今年も神奈川県予選が始まった。
二日目の第一試合は市大藤沢の試合となり、至誠ナインはテレビの前で観戦していた。
《さあピッチャーゆっくりと振りかぶって……投げた! 内角の球に詰まらされ……最後のアウトが宣告されました!》
「……決まったな」
「うん、予想通り初戦の相手は市大藤沢……」
市大藤沢が初戦を5回コールド勝ち。
10対0と圧倒的な実力を見せつけた。
「思ったより手強そうだね」
「ならやる事は一つですね! 作戦会議をしましょう!」
千秋がニコニコしながら、かき集めたデータの詰まったタブレットの画面をモニターに映し出す。
「まず注意すべきはエースと四番です」
「喜多と古野か……」
千秋がタブレットを操作し、エース兼二塁手である喜多のデータを出す。
「ナックルカーブを軸に投球する技巧派投手ですが、注意すべきは打撃の方です」
「確か高校通算28本だっけ」
「はい! ミート力も高くてフィールディングも良いので、正直野手として出てきた方が厄介ですね」
そう言ってセカンドとして出場した喜多の映像を見せる。細身ながら鍛えられた肉体だ。
二遊間を襲う痛烈な打球に滑り込みながら追いつき、すぐさま体勢を直し正確な送球をする姿が映し出された。
「上手いな……動きの一つ一つが綺麗だ」
「打撃の方も、対左にもチャンスにも強いので抑えるのは難しいですね」
「得点圏で回しちゃいけないって事か」
浜矢は強敵と闘える事を楽しみにしているようだ。
次は投手としての喜多の映像が流れた。
「ナックルカーブ、変化は小さいね」
「けどストレートはノビがあるし、奪三振能力に長けてるよ」
「……これ見た感じだと、野手の方が厄介ってのは分かるな」
(良い球を投げてるとは思うけど、怖くはないんだよな……)
同じ投手である浜矢は喜多の投球を的確に評価していた。
喜多は投げてる球は良いが強打者は抑えられない選手、そこを勿体無いと評する野球関係者も多い。
「てか球遅いな」
「けとリリースはどの球種でも一緒なんだよね……なんか変な投手」
「あはは……纏めると、喜多さんは投手より打者として警戒した方がいいです」
高卒でプロ入りするならば間違いなく野手転向をする、千秋はそう締めくくった。
続いて四番である古野の映像を移す。
「古野さんの特長はなんと言っても長打力! これを見て下さい」
アウトローの緩い変化球を容易くスタンドイン。
それがどれだけ難しいことかはこの場の全員が知っている。長い沈黙を経て金堂が口を開く。
「けど、確か左は苦手なんだっけ?」
「そうです! そこを考慮すると、市大藤沢との試合は真理ちゃん先発にしようかなぁと」
「そういう事でしたら投げますよ」
四番を封じ込めれば幾分かは楽になる。
至誠の初戦の先発投手は洲嵜に決まった。
「せんしゅー、喜多は先発しそうなの?」
「多分……初戦は二番手だったし次は喜多さんでくるとおもう」
「投手喜多の弱点は?」
浜矢に聞かれると千秋は、喜多についての細かなデータを出す。そこにはカウント別の被安打数や四死球率なども書かれていた。
「これを見て貰えば分かると思うんだけど、対左時の被安打が多いね」
「左が苦手なんだ」
「うん、だから左の子はスタメンで出すからね!」
千秋がそう言うと荒波と石川がガッツポーズをし、二人の騒ぎっぷりを見て呆れた顔をする三好。
スイッチヒッターである彼女もスタメンは確約されている。
「センパイ! 私はポジションどこですか!?」
「実はどうしようか迷ってるんだけど、ライトかセカンドかな」
「ならセカンドやっていいよー、私は左そんな得意じゃないし」
三年生は最後の夏である、それを知っていながら菊池は後輩にスタメンを譲った。
それには流石の石川も驚きを隠せなかった。
「えっ!? 流石に先輩が出た方がいいですよ!」
「喜多みたいなタイプほんと苦手なんだって、そんなのが1番に座ってても邪魔でしょ? だからイシに任せたよ」
その代わり初戦以降の試合は私が出るから、と笑顔のまま言い切る菊池。
「……千秋先輩、セカンドで出てもいいですか?」
「もちろん! 菊池先輩、ありがとうございます」
「いいっていいって、チームの勝利の為だよ」
(そう思っても実行に移すのは難しいんだけどね……)
口にはしなかったが、金堂は菊池を褒めていた。
自分が同じ立場に立ったら同じ事が出来るか、確実に出来ると言える自信は金堂には無かったからだ。
「スタメンは決定した、ならやる事は決まってますよね?」
「……練習するよ!」
「おー!!」
千秋の問いかけに金堂が立ち上がって指示を出すと、他の部員が一斉に叫びグラウンドへ一目散に向かう。去っていく後ろ姿を眺め灰原と千秋、小林は笑い合った。
「まずは当日のスタメンでノックするぞ、残りは千秋からメニューを聞いてくれ」
「じゃあ明日のスタメン発表しますね!」
千秋から市大藤沢戦のスタメンが発表される。
一番セカンド 石川灯
二番ショート 三好耀
三番ファースト 金堂神奈
四番レフト 青羽翼
五番サード 山田沙也加
六番キャッチャー 鈴井美希
七番ライト 荒波友海
八番センター 岡田早紀
九番ピッチャー 洲嵜真理
打力的にはどんぐりの背比べだが、岡田の方が脚がある分内野安打が期待できるとのことで、洲嵜が九番に置かれた。
「てか私のとこに友海入れて、灯はライトじゃダメだったんですか?」
「市大は長打力があるチームだから、できる限り外野は守備重視で起用したかったんだ」
疑問に思った岡田が千秋に尋ねると、考え抜かれた理由を返される。
石川はあまり肩が強くなく、更に本職ではない分荒波や岡田と比べると外野での守備範囲は狭い。
「それに公式戦でのエラーは怖いからね、緊張している初戦では本職で出してあげたかったんだ」
「そんなとこまで考えてるんですね……」
チームの初戦でミスをすればその後のプレーに影響が出る可能性がある。
いくら本職ではないと言っても、ミスをした本人は引きずるだろう。
そこを考慮してセカンドで石川を起用した。
「さっ! ベンチメンバーもやる事はあるからね! 伊吹ちゃんと空ちゃんは的当て、野手陣は室内でマシン打撃しよう!」
「道具を運ぶのは手伝いますよ」
「先生! ありがとうございます」
小林がボールの入った籠を室内練習場に運び込む。
普段から授業に必要な道具を運んでいる彼女は、見た目とは裏腹に力持ちだ。
「伊吹ちゃんと空ちゃんは向こうね、ちゃんとネットで仕切っておいてね」
「はいよー、じゃあ神宮キャッチボールやろう!」
「はいっ!」
投手の二人は千秋お手製の的で投球練習。
九分割にされた的を狙って投げる事で制球力の強化に繋がる。
「野手はノック……って言っても彗ちゃんと菊池先輩しか居ないんですよね」
「その分いっぱい受けられるからよし!」
「キャッチャーは普段ノックの本数少ないので有難いです」
普段の練習でのキャッチャーゴロやキャッチャーフライの本数は少ない。
しかし今は満足いくまでノックを受けられる、それは1年生で成長中の伊藤にとって有難い事だった。
「二人とも50球投げ込んだらこっちに来てね!」
「はーい」
ピッチャーは九人目の野手とも呼ばれるポジション、フィールディングを鍛えるのは大切だ。
因みに二人ともフィールディングには自信がある。神宮は俊足だし反射神経も良いのでバント処理が上手く、浜矢も投手の時ならフライの処理も危なっかしくない。
「じゃあノック始めますよ!」
「しゃーこい!」
「ノーミス狙いますよ」
千秋によるスパルタノックが始まった。
軽やかな動きでどんな球でも捕る菊池、派手さはないが正確かつ丁寧に守備をこなす伊藤の二人。
(菊池先輩は守備は文句なし……彗ちゃんも捕ってからが速い)
動きを見て脳内でデータを更新していく千秋。
灰原のデータ収集力、千秋の観察眼があるから至誠の選手は実力を100%発揮できる。
グラウンドでは灰原による厳しいノックが行われていた。
「サード! 今の前に出なかったら捕れたぞ! 何でも前に出ないで状況判断しっかりな!」
「すみません! もう一回!」
「次は捕れよー……ナイス! 今のだよ今の!」
守備範囲ギリギリを狙い強い打球を打つ、彼女のやり方は実力はつくがその分疲労も溜まりやすい。
「セカン! よーし、石川いいぞ! その感覚を忘れるなよ!」
「はいっ!」
このノックでは内野を集中的に鍛えていく。
打球が多く来るのは内野なのだから、その内野を鍛えるのは大会を勝ち進むんでいく為に必要不可欠だ。
「外野もいくぞ! 捕ったらすぐバックホームな!」
「こーい!」
高く舞い上がった打球を助走しながらキャッチし、その勢いのまま捕手の鈴井へ矢のような送球。
「岡田いいよ、完璧!」
「ありがとうございまーす!」
(岡田の守備は問題無し、どころか全国トップクラス……それだけに打撃がなぁ)
練習試合での成績は26打数5安打、打率.192。
守備では素晴らしいプレーを連発していたが、流石にこの打撃は何とかしなければならないと監督は思っていた。
(まだ一年だし打撃を集中的に鍛えて、三年になる頃にはまともに打てるようにしたいな)
育成プランは既に立ててあるが、その通りにいかないのが野球だ。
監督はしっかりと個人を見て適切な指導をしようと決意した。
「はい終了! みんな片付けるよー!」
「千秋さんは少し休憩しましょう、私が代わりにやりますよ」
「でも皆が動いているのに私だけ休むのは……」
「こうでもしなければ、千秋さんは絶対に休まないでしょう?」
小林の言っている事はもっともだ。
部活が休みの日も他校を研究し、時には現地に赴いてまでデータを収集する。
千秋は生徒でありながら、灰原や小林と同レベルの作業量をこなしている。
「そうそう! せんしゅーは休みなって! これもトレーニングだから」
「伊吹ちゃん……ごめんね?」
「謝るんじゃなくてお礼言ってほしいな〜」
「……ありがとう」
浜矢の気遣いが千秋の心に染み渡る。
ほんわかとした空気の中、片付けは終わりスタメン組と合流。情報を共有して本日は解散となった。
「先生もありがとうございました」
「試合になると出来る事がないですし、練習くらいは手伝いますよ」
「千秋がお礼言ってましたよ」
「ふふっ、お礼を言うのはこちらの方なのに……」
小林は千秋に野球について教えて貰った、というよりも千秋の近くにいる関係で自然と知識が耳に入ってきていた。
ルールも分からなかった最初の頃に比べ、今は専門用語も少しずつではあるが覚えてきた。
「皆さん頼もしいですね」
「高校生の成長速度って怖いですよね」
「本当にそうですよ、金堂さんだって初々しいと思っていたのに今じゃキャプテンしてますから」
小林は金堂を一年生の頃から見守っていた。
家庭科教諭であるが故に、様々な学年を見守れる。
(あまり主張しない子だと思っていましたが、あんなに周りを引っ張っていける力があったんですね……いえ、その力が身についたんですね)
高校生の成長速度は目を見張るほど速い。
少し見ないうちに大人びるのはこの時期の子供にはよくある事だ。
「浜矢さんたちの成長も楽しみです」
「あの三人は一番成長しますよ、野球も精神も」
「でしたら、私たちはそれを支えてあげないといけませんね」
「ええ」
生徒を評価するのは大人の役目。
二人の大人は、自身の教え子を高く評価していた。