星間都市山脈オリュンポス/Zero Before Gods Fallen   作:オリスケ

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第11話

 

 

 ――冥界が、揺れた。

 

 

 ズズ、と小さな振動。

 壁を伝う度に弱り、小さくなりながら空間に広がり――やがてほんの僅かな空気のひずみになって、遙か彼方、冥界の最深部まで届く。

 ネズミが尻尾で地面を払うようなそのひずみを、『彼』は確かに感知した。

 見逃すわけがなかった。どんなに小さなものであれ、それは遙か数千年前に全ての役割を失った冥界に、ようやく訪れた変化であるのだから。

 

 

 ――そうか。

 

 

 沈黙を保ち続けていた機構が稼働し、心臓が血潮を巡らせるように、機械の身体にエネルギーが走る。

 

 

 ――地底へ潜るか、命よ。

 

 

 稼働した各種機器に指示を飛ばし、僅か数フレームでのセルフチェックを完了させる。

 観測機器が、端末の一つの消失を告げていた。

 故障ではない。憎らしき全能神ゼウスは、不具合など決して許容しない。

 打ち砕かれたのだ。神造兵器が、ゼウスが己の身体を用いて作った憐れな人形が、何者かの手によって。

 

 

 ――抗うか。人よ。

 

 

 機構が唸る。

 起動し、稼働し、加速する。

 自動的に、意志とは無関係に。

 あるがまま役割を全うするシステムとして、機構は告げる。

 冥界に宿る命無し。

 地下世界にあるものに、須く死を。

 

 

 ――来るか。いや、来てみるがいい。

 ――役目を失い、ゼウスの傀儡と化した、この憐れな冥界を下してみろ。

 

 

 機構は、自分を呼び覚ました小さな揺れを再生する。

 小さな空気の歪み。満ち満ちて凍り付くようだった無に響いた変化。

 人が思い出のレコードにそうするように。

 機構は何度も何度も、その変化を再生し。

 願う。

 

 

 ――私を終わらせてみるがいい。神に抗いし命達よ。

 

 

 

 

 

 

 

    ◇

 

 

 

 

 

「なあ、本当にここで当ってるのか? どうみても壁にしか見えねえぞ」

「マカリオス、そうツンケンしないのよ。ダメだったら次を試すだけなんだから。ねえ、ノーマッド?」

「心配いらないさ。座標は確かにここを示している。何かしら信号を送受信していると思うんだが――」

 

 

 ピュートーンを破壊し、汎人類史初の成果を上げてから、およそ十数分後。

 一行は冥界を更に下り、指定されたある場所へと辿り着いていた。隊長であるノーマッドが告げた場所だが、端からでは行き止まりにしか見えない。

 ノーマッドの手には、掌サイズの電子パネルが収まっていた。汎人類史にとっては解読不能な文字が、下から上へ次々と流れていく。彼等が先ほど倒したピュートーンの、コアにあたる箇所から抜き出したものだ。

 

 

「戦いの中で壊れてなくてほっとしたぜ……それで、今は何をしているんだ」

 

 

 忙しく作業をする共和神人軍の後ろから、燕青が聞いた。パネルを触りながら、ノーマッドが答える。

 

 

「マカリオスと、こう見えて俺も歴史学を専攻していてね。支配派と共生派の間に起きた大戦についての知識を収集していたんだ」

「元々、地下は不可侵の場所とゼウスからの託宣でも告げられていた。命ある者が訪れる場所でない。踏み入れれば恐ろしい怪物に命を奪われるって感じでな。まさか神造兵器とは、初めて侵入する数十年前まで知らなかったけど」

 

 

 のっぺりとした壁をノックしながら、マカリオスが話を続ける。

 

 

「図書館に保管されていた電子書籍だと、具体的な情報は検閲でほとんど消されていた。それでも断片的な情報をつなぎ合わせて、この冥界の仕組みと、ゼウスが作った防衛機構群の情報くらいは掴む事ができた」

「……ちょい待ち。いま防衛機構『群』って言ったか? あんなヤベエ奴が他にもいるって?」

「文献によれば、ピュートーンは端末の一つらしい。あいつらにも『主』に相当する奴が居て、その巣と言えるような場所に定期的に帰還するんだと」

 

 

 あんな凶悪な兵器が、単なる端末に過ぎない。その事実に燕青が鼻白む。

 端末を操作しながら、ノーマッドが汎人類史の一行に言う。

 

 

「俺達の第一目標は、安全に活動できる拠点の確保だ。そのためにまずは、この冥界の主――ハデス神を打破する必要がある」

 

 

 告げられた名前に、汎人類史のサーヴァント全員が思わず息を飲んだ。

 ハデス。名前を知らない人は居ない、死を司る神。ゼウスの兄であり、彼に匹敵する力を持つとまで言われる存在だ。

 

 

「だが……さっき聞いた話だと、ハデスは最後の大戦の際に、共生派に立ってゼウスに倒された筈じゃなかったか?」

「その通り。ハデスはかつて、ゼウスに立ち向かう我々の、最大戦力だった神だ」

 

 

 遡るは数千年前。人と神の関係性を協議し、『完全支配』と『共生』に別れて争いあった、オリュンポス最後の大戦。冥界神ハデスは共生派に名乗りを上げ、ゼウス等完全支配の一派に倒された。

 共に戦った共生派の神々は破壊され、分配された権能はゼウスに統合された。機神としての命も、神としての機能すらも奪われ、鉄屑同然になって、アトランティスに放逐されたのだ。

 完膚無きまでに敗北したハデスは、けれどその運命までは認めなかった。

 ゼウスに敗れた彼は、支配派の神に捕らえられる寸前に、身に宿した権能諸共自壊したのだ。

 

 

「冥界を司る権能はゼウスに移換せず、永遠に葬り去られました。ハデス神の反骨の意志によって、この地下空間は、オリュンポスにおいて唯一、ゼウスの手の届かない場所となっています」

「だがゼウスは、冥界をブラックボックスのままにしておく事を許さなかった。ハデス神の機体を素体に、ほかの神々の残骸も用いて、冥界に殲滅機構を作ったんだ」

 

 

 デメテル神が生産する神の糧アンブロシアによって病と老いを克服し、例え死したとしても、保存された情報を用いて分神殿から『再生』する。オリュンポスの民は既に死を克服し、冥界の存在はほとんど形骸化していた。

 目の届かない暗がりに、悪い虫が蔓延っていては始末に負えない。意味を失った場所であれば、完璧な無にしてしまえばいい。そうして作られたのが、冥界を縦横無尽に走り回り命を奪う、ピュートーンのような神造兵器だった。

 

 

「なるほどね……神に逆らった末路が『お掃除ロボット』とは、皮肉が効いてるな」

「っ……!」

 

 

 モードレッドが嘲るように言う。

 マカリオスが眉を潜め、険しい顔で彼女を睨むも、彼女は肩を竦めただけで、人を喰ったような顔を崩さない。

 マカリオスの肩に手を置いて制しながら、アデーレが一行を見る。

 

 

「今の冥界は、ハデス神の残骸に一任されています――つまりハデス神さえ打倒すれば、この地下空間全てを、我々共和神人軍の拠点とする事ができます」

「死を司りながら、死ぬ事さえ許されなかった神だ……ハデス神の弔いは、我々共和神人軍、百余名の総意でもある」

 

 

 固い声でノーマッドが言い、オリュンポス兵が頷いて同意を示す。

 司る概念こそ『死』であるが、ハデス神は、ゼウスに並ぶ素質を持つ強力な神。彼等にとっては救いの象徴と呼んでいい存在だったのだろう。

 そんなハデス神の残骸が、ゼウスによって改造され、意志を持たない絡繰として使われている。それは死体で作られた操り人形と同じだ。共和神人軍の一同の顔には、同士の受けている辱めに対する怒りと憐憫がありありと滲んでいた。

 

 

「時が来れば冥界へ……オリュンポス全土に散らばった共生派には、そう言い伝えてある。其方ら汎人類史の仲間も、市街まで辿り着いていれば、きっと我々の同士と共に、ハデスを目指し進んでいるはずだ」

「ウウ!」

「そいつぁ嬉しい報告だぜ、ノーマッド! テスラ達と合流できれば百人力だ。俺っち達の頭脳は、みんなあそこに集まってるからな!」

 

 

 微笑みを返し、ノーマッドが端末をタップする。とうとう端末は稼働を始め、不意に光を瞬かせた。それに呼応するようにして、壁の一部にも電気光が灯る。

 一行の目の前で、ズズ――と音を立てて、壁が横滑りを始めた。口を開いていくそれを前に、ノーマッドが呟くように言う。

 

 

「……離れた地区の皆も、無事であればいいのだが」

「無事だよ。無事に決まってる」

 

 

 彼の不安を壊そうとでも言うように、モードレッドが力強く断言した。

 

 

「誰一人欠けてやしねえよ。神に立ち向かう英雄に、そんな情けねえタマはいやしねえ」

 

 

 気負った様子はなく、そう断言する。疑う気配すら見せないモードレッドの様子は、疑う事を恐れているようにさえ感じられた。

 そこに抱いた感情を察し、ノーマッドは静かに視線を逸らし、唸りを上げて開いていく扉の向こう側に意識を注ぐ。

 端からでは全く気付けなかったが、壁に見えたそこは、エレベーターのドアのような役割を担っていたらしい。一分足らずで、一行が手を広げても届かない程の横穴が開いた。

 

 

 

 

「まぁ……」

 

 

 壁の向こうに広がっていた空間に、アデーレが驚く。その声が、わぁんと反響しては、遙か遠くまで消えていく。

 形容すれば、それはトンネルのようであった。壁面は丸く、横長の楕円状をしている。誰かに見せる想定でないためか、これまでのメタリックに統一された地下空間と違い、剥き出しのコンクリートのような灰色をしていた。

 楕円形をした空間は左右に長く続いている。等間隔にぽつぽつと灯ったライトで、辛うじて全貌を見渡せる程度の明かりを確保していたが、両端共に代わり映えのしない景色が、何キロも続いているだけだ。

 アデーレの脇から顔を出したモードレッドが、眉を潜めて、訝しげに言う。

 

 

「何かの、輸送路みたいだな。上と下に、レールみたいなのが走ってる」

「どこだ? 暗くて全然見えねえ」

「……ウゥ、ウ、ウー」

「まずはそのサングラスを外せって? 冗談よせよ! ゴールデンな俺っちの、ベストオブゴールデンアイテムだぜ? クールを失っちゃあ俺の霊基が歪んじまう!」

「敵影はなさそうだが、確かに視界が悪いな……魔術を使える者で光球を作ろう。アデーレ、マカリオスも頼めるか?」

 

 

 ノーマッドの提案に、双子が頷く。

 数分で用意された光球を周囲に漂わせ、一行は巨大な地下空洞に降り立った。鎧が鳴る音が、どこまでも続く通路の奥に、反響しながら消えていく。

 

 

「この奥に、そのハデス神の残骸が構えてるっていうのか?」

「そのはずだ――端末が座標を示している。皆も付いてきてくれ」

 

 

 ノーマッドが先導し、双子と汎人類史が後に続く。殿を務めるのは五人のオリュンポス兵達だ。

 地下空洞は驚くほど静かで、とてつもなく広かった。最初こそ警戒していた一行だったが、何も起きない事にそうそうに気づき、数分で張り詰めていた緊張を解いた。足音を響かせながら、緩やかな速度で進行する。

 

 

 

 

 アデーレは歩きながら、果てなどないような通路の先を見据える。

 その顔の傍に、すっと手が差し出された。

 振り返れば、すぐ近くに、美丈夫の眩しいほどの晴れやかな笑顔がある。

 

 

「名前を名乗ってそれっきりだったからな――燕青だ、よろしく美しいお嬢さん」

「ええ、ちゃんと覚えていますよ燕青さん。先ほどの拳闘、素晴らしかったです」

「あはは、嬉しいねえ。芸達者と自負してるが、傭兵稼業じゃ成果ばかり求められて、褒められるなんて滅多に無いから」

 

 

 手を握られ、微笑まれ、分かりやすく燕青の頬が緩む。赤らめた顔は、明らかに繋いだアデーレの手の、白魚のように細く艶やかな感触に意識を注いでいる風だ。

 

 

「これから長い付き合いになるんだ、仲良くいこう。何ならアデーレちゃんも、もう少し砕けた調子で話してくれても――」

 

 

 燕青がぐっと顔を寄せようとした時、マカリオスがずいっと身を乗り出し、アデーレと繋いでいた手をひったくるようにして掴んだ。見上げる目に凄みを効かせて、握りしめた手を振る。

 

 

「マカリオスだ。姉さん共々――一緒に戦う、仲間として、よろしく」

「……」

 

 

 睨み付けられて、燕青はバツが悪そうに視線を彷徨わせる。

 その時、突然横合いから飛んで来た掌底が、燕青の長身を吹き飛ばした。

 

 

「ぎゃう!?」

「わぁ!?」

「握手の前に手は洗いましたか? 洗っていませんね? 不潔は罪だと何度言えば分かるのですか。困った患者です」

 

 

 突き飛ばしたナイチンゲールは、真っ白なグローブでマカリオスの手を取った。目を白黒とさせる彼の手を、アルコールを染み込ませたガーゼで丁寧に拭く。 

 

 

「異邦人との接触は慎重にお願いします。体内外に生息する細菌や寄生虫は生活環境で大きく異なります。黒死病の恐怖を決して忘れないように」

「ぺ、ぺす……?」

「ああもう! アンブロシアだか何だか知りませんが、医療への理解がまるで足りません! 今一度授業が必要と見ました。皆様、歩きながらで構いませんので、どうかご傾聴を!」

「ハイハイ、その辺にしとけよナイチンゲール。お前の講説を聞いてたら、気落ちして魔力が漏れちまう」

 

 

 そう声をかけたのはモードレッド。彼女はナイチンゲールの肩を掴むと、集団の端の方にズルズルと引き摺っていく。

 その途中、一瞬だけ、モードレッドはマカリオスに視線を寄越した。モードレッドはむっつりとしたしかめ面をぴくりともさせないで、ふいとそっぽを向いてしまう。

 

 

「……」

「あー、気を悪くしないでやってくれないか、マカリオスさんよ」

 

 

 マカリオスの、モードレッドを見る目の間に割って入って、金時が間をとりなった。彼は厳めしいサングラスにはまったく似合わない、気苦労の滲む溜息を吐き出す。

 

 

「ここに来るまでの道中で色々あってな。普段はもう少し気の良い、気配りのデキる奴なんだぜ? マジで」

「別に……気にしちゃいないよ。仲良くする理由だって、別に無いしな」

 

 

 マカリオスは気勢を削がれて、金時から視線を逸らす。

 まだ小一時間の付き合いであるが、汎人類史の中で最も話が通じるのが、最も話の通じなさそうな金時なのは、彼にとって結構な衝撃だった。金髪をトサカ立たせた厳つい格好で、平身低頭こちらの気を配ってくるものだから、声をかけられる度に反応に困ってしまう。

 マカリオスが気まずく俯いていると、くすくすと笑ったアデーレが、肩をちょんとつついてきた。

 

 

「こちらこそごめんなさい。自分じゃ分からないでしょうけど、マカリオスもはしゃいでるのよ。オリュンポス人は皆長生きで穏やかだから、マカリオスみたいに喧嘩腰な人はいなくて、モードレッドさんに仲間意識を感じてるの」

「ちょっと待てよ姉さん、喧嘩なんてしたことないだろ!? 俺は戦う覚悟をちゃんと持って行動してるだけで……」

「ノーマッドさんから、力を抜けっていつも窘められてるじゃない。何かあるとすぐ怒り肩になるんだから」

 

 

 アデーレがマカリオスの両肩に手を置く。とうとうマカリオスは怒るでもなくなってしまい、アデーレに促されるまま、持ち上げていた肩をストンと落とした。

 大人しくなったマカリオスの肩をよしよしと撫でながら、アデーレはふっと表情を陰らせた。

 

 

「けれど、そうよね……いよいよ、戦いが始まるんだものね。誰が欠けてもおかしくない。なれ合ってる場合じゃないっていうのも、その通りだと思うわ」

「姉さん……」

「共生派であることがゼウスにバレれば、例え死んでも復活はさせてもらえない。仮に復活できても、元通りの私達のままではいられない」

「それは、沢山話し合った事だ。元通りの生活には戻れない、全てを失う。ここにはその全部を分かった上で『それでも』と言った奴等が集まってるんだ」

「ええ、もちろんよマカリオス。ただ、私ももう少し、失う覚悟を決めなきゃなって。そう思っただけ」

 

 

 固い声で、アデーレが言う。透き通るような彼女の声は広い地下空洞によく反響し、固まって歩く一同の耳に、染み入るように響く。

 誰もが無意識に耳を傾け、心を固く引き締める。ザッザッという足音が地下空洞に響くのが、いやに大きく聞こえる。

 天井に点々と灯ったライトと魔術光だけの薄暗い空間に、不意に広がった重苦しい沈黙。

 その中で、ひらりと動く白い影が一つ。

 フランケンシュタインは、純白のベールをはためかせると、アデーレの前に立った。俯いていたアデーレが、きょとんと目を丸くして彼女を見つめる。

 

 

「フランケンシュタイン……さん? どうかされた?」

「……」

 

 

 アデーレが聞いても、フランケンシュタインは応えない。

 その代わりに彼女は、自分の純白のドレスの懐をごそごそと探ると、おもむろにアデーレに拳を突き出した。

 ぐっと握った彼女の拳に握られていたのは――鮮やかな空色の花。

 目を白黒とさせるアデーレに、フランケンシュタインはむっつり引き結んだ唇を開き、絞り出すように言う。

 

 

「……や、る」

「……くれるの?」

「ウ」

 

 

 聞き返したアデーレに、コクコクと頷く。

 それはオリュンポス都市に入る前の森で、フランが見つけた野草から摘んだ花だった。戦いの最中で少し萎れてしまってはいたが、それでもアデーレが受け取った空色の花弁は、息が詰まる薄暗い地下空洞に置いて、溜息が出るほど美しかった。

 成り行きを見守っていた金時が、嬉しそうに笑う。

 

 

「気負い過ぎるなってさ……フランケンシュタインの言う通りだ。戦いとはいえ、心まですさむ必要はねえ。ゴールデンな勝ち星は、心に余裕があって、どっしり構えて笑える奴にこそ付いてくるもんだ」

 

 

 アデーレは金時を見て、うんうん頷くフランを見て、それから渡された空色の花を眺めて、ふふっと唇を綻ばせる。

 アデーレは花の茎を編んで、かんざしのようにしたそれを、編み込んだ茶髪に慎重に挿した。くるりとその場で回って、磨かれた胴のように綺麗な髪に咲いた小さな空色のブーケをフランケンシュタインに見せる。

 

 

「どうかしら。似合う?」

「ウ」

 

 

 フランが、ぐっと親指を立てる。

 吹き出すように笑ったアデーレの顔は、可憐な少女そのもので。彼女の星のように煌めく笑顔は、共に進む一同から戦いへの緊張を拭い去り、頬を緩ませるのだった。

 

 

「……」

 

 

 ナイチンゲールをいなしたモードレッドは、集団から少し離れた場所で、そのやり取りを見ていた。どこか遠い、絵画でも見るような心地で。

 そうして見つめていると、ふとフランケンシュタインと目があった。彼女はモードレッドの視線に気付くと、とととっと駆け寄ってきて、懐から取り出した花をモードレッドに突き出した。

 

 

「ウ?」

「いや、要らねえ。戦いの時に散らしちまうからな」

「……ウ」

「気持ちだけもらっとくよ。サンキュー」

 

 

 労うようにフランの肩に手を置き、モードレッドは再び眼前、どこまでも続いていそうなトンネルの向こうに視線を戻し、それから一度も振り返ろうとしない。

 

 

「ウゥ……」

 

 

 鎧で覆われた背中に、フランケンシュタインが寂しく唸り声を上げた。

 その、心にぽっかり穴が開いたような切なさが――地下空洞の異常に、いち早く気付かせた。

 

 

 

 

 ひり、と肌が粟立つ。

 フランケンシュタインの身体を駆け巡ったのは、獣のような本能的な察知力に依る物だった。

 自分でも訳が分からないままに、フランケンシュタインはモードレッドに向け突進した。振り返るモードレッドがぎょっと目を丸くするも、お構いなしに飛びかかる。

 

 

「どわ――!?」

 

 

 上擦った、驚きの声。

 それを吹き飛ばす大轟音が、数瞬前までモードレッドのいた場所に轟いた。

 壁をぶち破ってきたのは、長大な地下空洞の端まで届く、途方もなく巨大なブレードだった。刃の切先は、超密度の魔力孕み、神性な紫の光に染まっている。

 目を丸くする暇もなく、ブレードは壁をバターのように溶かし切りながら、揉み合って倒れた二人に向かって迫る。

 

 

「総員! アテナ・クリロノミア緊急励起!!」

 

 

 怒号のようなノーマッドの声に、オリュンポス兵が応じた。個々人の神盾に込められた魔力が呼応し、一枚の巨大な盾になって、紫に輝くブレードと激突する。

 共和神人軍の全力の防御は、辛うじてブレードと拮抗した。停滞したブレードの下に、金時と燕青、ナイチンゲールが滑り込む。

 

 

「打ち上げるぞ、お前等! せぇ――のぉ!」

 

 

 燕青の号令で、一斉に全力を叩き付ける。ブレードがぐんっと持ち上がり、ノーマッド達の盾を越え、地下空洞の上部を切り進む。

 一瞬で数百メートルを切り進んだブレードは、壁の向こうに消える。

 ようよう一同は、最初にブレードが突き破った大穴の向こうに覗く、圧巻の光景に我が目を疑った。

 壁の向こうは、今彼等のいる地下空洞よりも更に巨大な、縦長の空間になっていた。下も上も、数百メートルはあるかもしれない。オリュンポスの排水溝の一部が繋がっているのか、壁面の一部の穴から水が噴き出し、滝のように轟音を上げて、数百メートルの距離を落ちていく。

 途方も無く大きな巨大な空洞。

 そこを、たった一つの機械が埋めていた。

 

 

『……』

 

 

 ――塔。

 形容するとすれば、それ以外に言葉がない。

 黒い機体に紫の光を走らせた、機械仕掛けの塔だ。円錐状の軸は、一キロに及ぶ程の空間を貫くように屹立している。軸からは扇型をした機構が幾つも広がり、それがプロペラのように緩やかな回転を続けている。

 扇状に見えたそれは、格納庫らしかった。見下ろした扇型の機構の一つが、その上部に先の魔戦車――ピュートーンを鎮座させているのが見える。地下通路を埋める程巨大なピュートーンは、こうして見ると、まるで草葉に止まる蝶のように小さく見えた。

 

 

「……これが、冥界神」

 

 

 誰かが、震える声でそう呟く。

 ゴウンゴウンと機構が唸り、紫の光が血潮のように胎動する。

 元、冥界の主。

 大神に敗れ、自ら命を絶ち――その死骸を弄ばれ、ただ冥界の命を屠る為に作られた存在。

 意志を持たない、ただの防衛機構。

 殲滅防衛式神造格納母艦――ハデス。

 

 

「嘘……これが、ハデス様……!?」

「別物じゃないか。ゼウスの奴め、仲間の身体を使って、こんな工作を……!」

 

 

 アデーレが息を飲み、マカリオスが憎しみも露わに歯噛みする。

 どこからともなく、声が響いてきた。

 

 

『冥界ハ、死ノ領域デアル』

 

 

 ノイズ混じりの、機械的な声。

 

 

『命モ、希望モ、産マレハシナイ。アラユル生産ハ、許サレナイ』

 

 

 ハデスは既に一行を捉え、殲滅のための機構を作動させていた。プロペラのように回転する扇形の機構と一緒に、先ほど一行を切り裂かんと突き出されたブレードが無数に回り、紫の光を瞬かせている。

 

 

『終ワレ、命ヨ』

「……」

『サモナクバ、抗エ。我ガ死ノ機構、冥界ノ権能、終ワラセテ、ミルガイイ――!』

 

 

 紫の機械が胎動する。まるで、捕らわれた運命を嘆き、悲哀の絶叫を上げるかのように。

 

 

「……準備はいいな、お前等!」

 

 

 最初に声を上げたのは燕青だった。指を鳴らし、拳を握る。その隣に、各々の得物を携えた、汎人類史の英雄達が並び立つ。

 

 

「ここでコイツを下す! 敵は残骸とはいえ死の神! 全能神を相手取る俺達に、これ以上ない前哨戦だ!」

 

 

 広い空間を回転したブレードが、再び燕青達に迫る。刃が宿した紫の光が、命を葬り去らんと輝きを増す。

 刃の追突と同時に、汎人類史は跳んだ。縦長の空間に身を躍らせ、回転する無数の機構の中を落ちていく。

 

 

「倒すぞ、機神! ここから、俺達の『神狩り』の始まりだぁ!」

 

 

 


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