶滅させた稀代の怪物だ。
世界の全てを敵に回す行い。そしてその全てに打ち勝ったという、あまりにも出鱈目な結末。
それにアンドレイたちが話してくれた奴の力――『存在全てを破滅させる異能』は、あまりに危険過ぎる。
世界のため――などと大義を掲げるつもりは毛頭ないが、個人として見ても危険極まる男だ。
「……それで、アンドレイ。依頼は最初の時と同じ内容――暴走時の『灰髪』……いや、『スタクティの排除』で良いんだな?」
「……」
「……沈黙は肯定と受け取るぜ」
ぶっきらぼうに言い切って、禿頭の傭兵は椅子に乗っけていた足を退かし、代わりに広場でも使っていた『連射クロスボウ』を置き、傍らに寄せたもう1つの椅子に『修理箱』を置いて、戦前の武具調整に掛かり始めた。
「――なあ、傭兵さんよ」
「ん……?」
発せられたアンドレイの一声に、ウィリアムの手が止まる。
顔は変わらず陰が掛かっているが、その声は、ほんの僅かながら生気を帯びていた。
「――」
口髭を蓄えた口元より紡がれる言葉。
熟練の鍛冶師の問いに、強面の傭兵は返答の言を口にしない。
ただ、調整用の道具を用いる手を止め、返答代わりに狼のような不敵な笑みを浮かべた。
*
スタクティがアンドレイの鍛冶場にいた頃、レックスたちはフォンス・マイム劇場区にある『バジェナ劇場』にいた。
ヴァンダムが語る『世界樹への行き方』を知る人物が座長を務める劇場で、ちょうど劇が開幕していたので会いに行く前に劇を覗いていくこととなったのだ。
広大な空間は薄暗く、中には観覧用の椅子が幾つも並べられている。
数えてざっと30席以上はある椅子の半数が埋まり、腰掛ける
「――その時私は見た! 暗黒の力が、全てを飲み込むさまを!」
進行役を務める仮面の劇団員が、大仰な手振りと共に語る。
劇は既に終盤らしく、白布で表現した雲海の上で、黄金の船がゆらゆらと揺れている。
団員の語りの通り、天は漆黒に彩られ、奏でられる背景曲の存在もあり、まるで世界の終わりに立ち会っている感覚を覚えさせられた。
「このままでは世界は終わる、終わってしまう! だがその時、満身創痍の身を起こし、我が師『英雄アデル』は決断したのだった!」
仮面の劇団員――改め『英雄の弟子』が手振りを以て示した先。
黄金船の甲板上に現れたのは、絢爛な鎧と兜で身を固めた人物――500年前の『聖杯大戦』を終わらせた英雄『アデル』。
かの英雄を演じる役者は、身に纏う鎧兜の重さを感じさせない様子で左手を伸ばす。
まるで天上に御座す者に、希うかのように。
「神よ、我に力を! 暗黒を灼き払い、世界を照らす光の力を!」
号叫と共に掲げられる剣。間もなく響く雷鳴。
そうして場面を移り変わり、いよいよ最終局面へ至る。
雲海を模した白布のあった舞台には、黒の襤褸を纏う亡霊の如き異形が3体居り、不気味に身体を動かしながら船上を見上げている。
おそらく500年前の厄災を表現したらしい亡霊たちと、それらを船上から剣を構えて相対する『アデル』。
睨み合うこと数瞬。いよいよ『アデル』も船上から飛び降り、亡霊たちと直接相対する形となる。
緊張感が限界にまで達し、さあどうなると思われた――ちょうどその時だった。
――白い羽が舞う。
ひらりひらり、と舞台の上部から柔らかな軌跡を描きながら舞い落ちる数多の白羽と共に、遂に
「おお……! そなたは“天の聖杯”――神の僕!」
「……!」
天の聖杯――その言葉に思わず、レックスは身を乗り出しかけた。
入場前よりヴァンダムに劇の内容を伝えられていた以上、その名が出てくるのは分かっていた。
だが、実際耳にするとどうしても体が反応してしまう。
乗り出しかけた身体を再び椅子に落ち着かせ、ちらりと横目で傍らの
「どうか、我に力を! この世界に光を!」
『アデル』の求めに応じ、白羽の人型――『天の聖杯』が右手を振るう。
振り撒かれた
それに伴い、炎の色合いに染まる舞台。
『天の聖杯』の下にいた亡霊たちは炎で灼かれ、倒れ逝く形で舞台から消えてゆく。
これにて終戦――そう思われた時、舞台の右側から黒い巨影が姿を現した。
その姿は、さながら闇の大波。
黒襤褸で表現された漆黒の魔人は、まるで暗黒の具現そのもの。
幾ら作り物とはいえ、その巨大さには他を圧倒する存在感があり、座席から他の観覧客の声が次々と上がり始めた。
誰の目から見ても分かる、物語の最終局面における
それまで天を舞っていた『天の聖杯』も、『アデル』の傍らに降り立ち、漆黒の魔人を見上げる形で彼の傍に在り。
『アデル』も携えた剣を突き出し、吼え立てながら魔人との戦いに臨まんとしたところ――
「懸命に戦う我が師アデル! その雄姿と世の安寧を求む声は遂に、神すらも動かすに至ったのだった!」
『――!!』
『英雄の弟子』の語りの直後、舞台上に新たなる巨影が降臨する。
漆黒の魔人が現れた方とは反対の、黄金船がある舞台の左側から姿を見せたのは、黒襤褸の魔人とは異なる、黒と真紅で彩られた『髑髏の巨人』。
携えた大剣も相まって、先に登場した漆黒の魔人以上の存在感で劇場内を沸かし、観客たちを興奮の虜とした。
「……父様」
ぽつり、と。傍らでホムラがそう呟くのを聞き取り、レックスは再び舞台を見る。
劇の展開上、そして以前本人たちから直接聞いた話から察してはいたが、やはりあの巨人こそが――
「――『炎の巨王』」
舞台上では、漆黒の魔人と赤黒の巨人がぶつかり合っている。
吊糸で操られた2体の巨躯の動きは緩慢で、けれどそれに意識がいかないほど戦いの内容は壮絶だった。
「おお……神よ、『炎の巨王』よ! どうかその炎の
『アデル』の呼び掛けを機に、髑髏の巨人は剣を振り上げる。
照明の色合いが再び変わり、より苛烈な炎の色に染まると、振り下ろしに伴い漆黒の巨人が打ち伏せられ、激戦の果てに勝敗は決した。
そして、再び照明が消され、暗闇が劇場内を包み込む。
後に灯された光の先に見えたのは、語り部たる『英雄の弟子』の姿だった。
「――こうして暗黒は払われた。……しかし、その代償は大きかった。
多くの大陸が、雲海の底へと沈んでいったのだ――そして、暗黒との戦いの果てに神は力を使い果たし、奈落へ沈むその間際に、自らの僕たる『天の聖杯』をアデルに託したのだった」
照らされる舞台。
横たわる『天の聖杯』と、その前で彼女を見下ろす『アデル』。
「神の僕よ……そなたと、父たる巨神のおかげで世界は救われた。
その命の代償――我が償おう」
吐き出された言葉には決意が満ち、同時に世界を救った白き娘と、亡き炎の巨人への感謝に溢れていた。
「我は語り継ぐ! そなたらの伝説を、我の名とともに――永遠に……」
横たわる『天の聖杯』を抱え、背を向けて光り輝く扉の先へ向かうところで幕も下り、劇は終幕した。
幕が下り切ると観客が一斉に拍手を送り、静かな熱狂が再び劇場内を包み込んだ。
けれどもやはり、ホムラ――そして彼女の内側にいるヒカリは変わらず、微かな悲哀と懐古に耽る視線で、下りた幕を一人見つめていた。
*
劇が終わり、一行はヴァンダムとイオンの案内の下、件の人物がいる劇場の座長室へと向かった。
演劇作品のポスターが貼られた通路を進み、もうそろそろで座長室に着く頃に、不意にレックスは足を止め、ホムラに問い掛けた。
「――ホムラ」
「はい、何でしょうか?」
彼の呼び掛けに彼女も足を止め、向かい合うように彼へと振り向く。
「その……あの劇の内容が……500年前の……」
「――はい。その通りです」
隠す素振りも見せない返答に、僅かばかりレックスは驚愕した。
まだ全てを語ったわけではないが、それでも500年前の一件の真相を彼女は
故に隠すなど今さらと思うのが普通であるが、それでも彼女――いや、彼女たちにとって最大級のトラウマでもある事件の真相を濁すことなく肯定したのは、流石に驚かざるを得なかった。
「500年前……あの戦いが、多くをもたらし、多くを変えました」
沈む
たった1つの災厄により、混乱の渦へと叩き込まれたアルスト。
災厄――先の劇にて語られた『暗黒』を討つべく立ち上がったのが『英雄アデル』であり、その彼に助力し、暗黒を打ち払ったのが“天の聖杯”と『炎の巨王』、即ちヒカリとスタクティだ。
激戦の末、『暗黒』は
だが劇と、以前グーラにてメレフが語った話を合わせれば、『暗黒』の討伐と共に3つの巨神獣が沈み、力を使い果たした『炎の巨王』もまた、雲海の奥底へと消えていった。
その全てを、“天の聖杯”――ホムラとヒカリの、罪の形と遺して。
「あの大戦を機に、ヒカリちゃんは心に傷を負い、もう自分自身を表に出さないよう
自分の持つ力の強大さ。もたらした被害と、失われた命……それを2度と繰り返させないために」
失われた命。その辺りで1度口が止まったのは、きっと気のせいではない。
ヒカリの力の余波により消失した命の中には、彼女たちの父も含まれていた。
当時まだ彼の不死性を知らなかった彼女は、自らの力によって父が死んだと思い込み、さらには親しき友の死、亡国イーラの民草の死、そしてイーラ王国そのものの滅亡により、半ば逃げるように自らの人格を封印し、ホムラという別人格を創ったのだ。
そうして2度と、自分の力が振るわれぬよう封印し、500年もの間、あの古代船の中でホムラと共に眠りに就いていたのだ。
それを目覚めさせたのが、レックスだ。
望まぬ死を経て、仮初めの楽園に足を踏み入れ、ホムラと出逢って彼女たちを目覚めさせた。
――記憶を失い、ただ1人の騎士として復活した
(あの時は、父様が生きているなんて思いもしなかったけど……)
心内で密かに呟きながら、ホムラは古代船での出逢いを思い出す。
いつか目覚めたら、その時は楽園に還ろう。
還って、“本当の目的”を果たそう――そう思っていた筈なのに。
気づけば、楽園を目指す理由は変わっていた。
自分たちの為した罪業の重みを忘れたわけではない。犯した罪は消えず、彼女たちが滅ぶその瞬間まで在り続けるだろう。
犯した罪を恥じず、悔いることなく進み続ける、などという行為はできないし、しようとも思わない。
それでも今は――彼らと共に進み続けたい。
だから――
「レックス――」
もう1度、伝えたい。
彼への、この想いを……
――“
「……!」
想いを再び伝えるべく、口を開きかけた瞬間、その声が彼女の深奥より木霊した。
怨嗟に満ちた一声。
だと言うのに、この声の主はホムラという存在を認識していない。
声の主がそんな言葉を吐き出したのは、偏にホムラの内より湧き出た情念に反応し、反射的に呪詛を紡いだに過ぎないのだ。
――“愛だ、恋だと……それが何だ。その感情が一体どれだけの愚者を生んで来たか”
吐き出されるのは怒りと、憎悪ならざる呆れの感情。
現状、他人というものを認識できていない負念の主。よってその感情は誰に向けたものでもないことは明らかだ。
つまり、負念の主――この見えざる怪物は、『愛』や『恋』という感情そのものを厭わしく思っているのだ。
――“そもそも、何故こんな情念が流れ込んでくる……? “俺”しか在り得ぬこの死界に、何故このようなくだらぬ感情が垂れ流れる”
やがて言葉に帯びる感情が怒りから疑いに変わり、その意識が静かに蠢動する。
流れる河川を遡り、水源を探るように。負念の主は意識を――その漆黒の矛先を、
――“……
「――っ!?」
もう駄目だった。耐え切れない。
押し殺していた息を再開し、呼吸を繰り返す。
真紅の双眸を見開き、か細い両腕で己自身を抱きしめながら、ホムラはその身を震わせて膝を突いた。
「ホムラッ!?」
突然の出来事に驚声を上げ、レックスが彼女の下に駆け寄る。
まるで彼女にだけ猛烈な寒波が襲っているように、今の彼女は絶えず震え、その顔は冷たさと怯えに染められている。
「ホムラッ、ホムラッ! しっかりしてッ!!」
「あ、あぁ――! いや……来ないで……見ないで……!」
不可視の何者かを彼女だけが認識できているのか、見えざる恐怖に少女の顔がさらなる怯えで染まりゆく。
そして――
『――ホムラッ!』
凛とした声が内側より響くと、赤き少女の肉体が光の粒子へ変換され、間もなくそこに、先とは異なる金色の少女が具現した。
「ヒカリ……!」
ヒカリ――“天の聖杯”の本来の人格たる少女の具現に、レックスは無意識に彼女の名を呼ぶと、対する彼女は若干表情を曇らせながら言った。
「……ホムラには、少し眠ってもらったわ。あのまま行けば、きっとあの娘の精神は持たなかった……」
「ヒカリ……ホムラは、一体どうしちゃったんだ?」
不安を湛えた金色の瞳と共にレックスが問い掛けるも、ヒカリは目蓋を伏せ、首を左右に振った。
「分からない……同じ存在である私でも、ホムラが何を感じて、どうしてああなったのか……まるで分からないの」
「そう、なんだ……」
「ええ。……でも」
自分の胸元に手を押し当て、ヒカリは言葉を続ける。
内に眠る赤き少女。もう1人の自分であり、同時に妹のような存在でもある彼女を感じながら――。
「あの日――父様を闇から引き上げたあの日に、何かがあったんじゃないかと思うの。
私とレックス、父様とは違う別の場所で……あの娘は1人、
「『何か』って……」
それを尋ね訊く意思は、今のレックスにはなかった。いや、問い掛けたところでヒカリもソレの正体を知らず、結局無意味に終わっていただろう。
だが彼がそうしなかったのは、心のどこかでソレに触れることを忌諱していたのかもしれない。
見えざる恐怖。不可視の負念。
亡霊の如き悪逆の化身の存在、その一端を――本能的に感じていたのだ。
けれどその解に至ることはなく、やがて先に向かっていたニアたちの呼び声により、2人はその場を離れ、件の人物がいる座長室へと向かって行った。
*
「――入るぜ、じいさん」
ヴァンダムの一声と共に開かれた扉を潜り、一行は座長室へと踏み入った。
薄暗い室内には小道具入れらしき木箱と、分厚い本が幾つも積み上げられ、お世辞にも清潔的とは言い難い印象があった。
光源である
「おいおい、また増えたんじゃないか?」
「――ん? ……何だ、ヴァンダムか。人の趣味にケチをつけるな」
しわがれた声を響かせて、振り向くその人物は、予想以上に老いた老人だった。
肌色はインヴィディア人のような緑がかった黒色で、目深に被ったフードのせいで余計に暗さが目立ってしまっている。
けれども左目の脇に刻まれた傷跡が、その老人がかつて非凡ならざる戦人であったことを証明していた。
「戦友相手に「なんだ」はねぇだろ」
「戦友?」
「ああ。傭兵団は作る前はフリーでな。若さに任せて『コール』のじいさんと、あちこちの戦場を駆け巡ったもんさ」
「情に絆されて、すぐにロハにする誰かのおかげで金にはならんかったがな」
肩を竦めて嘆息し、コールと呼ばれた老人はからかい混じりにそう言うと、ヴァンダムはいつもの豪快な笑いを上げて「お互いさまだろ!」と返した。
「あんただってそうだろう。劇団なんて始めやがってよぉ」
「ふん。……それで、今日は何の用だ?」
「ああ。そうだな……なぁ、じいさん。無駄に長く生きちゃいないだろう?
知らないか、『世界樹』に渡る方法を――『楽園』への行き方を」
「『楽園』、だと? 行ってどうする? あそこには――!」
言葉を途中で区切り、コールの双眸があらん限りに見開かれる。
老いた彼の視線の先。ヴァンダムの傍らに控えるレックスと、その隣に立つ金色の少女ヒカリ。
翠玉色に輝くコアクリスタルを胸元に抱く彼女の姿を見て、コールはその目に、溢れんばかりの驚愕を湛えた。
「あんた……いや、お前は……!」
「……そう。あの劇を作ってくれたのは、あなただったのね」
――
変わり果てたかつての仲間。数少ない500年前の縁を目にして、
*
ヒカリの存在を認知した後、コールとの話は速やかに進んでいった。
ヒカリ――そしてホムラを目覚めさせ、彼女たちと同調したドライバーがレックスであるということ。
1度世界樹へと向かい、その途中で『サーペント』による妨害を受けたこと。
コールは、その結果を当然であると頷いた。
『サーペント』が居る限り、『世界樹』へと到達する術はなく、あれをどうにかしない限り楽園へ至ることは叶わないと。
その上で、彼はかつて、たった1人で『世界樹』へと到達し、『神』に会いに行った男のことを語った。
その人物ならば『世界樹』へと至る方法を知っているかもしれないと言い、当然と言うべきか、レックスはそこに食いついた。
それはコールも予想できていた展開だったらしく、暫しの沈黙の末、彼は教える代わりにある条件を提示して来た。
それが――
「――すまなかったな。あの時のことを、思い出させてしまったか?」
向かいに立つ金色の少女に、謝罪と共にコールは問い掛ける。
現在、座長室にはレックスたちの姿はない。
コールの願いにより、室内には彼と、ヒカリだけが残されたのだ。
彼が提示してきた条件は1つ――彼女と2人きりで話し合うことだった。
長年の付き合いであるヴァンダムさえ知らない、500年前の縁。
かの大戦を共に駆け抜けた2人は、その意識を懐古に耽させながら、互いに言葉を交わしていた。
「そうね……でも、悪い気分にはならなかったわ」
「……無理はせんでいい。だが……残したかったんだ。あの時のことを――かつてのわしらの姿を、誰かに伝え、残したかったんだ」
記憶は摩耗し、やがて失われる。
あらゆる伝承も時を経て歪にゆがみ、本来の姿とは異なるものへと変貌してしまい、終には消える。
だからコールは、せめて劇という形で残したかった。
500年前の大戦の記憶。自分と、共に肩を並べた戦友たちとの日々を、後世に語り残したかったのだ。
自分たちはそこにいた――その在りし日を証明するために。
「――再び使うのか、『あの力』を?」
「……分からない。できれば、私もホムラも、アレを使いたくはない」
背けていた過去。忌まわしき記憶。
多くの命を奪い去り、1つの国を滅亡へと追いやった未知なる力。
そして神殺し――愛する父を殺めてしまった、あの輝き。
叶うならば、2度とアレを使う時が来ないで欲しい。
美貌に陰りを見せ、暗に告げてくるヒカリにコールも察してか、「そうか……」とだけ言うと、やがて先の話の続きを語るように言葉を続けた。
「『世界樹』への行き方を知っているのは、“あの男”だけだ。
……会えるのか? あの男に」
「会うわ。会って、『世界樹』へと至る方法を聞き出す」
「決意は、固いようだな……」
「ええ。……絶対に辿り着くって、決めたの。
私たちと、レックス……みんなで一緒に、故郷に帰るんだって」
「……そうか。もう、心の傷は癒えたんだな」
安堵したように肩を落とし、コールの口元に小さな笑みが浮かぶ。
かつて飛空船の甲板上にて、滅びゆくイーラ国と共に沈む
多くの命を奪い、国を滅ぼし、挙句父すらも殺めてしまった罪の意識は、“天の聖杯”と言えど到底耐えられぬものではなく、やがて彼女は自分自身を封印した。
己を封じるにまで至った罪の意識を抱え、500年の時を経て再会した彼女だったが、そこにはもう、かつての泣き崩れる少女の面影はなかった。
それがコールには、嬉しくて堪らなかったのだ。それこそ、我が事のように喜ぶ程に。
「――そうそう。ねぇミノチ、聞いて!」
「ん? どうしたんだ?」
先とは異なり、活気を取り戻した声で言ってくるヒカリに、コールは何事かと問い返す。
静かな決意を見せた先の姿とは違い、今のヒカリは見掛け相応の、少女らしい爛漫さを見せていた。
「あのね、私たちの父様が――」
『――ヒカリ、入るぞ』
「――?」
ヒカリの言葉が終わるよりも早く、途中で扉越しに聞こえた一声にコールが反応し、視線を向ける。
呼び掛けた少女の許可を得るよりも早く扉は開かれ、開いたそれを通って扉を再び閉じ、姿を見せたのは、在りし日の鎧に身を包んだ灰混じりの黒髪を持つ長躯の男――ではなく。
「む――?」
「――んん?」
白の上衣に革製のベストを纏い、腰外套付きの茶色い脚絆を穿いた、濡れ羽色の長髪をポニーテールに纏めた美女だった。
「「――誰だ貴公(あんた)は?」」
重なった互いの素性を問う言葉に、返答したのは2人ではなくヒカリだった。
「ミノチ、この人が父様――大戦の時に私たちと一緒に戦ったスタクティよ」
「……なに?」
「父様、この人はミノチよ。今はコールって名乗ってて、この劇団の座長をしてるの」
「……はい?」
ヒカリを向き、再び互いを見つめて、それを幾度か繰り返す。
変わり果てた老人と、そもそも性別すらかつてと異なる堕ちた神。
混乱していた脳内を整理し、理解が追いつき、やがて眼前の互いを現実として認識し始めて――
「――老け過ぎだろミノチィッ!?」
「――そういうあんたは性別すら変わってるんだが
変わり過ぎた――外面的に本当に変わり果てた互いを見て、2人は絶叫を轟かせ合った。
ようやくここまで来れた……次回は久しぶりにメツを出せそうです。