プロローグ
ダンジョンに憧れるのは間違っているだろうか?
数多の怪物が棲む迷宮。死と隣り合わせの非日常が生み出す狂気。
血湧き肉躍る、現世に名を残す英雄達の如き日常。
未だ誰も見ていない景色を求め、未踏の地への挑戦。
自らの武器を頼りとし、怪物を討伐し、前途を切り開く。
仲間と共に挑み、命からがら逃げ出すこともあるかもしれない。
道半ばにして、散りゆくかもしれない。
過去の冒険譚に憧れた、そんな子供が夢見るようなこと。
ただただ強い好奇心を持って、挑み続けた者だけにしか与えられない特権のようなもの…発見者となることを夢見て。
しかし、高い夢を見るには、それなりの実力というものも必要なのが現実である。
神様、どうか、
『ヴヴォオオオオオオオオオオオオオッ!!』
「ほぁああああああああああああああっ!?」
高い夢を見た代償は有り得ないほど高く、また、即日で取り立てに来られていた。
具体的には牛頭人体の
Lv.1の僕の攻撃では一切ダメージを与えられない化物に、喰い殺されようとしている。
詰んだ。間違いなく、詰んだ。
高過ぎる夢を見た代償が、僕の命。夢見ることすら、高望みだと言うのか。未踏の地に憧れたのが愚かだったのか。
辺鄙な村から、迷宮都市に来た時点で満足するべきだったのかもしれない。未踏の地への挑戦なんて、分不相応が過ぎたのかもしれない。
日々数えきれない死者を出すダンジョンにそれを求めていた時点で、僕は終わっていたんだ。
あぁ戻りたい。いい歳して瞳をキラキラさせながら、ギルドの冒険者登録書にサインした僕自身を殴り飛ばすために、あの時へ戻りたい。
物理的にも僕の命運的にも、それはもはや不可能なんだけど。
『ヴゥムゥンッ!!』
「でえっ!?」
ミノタウロスの蹄。
背後からの一撃は体を捉えることこそしなかったものの、土の地面を砕き、ちょうど僕の足場も巻き込んだ。
足をとられ、ごろごろとダンジョンの床を転がる。
『フゥー、フゥーッ……!』
「うわわわわわわわわっ……!?」
臀部を床に落とした態勢で、みじめに後ずさりした。
誰かに見られたら、恥ずかしさとみっともなさで泣きたくなってしまうような光景。恥も外聞も命あってこそだけど、どうやら、僕の冒険譚はここで終わるらしい。
ドンっと背中が壁にぶつかる。行き止まりだ。
何十もの通路を抜けて、辿り着いた広いフロア。正方形の空間の隅に僕は追い込まれた。
(ああ、終わった……)
僕の心も諦めがついたのか、かえって泣くこともできなかった。
眼前の化物が息を荒げて右腕を伸ばしてくる。あと少しで手が届く。握り潰された自分の姿を幻視したところで、伸びてきたミノタウロスの右腕が落ちた。物理的に。
「え?」
『ヴぉ?』
僕とミノタウロスの間抜けな声。
その後も、どさっ、どちゃっ、とミノタウロスの色々な部位が落ちていく。怖い。そうして、最後には首がずるりと落ちていく。
断末魔をあげることもなく、僕から見た
吹き出した、ミノタウロスの赤黒い血を全身に浴びながら、僕は呆然となった。
「……大丈夫?」
牛の怪物に変わって現れたのは、美しさを体現したような少女だった。
蒼色の軽装に包まれた細身の体。
鎧から伸びるしなやかな肢体は眩しいくらい美しい。
繊細な体のパーツの中で自己主張する胸のふくらみを押さえ込む、エンブレム入りの銀の胸当てと、同じ色の紋章の手甲、サーベル。地に向けられた剣の先端からは血が滴っている。
腰まで真っ直ぐ伸びる金髪は、いかなる黄金財宝にも負けない輝きを湛えていて。
女性から見ても華奢な体の上に、いたいけな女の子のような童顔がちょこんと乗っている。
僕を見下ろす瞳の色は、金色。
(……ァ)
━━蒼い装備に身を包んだ、金髪金眼の女剣士。
Lv.1で駆け出しの冒険者である僕でも、目の前の人物はわかる。
【ロキ・ファミリア】に所属する第一級冒険者。
ヒューマン、いや異種族間の女性の中でも最強の一角と謳われるLv.5。
【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタイン。
「…ベル、大丈夫?」
大丈夫じゃない。
全然大丈夫じゃない。
今にも締め付けられて砕け散ってしまいそうなこの僕の脳味噌が、大丈夫なわけがない。
さぁッと引いた血の気、何か言い訳を、とフル回転する頭、芽吹く淡い……いや、盛大な後悔。
死ぬよりも辛いかもしれないこの後を考えて、僕は全てを放棄した。
ダンジョンに憧れるのは間違っているだろうか?
結論。
間違えては、いないはず。