至誠高校の寮は二年生までは相部屋となる。先輩後輩で一部屋ではなく、同級生との相部屋なので緊張感は少ない。
通常、高校生二人が同じ部屋となれば様々な話に花を咲かせるもの。しかしここ306号室は静寂に包まれている。
「……空」
「な、なに……?」
この空気に耐えられず、声を発したのは洲嵜。神宮はそれに対し気まずさを前面に押し出していた。
「話があるんだけど、いい?」
「……いいよ」
神宮も洲嵜に言いたいことはあるが、言い出すのが怖くて口を噤んだまま。そんな彼女を前に、洲嵜は意を決して次の言葉を口にする。
「私のこと、避けてるよね?」
「っ! それは……」
その反応は、洲嵜の言ったことが事実であると肯定するようなもの。だが神宮はこれ以上口を開くことはなかった。
「お願いだから教えて、なんで私を避けてるのか」
ライバルでしょ、そう言った次の瞬間神宮が叫ぶ。
「ライバルじゃないよっ! だって、真理は神田さんと戦いたいんでしょ? 私のことなんか眼中に無いんでしょ……!?」
「待って空、そんなの誰が言ったの?」
「見てれば分かるよ! 私からエースの座を奪ったと思ったら、すぐ神田さんって……!」
(そっか、空はそれをずっと気にしてたんだ)
この二人は小学校からの幼馴染。同じ時期に野球を始め、ポジションも同じ投手。しかしエースになれるのは当然一人だけ。
エースの座を掴んだのは、洲嵜だった。それだけなら神宮もエースの座を奪おうと奮起していただろうが、現実はそうはならなかった。
「エースになったと思ったらすぐ神田さんと出会って、それからずっと神田さんに憧れて……! 私の事なんて、最初からどうでもよかったんじゃん!」
「……それは違う」
神宮は自分の実力が神田より劣っているから見捨てられたと思っていた。その言葉を洲嵜は否定する。
「覚えてる? 空が私の投球を見て格好良いって言ったの……だから私はもっと良い投球が出来るようになりたかったの」
洲嵜の問いかけに神宮が答えることはなかった。それでもハッキリとその言葉を言った日を思い出していた。
「空のことを忘れた日はなかった、中学が一緒じゃなかったのだって寂しかった」
「……真理」
「また、一緒にプレーできて嬉しいよ」
洲嵜が微笑んでそう言うと、神宮は泣き出してしまった。ずっと届かないと思っていた彼女が、自分を大事に思ってくれていた。
共にプレーできる事を喜んでくれていた、それがどうしようもなく嬉しかった。
神宮は少しして泣き止むと恥ずかしさから顔を赤らめ、拗ねたように口を尖らせる。
「てか嫉妬し損じゃん……」
「嫉妬しててくれたの? ありがとう」
「そこはお礼言うところじゃないってー!」
憧れていた洲嵜が自分を見限って離れたと思っていたのに、本当は自分の方から離れていた。それを自覚した神宮は自分の過去の行いを反省し、再び良好な関係を築いていくと決めた。
「……私も、真理とまた一緒で嬉しい」
「一緒に至誠の投手陣を支えよう」
「うん!」
二人は固い握手を交わす。三年ぶりに触れた相手の手は、思ったよりも大きい。自分たちはまた同じ場所で活躍できる、そう確信した二人には笑顔が浮かんでいた。
入学式翌日の放課後、浜矢と千秋はグラウンドへ向かう。
「ん? なんか知らない顔がいるんだけど」
「一般入部の子かも!」
「マジか!? やった!」
(もしかしてあの二人は……!)
千秋はグラウンドに立つ二人組に見覚えがあり、高揚感を必死に抑えながら現場へ向かう。
「浜矢、千秋! 新入部員だぞ」
「やっぱり! 自己紹介お願いしてもいい? あっ、私は二年の浜矢伊吹!」
「同じく二年生の千秋美月です」
浜矢と千秋が名乗るとその二人組の片方は笑顔で、もう片方は澄ました表情で自己紹介を始める。
「セカンドの石川灯です! よろしくお願いしまーす!」
「伊藤彗、キャッチャーです。先輩、これからよろしくお願いします」
守備の要のセンターラインを守る二人が入部した。
チームとしてはこれ以上ない補強だろう。
そして彼女たちの名前を聞いた途端、千秋が興奮で震えながら話し出す。
「ユーティリティー性が売りの石川さんに強肩が武器の伊藤さん! まさか至誠に来てくれるなんて!」
「まぁ千秋なら知ってると思ってたよ……」
(けど、まさか本当に調べていたとはな……少し侮ってたな)
灰原からすれば、この二人はいわば隠し球。
その存在すらも調べられていた事に僅かな恐怖を覚え、尊敬の念を抱く。
「スカウト……ではないですよね?」
「声だけは掛けといたぞ、体育科ではないけど」
「そういうのもアリなんですね……」
体育科はスポーツ推薦で入学した生徒しか入れない。その為この二人は普通科だが、実質的にはスカウトしたのと同義。
「二人は仲良いの?」
「生まれる前からの幼馴染です!」
浜矢にそう尋ねられると、石川は満面の笑みを浮かべながら答える。
「どういう意味?」
「親同士が仲良くて、家も隣なんですよ! だから生まれる前からずーっと一緒にいるんです!」
「へー……すごいな」
幼馴染という存在に馴染みのない浜矢は、長年も同じ人間と仲が良いのが想像できなかった。
「二人とも至誠を選んでくれてありがとうね! これから一緒に全国目指して頑張ろう!」
「はいっ!」
「はい」
(……なんか監督みたいな発言してるな)
浜矢は口にはしなかったが、心の中ではツッコんでいた。
事実千秋は昨年の大会を終えてから灰原と共にスカウト候補のリストアップをしており、ただのマネージャーという立場ではなくなっていた。
「さっそく実力を見てもいいかな? 特に石川さんはほとんどのポジションを守れるし……」
「はいっ! それと呼び捨てでいいですよ! ハマ先輩も!」
「う、うん」
(ハマ先輩……? 距離詰めるの早いな)
しかし後輩に懐かれていることに悪い気はせず、その呼び方を受け入れる。
そして石川と伊藤の守備と打撃の実力チェックが始まった。
「じゃあノックからいくよー!」
「はーい!」
千秋はノックバットを持ち、記憶している石川の守備範囲を頭に思い浮かべながら緩い打球を打つ。
前後左右に揺さぶりをかけじっくりと実力を見極めていく。
「他のポジションもやってもらっていい?」
「了解でーす!」
ショート、サード、センター……バッテリー以外の全ポジションの守備力を把握する為にノックを続ける。
(やっぱりセカンドが一番かな……でも他のポジションも上手いし、起用するなら代打か代走からの守備固めかな? スタメン併用でも良いかも)
自分の頭の中で起用法を考える千秋の目は、指揮官そのものだった。灰原の采配は結構アレなところもあるので、千秋が指揮官を兼任しても良いのかもしれない。
「じゃあ次は彗ちゃん! 伊吹ちゃんマウンドに立って、灯ちゃんと……耀ちゃんが二遊間ね!」
「はい」
(いきなり肩と送球を見るのか……気合い入れよう)
伊藤はキャッチャー前に転がされたボールを捕球し、素早く二塁へ転送する。
そのボールの弾道は低く、投手が屈まなければ避けられないほどだ。
「ナイスー! やっぱ彗の肩強いね!」
「ありがと」
(肩が強いのは勿論だけど、送球の精度と捕ってからの速さも良い……! 控えにしておくのはもったいないなぁ)
打撃も守備も全国クラスの鈴井が正捕手の座を掴むのは確定だが、伊藤も他校では正捕手になれるレベルだと千秋は確信していた。
今の一瞬で肩だけではなく、送球までの動作や体の使い方まで見ていたのだ。
「二人とも守備上手いね! 次は打撃も見せてもらってもいいかな?」
「りょーかいです!」
「分かりました」
(灯ちゃんは元気だね、彗ちゃんも落ち着いてるけどコミュニケーション能力に問題は無さそうかな)
新入部員がチームの雰囲気に馴染めそうか否かまでチェックする千秋その様子を見て何を考えているのか察した鈴井が苦笑いをしているのには、彼女は気付かなかった。
「打撃はあんまりだな……」
「二人ともそこがネックなんだよねぇ」
打撃練習を観察する浜矢と千秋。二人の言葉通り、伊藤と石川は守備は良いが打撃が弱点だ。
「灯ちゃんは内角が苦手、彗ちゃんは外角が苦手なんだよね」
「フォームが崩れてる感じあるな」
「けど、あれくらいなら直せると思う!」
(二人ともポテンシャルは高いから、ちゃんと指導すればかなり打てそうな気はするかな)
千秋も既にさ年間の育成プランを立てていた。
自身は二年しか一緒にいられないが、最後の一年は灰原に託そうと考えている。先程灰原の采配がアレだと言ったが、育成に関して彼女は間違えない。
「二人はどうして至誠に来てくれたの?」
打撃練習を終えた二人に、ドリンクとタオルを渡しながら千秋が尋ねる。その問いかけに二人は息を整えてから答える。
「私は監督と鈴井先輩が憧れだったので……お二人に指導をしていただきたく入学しました」
「私は彗と一緒ならどこでも良かったんで!」
(また鈴井目当てのが来たのか……いつからこんな人気になったんだ?)
三好に続き二人目の鈴井のファン。要因として思い当たるのは昨年の活躍くらいだが、ここまでの人気が出ると浜矢は信じられなかった。
「ちなみに鈴井のどこが好きなの?」
「一番は守備の動きですね、あの無駄のない動きと判断力、それにあの送球精度の高さは憧れです」
「なるほど……」
浜矢も鈴井の守備は綺麗だと思っているので、見惚れる気持ちも分かってはいる。ファンではないが。
そして石川はというと、その話を少しつまらなそうに聞いている。
「灯ちゃん?」
「聞いてくださいよ! 至誠に入学が決まってからずっと鈴井先輩と監督の話するんですよ! 私というものがありながら!!」
「ごめん、でも一番好きなのは灯だから安心して」
「……なら許す!」
(我が幼馴染ながら、ちょっと心配だな……)
石川の単純さに不安を隠しきれない伊藤。その場にいた千秋や浜矢も似たようなことを考えていた。
石川は見た目こそ派手で友好関係が広そうなイメージがある。実際広いのだが、伊藤が不動の頂点に君臨しているので伊藤に好きと言われるとすぐ大人しくなる。つまり、かなりチョロい。
「結構部員増えたな〜……十四人?」
「去年から一気に増えたね、それに灯ちゃんが居るから疲労の心配も無いし」
ユーティリティープレイヤーである石川が居ることにより、疲れの溜まっている選手を休ませることが出来る。石川がカバー出来ない投手は洲嵜と神宮が、捕手は伊藤が控えているという無敵の布陣だ。
(これなら今年も全国はいけるかも……あくまでも投手次第だけど)
高揚した気持ちを抱えながらも、多少の不安は持っている千秋。
絶対的エースであった中上の卒業により今の至誠にはポテンシャルは十分だが荒削りな浜矢、実力はあるがスタミナにやや不安のある洲嵜、球威は抜群だが制球面が課題の神宮しかいない。
「美希ちゃんが鍵かなぁ……」
「呼んだ?」
「わっ、聞いてた?」
「うん」
小声で呟いた言葉を当事者に聞かれてしまい、驚きで肩が跳ね上げる。
「今の投手陣ってみんな一長一短って感じだから、美希ちゃんのリード次第かなって思って」
「やっぱり中上先輩の穴は大きいよね……頑張ってみるよ」
「ごめんね? こんなに負担かけちゃって」
千秋が謝ると、鈴井は気にしなくて良いと言った。それには捕手だからこその理由があった。
「自分の実力が試されてるみたいで楽しみだし」
「ふふ、やっぱり美希ちゃんは頼もしいね!」
笑みを浮かべながらそう言う鈴井の顔を見て、自分の不安は杞憂だったと知る千秋。
早速投手陣の育成プランについて話し合う二人を、浜矢は苦笑いをしながら見ていた。
(これは……かなり厳しい練習させられそうだな)
そう思う浜矢の表情にも楽しさが滲み出ていた。
鈴井と千秋を見て、浜矢の心にも火がついたのだ。