星間都市山脈オリュンポス/Zero Before Gods Fallen   作:オリスケ

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第7話

 

 燕青の言った通り、メディアは彼等に高度な認識阻害の術式をかけたらしかった。辺りを見回しても、耳を澄ませても、そこには穏やかな平原が広がるばかりで、敵の姿は全く見当たらなかった。空は相変わらず塗り潰されたように真っ青で、彼等を襲った雷雲が再び現れる気配もない。

 

 

「案外、全滅させたと勘違いして、呑気に昼寝でもしてたりしてな」

「そいつは結構なことだな。神様の寝首をかけると来れば、オレのクラレントも大喜びだろうさ」

「あるいは、忘れ去られちまう位に軽く見られてるのかもな……メディアの魔術がどれだけ持つかも分からねえ、こうなりゃ堂々と急ごうぜ」

 

 

 目的地たる機械仕掛けの建造物は、視界を埋め尽くすほどの大きさにも関わらず、空気の青に霞んで見えるほどに遠くにあった。安全を確認した一行は、サーヴァントの身体能力に物を言わせ、平原をひた走る。

 近づくにつれ、建造物はみるみる大きく、存在感を増していく。見上げれば首を痛めるほどになり、見上げることも叶わなくなり、何度も遠近感を狂わされながら走り続けること、数時間。

 磨かれたように綺麗な石畳を踏んだ一行は、眼前に広がる光景に、身を隠す事さえ忘れて立ち竦んだ。

 

 

「……すっげぇ」

 

 

 思わずというように燕青が漏らし、全員が頷く。

 それは、彼等の『都市』という認識を軽々と凌駕するほどの、美しく荘厳とした街並みであった。

 見上げる程に高い摩天楼が幾つも屹立し、陽光を受けて煌めいている。それでいて石畳の通路は広く開放感に溢れている。

 何より特徴的なのが、ビル群に並ぶほど巨大な、無数の彫刻達だった。

 精悍な男性から、流麗な女性、快活に遊ぶ子供達。あるいは、傍目では何を象徴しているかまるで理解できない前衛芸術まで。街のあちこちに屹立する芸術達は、いずれも目を疑う程に精緻で、溜息の出るほどに美しかった。

 

 

「ウゥ、ウアア」

「アトランティスの村も相当に恵まれていたが、こりゃ桁違いだ。ひと目見ても相当に進歩した文明だ」

「どの彫像も、大したクールじゃねえか。けばけばしくてシュミじゃあねえけどな」

 

 

 事前にインプットされた汎人類史の知識には、これほど豪奢で、それでいて均整の取れた街並みの情報はない。芸を凝らした巨大な彫像の数々は、この文明がそれだけの芸術に関する素養と経済的な豊かさを保持している何よりの証拠だった。

 広々とした通路には、少なくない人が屯していた。一行は高層ビルの影に隠れて、人々の動きを観察する。

 オリュンポスの東部都市は、都市全体が一つの巨大な美術館として誂えられているようだった。人々は彫像を鑑賞したり、ベンチに座って哲学についてを語らい、音楽や詩を披露し人を集めたりしている。誰もがリラックスし、思い思いに時を過ごしているように見えた。

 誰も彼もが、穏やかな笑みを浮かべている。苦しみなど知らないとでも言うような様子に、モードレッドがつまらなそうに舌打ちを一つ。

 

 

「安穏とした面してやがる。暇つぶしに一生懸命とは、大層なご身分だな」

「神から爪弾きにされたアトランティスでさえ、生きるのに不自由のない環境だったんだ。まして神の膝元だろ? 『不安が一つもない』って言っても嘘じゃねえだろうさ」

「ええ。通路にはゴミの一つ、ネズミの一匹もない。人々の服装も清潔そのもの。素晴らしい衛生環境です」

 

 

 金時の言葉に、ナイチンゲールが被せるようにそう続ける。これから敵対しなければいけないにも関わらず、彼女は清潔が維持された街並みに心から感心しているらしかった。

 嬉しそうにうんうん頷いているナイチンゲールに辟易しながら、金時が言う。

 

 

「何はともあれ、情報を集めるのが肝心だ。燕青、準備は――どわっ!?」

「御機嫌よう諸君! 今朝のお祈りは済ませたかい?」

 

 

 振り返った先に居たのは、まさに自分たちが物陰から観察していたオリュンポス人だった。思わず仰け反ってサングラスをずり落とした金時を見て、腹を抑えてケラケラ笑っている。

 

 

「お、おぉ……マジでビビったぜ。流石の変装だな、燕青」

「だろぉ? 潜入なら任せときな。ドッペルゲンガーの濃緑と持ち前の交渉術で、ちょちょいと情報を仕入れてくるよ」

「頼んだぜ。だがボロは出すなよ。その人を喰ったような笑みも禁止だ。神の揺り籠で安穏と生きてるアイツ等にゃ悪魔同然だろうよ」

「へいへ~い。それじゃ、霊体化してついてきてくれ。皆で一緒に、世界史のお勉強と洒落込もう」

「ウ、ウウ!」

 

 

 一行は霊体化して姿を消し、一人残ったオリュンポス人姿の燕青が、足取り軽やかに市街地へ繰り出す。

 

 

 

 

「――ごきげんよう兄弟。今日も神の加護があらんことを!」

「ごきげんよう。ゼウス神の変わらぬ祝福に心よりの感謝を……おや、見ない顔だね?」

「西の方から観光さ。神々の恩寵は平等なれど、たまには刺激が欲しくなってね。ちょいと足を伸ばして、羽休めにきたんだ」

「それはいい心がけだ。この東部街はアフロディテ神が強く祝福を授けてくださっているからね。美しさ、荘厳さにかけては随一だとも」

「ああ、まさしく。この街の威光は掛け値無しに素晴らしい、魅了されっぱなしだ! 良かったら、土地勘のない俺に色々教えてくれないか。名所とか、アンタの好きな場所とかさ」

 

 

 変幻自在を名乗るだけあって、燕青の情報収集は素晴らしい手際だった。まるで隙間に染み込む水のよう。人の心にするりと入り込み、疑われない程度に無知を晒して、この街の事、人々の生活についてを聞き出していく。

 

 

 

 

「――神のおわします場所? ああ、もちろんだとも。我等の頭上に翳されし崇高なる機構、神器環状体クロノス=クラウン。その中心に築かれし軌道大神殿オリュンピア=ドドーナ! 神々はあの荘厳な神殿に座し、いつも我々を見守っていてくださる。ああ、我等がゼウス神の栄光よ、永遠なれ!」

 

 

 敵の居住については、あまりにも呆気なく判明した。押せてくれた男が指をさしたのは、彼等の頭上。遙か天空を浮遊する、巨大な建造物だった。

 十数分もすれば、この街、世界についての多くの事が明らかになった。霊体化したまま、金時が念話を飛ばす。

 

 

(当然と言えば当然だが、やっぱりゼウス以外にも神がいるか……さっきの奴の『神は常に見守っておられる』って言葉は、比喩じゃなく本当に監視されてるって事かね?)

(さあな。それよりも、コイツ等何歳だよ? 数十年前の事を、昨日の晩飯みたいなノリで話してやがったぞ)

(病院が無い……いいえ、そもそも病院という単語すら産まれていない? ここの人達は病にかからないの? 病は根絶されているというの? ……まさか)

 

 

 霊体化していても表情が分かるほどに、ナイチンゲールが息を飲む。彼女以外の全員も、程度こそ違えど、オリュンポスという世界の構造に対して並々ならぬ驚きを抱いていた。

 笑みを浮かべ悠々と日々を送る彼等の姿は『幸福』そのものだ。アトランティス人は数百年を生きる長命であったが、オリュンポス人は明らかに桁が一つ違う。

 貧困も、死への恐怖も、形容しがたい未来への不安さえもない。汎人類史の永遠の課題とも言えるそれらから、この世界は完璧な脱却を果たしているようだった。

 漂う雰囲気は安穏とし、流れる時間は遅く感じる。吸い込む空気さえもが幸福の気配を纏っている。その只中に居ては、それらが自分たちが唾棄すべき敵であることさえ忘れてしまいそうだった。

 

 

(チッ……空気に退屈が染み付いてやがる。何だか無性にムカついてくるぜ)

 

 

 霊体化した状態で、モードレッドが苛立ちと嫌悪感を露わに唸る。

 

 

(燕青。物見遊山はそのへんにして、神を突き崩す弱点でも探そうぜ。分神殿って所が怪しそうだ。いっちょカチコミをかけるってのはどうだよ)

(血の気が多いぞモードレッド。せっかく住人全員が呑気に生きてるんだから、思う存分利用させてもらうとしよう。口は軽いし騙しやすいし、操り人形も同然さ。まずは特に人の良さそうな奴を引っかけてだな――)

 

 

 オリュンポス人としての振る舞いが板に染みついてきた燕青が、誰にも見られないように舌なめずりをする。

 安穏とした空気が突如として色を変えたのは、まさにその瞬間だった。

 

 

 ふっ――と、空気が静まり返る。

 流れる時間が止まったような。世界の全てが息を飲むかのような、一瞬の硬直。

 誰もが無意識に見上げた真っ青な空に、美しい音が響き渡った。

 

 

「――これは、鐘の音か?」

 

 

 燕青がぽつりと溢す。

 その鐘の音は、オリュンポスという世界にとってはよほど重要なものらしかった。周囲の人々が、嬉しそうに色めき立つ。

 

 

「信託だ! ゼウス様が御言葉をくださるぞ!」

「まあ、何てこと。公然に向けての信託なんて、いったい何百年ぶりかしら!」

 

 

 世紀の瞬間に立ち会っていると言わんばかりに、誰もが笑みを浮かべて空を見上げ、人によっては跪いて祈りまで捧げる。

 荘厳な鐘の音は、青空の遙か向こうまで響いて溶け消える。

 

 

「――我が愛しきオリュンポス市民よ」

 

 

 静まり返った街に、凜とした女性の声がした。

 

 

「軌道大神殿オリュンピア=ドドーナより告げる――神姫エウロペが告げる」

「……」

「――神託である――神託である」

 

 

 心地よささえ感じるほど美しく、耳を塞いでも聞こえるように感じる不可解な、超常の声。

 比喩でない真の神の声に、誰もが息を飲み、一語たりとも聞き逃すまいと耳を傍立てている。

 異様な興奮と熱気の中、一人実体を持っている燕青の背に、ぞっと冷たいものが伝う。

 

 

「……構えとけよ、お前等」

 

 

 小さく、霊体化した皆に警告する。

 その悪い予感は、最悪の形で的中する。

 

 

「――星間都市山脈オリュンポスに、外敵が侵入しています」

「……っ!?」

「敵は汎人類史。アトラスの世界樹を焼き払い、我等の世界を破壊しようと目論む、悪しき悪魔たちです」

 

 

 どよめきが街全体を埋める。

 一気に広がったざわ――という戦慄が、街の只中に居た汎人類史の一行の肌に、鳥肌を浮かばせた。

 

 

「敵は姑息な魔術を用いて、皆さんの仲に潜んでいます」

 

 

 神託は尚も凜然たる声音で、オリュンポスの世界中に指令を降ろす。

 

 

「危険な存在です。忌むべきであり、情けを懸ける必要もない、憐れな愚者達です。世界に徒なす、憎むべき敵です。オリュンポスの大地を血で汚してはならぬという不文律は、彼等には適用されません」

 

 

 人々に満ちていた驚きは、やがて理解に代わり、燃え上がるような憎しみへと変わっていく。

 絶対の神が、敵と告げられた。美しき、素晴らしきこの世界が、穢されようとしている。

 オリュンポスの民の義憤の炎は、みるみる内に膨れあがっていく。

 充満した怒りの気配に、燕青が僅かに一歩後ずさる。まさにその瞬間だった。 

 

 

「どうか十分に警戒してください。そして、勇気を奮い立ち向かってください――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 な――と、霊体化した誰かが驚きの声を上げる。

 神々の威光は、そんな驚愕の動きよりも遙かに早く、圧倒的だった。

 ヒィン――と、虫のさざめきのような波が空気中を抜けていく。

 次の瞬間、ガラスが砕き割れるような甲高い音を立てて、燕青達を包んでいたメディアの魔術が砕け散った。

 身体を包んでいた薄膜を強引に引き剥がされる感覚。

 剥き出しになった霊基に、オリュンポスの民の怒りの込められた視線が、矢のように突き刺さった。

 

 

「っ汎人類史……コイツ等が……!」

「なんて事だ、こんな近くにいたなんて!」

「逃がすな、ゼウス様に徒なす敵だ! 皆で捕らえるぞ!」

 

 

 民の怒りは爆発し、凄まじい敵意になって汎人類史に突き刺さる。無数の視線が、変装した燕青の身体を釘付けにした。

 

 

「おいおい、待てよ。待ってくれよ。俺の変装は完璧のはずだろ!? 何で皆して、俺を――」

「燕青!」

 

 

 我先にと飛びだしたオリュンポス人の男の手が迫る。それは燕青に触れる直前に、霊体化を解いた金時が撥ね除け、腰の入った正拳突きで吹き飛ばした。

 

 

「早く憲兵を呼べ。ここに五人も潜んでいやがった!」

「ッお前等、出ろ! 霊体化してもバレバレだ。神の加護だか知らんが、今の俺っち達は野ざらし同然らしいぞ!」

 

 

 金時の号令に応じ、モードレッド、フランケンシュタイン、ナイチンゲールも霊体化を説き、各々の武器を手に臨戦態勢を取る。

 遅れて燕青が、変装を見破られたショックから立ち直り、本来の姿に戻って拳を構えた。

 

 

「すまねえ、少し狼狽えた」

「拳が構えられりゃ結構さ。だが、これからどうする!?」

「敵陣のど真ん中だ、逃げるに決まってんだろ! フラン!」

「ウゥ――ウアアアアアアアアアーーー!!」

 

 

 モードレッドの呼びかけに応じ、フランは牙を剥いて吼え立つ。そうして彼女は鉄球を振り上げ、バチバチと雷を迸らせながら突貫を仕掛けた。

 

 

「うわあああ! ば、化け物! 化け物が突進してくるぞ!」

「ウアアア! アアアーーーーー!」

「そら逃げろ逃げろ! 野蛮で危険な汎人類史サマのお通りだ!」

 

 

 フランケンシュタインの獣のような咆哮に、オリュンポス民はすっかり気勢を削がれ、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。

 真っ二つに割れた人垣を抜けながら、金時が言う。

 

 

「こうなりゃ、街を抜けて体勢を立て直すしかねえ! 一旦森まで――」

 

 

 唐突に金時は口を閉じ、左のこめかみに拳を突き出した。雷を纏った拳が、彼の頭蓋を砕こうと迫った光の矢を打ち払った。

 バチィン! という凄まじい音と閃光。紙一重でいなした金時は、ビリビリという拳の痺れで一撃の威力を悟り、戦慄する。

 

 

「……そりゃ、このまま逃がしてくれる訳ねえよな」

 

 

 冷や汗を浮かべた彼が見る、前方。

 鎧に身を包んだ憲兵が三人、逃亡する彼等を遮るべく立ち塞がっていた。

 

 

「汎人類史……! ゼウス神の祝福を受けない異端者め!」

 

 

 仮面で覆っていても分かるほどの怒気を纏い、憲兵達は一斉に、手にした槍に神々しい光を纏わせた。

 その迫力と、溢れ出る魔力が、全力で戦わねば決して勝てない相手だという事を悟らせる。

 

 

「殺せ! けっして生かしてはおかない!」

「奴等の血で以て、崇高なるゼウス様の威光を示すのだ!」

「オォ、いい発破じゃねえか! そう来なくちゃ面白くねえぜ!」

 

 

 牙を剥きだしにし、獣のように笑ったモードレッドが剣を構える。

 

 

「てんでクールじゃねえが、やるしかねえか! 俺っちと一緒にいくぞフラン!」

「ウゥ!」

「不甲斐ない真似はもう見せねえ。変幻自在の俺サマの、一本筋の通った巧夫を見せてやろう!」

「出血は厳禁です。外傷予防のための殲滅を始めます」

 

 

 モードレッドの気迫を受けた一行が、次々と得物を手に彼女の隣に立ち並ぶ。

 

 

「いくぜお前等! 即効で片付けて脱出だ!」

 

 

 発破と共にモードレッドが飛び出し、神の威光を宿した憲兵の槍に向け、赤雷を迸らせたクラレントを全力で振り下ろした。

 


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