「それでは改めて…いらっしゃいませ、ベル君。今日はどうしたのですか? アーニャとの話では、何か用事もあるような言い方でしたけど…」
「あ、あの…リューさんにちょっと話がありまして…」
逃げるように厨房に去っていく猫人の少女を見送り、くるりと半回転。その辺の男が恋に落ちてしまうような素晴らしい笑みを少年に向けて浮かべた少女は、殊更に優しげな声で話しかける。
明らかに、一般の客に対する声音ではない。
しかし、それも束の間。少年の返答が面白くなかったのか、ムッと、顔に薄らとではあるが不快感を露わにする。それもそうだろう、2週間近く訪れなかったまだ出会ったばかりとはいえお気に入りがようやく来たと思えば、お目当ては別の人だとハッキリと言うのだ。今こうして対応している自分が蔑ろにされているような印象を覚えるのも仕方がない。
いやしかし、ここであからさまに不快感を示すのは良い女のすることではない。ましてや相手は13の子供だ。機微を察せよというのも難しいし、その不満を突き付けられるのは思春期の少年にとってとてつもなく恥ずかしいことだろう。子供とはいえ男。既に知る限りの交友関係ではほぼほぼ年上の女性に囲まれているのだ、男としての意地を砕かれては、自信を喪失してもおかしくない。そんなことは望んでいない。
少年に自身の不満を感じ取られる前に、表情を取り繕う。ここは、しっかりと少年の願いを聞いて手助けしてあげるのが良い女、ひいては年長者の振る舞いだろう。
「わかりました、では、リューに声を掛けておきますね? 注文は何になさいますか?」
「ありがとうございます! えっと、じゃぁ、本日のおすすめパスタでお願いします!」
少女の言葉に、ニパッと、花が咲くような少年の笑み。それだけでも癒される気持ちがある。とりあえず満足だ、と今日のところは引き下がることを決意する。後は彼の御目当ての妖精に任せよう。面白くはない、全く以て面白くはないが…彼の周りに普段からよくいる人達の人種からしても、我が店が誇る妖精は声を掛けやすい相手なのだろう。助けられた恩もあることだし、懐くのはわかる。ベル君を助けるようお願いしたのは私なのに…と思わなくもないけど、やはり直接助けたというアドバンテージは大きいのだろう。
エルフの女性で高レベル冒険者に声を掛けるなど、世間一般的にはチャレンジャーもいいところなのだが。そこはロキ・ファミリアの飼い兎。周りに最低でも3名、高いレベルも知名度も有するエルフがいるのだ。
というより、もしやベル君、ただのエルフ好きなのではと思わなくもない。
「かしこまりました、では、料理ができる前にリューに声を掛けておきますね?」
くるりとスカートを翻し、少しでも印象を残してその場を去る。
厨房に入ると注文をミアに伝え、奥で食器洗いをしていたリューに声を掛ける。先程までシルがしていた材料の下拵えはアーニャが代わりに入っている。今は他に客もいないし、ここでシルとリューが仕事を入れ替わってリューがベルに付いていても問題ないだろう。
ほんの少しの茶目っ気と、ほんの少しの八つ当たりを兼ねて、言葉を放つ。
「リュー、ベル君が話したいことがあるって。すっごく真剣な顔だったよ? 告白されちゃうかもね!」
盛大な破壊音が鳴り響く。普段から大して表情を変えないエルフの、若干慌てた顔がそこにあった。
「シッ、シル!? な、何を急にそんな…」
「ふふっ、リュー、慌てすぎじゃない?」
「そ、それはシルがいきなり…っ」
分かっている、いきなりこんなことを言われたら大抵の人間は慌てるだろう。ただ、少し慌てすぎな気がするが…もしや、この前呟いていたのは本気で…?
ふと、記憶を蘇らせる。
それは先週くらい。何やら1人、このお店の中庭でぶつぶつと独り言をしているリューを見かけたのは。
「…初対面で触れることができた男は、彼が初めて………アリーゼ…あの男の子を手放すべきではないと言うのですか…? しかし、あの子はまだ13…私はもう20になるというのに…いや、しかし見た目年齢で言えば………3、いや、4年後くらいには…………それまでは彼を鍛えて…………ああ、私はどうすれば………」
木刀を片手に、瞑想するように目を瞑りながらぶつぶつと喋るリューの姿は、知り合いでなければ奇人か変人か、その類の人間だと判断しただろう。しかも、呟いている内容が正直事案に近しい。
それはいわゆる、極東で古くから行われているという幼子を自らの好みに育て上げて娶るという、現代基準で行けば犯罪まっしぐらな行為なのでは?
い、いや、私はまだ17だし…4歳差はセーフ。
「…いや、でも彼の周りには既に女の影が…そこに割り込むというのも…それに、彼にはシルが…」
…諦めるための理由を探しているようにしか聞こえない時点で、普段のリューとは思えないほど気を許しているのはわかるんだけどなぁ。なんだか、自分自身を誤魔化しているようにしか聞こえない。
私のため、とか言われて身を引かれても…なんか、嫌な気分。
今度、それとなくベル君絡みで意地悪しよう、そうしよう。
と、記憶を遡っていた繊細な頭に、特大の衝撃が走る。
「馬鹿娘共! なーに手を止めて黙り込んでるんだい! 皿まで割って、客を放っておいて! 早くあの小僧のところに行きな、リュー! シルはさっさと下拵えに戻んな! アーニャは皿洗い!」
「「「は、はいっ!」」」
近寄ってきたミアお母さんの、拳骨が落ちた。余りの痛さに、少し涙が出てしまうくらい。リューも、実力相応の力で殴りつけられたのか頭を摩りながら慌ててベル君の元へと向かっていく。そうして、顔を合わせた瞬間のベル君の嬉しそうな顔に、狼狽したリューの姿を確認して…大人しく、厨房の奥へと引き下がる。
「…今日のところは、大人しく譲ってあげますからね。リュー」
不器用な友人に、普段は浮かべることの少ない苦笑いをしながら心の中で応援する。願わくは、リューにとって良い方向への変化の切っ掛けとなる出会いであったことを祈って。
そして、妖精は兎に伝えられた内容と頼まれ事に驚きながらも快諾し、後日、2人で出掛ける約束をしたと料理をベル君の元に持っていき、その後厨房に戻ってきて聞いてもいないのに普段の寡黙な様子とは裏腹につらつらと話し出すリューから聞いたシルは、目が全く笑っていない笑顔でリューの話に相槌を打ちながら聞いていた。えー、なんですかー? 自慢ですかー? ベル君からー、誘われたっていうー、自慢ですかー? えー? 困るとかなんとかー、自虐風な自慢ですかー? ぜんっぜん、困ってなさそうな顔してますけどー? 全く、あの子は…とか言いながら表情緩んでますけどー? え、何ちょっと逃げてるの? は? 怖い? 何が?
大人しく譲るとは一体なんであったのか。シル・フローヴァは面倒臭い女であった。こと、ベルが絡むと。
珍しく怯えを含んだリューの姿に、同じく厨房内にいたアーニャは冷や汗を流した。もしかしたら、あの状態にまで至っていたかもしれない自分の発言を省みて、今後シルをあの少年絡みで揶揄うのはやめようと心に刻み込んだ。
無論、ベルが食事を済ませて店を出てしまう前にベルの所に行き、あれやこれやと理由をつけてデートのお誘いをしたのは言うまでもない。淑女がどうとか、良い女がどうとか、年上がどうとか、そういうのは星の彼方へと消し飛ばしてかなり強引な誘いであった。それでもベルは快諾したのだが。
2人の少女は片一方が片一方に師事する格好で、それぞれの日のための服などを用意していた。他の店員などにその様子を盛大にからかわれたリューが数名の同僚の意識を刈り取ったのは、言うまでもない。
シルにちょっかいをかけるのはやめようと次なるターゲットをリューに決めたせいで意識を一瞬で刈り取られた哀れなキャットピープルがいたらしい。
シルはこんな性格じゃない!って意見も聞くだけ聞きます、けど、私の中ではシルさんの内心は絶対こんな感じだと思う。精一杯フォローをするなら、乙女なんです乙女!生粋の!