市大藤沢の選手は地に膝をついて泣き崩れていた。
来年であればベスト16争いには食い込める、それが今年は二回戦負け。
至誠でなければとベンチ外の選手の多くは思ったが、スタメン組は違った。
二回戦でなくともいずれ戦っていたであろう相手。
そこを勝たなければ優勝は無いのだから、至誠でなければというのはただの言い訳だと。
市大藤沢ナインは自らの実力不足を悔やみながらも、最後まで勝利を信じて声援を送ってくれた観客に一礼する。
至誠ナインがグラウンドから出て灰原を待っている最中だった。
「金堂」
「喜多……久しぶり」
「覚えててくれたんだね、嬉しいよ」
喜多と金堂は同じ東京都中野区出身で、一度ではあったが対戦した事もあった。
「流石に覚えてるよ、昔から有名だったんだから」
「それは君の方だろう? 東京の安打製造機なんて呼ばれてたじゃないか」
「私なんて打率だけの打者だよ、殆ど単打しか打てないし」
その打率をキープするのがどれだけ難しいのか、喜多はそう思いはしたが口にする事はなかった。
喜多はその端正な顔を歪ませて、今にも泣き出しそうな表情で呟く。
「……一度くらいは勝ちたかったよ、君に」
「喜多……」
中学での対戦成績は4の4で金堂の圧勝。
試合も5対2で敗れ個人でもチームでも負けた相手だ。
「けど、君が至誠に入って腐らなくてよかったよ」
「ちょっとそれどういう意味?」
「至誠は体罰事件があったからね……もしかしたら君の才能が傷付けられる事があるかもと、少しだけ危惧してたんだ」
体罰事件があったのは金堂が入学する二年前。
たった二年間で体制が変わる筈がない、喜多はそう考えていた。
「けど杞憂だったみたいだね、まさかあの灰原選手が監督をやっているとは思いもしなかったよ」
「じゃなかったら入学してないよ」
「だね、君は合理的に物事を考えるタイプだ」
「……それはお互い様じゃない?」
喜多も自身の性格やプレースタイルを自己分析し、一番自分に合っている高校を選んだ。
その高校の強さではなく、自分らしくプレーできるか。それを喜多は重要視していた。
「私たちってもしかして似てるのかもね?」
「私と君が似ている? そんなに自分を卑下する事ないよ」
「卑下してるのはそっちだよ……喜多と似てるって言われたら嬉しいよ」
「そうかい?」
喜多は野球も文句無しで上手いが、学業面も優秀だ。小中と成績はオール5をキープし続けた秀才。
そんな人と似ていると言われたら嬉しくなるだろう。喜多は何故これだけの結果を出しておきながら自己評価が低いのか。
「そろそろ時間だ、最後に聞かせてくれ……君はプロを目指しているのかい?」
「勿論だよ、喜多は?」
「…………そうだね、私も高卒でプロを目指す事にしたよ」
金堂がその返答について疑問をぶつけようとしたが、喜多は気にせず自らが率いるチームの方へと歩いていった。
(自分がまだこんなに熱くなれるとはね……彼女とまた、プロで戦いたいと思うなんて)
喜多は高校で野球を辞めようと考えていた。
両親を始めとした周囲は、彼女の頭脳に価値を見出していたからだ。
(市大で自分らしくプレー出来た……なら今度は、自分らしく生きるんだ)
その後ろ姿を見送った金堂は、自然と口元が緩んでいた。
何か言われた訳ではない、だが喜多が何故あんな発言をしたのか。
あの発言に隠された意味を読み取ったからだ。
(私と戦う事に執着してくれたんだ、あの完璧超人の喜多が)
「神奈」
「翼? ごめん今行くよ」
青羽に呼ばれ至誠のナインが集まる場所へと向かう金堂。
高校の間に会う事は恐らくもうないが、それでも彼女達はお互いの存在を忘れる事はないだろう。
学校に戻り他校の試合を観戦し、至誠の次の相手である三回戦の相手を確かめる。
「三回戦の相手は京王義塾! まさかここで当たるとはね」
「かなりの激戦が予想される、気を引き締めていこう」
昨年は準決勝で当たった京王義塾高校。
二・三回戦と強大な相手との戦いが続く。
「京王の四番はセンターの米原さん、魔術師という異名を持つ守備職人です」
「だが打撃も素晴らしいぞ、昨年の秋から打率は5割台をキープして本塁打も多い」
右投右打の大型外野手、京王義塾の米原。
本人は自身を守備型と評するが、打撃も全国トップクラスだ。
「京王は打撃型のチーム……一番から九番まで気を抜かないでね、伊吹ちゃん!」
「任せとけ! 私が完璧に抑えてやる!」
「気合十分だな、なら今日は浜矢と野手陣でフリー打撃だ!」
監督のその言葉に反応し、一気にやる気になった三年生の強打者組。
浜矢も臆する事なく頬を叩いて気合を入れている。
グラウンドに移動し、まずは一番打ちたがっていた金堂との対決。
「好調の金堂先輩が相手……どうする?」
「フォーク投げるのは怖いんだよね、多分狙われてるから」
「かといってストレートは得意だし……なら」
“スライダーで攻めよう”
同時に同じ言葉を発した二人は、一瞬の間を開けてからニヤッと笑い合った。
(二人は何話してたんだろう、まぁどんな球きても打つけど)
打席で待ちぼうけをくらっていた金堂は、そんなのは気にせず打つ気満々であった。
しかも自分が打てると信じて疑わない。打率5割越えの東京の安打製造機は格が違う。
(初球はどうする?)
(……ストレート、絶対コントロールミスらないでね)
サインに頷いてから一つ息を吐く。
心を安定させてから初球のインハイへのストレート。
高めにノビのあるストレートを投げられたら、流石の金堂でも対応出来ないのか空振り。
「相変わらず良いストレートだね」
「ありがとうございます」
あの金堂がストレートに空振りをした、その事実に三年生がどよめいた。
「神奈って空振ることあるんだな」
「久しぶりに見た気がする〜」
「伊吹も凄くなってるんだなぁ」
三年間見続けてきた三人ですら、金堂の空振りを滅多に見たことはない。
彼女の類希なミート力の高さが分かる。
(まさかこの私が直球に当てられないとはね……さすが伊吹)
当人もまさか当てることすら出来ないとは思っていなかった。
後輩がここまで成長していた事に驚きつつも、素晴らしい投手と対戦出来て愉しそうにしていた。
(多分もうストレートは通用しない……ならボール球のフォークで)
アウトローにボール球のスライドフォーク。
金堂はバットを止めワンボールワンストライクとなる。
(今の振らないか、先輩も打撃スタイル変わったかな?)
(どうする? ボール球投げらんない?)
(……いや、まだ手はある)
同じコースにスライドフォーク、しかし今度はストライクになるように投げる。
今度はバットを振り抜いてファール。
(ツーエンドワンか、ここはボール球投げてくるかな?)
(もうボール球は投げないよ、最高の球をお願い!)
真ん中から外に逃げていくスライダー。
ボールではないと判断した金堂は当てにいくが、力の無い打球となりファーストゴロに終わる。
「ナイスボール、完敗だよ……美希も良いリードだったね」
「正直、最後の球当てられるとは思ってませんでしたよ」
「金堂先輩! 対戦ありがとうございました!」
高校通算打率6割弱の金堂を抑えた、それは浜矢と鈴井にとって大きな自信が付くものとなった。
浜矢が一日に投げていい上限の球数までフリー打撃を続ける。
その後は神宮と洲嵜が交代で投げ、実戦形式で練習をする。
打撃型の京王義塾だ、打球速度の速さについて行けるよう青羽や山田が多く打席に入った。
「よし終わり! しっかり休んで明日に備えろよ!」
「あざしたー!」
練習が終わると寮生が中心となって片付けを始める。帰宅に時間がかかる部員を気遣っての行動だ。
その一方でバッテリーは明日の試合について話し合っていた。
「伊吹ちゃん、調子は良さそうだね」
「洲嵜には負けてられないからな、合わせてきた」
「そっか、なら明日は完封してね?」
「出来る限り頑張るよ」
苦笑いでそう答える浜矢。
今の自分が成長したとは自覚しているが、それでもあの京王を完封出来る自信があるかと聞かれれば答えはNOだ。
「エース奪うんでしょ? だったらここでアピールしなよ」
「……そうだよな、京王だろうが何だろうが抑えてやる!」
「その意気だよ、私も抑えられるリード考えてくるから一緒に頑張ろう」
笑顔でハイタッチを交わすバッテリー。
二人の頭には「勝利」の二文字しか浮かんでいなかった。