既にマウンドには仲間達が集まって喜びを分かち合っている、浜矢も50m7.8秒の鈍足(野球選手基準)を飛ばしてマウンドに向かう。
千秋と灰原、そして小林もベンチから飛び出して歓喜の輪に加わる。
「中上先輩! やりましたね!」
「伊吹ー! ナイスキャッチ!」
「沙也加と翼も、よくやったな!」
「っ、ここまで野球やってきて、至誠に入って良かったです……」
青羽がそう言って泣き始めた瞬間、全員が一斉に泣き崩れた。
一番泣かなそうな人が泣いたら全員が泣く法則。
ひときしり歓喜の涙を流した後、整列して良い戦いをしてくれた蒼海大相模の選手と握手を交わす。
蒼海大の選手も悔しさから泣き腫らしたようで、目は充血し鼻も真っ赤だ。
特に相良は一番泣いていた、というより今も号泣していて仲間に肩を支えられている。
逆に佐久間は泣いていない。決勝戦で敗戦投手というのは精神的に辛いだろうに。
校歌斉唱と監督とキャプテン柳谷のインタビューも終え、あとは帰るだけとなった。
蒼海大に挨拶に向かった中上達を待っている間、浜矢は落ち着かないので周囲をうろついていると。
「おい! 浜矢伊吹!」
「ひぃ、フルネーム……!?」
振り向くとそこには佐久間が立っていた。
睨みつけるような表情、そして腕組み。
結城や水瀬とはまた違った威圧感を感じる。
「ホームランを打ったのはお前か」
「は、はい……すみません……」
「私の球を打っておきながら何で謝るんだよ。いいか、よく聞け」
「な、なに……?」
「……必ず勝てよ。初戦なんかで負けたりしたら容赦しない、それと連絡先教えろ!」
急に話しかけられていきなり捲し立てられて、状況を把握できないまま二人は連絡先を交換した。
打ってしまった相手だどう接したらいいのかと浜矢が気まずさを覚えていると、佐久間は右の拳を突き出した。
「来年も勝ち上がってこい! お前を倒すのは私だけだ、負けるんじゃないぞ!」
「……お、おう! 言われなくてもそのつもりだ!」
「いい返事だ。私は来年までにもっと強くなる、覚悟しとけよ!」
「ああ!」
佐久間の言葉に勢いだけで言い返したが、今のは一体何だったのだろうか。
浜矢が困惑していると、近くで見ていた鈴井が声をかける。
「よかったね」
「なにが?」
「初めてのライバルが出来たじゃん」
「ライバル……」
佐久間のさっきまでの発言、浜矢をライバルだと認めてくれたと考えれば辻褄が合う。
「遠回りすぎんだよ〜!」
「ライバル認定なんて、そんな直球に言うようなものでもないでしょ」
「だからといってアレは分かりにくいって!」
「そう? 結構分かり易かったと思うけど。特にお前を倒すのは私だってところ」
あんな台詞、余程の戦闘狂でもない限りライバルだと認めている相手にしか言わないだろう。
「……来年も、また戦いたいな」
「だな」
今度は実力で佐久間を打てるようになりたい。
そして投手としても対戦して抑えたい。
その為には今よりも力を付けなければいけない。
(帰ったらたくさん練習しよう)
激闘が終わったばかりだが、試合直後というのはアドレナリンが大量に出ている状態。
身体は疲れていても心はやる気なのだ。
将来のエース候補が再会を誓い合っている頃、現在のエース中上は蒼海大のバス付近まで来ていた。
相良というブーストがあったとはいえ、蒼海大打線を相手に1失点は自画自賛したくなる出来だった。
しかし、気掛かりがある。相良だ。
降板した時のあの悔しそうな顔、試合終了の瞬間に普段の澄まし顔が崩れ、周りの目なんて気にせず泣きじゃくっていた姿を見たら、居ても立っても居られなくて歩き出していた。
蒼海大のバスとそこに集まる選手達が見えた。
「あの、お疲れ様です」
「お疲れ様です、もしかして相良ですか?」
「はい」
「おーい、陽菜! 向こうのエース!」
出迎えてくれたのはキャプテンである山城。
既に気持ちを切り替え、後輩達を励ましていた。
同じ最上級生として見習うべき姿がそこにあった。
「……どうも」
「お疲れ様、いい勝負だったよ」
「それを言うためだけにわざわざ来たの?」
相良は不機嫌そうにバスの中から出てきた。
それもそうだろう、彼女からすれば試合後にわざわざ煽りに来たとしか思えないから。
「そうじゃなくて、何て言えばいいんだろう……まだ別れたくなかったというかさ」
「は?」
「いや本当に自分でも何言ってるか分からないの! けど、相良ともう戦えないのが寂しくて……」
気が付いたらここに居た。
そう言うと少しの静寂の後、小さな笑い声が。
「本当に何言ってるか分からないわよ、けどそうね……私も同じ気持ちかも」
「えっ……」
「何で先に言ったほうが驚いてるの? 貴女が初めてなのよ、投手のライバルだと思えた相手は」
山城がライバルだという噂は聞いていたが、思い返せば今まで投手としてのライバルの存在は聞いた事がなかった。
「私はライバルだった斎と同じチームになれればそれで良かった、自分より優れた投手なんて同世代にはいないと思ってたから」
「それは間違ってないよ、相良より良い投手なんてこの世代にはいない」
「私も今日までそう思ってた。けど中上、貴女がいたのよ」
「…………」
中上は相良の言葉を素直に受け取れなかった。
自分は彼女より良い投手ではない。勝てたのは山田や青羽、そして浜矢が打ってくれて、柳谷がリードをしてくれたからだと思っているから。
「真似されるし同じタイミングで失点するし、最初は本気で苛ついたけど……それが楽しかった」
「私も真似されたんだけどね」
「そんな風に、相手を意識して投げた事なんてなかったから。負けたけどすごく充実感があるわ」
「相良にそう言って貰えるなんて嬉しいよ」
県内最高投手の相良に褒められる喜びを味わえるのは、唯一彼女に勝った中上だけの特権だ。
「……だから、貴女と今まで出会えなかったのが悔しいのよ」
「私もだよ、もっと早く出会いたかったな」
「もう戦えないのが残念だけど、貴女はプロは目指しているの?」
「もちろん、相良もでしょ?」
「ええ……なら、次に勝負するのはプロの舞台ね」
お互いプロ入りを志望している選手同士。
同じチームになる確率は低い、ならまだ戦えるチャンスはある。
「貴女と投げ合って、今度は私が勝つ」
「……次も私が勝つよ」
顔を見つめ合い、お互いの熱意をぶつけ合う。
必ずこの人にだけは負けたくない、そんな人が初めて出来た。
「蒼海大の誇りも背負って、全国でも思い切り戦ってきなさい」
「分かった。一つでも多く勝ってくるよ」
「この私に勝ったんだから、不甲斐ない投球なんてするんじゃないわよ」
「私がそんな投球をするように見える?」
売り言葉に買い言葉。それが妙に心地良い。
ライバルとはそういうものだろう。
「まあ期待してるわよ、優勝校のエースさん」
「期待しててよ、準優勝校のエース様」
最後に想いを込めた握手をして、お互い自分のチームメイトの元へ帰る。
必ず勝つと誓ったから、もう後ろは振り向かない。
蒼海大の誇りと至誠の夢を左腕に乗せ、中上はこれからも戦い抜く。
「お、佳奈恵戻ってきた」
「二人とも……どうしたの?」
「佳奈恵が蒼海大に挨拶に行くって言うからさ、喧嘩にならないか心配でついてきてた」
「えっ、てことは今の会話……」
「ごめん、聞いちゃった」
ウインクされながら謝られても説得力無い。
けど、中上は糸賀のそういう所が好きだ。
「相良って本当にいい人だったね」
「疑ってたの?」
「別に疑ってたわけじゃないけどさ、あそこまでいい人だとは思ってなかった」
「ちょっと煽られたけどね」
けどやる気の出る心地良い煽りだった。
喋り方も綺麗だし、煽りに不快感が無い。
あの話術は一朝一夕で身につくものではない。
育ちの良さやメディア露出の多さが感じ取れた。
「勝たないとな、全国でも」
「蒼海大に勝ったのがマグレだと思われないようにしないとね」
「私が抑えるから、二人は援護頼むよ」
最強エースがそう言うと不動のリードオフガールは親指を立て、高校No.1捕手は静かに頷いた。
一試合でも多くこのメンバーで野球をしたい、その為にはやはり勝ち上がり続けるしかない。
(私の初めてのライバルとなってくれて、私を初めてのライバルと認めてくれてありがとう相良。相良の分まで私達は、私は勝ってくるよ)
蒼海大相模のチームカラーのように青く染まった空を見上げ、中上はそう誓った。