白雲朧の妹がヒーローになるまで。   作:セバスチャン

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おまけショートショートその①になります。杳と人使と焦凍がラーメン屋に行く話です。林間合宿に行く前くらいの時間軸です。


おまけSS①:真夏のラーメン

 ある土曜日の昼下がり。杳と人使、焦凍はいつものように連れ立って、街中を歩いていた。

 

 一般的な高校と同じく、雄英も基本的に土日は休みだ。だが、事前に申請しておけば、休校日も学舎を使う事ができる。ヒーロー科に限った話ではないが、熱心な生徒達はその制度を使い、週末も学業に励んでいた。杳達もそれに習い、週末は午前中いっぱいを学校のグラウンドでの戦闘訓練に費やす。終わった後はシャワー室を借りて体を清め、どこか適当な店で食事を摂って帰る――というのが最近の週課だった。

 

 そんなわけで、ルーチンを果たして下校した杳達は今、めぼしい店を探していた。のんびりとしたペースで歩道を歩く杳と焦凍から少し離れた場所で、人使は周囲に気を配りつつ自転車を押している。

 

 夏特有の蒸し暑い気温と容赦のない日光がじりじりと肌を焦がし、杳はたまらず携帯扇風機を顔の前に向け、舌を垂らした。しかし、扇風機に空気を冷やす機能はない。熱風が来るだけだった。あまりにだらしない所作を見兼ね、人使が厳しい声で注意する。

 

「コラ人前」

「だって暑いんだもん」

「我慢しろ。店入ったら涼しくなる」

 

 杳は渋々といった調子で舌を引っ込め、今度はシャツやスカートを引っ張り始めた。汗で衣服が肌にまとわりつき、気持ち悪いのだ。人使は頭痛を堪えるように眉をしかめ、溜息を吐いた。――雄英生は良く言えば芸能人と同じで、街を歩いていれば高確率で人目を惹き、声を掛けられる。その時にだらしない恰好や問題のある対応をしては、将来に影響が出る。

 

 ヒーローとは人気商売なのだ。”皆の模範になれ”とまでは言わないが、悪感情を抱かれかねない振る舞いは控えてほしかった。――もう一度、言い聞かせるべきだろうか。娘の将来を案じる父のような想いで杳を見ると、彼女は扇風機を口の前に持って来て、無邪気に笑っていた。

 

「宇宙人の真似しまーす」

「どうやるんだ?」

 

 色違いの瞳をキラキラと輝かせて、焦凍が尋ねる。――させるか。人使は凄まじいスピードで自転車を道端に止め、杳の野望を阻止せんと手を伸ばした。しかし、その手が届く直前に彼女は立ち止まった。そして弾んだ声を上げる。

 

「あ。アイスだ」

 

 杳の視線の先には、全国展開中のアイスクリームチェーン店、”11(ワンワン)”があった。ガラス張りの店内はポップな色彩で彩られ、大きなガラスケースの内部に色とりどりのアイスクリームが並んでいる。出入口から女子高生が二人出て来て、アイスクリームを嬉しそうに口へ運んでいた。杳は心底羨ましそうな目でそれを眺め、やがてアッと声を上げた。

 

 ――透明なカップには大きなアイスがどんと収まっていて、犬の顔を模したチョコレート菓子が飾られている。さらにその上には、犬の耳をイメージしているのか、二つの小さなアイスが乗っけられていた。その特徴的な外見のパフェに、アイス好きの杳は見覚えがあった。

 

「創立記念日か」

 

 焦凍は店内に置かれたポスタースタンドを興味深そうに覗き込む。そう、今日は11の創立記念日だ。この日だけ販売される――マスコットキャラクターのワンワン君をイメージした――11パフェは、毎年大人気のスイーツだった。こじんまりとした店内は大勢の人々で賑わい、店の外にも行列ができている。

 今日しか食べられない、特別なアイス。杳の食欲は限界突破した。彼女は人使の手を取って引っ張り、その場に留まろうと踏ん張った。

 

「食べたい」

「まだ昼飯食ってねェだろ」

 

 人使はすげなく言い放ち、逆に杳の手を取って離れようとした。11パフェはかなりのボリュームがある。あんなものを食前に食べたりしたら、昼食が入らなくなるに決まっているのだ。だが、杳はそれも覚悟の上だった。パフェは一年に一度、つまり今日しか食べられない。譲れない想いを宿した二つの瞳が、激しくぶつかり合った。

 

「私のお昼ご飯、これでいい」

「アホ言うな」

 

 二人は戦闘職と謳われるヒーローの端くれ、力と体力だけはあった。まるで駄々を捏ねる子供とその相手をする母親のような光景が、焦凍の前で展開される。勝負の行く末を面白そうに見物していると、やがて()()()()()()が風に乗って飛んできて、焦凍の鼻孔をくすぐった。

 

 匂いの下を辿ると、ゲームセンターと定食屋の間に挟まるようにして、こじんまりとしたラーメン屋があった。くすんだ色の暖簾をくぐり、満足そうな顔をした男子高校生のグループが店から吐き出されていく。日差しの加減のせいか、彼らの様子が輝いて見える。思い返せば、今までラーメン屋に行った事などなかった。焦凍がぼんやりとそんな事を思っていると、少年達は汗を拭いながら賑やかに言葉を交わし始める。

 

「替え玉何回すんだよお前」

「っせーな。お前こそ麺針金みたいだったくせに」

 

 少年達は楽しそうに笑い合いながら、雑踏の中へ融けていった。――わけもなく、食欲がかき立てられた。いまだに綱引きを頑張っている二人の下へ向かうと、焦凍は少し緊張気味に口を開く。

 

「ラーメン、食わねェか?」

 

 

 

 

 かくして暖簾をくぐり、三人はラーメン店に入った。こじんまりとした店内は混み合っていて、カウンター席が辛うじて空いていた。店内に店主以外のスタッフはいない。一人で切り盛りしているようだ。厳格そのものといった顔つきをした壮年の店主は、頭に黒いバンダナを巻き、ラーメンの汁気を切っていた。来客に気付いたのか、湯気の奥から店主がじろりとこちらを見て、にこりともせずにカウンター席を指す。

 

「……らっしゃい。こちらへどうぞ」

 

 チェーン系列ではない、個人経営のラーメン店に足を運ぶのは初めてだ。カウンター席に着くと、杳は興味深そうに周囲を見回して、やがてその異様さに圧倒される事となる。――外は夏真っ盛りだというのに、客は皆押し黙り、熱々のラーメンを一心にすすっていた。テレビや有線音楽などの類もなく、店内には客が麺をすする音と店主が料理をする音、そして鍋が沸騰する音だけが厳粛に響いていた。

 

 偶然立ち寄った三人には知る由もない事だが、ここは厳格な店主が切り盛りする事で有名なラーメン店だった。人使と杳は不穏な気配を察知し、静かに顔を見合わせる。しかし、焦凍の瞳はいきいきと輝いていた。

 

 杳は店内に掲げられたメニューを見上げた。この店の売りは豚骨ラーメンであるらしい。豚骨ラーメンは好きだと彼女は思った。だが、真夏にも食べたい程じゃない。困り果てている杳の肩を、誰かが突いた。人使だ。彼はカウンターに置かれたメニュー表を指差した。目を凝らしてみると、片隅に小さく――冷やし中華始めましたと書いてある。涼を感じるのに最適な一品だ。

 

「私、冷やし中華にする」

「俺も」

 

 二人は店主に見つからないように、カウンターの下で小さくサムズアップした。その様子を、焦凍が少し寂しそうな表情で見つめている。

 

「お兄ちゃん達、雄英生?ヒーロー科の」

 

 突然、知らない声がカウンターの奥から飛んできて、三人は揃ってその方向を見た。空っぽになった丼を前に、壮年の男がこちらを興味深そうに眺めている。その顔が大量の汗をかいている事から、恐らく冷やし中華を食べたのではないのだろうという事を杳は推測した。彼は慣れた手つきで水差しを引き寄せると、グラスに水を継ぎ足した。

 

「応援してるから頑張ってね。……あと、冷やし中華。おいしいと思うよ」

 

 男の優しい口調に内包された()()を汲み取ったのは、人使と焦凍だけだった。のんきに笑う杳に手を振ると、彼はグラスを空にして勘定を済ませ、席を立つ。

 

「すみません」

 

 男が暖簾をくぐって店を出た後、人使はおもむろに手を挙げた。この店は食券制ではなく、直接注文する形式になっている。店主が振り返ると、彼は少し険しい表情でこう言った。

 

「豚骨ラーメン三つ。濃いめのバリカタで」

「えっ」

「あいよ」

 

 ――冷やし中華は?杳は焦って人使の腕を掴んだが、彼は静かな決意に満ちた眼差しでこちらを見下ろすばかりだった。その瞳の奥には静かな闘志が燃えている。

 

「あそこまで言われて、冷やし中華が食えるか」

「……うん?」

 

 意味が分からなかった。一人首を傾げている杳を置いてけぼりにして、周囲の空気の糸がピンと張り詰めていく。

 ――戦いは(ヴィラン)とヒーローだけのものじゃない。戦場は世界中に存在し、この店もその一つなのだ。だが、そんな事情は杳の知った事ではなかった。店主に注文のやり直しを要求したいが、彼はもうラーメンを創り始めていた。

 

 かくして、三人の前に熱々のラーメンがやって来た。トッピングは半熟卵にのり、ネギ。スープは粘り気があり、底が見えないほどに濁っていた。とても、とても熱そうだった。

 これは不思議な一致だが、実は杳達は皆、()()だ。杳はラーメンを食べる時、子供用の取り皿をもらって麺を移し、冷ましてから食べる。恐る恐るカウンター越しに店主を仰ぎ見たが、とてもじゃないがそんな事が言い出せる雰囲気ではなかった。仕方なく麺を持ち上げ、フーフーと冷まして唇に当てる。

 

「あひっ」

 

 ――熱い。フーフーのし過ぎで酸欠症状を引き起こし、倒れるのが先か、麺が冷めるのが先か。そんなネガティブな事を考えていると、杳の耳に麺を勢い良くすする音が()()()、聴こえてきた。

 

「えっ?」

 

 人使と焦凍だった。ろくに冷ましもせずに麺をすすり上げ、唇の周りに散ったスープを無造作に拭っている。杳は信じられないものを見るような目で、彼らを凝視した。まさか、このわずかな時間で猫舌を克服したというのか。

 

 いや、そうではないようだ。よく見ると、彼らは苦しそうに顔を歪めている。やっぱり熱いのだ。何故そこまで必死になる必要があるのか、杳には皆目見当がつかなかった。目を丸くしてその光景を眺めていると、焦凍が動いた。戦場で怖気づいた兵士を焚き付けるように、彼は逼迫した声で檄を飛ばす。

 

「頑張れ」

「え、でも、熱いし……」

 

 杳は躊躇(ためら)って、もごもごと口籠った。すると今度は、人使が自分の名前を呼んだ。汗でしっとりと濡れた髪を無造作にかき上げ、彼はこちらを見る。杳は不覚にもドキッとした。

 

「11パフェ奢ってやる」

 

 その瞬間、杳は猫舌をPlus Ultra(さらに向こうへ)する覚悟を決めた。

 

 

 

 

 それから、数分後。三人の前には()()()になった丼が並んでいた。スープまで飲み切ったのは初めてだ。杳は少し誇らしげに、膨らんだお腹をさすった。最後までラーメンは地獄のような熱さを保っていたが、それで完食を断念しようとは思えない程に美味しかった。今度は冬に来よう。杳は固く胸に誓った。

 

 人使と焦凍は顔を見合わせると、妙に清々しい笑みを浮かべた。――期末試験をやり遂げた時と同等の()()()が、彼らの心中に渦巻いていた。今なら、どんな敵も一撃で倒せそうな気がする。

 

 舌を真っ赤に腫れあがらせた三人がそれぞれ勝利の余韻に浸っていると、カウンターで会計が終わった客の一群が、彼らの肩を気安い感じで叩いていった。

 

「いいねぇ!若い子は食いっぷりが違うなあ」

「ありがとうございます」

 

 周囲の空気が次第に和らいでいく中、会計を済ませて杳達は店を出た。もう夕方に差し掛かったというのに、夏の日差しと気温は一向に衰える気配を見せない。ラーメンを食べたせいか、杳は余計に暑く感じた。

 だが、それも永遠に続くわけじゃない。アイスを食べるまでの辛抱だ。杳の足は自然とアイスクリーム屋の方へ向く。彼女は人使に向けて人差し指を立て、宣言した。

 

「約束だよ。11パフェね」

「はいはい」

 

 人使は汗の滲んだ首筋をかき、ちょっと悔しそうに呟いた。

 

「……俺もそれにしよっかな」

 

 焦凍はそれを聴くと色違いの瞳を丸くして、唇の端を緩めた。――ちょうど、自分も同じ事を思っていたからだ。




ショートショートというか短編、難しいけど楽しい。
次回から7期となります。一番書きたかった回なので、頑張ろう。

いつもこの拙いSSにお目通し頂き、本当にありがとうございます!

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