「つーばーさ! 部活いこー!」
「……声デカい」
放課後の始まりに、山田の大きな声が響き渡る。
クラスメイトは既に慣れているので、その声に驚く事はあっても目線を送る事はなかった。
「悠河は……居ないんだったな」
「悠河も風邪引くんだねぇ」
「馬鹿は風邪引かないってやつか……沙也加も気をつけろよ」
部屋分けは山田と菊池が220号室、青羽と金堂が221号室だ。
同じ部屋である山田が一番風邪を警戒した方がいいのは明らかだ。
「聞きたいことがあんだけどさ」
「なにー?」
青羽が少し言いにくそうに話し出すが、山田は普段通りの反応を返す。
「沙也加は、四番になりたいか?」
「……なれたら良いと思うって感じかな」
一瞬間を開けてから、少し寂しさと悔しさの混じった表情で言う。
その表情を見た青羽は聞いてはいけないことを聞いたか、と内心焦った。
「私じゃ柳谷先輩みたいにはなれないから」
「……別に、あの人の真似をしなくてもいいだろ」
確かに柳谷は凄かったが、選手にはそれぞれ自分だけの打撃スタイルがある。それを曲げて四番になるつもりは、青羽にはない。
自分のスタイルを貫き通して四番を掴み取ろうとしている。
「なら私が四番取るけど」
「……平気?」
(コイツ……どういう意図で言ってるのか分からないんだよな)
単に言葉が足りないだけの可能性もあるが、こういう時の山田は何かしらの意図があって発言している。
「別にあの人と全く同じ成績を残す必要なんてないだろ」
「そうだけどさ、やっぱり比べられたりとか……」
普段後輩の前では見せない不安そうな表情。
そんな表情を、同じ四番候補の立場である青羽には見せる。
「そんな事気にしてんのかよ」
「いやーだって柳谷先輩が凄すぎたからさ」
柳谷は神奈川の球女で知らない人は居ないというレベルの有名人だ。当然、県外から来てその事を知った二人も尊敬の念を抱いていた。
純粋なパワーがあるだけではなくミート力も兼ね備えた柳谷は、山田にとって憧れの存在。理想の打者だった。
「じゃあ沙也加は私が四番になっても良いのか?」
「正直それでも良いかな……自由に振りたいし」
山田の打撃スタイルはどんな時でもフルスイング。
ランナーの状況や脚などを考慮して、ケースバッティングも出来た柳谷とは正反対のスタイル。
「けど、翼も四番なんて出来るの? 私と同じで確実性は無いじゃん」
「だからこれから鍛えるんだよ、今までの自分を変えるんだ」
長打狙いのスタイルは変えずとも、打席への臨み方は変えられる。自分らしさを残したまま至誠に相応しい四番になろうと決心していた。
「仮に私が打てなかったら、沙也加が決めてくれ」
「……そうだね、二人並んでたらピッチャービビるよね!」
全国でもトップクラスの長打力を誇る二人。
仮に四番と五番に並んでいたら、相手からしたら堪ったものではないだろう。
「そうなると三番は神奈かな?」
「……凄い嫌な打線だな」
近い内に実現するその打順を思い浮かべ、苦笑いをする青羽と山田。二人の目にはもう迷いは無い。
放課後、真っ先に浜矢に駆け寄る二人。
「てな訳で伊吹! 相手頼むよ!」
「すみません、今からウエイトするんで洲嵜に頼んでください」
「じゃあしょうがないか、真理ー!!」
浜矢が駄目だと分かると、すぐ洲嵜に声を掛ける山田。その声に反応してボールを持ちながら歩いて向かってくる洲嵜。
「何ですか?」
「フリー打撃手伝って欲しいんだ」
「私でよければお受けします」
洲嵜がマウンドに上がり、相方である伊藤が構える。何球か投球練習をした後に山田を呼ぶ。
「本気で来てよ!」
「それは勿論です」
洲嵜も伊藤も、先輩だからと手を抜くような生温い環境でやってきていない。常に真剣勝負だ。
(山田先輩はインハイとアウトローが得意……インローにストレートよろしく)
(了解、しっかり投げるよ)
技巧派で制球重視の洲嵜であるからこそのリード。
伊藤の意図を読み取り、しっかりと内角低めにストレートを投げ込む。
「良い球だね〜」
初球は見逃して伊藤がストライクを宣告する。山田の言う通り、構えた場所にズバッと決まる良いストレートだ。
次に出したスクリューのサインに洲嵜は首を横に振る。バッテリーを組んで日が浅いので少し考え込んだ後、パームのサインを出すと頷いた。
(何がくるかな……スラーブ?)
山田は外角のスラーブにヤマを張る。
しかしそのヤマは外れ、ストライクからボールになるパームに空振りさせられる。
「おいおい、打てよ?」
「大丈夫! ツーストライクからが本番だって!」
実際、ツーストライクからの山田は三振も多いが長打を打つことが多い。
追い込まれてから本領を発揮できるタイプだ。
(だからこそ四番は向いてないんだけど……追い込まれると相手を勢いづけちゃうし)
洲嵜と伊藤が選んだ次の球はパームだった。
スイングする直前までバットを出したが、ギリギリの所でバットを止めた。
「ひ、耀ー! どっちだと思う?」
ベンチの前で素振りをしていた三好に判断を求める山田。一瞬悩んでセーフのジェスチャーをする。
「よしよし、簡単に三振はしないぞ!」
「その割には振りそうだったけどな」
息を吐いて凛とした顔でマウンド上を睨みつける。
その表情に洲嵜は威圧感を感じながらも、決して動揺は見せなかった。
(最後はストレート、いくよ)
インハイに構えた伊藤のミットをノビのあるストレートが襲う。
山田はそれに狙いを定めてフルスイングをするが、そのバットから快音が響くことは無かった。
「くっそー! いいストレートだったよ!」
「ありがとうございます」
(伊吹ほどではないがノビは感じた……あまり威力は無さそうだったな)
次に打席に入る青羽は、洲嵜の球質や球筋をじっくりと見ていた。
青羽は相手を打ち崩すイメージを持ってバッターボックスに足を踏み入れる。
「さあ来い」
「では遠慮なくいかせて貰いますね」
(この人も長打力があって内角が得意だ、コースギリギリを慎重に攻めよう)
サインに頷きグラブの中のボールを見つめる。
慣れた手つきでお目当ての球種の握りをし、ゆっくりと振りかぶって初球を投げる。
「っ、本当にいい球を投げるな」
「ですよね、受けてる方も楽しいです」
一球目はスクリューで空振り。
手元でグッと曲がりながら落ちるスクリューには手も足も出ないといった様子だ。
(これで一年か……よくこんな選手がウチに来たな)
実際洲嵜の元には十何校もの野球名門校からの誘いが来ていた。
それでも至誠を選んだのは、神田に対する失望や期待、理由を暴きたかったからに過ぎない。
もし神田との確執がなければ至誠は選ばず、どこかの甲子園常連校にでも進学していただろう。
ファールやボールを挟みつつ、並行カウントとなり迎えた六球目。選ばれた決め球は、洲嵜が得意としている絶滅危惧種のパームボール。
真ん中から緩やかに落ちてボールになるその球は、そう簡単には打たれない。
だがグラウンドには金属の甲高い音が響き渡り、白球は外野フェンスの手前まで飛んでいった。
「……これはヒットでいいだろ?」
「はい、完敗です」
青羽は低めの球を上手く掬い、レフトオーバーのヒットとなった。完璧な制球を意識した洲嵜の技術を、青羽の技術とパワーが上回った。
(やはり球に威力は無いな……当てられたら飛ぶタイプか)
逆に言えば躱す投球を得意とするタイプ。
当てられさえしなければヒットになる心配もない、そんな投球スタイルで洲嵜は東京No.1左腕の称号を手にしたのだ。
「いきなりごめんね、楽しかったよ!」
「本当にいきなりだったからな……ありがと」
「いえ、こちらこそ反省点も見つけられましたし勉強になりました」
深くお辞儀をする洲嵜と伊藤の二人。
育ちの良さが出ていると山田と青羽は感じた。
「伊吹ちゃんもあれくらい投げられないとね」
「じんぐーもいるし、負けられないな」
グラウンドの外で筋トレをしていた浜矢と鈴井が、洲嵜たちの対決を見て感想を話し合っていた。
「けど私も秋冬で結構良くなったっしょ? 球速も上がったし制球も前よりは効くようになったし」
「それでもまだノーコンだけどね、やっと人並み程度にはなったかな」
鈴井が浜矢に対して人並み、と言ったのはこれが初めてだ。つまりかなりの高評価をしているのだが、付き合いの長い浜矢は当然それを分かっている。
(相変わらず素直じゃないな……まあ、その分褒められた時が嬉しいんだけど)
だから浜矢も積極的に褒められようとはしない。
その意図を鈴井が知る由は無かった。
一方その頃、会議室で灰原と千秋が今後の予定について話し合っていた。
「この時期はやっぱり練習試合を組みますか?」
「だな、合宿前に実力は把握しておきたいし」
「なら良い方法があるんですけど……」
千秋の言う“良い方法”を聞いた灰原と小林は、顔を見合わせて笑顔になる。