君色の栄冠   作:フィッシュ

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第15球 ガラスのハート

神奈川県予選四回戦、藤銀学園対至誠高校。

彗星の如く現れた藤銀のエース竹谷と、中学から一部の者の間では有名だった洲嵜。

この両投手の投げ合いを見る為に多くの観客が集まっている。

 

「竹谷から大量得点は難しいだろうし、頼んだぞ」

「はい、完封する気で投げてきます」

 

灰原に背中を押され洲嵜がマウンドに立つ。

まだ誰にも荒らされていない、投手の仕事場。

そこに立った時の快感は、何物にも代え難い。

 

「藤銀学園はどんなチームなんですか?」

「高い守備力を誇るチームですが、打撃もそこそこ良いですね」

「守備寄りのバランス型のチームですか」

「まあそんな感じですね」

 

灰原と小林がベンチで藤銀について話し合う。

毎年守備は県内有数だが、打撃は年によって違う。

今年の藤銀は昨年に比べれば全体的に打撃力が落ちた。

 

「今日の調子はどう?」

「結構良いと思う、コントロールも良いし」

「分かった、なら内角も要求するから」

 

今日のスタメンマスクは鈴井ではなく伊藤。

スタメンが発表された時、鈴井のファンである伊藤と三好は猛反発したが理由を聞いたら納得した。

 

「鈴井も休むのは珍しいよな」

「捕手は疲れるんだよ、それに彗も育てたいしね」

「監督みたいなこと言ってんな……」

 

鈴井の疲労回復と伊藤に経験を積ませる為、このような起用となった。

また伊藤に先発してもらう事により、配球を読まれにくくするという狙いもあった。

 

 

同い年バッテリーの方がお互い遠慮が無く、洲嵜も投げやすいし伊藤もリードしやすいのではないかという思いもあったが。

 

(今考えると二人とも、野球では遠慮しなさそうだな……まあ鈴井を休ませられるからいいか)

 

洲嵜も伊藤も礼儀は大事にするが、野球になると言いたい事は全部言う性格だ。

それは裏表が無いとも言われるし逆に性格が悪いとも言われる。

二人はお互いの思考を理解し合っている為、後者のように思うことはない。

 

(さてと、早速内角投げて貰うからね)

 

しなやかに振り下ろされた左腕から、糸を引くような直球が放たれる。

スピンのかかった球はただ真っ直ぐとミットだけを目掛けて走る。

打者は打てると確信しバットを出すが、ボールの下を振り空振り。

 

(これが洲嵜のストレート。浜矢とはまた違った球質……)

 

激しく空気を裂きながら進む浜矢の直球と、空気に乗っているかのような綺麗な回転をする洲嵜の直球。タイプは違うがどちらも一級品の直球だ。

その直球とキレのいい変化球をバランス良く投げ、初回は被安打ゼロの無失点に抑える。

 

「二人とも……特に三好、球数投げさせるのは任せたぞ」

「ラジャーッ!」

「任せて下さい」

 

菊池と三好の一・二番コンビが粘り打ちを任された。まずは菊池が打席に立ち、竹谷の球筋を見極める役割をこなそうとする。

 

ストレートとスラーブを投げられツーストライク。

その後も三球連続でスラーブを投げられるがファールで粘り、最後の一球だった。

 

(打てる!……っ!?)

 

低めに投げられた速球を打ち返そうとバットを出すが、ボールは急激に落ちてミットに収まる。

 

「スラーブばっか投げてきて、最後はスプリット……アレはヤバいから気をつけてな」

「はい」

 

スプリットに三振させられた菊池のアドバイスを聞き、三好が左打席に入る。

元々彼女は左利きであり、左の方が球を見極められるからという理由だ。

 

(ストレートは速いけど伸びはなさそう、スラーブも変化はそんなでもないけん……)

 

菊池が三振したボール球のスプリットも見極めバットを止める。

落ちる球にも平然とバットを止められる彼女の選球眼は確かにチーム随一だが、弱点はある。

 

(これは……サークルチェンジか!)

 

大きく変化するサークルチェンジにタイミングを外されセカンドゴロ。

三好の弱点とは、純粋な打撃能力自体は無い点。

基本は粘って四球で出塁、もしくは犠打や最低限の進塁打という選手だ。

 

「どうだった?」

「変化が思ったより大きいです、それとブレーキも効いててタイミングを合わせるのは難しそうです」

「まあ三好がカット出来ないレベルだもんな」

 

 

予想していたよりも手こずりそうな竹谷のピッチングに、灰原は頭を悩ませる。

 

(サークルチェンジを捨てて速球狙いにするか? いや、それだとスプリットを振らされるか……?)

 

それぞれの得意球や苦手球、打撃能力に選球眼を考慮して作戦をいくつか組み立てていく。

 

「まず一巡目は好きに打ってくれ、サインを出すのは二巡目からだ」

「私も賛成です」

 

灰原の発言に千秋が賛同し、まず一巡目は何もサインは出さない事になった。

 

(まずどれだけ対応出来るかを全員分見極める必要がある。一度負けたら終わりの戦い……大胆に攻めるのは、攻略の糸口を見つけてからだ)

 

灰原の言う通り一巡目は好きに振った至誠。

その結果は金堂以外はヒットを打てず、ましてや三振だらけという惨状に。

 

「言い出したのは私だけど、もう少し食らいつけるとは思ってたな……」

「ですけど、もう十分ですよね?」

「ああ、データは集まった……ここから反撃だ!」

 

灰原の声に声を出すナイン、その円陣に加わりながらも浜矢は。

 

(反撃って言ってもこれから守備なんだけど……)

 

正しいがここで口にするのは正しくない、そんな事を思っていた。

洲嵜が4回表のマウンドに上がり投球を始める。

パームを低めに投げ空振りを狙うが、ヤマを張っていたのか迷いなく振り抜かれる。

 

「セカン!」

「オッケー!」

 

強烈な打球が一・二塁間を襲った。

菊池はその打球に全速力で走り、追いつく。

まるで足にバネが付いているかのような、軽やかな動きでジャンプし一塁へ送球するが。

 

「やばっ……」

「彗! 二塁!」

「はいっ!」

 

送球は金堂の身長を遥かに超える高さに投げられた。

伊藤が急いでカバーをすると、彼女の肩の強さを警戒したのか二塁には進まれなかった。

 

「ごめん!」

「いえ、平気ですよ」

 

(今のは菊池先輩だから追い付けた打球……エラーしても仕方ない)

 

洲嵜は菊池を責めようという意思は無い。

今の打球は並の野手なら追い付けない、それに追い付けただけで素晴らしく守備が上手いことが分かる。

 

しかし世間は残酷で、今の一連のプレーだけを見て菊池は守備範囲は広いが送球は上手くないと評価してしまう人も多い。

並大抵の選手が追い付けない打球に追いつけてしまうが故に、エラーも増えてしまっているだけ。

 

「まだ一人出ただけだぞ! 集中!」

「はい!」

「はっ、はい!」

 

ベンチからの激励の声にハッとする菊池。

確かにノーアウトでのエラーは良くはない、しかしたった一人ランナーが出ただけだ。

 

(ここは洲嵜に頼るしかない。内野はゲッツーシフト敷きつつバント警戒)

(了解)

 

内野はゲッツーシフトを敷きながらも、バントをされたらチャージを掛けられるよう意識を持つ。

次の打者には六球を粘られ、甘く入ったスラーブをセンター前に弾き返される。

 

(流れが良くない……けど洲嵜なら、ん?)

 

灰原が洲嵜の異変に気付いた。

普段はマウンド上ではポーカーフェイスを崩さない洲嵜が、動揺した表情をし額に汗を浮かべている。

 

「タイム!」

 

(伊藤、行ってやれ)

(分かりました)

 

タイムを取りバッテリー間で会話を交わさせる。

 

「真理、平気? まだ点取られた訳じゃないし気負わないでいいよ」

「……うん、大丈夫」

「とにかく腕振って投げて、そしたら絶対打たれないから」

 

伊藤は洲嵜の頭を軽く撫で、キャッチャースボックスで構える。

軽く違和感を感じてはいたが、あの洲嵜なら平気だと思っていた。

 

 

――しかし、そんな考えは一瞬にして砕かれた。

 

ど真ん中に入ったストレート、それを右中間に運ばれる。

しかも向こうはヒットエンドランを選択しており、二塁ランナーだけではなく一塁ランナーも三塁を蹴る。

 

「っ、バックホーム!」

「おう!」

 

荒波が投げた送球は低くて鋭い、弾丸のような球。

風を切り裂きながらホームに一直線に届いたその白球を受け取り、伊藤がホームに突っ込むランナーにタッチする。

 

「……セーフ!」

「よっし!」

 

しかし掻い潜られてホームベースを陥れられてしまう。中盤の流れの悪い状況で2点先制タイムリー。

 

「……なあ神宮」

「な、なんですか?」

「洲嵜ってメンタル弱いのか?」

「え? 別に普通だと思いますよ、むしろ強かった気がします」

 

だが今の投球を見たらそんな事は言えない。

神宮もそれは分かっていて、発言してからは口を固く閉ざしている。

 

「もう一つ質問しよう、洲嵜は今まで打たれた事ってあったか?」

「打たれた事? うーん……小学校の頃は殆ど打たれませんでしたね」

「じゃあもう一つ、小学生の時に洲嵜に敵う打者はいたか?」

「居るわけないですよ、だって防御率0点台でしたもん」

 

今の三つの質問で灰原は全てを理解した。

 

「洲嵜は今まで打たれた経験が無く、同レベルの打者と対戦した事もない……そこから導き出される答えは」

「打たれる事に慣れていないから、いざピンチに直面すると動揺する」

「その可能性が高いな」

 

千秋と灰原が同じ意見を出す。

今まではピンチを作っても相手に格下しか居なかったから楽に投げられた、そしてそもそもピンチを作ることが滅多に無かった。

 

「そういうタイプのメンタル弱いかよ……」

「流石にこれは想定外でしたね」

 

頭を抱える灰原と、苦笑いを浮かべる千秋。

それはそうとしてこの状況を何とかしないといけない。

 

「浜矢、伝令行ってきてくれ」

「はーい、何話します?」

「何でもいいから好きな事話してこい」

 

(無茶振りにも程がある……言われたから行くけど)

(ここで一番洲嵜に効くことを言えるのは多分浜矢、任せたぞ)

 

浜矢がマウンドに向かって洲嵜と向き合う。

伝令に使える時間はたった30秒、浜矢はそれをフル活用しようと考えた。

 

「2点くらいウチの打線ならすぐ取り返してくれるから安心しろって! それにそんなウジウジしてると私がマウンド上がるぞ?」

「いや、まだ肩できてないじゃん」

「へへっ! ですよね、だから任せたぞ……エース」

 

浜矢が最後に真剣な表情でそう告げた。

ジョークで雰囲気を和ませ最後は決める、浜矢伊吹の人間性が全面に出ていた伝令だ。

 

(……私すぐ肩作れるから、普通に投げられたんだけど。まあここは洲嵜に譲るか)

 

ジョークのように聞こえた言葉は、実は本気であった。

 

(浜矢先輩は確か10球前後で肩を作れる、投げようと思えば投げられた。それなのに私にマウンドを譲ってくれた……)

 

同じ投手として共に練習をし、何度も技術について語り合った2人。

肩を作るのに何球を要するかも当然知っていた。

 

(……その恩は、ここを抑えることで返す)

 

浜矢の言葉で心に火が付いたガラスのエースは、まるで別人のような投球を見せた。

否、寧ろこれが本来の投球である。

洲嵜は後続をしっかり絶って大量失点は防いだ。


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