「…ロキ。そちらの可愛い兎さんに私を紹介してもらえるかしら?」
「ん? フレイヤ…ま、ええか、ベル。こいつがうちらのファミリアと共に最大派閥と呼ばれてるフレイヤ・ファミリアの主神、フレイヤや」
去っていった太陽神を見送った狡知の神の元に、美の女神が近寄ってくる。掛けられた声に少しの躊躇を見せてから、なんだかすっきりとした、晴れやかな表情をしている兎を女神の眼前へと差し出す。
「…ふふ、素晴らしいわ。無垢な輝きが増して…何の役にも立たない茶番かと思っていたけれど、貴方に取って良い糧になったようね?」
「へぁ、あ、あの…?」
目を奪われる流麗な仕草で、フレイヤはその嫋やかな指をキョトンとしていたベルの頬に這わせる。ベルは、顔を赤らめながら眼前の美の女神の紫眼に己の真紅の瞳を合わせる。ジィッ…と、瞳と瞳を合わせる2人。
不意に、フレイヤが何かを呟く。
「…これなら与える試練も…オッタルには本当に悪いことをしてしまったわ…まさか、こんな短期間でここまで伸びるなんて…」
ベルには理解のできないことであったが、ロキはその内容からフレイヤの思惑を察して、釘を刺す。
「フレイヤ、あんまし変なこと考えてるようなら許さへんで?」
「安心して頂戴、ロキ。悪いようにはしないから…ねぇ、ベル?」
目と目を合わせたまま、観察するような視線から慈愛に満ちた眼差しへと切り替わったフレイヤの瞳に見惚れていたベルは、呼び掛けに慌てて答える。
「はっ、ひゃい!?」
「ふふ、緊張しているのね? 前にも聞いたのだけれど…私の元に来る気はないかしら?」
「ちょぉい!? なぁに堂々と引き抜こうとしとるんや!」
「だっ、駄目ですよ!? ベルもいつまで見惚れてるんですか!」
「へぁっ!? あ、あの時の女神様ってもしかして…?」
そんな美神の言葉に、ロキ、ベル、レフィーヤ、3人が揃って声を上げる。
冗談よ。それからベル、あの時はごめんなさいね。つい、会いたくなっちゃって、と悪戯に笑うフレイヤの顔に、ベルはまた見惚れた。
レフィーヤがベルの太腿をつねり、痛みに喘ぐベルを引っ張ってフレイヤから距離を取らせる。ロキは、ベルの様子に少し首を傾げながらフレイヤと向き合う。
「…魅了、効いてへんのか?」
「どうかしら? あの子にはそんなもの使いたくないから抑えてはいるわよ? それでも、自然と掛かってしまうこともあるのだけれどね…あの様子では、単純に見惚れてくれただけかしらね。それもそれで、嬉しいけど」
「ふぅん…ま、ええわ」
「それより…あの子、新しいスキルを発現させられるかもしれないわね」
そのフレイヤの言葉に、踵を返そうとしていたロキはそのまま360度ターンを決めてまたもフレイヤと向き合う。
「ま、まま、ま、ま、マジかいな!?」
「ほ、本当ですか!?」
それを聞きつけたレフィーヤも反応する。
ベルだけが、えっ? と反応が追いついていない。
「ええ、こんなことで嘘をついても仕方がないし…疑うなら、今ここで確認すればいいだけのことでしょう?」
「ベル、万歳や万歳、ほれ、ばんざーい!」
「シャツ、めくりますよ!」
「え、ええ、えええ!?」
魂を見抜くと言われるフレイヤがそこまで言うのだ。確かに、格上を打倒しあれだけの戦いを見せた…いや、魅せたのだ。莫大かつ貴重な経験値は稼げているだろうし、その行動から芽生える何某かが、スキルという形となってもおかしくはない。
神々に囲まれた中で、女神と女エルフに服を剥ぎ取られる少年。
そうそうない辱めの瞬間に、少年の白雪のような肌は紅潮する、それを見た数多の女神達も、その少年の細く中性的な肢体に頰を染める。
特に、兎の眼前におわす美を司る神はその美貌を妖艶に歪めながらベルにまたも近付き、頬に手を添えながら片手で頭を撫で回していた。
ベルは、混乱するやらなんとなく嬉しいやらでクラクラとしていた。
背中を確認していたロキは、震えながらベルのシャツを下ろす。
「…帰ったら、ステイタス更新しよか」
「ふぁ、ふぁい…」
「…あっ、ちょ、ちょっとベル。何をまた鼻の下を伸ばしているんですか!」
「ふふっ、嫉妬させてしまったかしら? エルフの子。この子のことを大切に思うのは良いけれど…縛ってはいけないわよ? この子は、自由に駆け回るのが一番なのだから」
「ぅぐっ、そ、それは…その、はい…」
内心、ドキリとするレフィーヤ。忘れた訳ではない、ベルのことを傷付けてしまった時に誓ったことだ。変に縛ったりしない、ベルのことを尊重する、と。
それでも、レフィーヤは面白くない。
いや、目の前にいる女神様は女から見ても見惚れるだけの美貌を持っている。リヴェリアとはまた異なる方向性での完成された美しさ。それに見惚れているベルは仕方ないとも思う。
見惚れているベルの姿を大人しく見るしかない自分が、面白くない。
うむむむむ、とレフィーヤが唸り声を上げる。それは、威嚇するかのような感情が含まれている。
「…そのくらいの嫉妬は可愛いものね、私が悪かったわ」
フレイヤはそう言いながら、最後にぽんっとベルの頭に軽く手を当てて距離を取る。
「話したかったことは話したし、もう行くわね? それじゃあ」
ベル、また会いましょう。
言葉を残しながら、こちらに背中を向けて歩いていくフレイヤの後ろ姿を目で追うベル。美しい銀の長髪を揺らしながら、フレイヤはその場を去っていく。
「…うちらも、帰ろか。皆、首長ぁくして待っとるで」
「…はいっ!」
見送り、見えなくなり、その時、ロキから声が掛かる。
バベルから出た3人を、またも人々は大歓声で迎え入れた。
アポロンに突き付けた可愛らしい罰というものも既に広まっているようで、ベルはまさしく英雄かのように褒め称えられる。その純粋無垢な在り方に、冒険者達はそれぞれ思いがあるにしても、街の人々は甚く好意的だ。
歓声が響くたびに、魂が熱くなり、震えるかのような高揚感に包まれたままのベルは、2人と共に『黄昏の館』へと歩む。
阻むものはいない、彼らのことを、彼らの帰りを、自分達より遥かに心待ちにしている『家族』がそこで待っていることを、詰め寄せた人々は知っているのだ。
そうして、黄昏の館の正門まで辿り着いたベルは、その主塔を仰ぎ見た後にくるりと半回転する。正面には、割れていた人垣が埋められこちらを見ている多数の人達の姿。
それにベルは、気恥ずかしそうにしながら礼をする。
家族の元へと帰るベル達の背中を、町の人々は最後まで見送り…そして、門番に声を掛けられ、ゾロゾロと中へと入っていく。
ここから始まるのは、勇者と小さな英雄による小芝居。
ロキが手ずから大扉を開けてベルとレフィーヤを中へと入れる。
そこに立ち並ぶのは、2人を除いた全団員。
先頭に立つフィンが、団旗を付けた槍を手に、一歩進み出る。
「2人とも…よくやった」
「「…っはい!」」
その言葉を告げたフィンは表情を固いものに変える。
そして、カァンっ、と、槍の石突きをフロアに叩き付ける。
「我らロキ・ファミリアの誇り高き小さな英雄、ベル・クラネル!」
バサリ、遅れて揺れ落ちた旗がたなびく。
フィンという勇者は、己を英雄へと作り上げた人工の英雄は、英雄としての振る舞いを誰よりも知っていた。
「此度、家族の名誉を守るために戦場へと身を捧げ、見事偉業を成した小さな英雄よ!」
次に、リヴェリアが一歩進み出る。その手に持つ豪奢な杖にもまた、ファミリアのエンブレムが飾られている。
「我らロキ・ファミリアの気高き偉大な魔導師、レフィーヤ・ウィリディス!」
魔力の光が、辺りを包む。翡翠を思わせる柔らかく暖かな緑の光。
パァっと辺りを照らす緑が、全てを包み込む。
リヴェリアというハイエルフは、エルフの流儀としての信賞必罰を大事にする。特に、同郷のエルフというものは意外と何かあればすぐにやれ祝いだ祭りだと騒ぐのだ。意外なことに、エルフは多人数で集まるのが意外と好きなのである。そんな時に相応しい振る舞いを、彼女は知っている。
「此度、小さき英雄と共に戦場を駆けた森の妖精よ、戦場に華を添えた偉大な魔導師よ!」
わざとらしく、フィンとリヴェリアが胸元に手を当てて、頭を垂れる。貴族に雇われている執事がするかのような、深い礼。
「「我ら家族の栄誉を守った2人に、共に生きる家族として、深く感謝を」」
そして、それに続いて頭を下げる数多の団員達。
頭を上げたフィンが、団旗を提げた槍を手に。
リヴェリアが、エンブレムを飾った杖を手に。
2人の元へとさらに歩み寄る。
「さぁ、ベル。市壁の上で既にやったようだけど…僕らにも、見せてくれ。レフィーヤも、いいね?」
「レフィーヤ、先程の私のような振る舞いはできるな?」
「「はいっ!」」
そして、小声でベルは魔法を唱える。旗を焼かないように、努めて制御しながらバチリと紫電を奔らせる。レフィーヤも、純粋な魔力を杖に纏わせる。
他の団員の元へと戻っていった2人を見て、打ち合わせもなしに2人は言葉を紡ぎ出す。
槍の石突きを打ち鳴らすベルの姿は、周囲にフィンの影を感じさせる。
レフィーヤが放つ魔力の波動は、周囲にリヴェリアを彷彿とさせる。
「ロキ・ファミリアの偉大な先達よ! 誇り高き戦士達よ!」
「我ら未熟者を導く魁よ! 大いなる道標よ!」
「此度、戦地へと向かった我らを見守ってくれた、優しき家族達よ!」
「此度、戦地から帰った我らを迎え入れてくれた、愛しき家族達よ!」
2人は、頭を下げずに胸元に手を当てて槍を、杖を、身体の前に捧げ
「「此度の勝利を、貴方達に」」
勝利を、家族へと捧げた。
そして、固いことはもう終わりだと言わんばかりに飛び出す団員達、まず真っ先に、ティオナがベルへと飛び付く。レフィーヤは、エルフ達に掻っ攫われた。遅れてアイズ、アナキティがベルの元へ。ティオネはフィンの横でニコニコとしているし、リヴェリアはアリシアと共に普段はあまり動かさぬ表情を柔らかくしている。
見ていた人々は、目の前で見せられたものが小芝居だと理解している。過剰な演出、過大な言葉、大袈裟な仕草。どこからどう見ても、演じていることは疑いようがない。
それでも、ゾワゾワとする背中を、湧き立つ熱を抑えることができないのだ。
これ以上、
そこで、この小さな小さな英雄譚は語られるのだ。
戦争遊戯の発端から、その戦闘の苛烈さ、無垢な勝者の願いと、改心した一柱の神、家族へと勝利を捧げたその一連の物語は、オラリオ中…いや、近隣都市まで広められた。
小芝居編、完。
次回から宴会編です。