京王義塾と至誠の準決勝当日。
ここまで来るとスタンドは満員で応援の熱も凄い。
「さて、浜矢! 青羽! この試合は二人にかかってるぞ、気を引き締めていけ!」
「ハイッ!」
「はい」
こんな大舞台だというのに緊張していないのかな、と思い浜矢が横目で青羽の様子を見ると、表情は普段と変わらぬポーカーフェイスだが手が震えていた。それはもう物凄く震えている。
「まっ、打たれた分打ち返してやるから! 安心して投げてこいよ」
「……分かりました」
仮に打たれても柳谷を始めとした仲間達がいる。
けど少しでも野手の負担を減らしたい、何よりこの試合で成長したいと思うのは浜矢。
京王義塾という神奈川の強敵と戦えるチャンスは二度と無いかもしれない、ここを乗り越えれば更なる成長を遂げられると信じている。
「せんしゅー、5点まではよかったんだよな」
「そ、そうだけど……」
「悪いけど、そんなに取られないぜ!」
「伊吹ちゃん……うん! 任せたよ!」
こんな所で負けられない、負けるとしてもせめて決勝まで行きたい。
40本だか6割だか知らないが、打てるものなら打ってみろ。それが浜矢の心情だ。
《一番ショート水瀬さん》
とは言ったものの、やはり強打者はオーラが凄い。
(水瀬って確か長打力は無いんだよな、そうとは思えない威圧感があるんだけど)
長打力が無いだけでそれ以外は一流のプレイヤーなのだから当然である。
しかし、ここを抑えれば最高のスタートが切れる。
(初球打ちが多いって言ってたから……ですよね!)
柳谷の出したサインは内角のツーシーム。
ストレートと惑わせて詰まらせる配球だ。
左脚を後ろに引き、細い腕を思い切り振り下ろす。
水瀬はデータ通り初球から振ってきた。
「っ、ショート!」
「オッケー!」
ピッチャー返しを打たれ、捕球することが叶わなかった浜矢は自身の後ろを守る鈴井に託す。
内野安打を警戒して前進していたにもかかわらず、二遊間を真っ二つに割りそうな打球を難なく捕球してみせた。
一回転して一塁に転送し、一つ目のアウトを取る。
「サンキュー鈴井!」
「ん。ワンナウトー!」
予定通り水瀬を打ち取れた事で安堵する。
二番は基本的にバントをすることが多いので打力はそこそこ、冷静さを欠かさなければ浜矢でも抑えられる相手だ。
(初球は内角のスライダーか、了解。しっかり投げますよ)
間違っても相手にぶつけないように、指先の感覚に全神経を集中させる。
着るようにしてリリースしたその球は鎌のような軌道を描き、これにはバットに当てるだけで精一杯。
しかも当てると言っても芯ではない、根元だ。
「おっけー! 自分で!」
「任せた!」
ボテボテのピッチャーゴロとなりツーアウト。
次の打者は3割弱、警戒すべき相手だ。
アウトローの直球はファールでワンストライク。
二球目はカーブを見せ球として使い1-1。
三球目のスライダーは外れてしまい、バッティングカウントにしてしまう。
(カーブか……いや、ここは強気に攻めましょう)
浜矢は初めてサインに首を振った。
ここはカーブで逃げる場面ではない、強気に攻めなければいけない場面だと感じ取ったから。
悩んだ末に柳谷が出したのは、初球と同じサイン。
アウトローのストレート、初球よりも隅を狙って。
(これは入ってる、頼むから振ってくれ!)
「っ、キャッチャー! 後ろ!」
「オーライ!」
ホームランにしてやると言わんばかりに強く振り抜かれたが、タイミングを外したおかげでキャッチャー後方へのフライとなる。
作戦通り、初回はヒットを許すことはなかった。
「ナイピー!」
「あざっす!」
難しいフライを捕ってくれた柳谷とグラブタッチ。
ベンチに戻ってから千秋ともハイタッチをし、ついでに一番初めに助けてくれた鈴井とも。
だいぶ守備に助けられていた感じはあるが、抑えればそれで良いのだ。
至誠ベンチは京王の先発・古城の投球練習を眺める。
「……速いな」
「あれで二番手か〜、さっすが京王」
「けど、うちの打線なら打てると思うよ」
「だね! 前の試合打てなかったし今日は打つよ!」
二年生は準々決勝で金堂以外があまり打てていなかったせいか、気合十分といった具合だ。
三年生は集中してて周囲の声など聞こえていない。
そう思ってしまうほどの鋭い眼光で向こうの先発を見てる。
「鈴井はどう? 打てそう?」
「どうかな……当てられるけど内野を越せるかな」
「弱音吐くなんて珍しいじゃん」
「互いの実力を考えた上での発言をしてるんだよ」
金堂と同じく、鈴井も長打力には自信が無い。
だが走塁の上手さで短打を二塁打にしてしまう。
パワーの無さを走塁技術で補っている形だ。
「向こうは初めてベンチ入りした二年生だ。大会の雰囲気に慣れていない、不安定なところを叩くぞ」
「ハイッ!」
まるで悪役のような笑みを浮かべながら、外道じみた発言をするのは灰原だ。
しかし実際に不安定な立ち上がりを叩くのは効果的だし、そもそも彼女の担当していた捕手というポジションは相手の嫌がる事を積極的にやる。
どんなに性格が悪いと言われようとも、彼女にとってそれは褒め言葉なのだ。
《一番センター糸賀さん》
「やっぱこの打順が落ち着くよね〜」
「いつもの打順ですね」
「藤銀戦のもかなり攻撃的で好きだけど、やっぱりこっちだよな」
今日は糸賀が出塁して菊池が犠打、そしてクリーンナップで大量得点を狙う見慣れた打順。
山田の言う通り、これが一番至誠らしい打順だ。
「糸賀が打てるかどうかで、チーム全体がどれだけ打てるか決まる所あるからなぁ」
「それってなんでですか?」
「糸賀は対応力が高いんだよ。その糸賀が打てなきゃ他も打てないことが多い」
「伊吹もさ、由美香先輩が打てなかったら無理だって思うことあるっしょ?」
「それは……ありますね」
あの糸賀が打てないのに自分が打てるはずない、浜矢はよくそう思っている。
実際は相手も浜矢だからと油断している可能性があるので、糸賀が打てない相手でも彼女が打てるパターンはあるのだが。
つまるところ、糸賀の一打席目はその試合で相手を打ち崩せるかの指標のような扱いになっている。
「そういう意味でも由美香先輩には打ってもらわなきゃ!」
「なるほど……! 糸賀先輩ヒットお願いします!」
「ホームランでもいいですよー!」
糸賀は警戒されているので、際どいコースへの投球が多い。
それでも高打率をキープできるのは、際どい球はカットして甘い球だけを打ち返せる技術があるから。
好球必打は野球の基本、だけどそれが難しい。
彼女はそれが出来るからこそ不動の一番なのだ。
「おっ、抜けた!」
「ナイスヒットー!」
いつものようにあっさりヒットを打ってみせる。
彼女の安打は半分以上がレフト方向。
当然流し打ちを警戒したシフトを敷かれているが、そんなのお構いなしに打つのが糸賀由美香だ。
「走りますかね?」
「どうだろう……初回だし慎重に攻めていくんじゃない?」
二人が灰原を見ると、悩んだ末にサインを出した。
出したのはグリーンライト、自由に盗塁しろ。
グリーンライトのサインが出されるのは基本的には糸賀だけで、稀に菊池にも出る。
それだけ脚に関して信頼されているということだ。
初球、モーションに入ると糸賀はスタートを切った。
ウエスト気味に外されたボールを受け取った捕手は、二塁に矢のような送球を投げる。
「走った!」
「うわっ、ギリギリ! 間に合え……!」
「……セーフ!」
セーフになったが、あの糸賀がギリギリ。
若干スタートが遅れたのもあるが、彼女があそこまで危なかったのは初めてだ。
「クイックが速いな」
「青羽先輩……ですよね。それにキャッチャーの送球も正確でした」
「それだけじゃない、捕ってからも早かった」
流石は強豪校の守備力と言ったところだ。
一体どれだけの時間を守備練習に費やしたのか、そう思うほどに正確かつ素早い動きだった。
「これは私には無理かな〜」
「菊池先輩も盗塁上手いのに無理なんですか……」
「脚の速さは由美香先輩のが上だからね」
そもそも菊池は犠打が多く打力も無いので走者として塁にいることが滅多に無い。
脚は速いのにそれを活かせる場面が来ない。
そして当然、ここも犠打のサイン。
「ちゃんと決めろよ!」
「ここ決めたらかっこいいぞー!」
こんな声援なんて必要なかったかのように、警戒されてる中であっさりと決めてしまう菊池。
流石は成功率100%を誇る、至誠のバント職人。
「これで犠牲フライでも1点ですね」
「神奈なら打つっしょー」
「そういえばいつも通りって言ってましたけど、山田先輩今日5番ですよね」
「ここが入れ替わるのはよくあるし」
菊池以外の二年生は打順が固定されていない。
だが基本的に三、五、六番以外に入ることはない。
本日の打順は金堂が三番、山田が五番、青羽が六番。
「よーし神奈! 打ったれー!」
「また打率6割に乗せましょー!」
金堂への初球は曲がりながら落ちるスライダー。
普通なら手が出ない球だが、金堂なら。
「おっ、高く上がって……落ちた!」
「しゃー! 回れ回れ!」
「先制! やった!」
レフトの前へのポテンヒットで1点先制。
それよりも気になる点、というよりどう足掻いても気になってしまう点が一つ。
「あの人またボール球打ちましたよ……」
「あれもいつも通りだな!」
「神奈に普通の打撃を求めない方がいいぞ」
「ええ……」
相変わらず天才的、というより変態的なバットコントロールと言った方がいいだろう。
彼女は過去に選球眼は悪くないという旨の発言をしていたが、ワンバンしていたとしても打てそうなら打ちにいくタイプだ。
「キャプテンにも続いてほしいですね」
「ただいまー」
「おかえりです!」
ベンチに戻ってきた糸賀と浜矢がハイタッチ。
柳谷はきっと続いてくれる、そう信じて打席の彼女に目線をやると、今まさに鋭い打球を放つ瞬間だった。
「うわっ、打球速っ!」
「これも抜けますね!」
「神奈は帰って……これないか」
「金堂先輩もそんな脚遅くないんですけどね」
鈍足に分類されるのは浜矢、山田、青羽の三人。
平均より少し上なのが鈴井、金堂、中上。
俊足なのが糸賀、菊池、柳谷となっている。
こうして見ると、至誠の走力は綺麗に三人ずつに分かれている。
「……ちょっと先輩たちー!?」
「いやーごめんごめん」
「あれは無理だ」
「そんなはっきりと言わなくても……」
あの後、山田と青羽は揃って三振を喫した。
この二人は不調が長引いているようだ。
「守備は頑張るから!」
「え、正直そっちに飛ばしたくないんですけど」
「センター方向が安全すぎるからな」
「そうなんですよねぇ」
至誠のセンターラインは固すぎて、投手はそこ以外に飛ばしたくないと思ってしまう。
レフト方向なんてサードが山田でレフトが青羽だ。
同じチームとは思えないくらい守備力の差がある。
「とにかく結城を抑えなきゃ、ですよね!」
「当てられたら終わりみたいなもんだからなぁ」
「内野の出番は無いかもな」
「怖いこと言わないで下さいよ……」
至誠ナインは2回表の守備につく。
浜矢はマウンドの上から打席に入った結城を見た瞬間、全身に電流が流れたような感覚がした。
(何だこの威圧感……!? 水瀬とは比べ物にならないぞ!)
18.44mも離れているのに、まるですぐ近くにいるような迫力。
投げる前から打たれると感じてしまい、体が微塵も動かせない。
「伊吹!」
「ぁ……キャプテン」
動揺のあまり、柳谷がタイムを取ってマウンドに駆け寄ってきた事にも気が付かなかった。
「結城は怖いよな、けどさっきも言っただろ? 打たれても私が打ち返すって。それに、“そんなに取られない”んだろ?」
「……はい! 5点未満に抑えてやりますよ!」
「最高の球を頼むよ、必ず受け止めてやるから!」
浜矢から見た柳谷という存在は非常に頼りになる。
一言二言喋るだけで緊張がほぐれて、絶対に大丈夫だという気持ちにさせてくれる。
(……よし、もう平気。結城相手に投げられる事を嬉しく思えばいいんだ)
サインはスライダー。
流石の柳谷も結城相手に初球ストレートから入る度胸はない。
コントロールミスだけは絶対に許されない。
(くらえっ! これが私の最高の球だっ!)
ミットに正確に投げ込む自分を脳内でイメージし、それを現実にするために浜矢は右腕を振り抜く。
イメージ通り、アウトローいっぱいに決まる完璧な球だった。
「なっ!?」
簡単に打てるような球ではない。だが結城はいとも簡単にその球を打ち返す。しかも単打ならまだしもツーベース。
(今のを打たれるか……なら、後続を切るだけだ)
浜矢はショックなど受けていない。
自分が結城に敵わないのなんて、自分が一番理解しているから。
むしろホームランを打たれなかったので自分の勝ちだという精神でマウンドに立っている。
六番は追い込んでからの高めのストレートで三振。
七番はセカンドゴロで、その間に結城は三塁へ。
(ツーアウト三塁……打席には八番か。下位打線相手なら私でも優位が取れる)
下位相手だからこそ出し惜しみはしない。
万が一のことが起きないように、全力のストレートを投げ込む。
詰まらされた打球はセカンド正面に転がる。
「セカン! 一塁!」
「任せろ!」
そう言ってファーストに送球する菊池。
しかし、その送球が金堂のミットに収まる事はなかった。
「エッ……!? 二塁二塁!」
「オッケ!」
浜矢の指示と柳谷の素早いカバーのおかげでバッターランナーが二塁に進む事はなかったが、その間に結城はホームイン。
(別の人がフラグ回収しちゃったよ……)
まさか菊池がタイムリーエラーをするとは思いもしなかった浜矢は、他人事のような態度をしていた。
実際に浜矢からすれば他人事なのだが、失点したのだからもう少し動揺してもいいだろう。
「伊吹ごめん……」
「い、いえ大丈夫ですよ! というかあの流れは山田先輩か青羽先輩がエラーする流れでしたよね」
「なんで私達に飛び火したの!?」
「まあレアな物見れたってことで」
菊池のエラーなんて何回も見られる物ではない。
それにまだ同点、しかもツーアウト一塁で九番打者と失点の可能性はかなり低い。
ここを抑えれば流れを渡さずに済む。
まずは高めのストレートで見逃し。
その次はボールゾーンにカーブを投げたら振ってくれてツーストライク。
まさかあのクソショボカーブを空振りする選手がいるとは思わず、浜矢は一瞬目を見開いた。
最後は外のスライダーで調理完了。
「伊吹も不運だったな」
「野球やってればこんな事もありますよ」
「自責点じゃないから気にしないで投げようね」
「おう! てか私は全然平気だから菊池先輩の方をなんとか……」
「うん、任せて」
浜矢の代わりに千秋が菊池を励ます。
浜矢はそこまで人を励ますのが得意なタイプではないし、エラーした相手とどう話せばいいのかが分からない。
「取られたら取り返す! それが至誠の野球だろ? 大量に点取ってこい!」
「オー!」
「美希と私が打つから、自援護よろしくね〜」
「えっ、それは流石に……」
まさかの自分でのタイムリーを要求され、浜矢の顔が引き攣った。
【悲報】至誠のエース中上、遂に打率が2割を切った後輩にジエンゴを要求する
なお、高校野球において投手は九人目の野手なので投手だから打てないという理由は通用しない模様。