田中と鈴木と佐藤   作:ベーカリーのべるん

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僕の宝石

 目の前に広がるどこまでも青い海。

 

 

 サンダルを脱ぎ、白い砂浜に足を踏み入れる。

 太陽が照りついた砂浜はとても温かく、足の裏がぽかぽかとした。

 心地良い砂を踏みしめて海の方へ歩く。

 

 波は満ち引きを繰り返し、まるでこちらを誘っているようだ。

 冷たい水が足に当たり、涼しげな潮風も吹く。

 

 

 温かい砂浜、冷たい海、気持ちの良い潮風。

 澄んだ海、にょきにょきと伸びた入道雲。

 

 

 体の全部の感覚を通じて、ああ。僕は海に来たんだなと思っ……

 

 

「隙ありぃ~!」

 

「え?」

 

「どーん!」

 

 

 ヒナらしき声が後ろから聞こえた瞬間。

 振り向く間もなく、僕の背中に何かがぶつかる衝撃を感じた。

 

 恐らくヒナに背中から飛び込まれたのだろう。

 非力な僕はその場で耐える力もなく、ざぶーんと一緒に海に倒れこんだ。

 僕は正面から海に突っ込み、肩どころか全身まで海に浸かった。

 

 

「ぷはぁ!ヒオ、油断大敵だよ~!」

 

 

 ヒナの無邪気そうな声が聞こえた。

 こやつめ、ハハハ。

 

 突然のことで、驚き桃の木山椒の木鈴木だったが、こんなことは僕とヒナの間では日常茶飯事だ。

 常日頃ヒナから受けている悪戯で、彼女のわんぱくさはとても身に染みている。

 

 むしろ推しからのイタズラ、ご褒美である。

 

 

 まったく、やれやれだぜ…。

 やれやれ系主人公よろしく、やれやれといった感じで海から起き上がろうとした瞬間。

 今度は「ヒオオオオオオ!ヒナアアアアア!」という大きな声が聞こえた。

 

 第二波に備えろォ!

 

 またもや背中に思いっきり飛びつかれるような衝撃。

 虚しくもヒメの斥力に押し負け、僕はヒナも巻き込んで三人一緒に海に倒れこんだ。

 先ほどよりも大きく水が跳ね上がる。

 

 二度目の水没。

 すぐにヒメの大きな笑い声が聞こえた。

 

 

「あはははは!二人ともびっくりした?」

 

「やったなヒメ~!とりゃあ!」

 

「きゃ!」

 

 

 ヒナは押し倒されたお返しにヒメに水をかける。

 ヒメは冷たい水に可愛い声を出し、負けじと水をかけ返した。

 いつの間にかばしゃばしゃと水のかけあいが始まり、きゃっきゃと二人は楽しそうに遊び始める。

 

 僕はというと浅瀬にぶくぶくと沈みながら、今日も二人は元気だなあと後方保護者面に耽る。

 

 いきなり全身ずぶ濡れだが、すぐにこの夏の熱さが乾かしてくれるだろう。

 

 海を全身で感じながら(物理的)、ああ。夏が来たんだなと、改めて僕は思いを馳せた。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 夏の長期休暇、夏休みを利用して、僕たちは海にバカンスに来ていた。

 

 

 なぜ海にバカンス来れたのかというと。

 

 中島さんの知り合いに、海の近くの別荘を持っている方がいるらしい。

 しかし、今年は仕事の都合で別荘に来れなくなってしまったらしく、定期的な清掃等の維持が必要な別荘をどうしようかと悩んでいた。

 そこで、中島さんは自分たちが別荘の中の掃除を請け負う代わりに、別荘を貸してもらえないかという提案をした。

 その提案にオーナーさんは快く承諾。

 条件付きで別荘をお借りすることに成功した。

 

 別荘、しかも海の近くの物を借りることが決まった僕たちは大喜び。

 

 ヒメはさっそく新しい水着を買おうかなとヒナと話したり、ヒナはそそくさと工務店の奥から浮き輪を取り出したと思えば、頬を膨らませて浮き輪に空気を入れていた。

 あっちに着く頃には萎んでるかな…。

 

 

 だがしかし、今回のバカンスは遊ぶことだけではない。

 

 

 僕たちが投稿している歌と踊りの動画だが、とうとうミュージックビデオを出すことが決まった。

 

 曲のテーマは夏。

 撮影場所をどうしようかと悩んでいたところに別荘の話が転がりこんで来たため、僕はこれはチャンスだと感じた。

 

 海という絶好の撮影場所を活かし、夏をふんだんに盛り込んだ最高のMVを作る。

 これが僕たち三人の計画であった。

 

 撮影に使うカメラは、我が盟友こと小島くんからカメラを貸してもらった。

 見るからに高そうなカメラに持つ手が震えたが、小島くんから「お二人の水着、頼んだぜ…」と気合のこもったサムズアップを受けたため、僕も応じるように了解させてもらった。

 

 

 

 僕はそんなこれまでの経緯を思い出しながら、別荘行きの中島さんが運転する車に揺られる。

 

 いつも通り僕の位置は助手席で、二人が後部座席ではしゃぐのをBGMに聞きながら、普段見ることのできない車窓の景色を楽しむ。

 久しぶりの旅行に、ヒメとヒナもテンションが高い様子だ。

 

 目的地までは数時間ほどかかるため、しりとりをしたり、歌を歌ったり、道中にあるサービスエリアに寄って軽い休憩をとるなどした。

 旅の楽しみは道中にあると言うが、少し納得である。

 

 別荘までの道のりはいくつかの山があり、大きくて長いトンネルをいくつも通った。

 

 

 次々に過ぎていく、トンネルの中の灯りをぼーっと眺めていると、トンネルの出口を抜けた。

 

 瞬きしてしまうほどの明るさが一気に押し寄せる。

 

 

「「海だー!!」」

 

 

 窓の外を見ると、そこには澄み渡るように大きく青い海が見えた。

 ヒメとヒナも海の方へ目をきらきらと輝かせ、喜びと感嘆の声をあげる。

 

 助手席の窓を少し開けてみる。

 開けた途端すぐに気持ちの良い風が吹き付け、海特有の潮っぽい匂いもした。

 

 二人ほど大きいリアクションはしなかったが、初めて来る海にとても心が高鳴る。

 

 

 新天地にワクワクしながら喜ぶ様子の僕たちを尻目に、中島さんは車のアクセルを踏んだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 目的地に着いた僕たちは積み荷を降ろし、別荘の中へとお邪魔した。

 

 別荘の中はとても天井が高く、ホテルでしか見ないようなプロペラが付いていた。

 思っていたよりも数倍凄そうな場所だったので、目をパチクリとさせる。

 

 二人も内装が気になったらしく、三人で別荘の中の探検を始めた。

 

 屋外にはプールも併設してあり、海に行かなくても水遊びができるようになっていた。

 二階のベランダから見えるオーシャンビューは壮観で、綺麗な海を視界一杯に一望できた。

 

 お金とか払わなくてもいいのかなと思うほどに、とても素敵な別荘をお借りしたようである。

 

 

 

 僕たちは別荘の中をひとしきり楽しんだ後、早速海へ行くことにした。

 

 水着に着替えるためヒメとヒナと部屋を別にし、持ってきていた水着に着替えた。

 

 僕は男子だが少し肌が弱いため、日焼け止めクリームを塗るの忘れない。

 さらに上にパーカーを着て、僕に当たる日の光を完全にシャットアウトする。

 日焼けしてピリピリと痛む肌でお風呂に入り、悲鳴をあげてしまったのは良い思い出である。

 

 

 

 二人よりも身支度が早かった僕は、一番乗りに海の方へと向かった。

 

 ビーチパラソルやレジャーシート、クーラーボックスなどを抱えて浜辺に到着する。

 

 パラソルやシートを設置して二人を待っていると、とうとう可愛い水着に身を包んだ二人が登場した。

 こ、これはまずい…。

 

 

「目が、目がぁ~!」

 

 

 某ラピュタ王のように悶えながら、とっさに目を抑える僕。

 

 二人の水着姿は、あまりにも眩しかった。

 まさに直射日光。常人では二人を直に見ることすら難しいだろう。

 

 たまたま持っていたサングラスをかけ、失明するのを防ぐ。

 突然サングラスをかけ出した僕に二人は困惑していたが、なんでもないよと変な誤解を解く。

 

 

 やっとこさ視力が回復してきたので、改めて二人の水着姿を確認する。

 

 ヒメはイメージカラーと同じピンクや赤を基調としたフリルのオフショルダービキニと白のショートパンツ。彼女の明るい可愛らしさと女の子らしさをとても感じさせ魅力的である。

 ヒナは青を基調としたバンドゥビキニと腰にパレオを巻き、いつもは下ろしているブロンドヘアをサイドにまとめている。いつもの無邪気さと朗らかさのイメージを一転させるような彼女のスタイルの良さがとても印象的である。

 

 ゆ、優勝ォ…!(惜しみない拍手)

 

 二人の輝きに耐えらなかったのか、サングラスがパリンと音を立てて割れる。

 

 これはもはや太陽ではない。神の御威光である。

 ありがとうございます…と僕は手を合わせ、二人の方へと深々と拝んだ。

 こいついつも感謝してんな。

 

 

 海で遊ぶ準備が整ったので、さっそくヒナが持ってきたビーチボールで遊ぶことにした。

 ヒメもスイカ割り用の目隠しと棒を持ってきており、真っ二つに割ってやらんと気合いが入っている。

 

 

「それ! ボール、ヒナの方いったよー!」

 

「レシーブ! ヒオの方いったよ~」

 

「よし来た。おーらい、おーら……ぐえっ! ヒメの方いったよー」

 

「いま顔面でトスしてなかった?」

 

 ビーチバレーを楽しんだり。

 

 

「ヒメ~もう少し右だよ~。そのまま真っすぐ~」

 

「右で、真っ直ぐ……。よし、ここだなー!」

 

「ヒメ! 左! 左! 下がって! 下がって! その方向は僕がいるから!?」

 

「とりゃ!」

 

「ひぇっ……!」

 

 スイカ割りを楽しんだり。

 

 

「ヒナ~! 待て~!」

 

「うふふ、捕まえられるかなあ~」

 

「てぇてぇなあ……」

 

 ヒメとヒナの浜辺の追いかけっこを見たり。

 

 

「(あれ、いつの間にか寝てたか……う、動けない…!?)」

 

「ふっふっふ。ヒオくん、目覚めの気分はどうだい」

 

「…なんで僕のお腹の上に、お城ができてるんだろうね」

 

 日陰で休んでいたらヒナに砂で埋められたり(ついでに砂のお城も建設されたり)

 

 

 海でしかできないレジャーを目一杯楽しんだ。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

「今日はMVの撮影をします。二人とも準備はいい?」

 

「「はーい!」」

 

 

 二日目はMVの撮影を行った。

 

 ヒメとヒナは衣装の白いワンピースに着替え、やる気も十分。

 僕も小島くんからお借りしたカメラを抱えて、その姿はまさにカメラマン。

 絶対に良い画を撮るんだぞと意気込む。

 

 

 曲のテーマは前述の通り「夏」

 明るい曲調ながら、一夏の寂しさを感じさせるような曲になっている。

 

 ちなみに曲の作成はどうしいるのかというと、ヒメとヒナが作詞、僕が作曲担当となっている。

 

 二人は作詞の才能があるのか、新しい曲の歌詞をポンポンと思い付く。

 これ進研ゼミでやったところだ!と言わんばかりに、思い出すように歌詞をスラスラと思い付いていく様子には流石に驚いた。

 ヒメとヒナ、おそろしい子…!

 

 僕は二人が完成させた歌詞を見てから作曲に取り掛かる。

 音楽作成ソフトくんを用いての作業になる。

 

 作曲は様々な楽器の知識が必要なため、始めは苦難の連続であった。

 

 ギターの演奏やコード進行については知識があったが、他のドラムやベースなどの楽器はまったくの無知。作曲のさの字も知らなかったため、何から手を付ければよいか分からず頭を抱えた。

 そこで、知識を身に着けるよりも実際に触れた方が自分に合っているのではないかと考えた僕は、ギターの他の楽器の購入を決意。

 楽器店で悩みに悩み、選びに選んだ結果、ベースとキーボードが我が家にやって来た。ドラムは一式揃えるに出費がかさむため仕方なく断念した。

 実際に楽器に触るようになってからは作曲も上手くいき、買って良かったと感じている。

 基本的にギター一筋のため日常生活では演奏しないが、作曲を行う時や気が向いたときにちょこちょこ弾いたりしている。

 本筋を疎かにして器用貧乏になることだけは気をつけたい。

 

 

 MVの撮影は主に砂浜で行った。

 

 真っ白な砂浜はゴミ一つなく、近くにはいかにも海にありそうな木が生えていた。

 まさに絶好の撮影場所である。

 

 場所良し、被写体良しなので、お待ちかねの撮影を開始した。

 

 

 二人が砂浜で歩いたり、遊んでいる様子を次々とカメラのフィルムに収めていく。

 

 綺麗な海と、二人の着た白のワンピースが夏の瑞々しさを思わせる。

 映し出された少女たちは美しく、可憐で、映像のどこを切り取っても絵になるようであった。

 

 途中、ヒナのウインク+投げキッスで昇天しかけたが、なんとか持ちこたえカメラマンとしての意地を見せた。

 

 

 夕日をバックにしたシーン。

 二人の憂いな表情、大きく砂浜に伸びた影がどこかエモーショナルを感じさせる。

 今回のMVの曲と、その情景はとてもマッチするだろう。

 

 帰ってからの撮り直しができないため、カメラの動きや角度などを工夫して何パターンも撮影した。

 

 

 撮影は二日にかけて行われ、僕たちが納得のいくまで何度も何度も取り直した。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 試行錯誤を繰り返し、MVの撮影はなんとか終了した。

 撮影が上手くできていたかは分からないが、僕たちにとっての最善を出し尽くせたと思う。

 

 初めてのMVの撮影は、被写体の二人には特に頑張ってもらった。

 

 僕もずっとカメラを構えていたためか、腕が筋肉痛になり、撮影後は小鹿のようにプルプルと震えていた。

 残念だが、僕の腕にはギターを持つだけの筋肉しかないのである。

 悲しき哉。

 

 

 

 MVを撮り終えた日の夜。

 

 撮影の疲れを癒そうと、僕は別荘の大きなお風呂に浸かっていた。

 大きなお風呂にはジャグジーの機能まで完備してあり、まさに致せり尽くせりである。

 噴き出る泡に当たり「あぁ^~気持ちいいんじゃあ~」とだらしなく破顔する。

 

 

「今日は頑張ったね。お疲れ様、ヒメ」

 

 

 僕と向かい合うように湯船に浸かるヒメに労いの言葉をかける。

 

 撮影後、僕とヒメはシャワーで水着についた砂を落としてから、水着のままお風呂に浸かっていた。

 

 

 ヒメもとても疲れているのだろう。

 声をかけてから数秒してこちらに反応した。

 

 

「ヒオもお疲れさまー。今日はほんとに頑張ったねー」

 

「うん。これ以上ないくらいに頑張ったと思うよ」

 

「これだけ頑張ったし、たくさんのひとに見てもらえたらいいなあ~」

 

「きっと見てもらえるよ。頑張った分のクオリティに、きっと皆喜んでくれるさ」

 

 

 ヒメは浴室の天井を見上げながら、そうだといいな~と呟く。

 

 MVの残す作業は、動画の編集だけである。

 録画した映像の編集は僕と小島くんの担当であるため、最高のMVになるように尽力していきたい。

 

 

「ヒメたちお風呂入ってるのー? ヒナも入るー!」

 

 

 これからの予定を頭の中で組み立てていると、浴室の外からヒナの声がした。

 

 そういえば、ヒナにヒメとお風呂に入ることを伝えわすれていた気がする。

 疲労のせいもあるが、ヒナを仲間外れにしていたことは少しバツが悪い。

 

 疲れてあまり働かない頭で、入ってるよー!と返事をする。

 

 少ししてから、ガラガラと浴室の扉が開く音がする。

 僕は入り口に対して背を向けるようににお風呂に入っていたため、ヒナの姿は見えないが恐らく入ってきたのだろう。

 

 

「あ~、あわあわ出てる!」

 

 

 後方からヒナのはしゃぐ声が聞こえた。

 大きいお風呂のジャグジーに興味津々のようである。

 

 すると、目の前で気持ちよさそうにしていたヒメがヒナの方を見たと思うと、ハッと表情を変えた。

 なにやら凄い驚いている様子である。

 

 ヒナのぺたぺたとタイルを歩く音が聞こえる。

 

 ヒナにもお疲れさまと労うため、後ろを振り向こうとする。

 すると、目の前にいたヒメがいきなりこちらに近づき、僕の目を塞いだ。

 突然視界が真っ暗になったのでビックリである。

 

 

「田中さんや、いきなりどうしましたか」

 

「ヒオ! いま後ろ向いちゃダメ! 絶対にダメだよ!」

 

「アッハイ」

 

 

 後ろを向いてはいけないらしい。

 ヒメの手というアイマスクで視界を封じられているので状況は分からないが、とりあえずうんうんと頷いておく。

 

 二人のやんややんやと騒ぐ声が、僕を挟んで飛び交い始めた。

 

 

「……ヒナ、そのバスタオルの下に何か着てる?」

 

「ううん、何も」

 

「何も!? 水着はどうしたの!?」

 

「お風呂入るんだよ? 水着はいらなくない?」

 

「ヒオもいるんだから要るでしょうが!」

 

 

 ヒメの抑える手は徐々に力が入り、めりめりと僕の目を圧迫する。

 うおお、眼球が脳の奥の方に行きそうだ……。

 なんだか今回のバカンスは、僕の目に対するダメージが多い気がする。

 

 

「昔は一緒にお風呂入ってたんだし大丈夫ダイジョーブ。おじゃましま~す♪」

 

「お邪魔しちゃダメだってー!!」

 

 

 ヒナの言う通り、昔はよく三人でお風呂に入ったものである。

 工務店のお風呂に三人でぎゅうぎゅうに入ったときは湯船のお湯が流れてしまい、中島さんに怒られたも懐かしい記憶だ。

 

 思い出に耽る僕、お風呂に入ろうとするヒナ、それを止めようするヒメの三つ巴。

 久しぶりの三人でのお風呂はとても賑やかで楽しかった。

 

 

 その後、最終日の夜にはBBQも行い、順風満帆なバカンスとなった。

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 バカンスから帰る日の朝。

 

 

 僕はぼんやりとした意識のなかで目が覚めた。

 欠伸をして、猫のように体を伸ばす。

 全身に酸素と血液が回るようにゆっくりと動き始める。

 

 

 最後に海でも見に行こうかな。

 

 ヒメたちを起こさないように、忍び足で別荘を出た。

 

 

 早朝の海と浜辺は、鳥や虫の鳴く声も聞こえない。

 

 ただ、波が押し寄せたり引いたりを繰り返す音が聞こえるだけである。

 なんというか、とても静かであった。

 

 

 砂の上に座り込む。

 

 ちょうど朝日が見える時間だったらしい。

 水平線の向こうから、橙色の太陽が今にも顔を出しそうである。

 

 僕はその様子をゆっくりと見ながら、サラサラとした砂を手で握ったり、広げるように触ったりした。

 

 

 ちょっとしたノスタルジーに浸っていると、隣に誰かが座った。

 

 

「相変わらず早起きだね~」

 

 

 欠伸を噛み殺し、寝ぼけ眼の彼女。

 寝癖が相まってか、いつもより髪のフカヒレも大きく見える。

 

 

「おはよう、ヒナ」

 

「うん、おはよ」

 

 

 軽くおはようを言い合い、浜辺で隣り合うように座る。

 

 二人の間にゆっくりとした時間が流れた。

 

 

 思えば春から、たくさんの出来事あった。

 

 友達ができて、色んなところに遊びに行って、新しいチャレンジもして。

 指折りするように数えた思い出は、とても両手では足りなかった。

 

 砂浜に、指で過去と書いてみる。

 

 

 楽しかったことは、道中で見たあのトンネルのライトのように、後ろへと後ろへと過ぎ去っていく。

 時間は有限で、一本通行で、あの頃に戻ったりはできない。

 そう考えると、心に寂しいという思いが生まれた。

 

 

 砂に書いた過去の文字を見て、僕は体の方に少し膝を寄せた。

 

 

「なんだか、寂しいなあ」

 

 

 ふいに口から言葉が溢れた。

 ヒナはそれを聞いて、明るく反応する。

 

 

「ふふっ。ちょっとセンチメンタル?」

 

 

 頬杖をついて、優しい顔をしながら僕の方を見る。

 

 その顔に安心感を覚えたせいか、少しだけ心の中を吐露した。

 

 

「楽しかった思い出って、過ぎ去っていく物だなあって。そしたら、いつか楽しんだことも忘れちゃうのかなって考えてね」

 

 

 ヒナは黙って僕の話を聞くと、少しだけ悩む素振りを見せた。

 そして、僕が砂で書いた過去という文字に気づき、ふーんといった感じでボソリと呟く。

 

 

「過去……過ぎ去るかあ……」

 

 

 何か思い付いたのか、ヒナは砂の上に書かれた過去の字を消した。

 その上に新しい文字を書き始める。

 

 

「……これなら、寂しくない?」

 

 

 ヒナは砂の上に、駆来という文字を書いた。

 初めて見る字だったので、何と読むのか聞いてみる。

 

 

「これも"かこ"だよ。過ぎ去るじゃなくて、駆けて来るで駆来」

 

 

 ヒナは話を続ける。

 

 

「思い出はどこかに行っちゃうんじゃなくて、あっちから来てくれたり、ずっと近くに居てくれる。ヒナたちに懐かしさだったり、楽しさを持ってきてくれる。そう考えたら、ちっとも寂しくないよね」

 

 

 そう言うとヒナは少し笑ってから、前の方を向いた。

 

 

「きっと思い出って宝石みたいなものなんだよ。いつまでも変わらずにずっと輝いてる、綺麗な宝石……」

 

 

 ヒナは立ち上がり、まっすぐ前を見つめる。

 昇っていく朝日の方を見ながら、ゆっくりと深呼吸をした。

 

 

「ほら、ヒオも立って立って」

 

 

 言われた通りに立ち上がり、ヒナに倣うように深く息を吸う。

 

 朝の空気はとても気持ちよく、肩が軽くなるように感じた。

 目の前で照らす朝日が、ぽかぽかと身体を温めていく。

 

 

 ヒナのおかげで元気が沸いてきた僕は、少しずつ言葉を紡いだ。

 

 

「……そうだね、ヒナの言うとおりだよ。過去なんてちっとも寂しくなくて、ずっと綺麗な物なんだね」

 

「そうそう! それに、これからもどんどん楽しいことがやって来るよ。その度にたくさん写真を撮って、アルバムもいっぱい作って、三人で分かち合おう?」

 

 

 風が少し吹き、ヒナは髪に手を回して抑える。

 その仕草は朝日と相まって、とても美しく、僕の瞳に焼き付いた。

 

 

 二人との思い出も、ヒナたち自身も、きっと僕にとって大切な宝石である。

 だから僕は、その宝石をもっともっと輝かせるようにしていきたい。

 

 

 昇っていく朝日をヒナと二人でずっと見続けた。

 瞳のカメラで写真を撮り、心のアルバムに仕舞えるように。

 


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