パチっと、目を覚ます。
頭が霞みがかっているような感覚と、喉がヒリヒリカラカラと乾いている。身体は何となく重く感じられるが、ゆっくりと身体を起こして辺りを見るとそこは見慣れぬ光景。
「…ここ、どこ…? あ、アナキティさん? ラウルさん?」
迷宮に潜っていたはずなのに、気が付けばこんなところに。
これが、ホームの医務室ならばわかるが、ここはどこだかもわからない。それでも、医務室と似た作りから病院とか医療院とか、そういう施設なのではないかと当たりをつける。
だがそれにしても、共にいた2人がいないというのは僕を不安にさせる。
「…ふ、2人ともいない…? けほっ、あ、水…これ、飲んでもいい、のかな?」
喉の渇きに咳き込むと同時、近くに置かれている金属製の水差しとコップに気がつく。答える声はないが、我慢しきれずにそれを手に取り、水を飲む。
「んぐっ、んっ、ふう…ぬるいけど、美味しい…」
そのまま、続け様に2杯ほど飲んだところでようやく調子が戻る。うわ、身体中汗がすごい…って、何この布。濡れてる?
それを横に置き、よいしょと立ち上がる。とりあえず、ここがどこかわからないけどおそらく僕の看病、ないしは世話をしてくれた人がいるはずだ、と判断してその人を探そうと部屋から出ようとする。
少しふらつく脚で、若干歩きにくさを感じながらこの部屋にある唯一のドアへと歩く。そこまで歩くのですら少し疲れを感じて、掴んだドアノブに体重をかけながら一息つく。
そして、ノブを回そうとする瞬間、僕の意思と反してドアノブが勝手に周り、ドアが開いていく。
あ、あれ、なんかデジャブ…そう考えながらもとっさに身体を動かせなかった僕は、握っていたドアノブに引っ張られる格好になって体勢を崩す。
「まだ起きていませんか? 入りますよ……?」
「んむふっ」
そして、とても柔らかい物に受け止められる。もにゅん、と、沈み込むかのようにそれに吸い込まれた。
ゆっくりと、顔を上げる。そこには見たことがない女の人。
長い銀髪に、人形を思わせる精緻な顔。アイズさんと似た雰囲気を感じるようなその美貌。
「綺麗…天使…? いや、女神様…?」
そして、はたと今の状態に気がつく。見上げたところ、すぐ側に見える顔。柔らかいこの感触。そして、こちらを見下ろす女の人。甘いような、なんだかいい匂いに混じる、薬のような匂い、もしかして、これは。
この人の…胸…!?
「何を考えているのですか貴方は!?」
そして、叫ぶようにその人が声を放つ。や、やばい、今の僕を客観的に見たらただの犯罪者だ!? 初対面の女の人の、その、胸に顔を埋めてしまうなんて!?
捕まえられて、お、檻に入れられちゃう!? ああ、みんな、ごめんなさい。ファミリアの名前に泥を塗ることになってしまって…。でも、言い訳だけさせてください、わざとじゃなかったんです…。
ガシッと、肩を掴まれて引き離される。もう一度見た顔は、怒りに染まっているように見える。ああ、終わった…。そ、それでも、謝れば許してもらえるかも…僕、まだ13歳だし…うん…。なんか、こういう悪いことを考えるのはよくないと思うけど利用できるものは利用しないと…! ファミリアのみんなに迷惑をかけるよりは、僕の良心が痛む方がよっぽどマシだ…!
「まだ体調が万全でもないのに、ふらふらと歩き回る病人がどこにいますか! さっさと横になりなさい!」
「本当にごめんなさい、でもわざとじゃないんで…へ?」
あれ、怒っているのは怒っているけど…なんか、違う?
「わざとじゃない!? じゃあ勝手に身体が動いていたとでも言うのですか! 見苦しい言い訳はおやめなさい!」
ピシャリと、言い放たれて僕の口は黙らせられた。
え、えっと…まぁ、この人が気にしていないなら…いいのかな。謝れすらしないのはちょっと、胸がモヤモヤするけど…うん。藪蛇って言うし、やめておこう。今後落ち着いてから謝る機会があれば、その時にでも謝ろう。うん。
そんなことを考えている僕を、強引にベッドの方へと押し戻し寝かしつけられる。
「…名乗るのが遅れました。私はアミッド・テアサナーレ。『
「あ、と、ロキファミリア所属のベル・クラネルです。あの…僕はどうしてここに?」
「極度の疲労と、脱水その他の原因が重なって倒れた貴方をアナキティ・オータム氏が背負って駆け込んできたのです。中々目を覚さなかったので、1日入院という形で看病をしていました。体調はどうですか?」
そう言われて、心の中でアナキティさんに感謝しながら身体の各所を確認する。
「少し、頭がぼんやりするのと…腕が動かしにくい、です」
「そうですか、では、腕を見せて頂けますか?」
「はい」
大人しく腕を差し出すと、むにり、と触られる。アミッドさんの細くて綺麗な指が、僕の腕を這い回るのを見ているとなんだかぞくぞくする。これは、なんだろうか。本能が逃げろと叫んでいる気がする。
そして、次の瞬間。ゆっくりと僕の筋肉を挟むように動くアミッドさんの親指と人差し指。じっと黙って動きを見ていたそれに、力が加えられた。
ゴリッ、と、筋肉を潰される。
その唐突に訪れた痛みに僕は耐えきれず涙を流した。
「全身くまなく疲労していますが…どうやら、かなり上腕の筋肉を酷使しているようですね…これは、あまり腕を使わないようにして休めていただかないと…クラネルさん、どうしました?」
「うっ…っ…」
「そ、そんなに痛かったですか…?」
「うっ、ぐ…っ」
痛かった、リヴェリアさんに杖で殴られるより、痛かった。
アイズさんに蹴り飛ばされるのといい勝負かもしれない。
そして、痛みに対する準備が全くできていなかった。
まさかあんなことをされるなんて、思ってもいなかった…。
泣き止もうと頑張るけど、鈍く痛む腕がそれを許さない。
感情とは裏腹に、痛みが脳に直接響く。
「うっ…事前に一言、告げておくべきでしたね。申し訳ありません」
「だいっ、ひくっ、じょうぶ、です…ぐすっ、ぁぁ…」
ようやく痛みは弱くなり、涙もおさまる。
表情こそあまり崩れていないものの、顔を寄せるように心配してくれるアミッドさんの姿がそこにあった。
「申し訳ありません、お詫びと言ってはなんですがかなり全身を酷使しているようですので、魔法で癒して差し上げましょう。だからといって、その後の無理は禁物です」
「えっ? 魔法…?」
「治癒魔法です。それなりに自信はありますから、かなり良くなると思います」
そうして放たれた、治癒魔法に僕は圧倒された。
瞬く間に、身体中の痛いところが癒されていく。それでも、痛みを消したのと多少の回復をさせただけで、筋肉に関しては自然回復ほどの結果は得られていないからある程度は身体を休ませなくてはいけないと念押しされた。
「それから、水分をしっかりと摂取するようにしてください。貴方の身体には今、水分が足りていませんので…もう何本か、水差しを用意しておきます」
「は、はい、何から何まで、ありがとうございます…あの、テアサナーレさん」
「アミッドで構いませんよ、呼びづらいでしょうから。それで、何か用でもありましたか? それとも、質問でも?」
「はい…えっと、じゃあ、アミッドさん、えっと…僕は明日帰ってもいいんでしょうか?」
今日は既に日が落ちている。それに、この状況から一晩はここで過ごした方が良いのだろう。しかし明日は? 明後日は? ホームシックとも違うが、あまりゆっくりしていられないであろう僕はそれをアミッドさんに尋ねる。
そして、こんな
「それは構いませんが…いえ、その前に私の方からいくつか質問をさせていただきます。その回答如何では、のちの対応が変わりますので嘘はつかずにお答えください」
「? わかりました!」
一瞬、不意をつかれたが大人しく承諾する。何はともあれ、そんなやり取りの末に聞き取りされた僕の行動。インファントドラゴン、それも強化種をLv1の身でソロ討伐。そして、オラリオ1の魔導師のマンツーマンスパルタ指導。更に、Lv2相当のモンスターとのエンドレス連戦。
アミッドさんは、怒りを爆発させた。
「なっっっにを考えているのですかっ、貴方はあぁぁァあァっ!?」
先程と同じ言葉、しかし、そこに込められているのは比べようもない感情。凡百の冒険者なら10回は死んでいるだろうその偉業…いや、愚行に対しての怒りだ。
「ひいっ!?」
「いいですかっ、貴方が死んでいないのはただ運が良かっただけだと認識して少しは自分の身体と命を大事にしてですね第一貴方明日もまたすぐ動く予定でいるでしょうでないと明日すぐ退院できるかと聞き出すはずもありませんものええそういう話ならそれは認められません私の権限を持ってベッドに縛り付けておきます3日は絶対安静です!」
頼りになる担当アドバイザーであるハーフエルフの少女、エイナと似たような説教。しかし、彼の少女と違うのは大派閥の団長として行使できる力があるということ。
いかなフィン・ディムナが交渉に訪れたとしても彼女がダメですと突き返せば、ファミリア同士の付き合いや遠征時の無茶振りを考えるとフィンも無理強いはできないだろう。ましてや、こちらから連れ込み、頼み込んだ上で見てもらっているのだから。
その後、本気でやりかねないと悟ったベルがアミッドに平謝りをし、長い時間を説得に当てたことにより縛り付けられることは回避できた。
しかし、聖女の警戒心という非常に厄介なものをベルは植え付けられ、下手な大怪我はできない…無茶をしたのがバレたらベッドに縛り付けられる…と頭の片隅で考えるようになり、ベルの貴重なセーフティとして機能するようになる。
交渉と説得の末にそれでも2日間は完全休養に充てるように厳命された。そこで今日のところは話を終え、後は明日の朝に、ということでベルは大人しく眠りについた。