5回裏の至誠の攻撃が始まる。
打席に立つのは珍しくノーヒットの柳谷。
内角を抉るシュート、外角の見極めが難しいコースへのフォークで追い込まれる。
そしてラスト一球は、まさかのカーブだった。
それも中上の物と似た軌道の。
「相良ァ〜!」
「めっちゃ煽られてるじゃーん」
「したり顔でこっち見てますよ……」
中上と組んでここまでチームを勝ち上がらせてきた柳谷を、中上と似たカーブで三振に仕留めた。
そして直後の至誠ベンチを見た時の顔、これは完全に挑発している。
これには中上も憤慨するが、先に仕掛けたのは彼女だ。自業自得だろう。
「佳奈恵ごめん」
「いや、真衣は謝らないでいいよ。でも相良は許さない!」
「お互い意識しまくってんなぁ……」
「泥沼ですね」
お互いがお互いの得意球で勝負するという、何とも見応えのある勝負が始まった。
(てか中上先輩はわかるけど、なんで相良さんもカーブ投げられるんだ?)
中上と似た軌道のカーブをいきなり投げられる相良に疑問を抱いたようで、浜矢は千秋に聞きにいく。
野球の事で疑問が浮かんだらとりあえず千秋に聞けばいいと思っているのだろう、その通りだ。
「相良さんって今までカーブ投げてきたの?」
「うーん……あんまり投げてた印象は無いかなぁ」
「てことはほぼぶっつけで投げてるってこと?」
「うん、だから打とうと思えば打てる……かも」
そんな話をしてると、快音と歓声が聞こえてきた。
二人が慌ててグラウンドの方を見ると、二塁に滑り込んでいる山田の姿が。
「おお! 山田先輩打った!」
「沙也加のヒット久々に見たな〜」
「悠河も人のこと言えないよ」
「か、神奈ぁ……厳しいよ」
金堂内野手、地味に毒舌。
大人しそうな顔をしているし実際自己主張をすることは少ないのだが、口を開くと結構毒を吐く。
かなりストレートな物言いをしても二年生の仲が良いのは、本気で人を悪く言ってるのではないと理解し合っているから。
「翼も最近ヒット出てないよー」
「味方をヤジるのってどうなんですか……」
「んー、その方が尻に火が付きそうだし良いんじゃない?」
「そんな適当な……」
人によっては観客や相手に野次を飛ばされるよりもダメージを受けそうだ。
しかも金堂のように普段は優しい人間に言われると余計に。
菊池の言う通り尻に火が付いたのか、青羽も見覚えのあるカーブを叩いて先手を奪う。
「おっ、打った!」
「先制打ー! ないばっちー!」
「沙也加脚おそーい!」
「私は悠河と違って長距離砲だから仕方ないんです〜」
「キャプテンは長打も打てるけど脚速いよ」
流石に柳谷と比べるのは可哀想だ。
山田だって普通に全国クラスのスラッガー、捕手のくせに俊足な柳谷が異常なのだ。
勢いに乗れると思ったこの回の攻撃だったが、相良もあのタイムリーからバットに当てることすらさせない投球で最少失点。
5回終了時点で1対0と息が詰まるような投手戦が続いている。
「向こうは中上を意識して崩れた、こっちはそんな風にはなるなよ!」
「任せて下さい! 三人で抑えてみせますよ!」
なんて言ったのがフラグになり、中上は山城に特大のソロホームランを打たれて同点とされる。
雲一つない青空に白い放物線が描かれていくのは美しい、これが相手側のホームランでなければ。
また、彼女もそれで目が覚めたのか後続はしっかりと絶って最少失点で切り抜ける。
「なーにが三人で抑えてみせますだ! 普通にホームラン打たれてるじゃん!」
「相良が見てると集中出来なくてさ……」
「どっちもどっちだな」
お互い意識し過ぎて1失点ずつ。
仲が良いのか悪いのか分からないが、見てる方は正直面白いというのは浜矢談。
「球数も嵩んできたな……大丈夫か?」
「まだいけますよ! というより相良が降りる前に降りたくありません!」
「そ、そうか……じゃあ頼むぞ」
また二の足を踏みそうな気がするが、灰原が送り出したということは今度は平気だと信じているから。
今までチームを引っ張ってくれたエースを信じないで誰を信じるのか。
6回裏の攻撃が始まったのだが、どうやら蒼海大相模側の様子がおかしい。
内野がグラウンドに集まっており佐久間も準備してるという事は、投手交代だ。
「そんな投げてたっけ?」
「えっと……80球は超えてるね」
「けど相良さんってスタミナあるでしょ? なんでここで降りるの?」
「……多分、怪我かも」
「怪我?」
「確か去年の冬くらいに肘を怪我してた気がする」
プロ志望ということもあり将来の事を考えてドクターストップが掛かっている、それが千秋の予想。
ドクターストップを無視して続投させて再発、なんて事になってしまえば監督の責任問題になる。
エースの怪我を再発させたくないし、自分も叩かれたくない。だからここで継投。
《蒼海大相模、選手の交代をお知らせいたします。ピッチャー相良さんに変わりまして、佐久間さん》
次世代のエース候補の登場に球場は盛り上がる。
だがそれと同じくらい、相良の降板を惜しむ声も聞こえてくる。
「佐久間さんはノーコンだから、真ん中以外は見送ろうね」
「了解」
制球を犠牲に球速を手に入れた、それが佐久間だ。
浜矢でも出塁くらいは出来るかもしれない。
「お願いします」
「プレイ!」
初球からフルスロットルの豪速球、147km。
これが自分と同じ一年生の投げる球だと浜矢には信じられなかった。
続くスライダーにも空振ってストライク。
変化球だが浜矢の最速よりも速い。
前評判とは違い全く制球も乱れていない。
なんて思っていると急に乱れ始めた。
いきなり外れに外れてフルカウント。
このムラの激しさが彼女を準決勝で投げさせられなかった理由。
佐久間玲という投手はボール球を好まない。
ノーコンのせいで外れるのはまだ納得しているのだが、勝負球にボール球を用いるのが好まないという意味だ。
彼女のその傾向を試合前に伝えられた浜矢は、一か八かど真ん中のストレートだけにヤマを張った。
佐久間が豪快なフォームから六球目を投じた。
白球は浜矢がヤマを張っていたコース――ストライクゾーンど真ん中に向かう。
(おっ、ど真ん中!)
確かに佐久間の球は一年生にしては速い。
だが今まで対戦してきた二・三年生の中には佐久間よりも速い球を投げる選手はいたし、何だったら相良の最速も150kmだ。
それに相良と比べて佐久間のストレートはノビがない、言ってしまえば棒球だ。
相良が球速以上の速さに感じる球であれば、佐久間はその逆で球速の割には遅く感じる球だ。
ど真ん中のストレートだけにヤマを張っていた事もあり浜矢でも反応でた。
この絶好球に対してフルスイングで打ち返す。
すると今まで感じたことの無い感触と快音が響く。
「……へっ?」
「嘘だろ? いくな!」
「伊吹! 走れ走れ!」
白球が上空に高々と舞い上がり、浜矢は状況が理解出来ないまま走り出す。
鈍足の彼女が一塁に到達する辺りでも、白球はまだグラウンドに落ちてこない。
ここにいる誰もが打球の行方を追って息を呑む。
「は、入った……?」
白球が満員のレフトスタンドに飛び込んだ直後、様々な叫び声が聞こえてきた。
ある者は打率.182の至誠打線唯一の穴がホームランを打ったことに歓喜の声を上げ、ある者は打率.182の至誠打線唯一の穴にホームランを打たれたことに悲鳴を上げ、ある者はツーストライクからフルカウントまで持っていった挙句ど真ん中に失投した佐久間に対しての怒りを叫んでいた。
全ての声が浜矢と佐久間の二人に向けられている。
二人の片方――起死回生の一発を放った浜矢は、実感の無いままホームベースを踏む。
「ナイスホームラン!」
「伊吹ー! やっぱお前持ってるよ!」
「……ほんとに私がホームラン打ったんですか!?」
「今更!? 本当に打ったんだって!」
実際は客の反応やら何やらで自分がホームランを打った事は分かっていたが、まさか打率.182がホームランを打つなんて本人すら予想出来ていなかった。
「伊吹ちゃんないばっち!」
「いやー、ど真ん中に来たから思いっきり振ったんだけど……まさかホームランになるとは」
「運も実力のうち、調子には乗らないでよ」
「そんなの分かってるよ」
鈴井の言う通り、今のは運がかなり良かっただけ。
もし佐久間のコントロールが人並み程度だったなら、浜矢なぞ3球で仕留められただろう。
「速い球の方が飛距離は出るし、ジャストミート出来たらそりゃ飛ぶよね」
「でもホームランダービーとかって遅い球じゃない?」
「プロは遅い球も打てる人しかいないからね。本来は遅い球のほうがタイミングを合わせにくいんだよ」
「だからチェンジアップが魔球なんて呼ばれるんだしね」
球速が速い方がバットにぶつかった時の反発が大きくなり、その結果飛距離が出る。
逆に遅くて回転数の少ないチェンジアップのような球は遠く飛ばすのにはパワーだけではなく技術が必要となる。
だからといって速くて回転数の多い球をホームランにしやすいかと言われるとそうでもない。
そのような球は正確に捉えるのが難しいからだ。
初心者で技術的にまだ未熟な浜矢が今ストレートに出来るのは、速さの割には回転数が比較的少なくて芯で捉えやすい球のみ。
つまり佐久間の投げるノビのないストレート。
「けど佐久間さん、調子は良さそうだね」
「さっきのは偶々だったみたいだね」
「打ててよかった……」
佐久間は豪速球とスライダーで糸賀と菊池を三振に切って取る。
さっきど真ん中に来たのがおかしかっただけで、本来の投球はこっちだ。
「まさかこんな展開になるとは思ってなかったが……1点リードで最終回だ。しっかり守って神奈川の頂点に立とう!」
「ハイっ!」
ホームランのインパクトで忘れられかけていたが、ここを抑えれば優勝だ。
連合チームではなくなって迎えた初めての大会で優勝、しかも選手は九人となればかなりの快挙だ。
真紅の優勝旗と全国の話題を掻っ攫うため、ナインは最後の守備に散る。
相良を意識しなくなった中上は無敵だ。
スプリット、カーブ、スライダー、ツーシーム。
いつもの四球種を駆使して打者を翻弄していくスタイルは見ていて安心感を覚える。
七番永井はショートゴロ、八番城田も三振。ツーアウト走者無しで迎えた最後の打者は。
《九番ピッチャー佐久間さん》
打者としての佐久間玲が右打席で構える。
先程の失点を取り返すために気合が入っている、最後の打者に相応しい相手だ。
初球、変化の大きいスプリットにフルスイングで立ち向かう。
「ファール!」
「うわ、打球はや……」
「浜矢ー! バックバック!」
「あっ、はい!」
佐久間相手にも山城と同様のシフトを敷く。
フェンスギリギリまで下がってホームラン未遂の長打を防ぐシフト。
一年生でここまでの飛距離を警戒されるのは彼女くらいだろう。
あわよくば釣ろうと思ったツーシームを見送られてボール、次はボールからストライクになるスライダーを見逃してツーストライク。
恐らく次が勝負の一球、マウンドに立つ中上の背中からその雰囲気を感じ取った浜矢は集中する。
中上が最後に投じたのは、先程まで相良に真似されていたカーブ。
左打者の頭部付近から急激な変化をして、ストライクゾーンを掠めるようにして決まるその球を佐久間は逃さなかった。
持ち前のフルスイングで捉えられた白球はライナー性の打球となって、ライトを襲う。
「って、ほんとにこっち来んのかよ! オーライ!」
いつ打球が飛んできても捕れる準備はしていた、何となく自分の所に飛んできそうな気もしていた。
だけど本当に自分の方に打つ奴がいるか。
そんな事を考えながら、浜矢は打球に向かって一直線に進む。
彼女は外野の守備が極端に苦手で、千秋ですら苦笑いを浮かべるレベルだ。
だがそれはフライの処理だけ。むしろライナー性の打球の際には、身体が本能で動く。
前に倒れ込みながら白球をグラブに収める。
近くに駆け寄ってきた塁審にグラブの中を見せると。
「アウトーー!!」
「よっしゃあ!!」
浜矢は最後の打球を落とさなかった。
ウイニングボールを彼女が掴んだこの瞬間、至誠高校の八年ぶり二度目の全国大会出場が決まった。
なぜ準決勝が4話で決勝が2話なのか、なぜ決勝戦なのにギャグっぽいのか
全国は真面目な試合展開なので許してクレイトン