君色の栄冠   作:フィッシュ

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第19球 エースの背中

浜矢は初球を投げる前に一つ息を吐く。

彼女の数あるルーティンの内の一つだ。

左脚を引きそのまま上げ、グラブで一回膝を叩いてから投球する。

風を切り裂いて進むボールは、重い音を響かせてミットに収まった。

 

「ストライークッ!」

 

この一球で球場の空気が変わった。

――浜矢のストレートの質が良くなっている。

観客ですら分かるのだから、応援席にいる蒼海大相模の選手であれば誰でも分かる。

この選手から追加点を取るのは難しいのではないか。浜矢はたった一球で周囲にそう思わせた。

 

(最高のストレート……よし、ガンガン攻めよう)

 

内角を多く要求する鈴井に、それにしっかり応える浜矢。

息のあった二人の配球は蒼海大を圧倒していた。

 

「ストライク! バッターアウッ!」

 

まず一人目はたった三球で三振に切り取る。

二人目も内角のツーシームを詰まらせセカンドゴロ。最後はツーストライクまで追い込んでから。

 

(さあ、スライドフォークいくよ)

(最高の球を投げるから、ちゃんと捕ってくれよ!)

 

決め球であるスライドフォークが投げられた。

斜めに曲がりながら落ちる魔球は、キレが増していた。

手元で急激に変化するフォークに対応出来ず三振、ワンバウンドした球は鈴井が体で止めて振り逃げも阻止。

 

「ナイピ」

「へへーん、どうよ?」

「まだあと2イニング残ってるんだから、調子乗らない」

「へーい」

 

悪い流れは浜矢によって完全に断ち切られた。

ここから良い流れに持っていこうと考えるが、そう甘くはない。

 

(あれでこそ浜矢だ、実力だけ見れば全国トップクラスの選手には及ばない。だが何かを持っているスター選手……だから私はお前と投げ合いたかったんだ)

 

佐久間が心の奥底から溢れ出る喜びを隠しきれていなかった。

殺気と見まごう程のオーラを放っていたとは思えない、高揚感に満ちた表情を浮かべていた。

 

「浜矢! 私の投球を見ておけ!」

「!? お、おうっ!」

 

いきなり大声で名前を呼ばれ、ビクッとする浜矢。

叫んだ後佐久間は、駆け足でマウンドに向かいマウンドをならす。

 

(投手としては私よりアイツの方が凄い……だが、お前には負けたくない! 初めてのライバルであるお前には!!)

 

佐久間はこの終盤で更にギアを上げてきた。

制球は少し乱れたものの、ゾーン内で散らばる程度の乱れ。

彼女の球速を考えればかなり凶悪だろう。

 

 

荒波、岡田、菊池の三人が打ち取られ5回裏は無得点。しかし佐久間のその投球を見た浜矢は。

 

(やっぱ佐久間はポテンシャルは高いんだよな……私もあんな投球してやる!)

 

嬉々としてマウンドに駆けていく。

浜矢の後ろ姿を見ていると、監督は思うことがあった。

 

(登板しただけで流れを変え、更に付け入る隙を与えない投球……。あれこそがまさしく、背番号1(エース)の背中だ)

 

佐久間の投球に感化された浜矢は6回を三凡で終わらせる。

お互いがお互いを高め合う投球をする、これぞライバルだ。

どんな悪い流れでも変えることができる、これがエースだ。

 

「いい加減1点欲しいな……」

「任せてください」

 

金堂がネクストバッターズサークルにしゃがむ。

ここまで二打席とも打ち取られ、一回はバットをへし折られた。

大きな屈辱を味わったのだ、自分もやり返さないと気が済まないのだろう。

 

「アウト!」

 

三好がファーストゴロに終わりワンアウト。

それを見てから金堂はゆっくりと立ち上がる。

いつもは冷静で出塁するのが当たり前と思われていたし、事実そうであった。

それが今日は打ち取られっぱなしでチームとしても反撃すら出来てない。

 

(……私は一度負かされた相手に、最後まで抵抗できない選手じゃないよ)

 

バットは体の前に出し、体は投手の方に向ける。

特徴的なこのフォームが金堂を巧打者に導いた。

 

投げられた初球はストレート。

 

(ど真ん中、貰った!)

 

力負けをしないようにこちらも力強く振り抜く。

的確に芯に当て軽く振ってヒットを打ついつものスタイルとは違う。

木製特有の乾いた打球音が鳴り、打球は空高く舞い上がる。

ふらふらっと伸びていく白球はレフトスタンドに届いた。

 

「え? ほ、ホームラン……?」

「神奈ー! ナイスホームラン!」

「ほら回れ回れ!」

 

自分でも予想していなかった、寧ろ本人がこの結果に一番驚いていた。

本当に現実なのか疑いつつダイヤモンドを一周し始める。

 

(あんなスイング初めした……私って意外と長打力あったのかな)

 

大事にホームベースを踏んで今ホームイン。

反撃の狼煙を上げたのはキャプテン金堂だ。

 

「ナイバッチー! 高校初ホームランだな!」

「キャプテンって高校でホームラン打ってなかったんですね」

「いや、人生初だけど……」

 

山田と浜矢が大はしゃぎしていると、衝撃の事実が本人の口から伝えられる。

 

「人生初!? え、神奈が野球始めたのっていつだっけ……?」

「……小学校」

「十年以上ホームラン打ってなかったの!?」

「そもそも打ちたいって思ったこと無かったし」

 

金堂が言うには、初めて見たプロ野球の試合でボール球を簡単にヒットする選手がいた。

その人に憧れて自身も今の打撃スタイルを身に付けたので、ホームランを打ちたいと思ったことは無かったらしい。

 

「ホームランって言えば野球の華じゃん……!」

「まあでも悪球打ちも華といえば華ですよね」

「でしょ? だから私はホームランはこれからも狙わない! 一本出れば逆転って時には狙うかも知れないけど……」

 

長い年月を掛けて体に染み付かせた打撃スタイルを、今更変えることはしたくない。

だが今後は状況を考え狙う事もあるかもと言った。

初めから完成された打撃の金堂が、更に成長する可能性を持った。

 

 

しかし良い知らせはここまでだ。

反撃の狼煙を上げたと思われたが、逆に佐久間に火がついた。

ストレートとフォークの組み合わせで次々と打ち取っていき、浜矢が3回を無失点の好投を見せるが援護は結局金堂の1点だけであった。

 

「ありがとうございました!」

 

決勝戦は呆気ない幕引きとなった。

至誠がもう少し反撃出来ると思っていた観客も少なくない。

しかし負けたのは事実、至誠の夏は県予選準優勝という結果に終わった。

 

「見違えるほど強くなっててビックリしたよ」

「お前もな……来年は必ず1番取れよ」

「言われなくてもそのつもりだ、佐久間も絶対1番な!」

「当然だ、来年は最初から最後まで投げ合おう」

 

浜矢と佐久間は来季の背番号1奪取を誓い合い、それ以降は言葉を交わさずそれぞれの道へ別れる。

 

「真理、平気……?」

「っ、わたしが……夏をっ……!」

 

洲嵜はベンチで俯いたまま泣きじゃくっていた。

あの満塁本塁打がなければ勝てたかもしれないと、そう考えていた。

 

「わたしの……せい、でっ……」

「そ、そんなこと……」

「そうだね」

「はっ?」

 

洲嵜の言葉を三好が否定しようとするが、神宮は肯定した。

その言葉に苛立った様子の三好は掴みかかろうとしたが。

 

「だから、私と一緒に練習しよっ? 私はメンタルなら真理より強いよ、打たれまくってるから!」

「空……」

「……それは誇る所ではないし、私も打席立つくらいなら手伝うから」

「耀……二人とも、ありがとう」

 

二人に手を引かれ、ようやく洲嵜は立ち上がる。

神宮、洲嵜、三好の三人の瞳は次を見据えていた。

 

 

蒼海大への挨拶も終え、浜矢と鈴井はバスの中で一息ついていた。

 

「蒼海大には優勝して欲しいな」

「……全国に伊吹ちゃんっていうライバルいないし、また不安定な投球になるんじゃ……」

「あっ……」

 

二人の予想が的中し、蒼海大は三回戦で散ることになるのだがそれはまだ後の話。

 

「伊吹ちゃんおつかれ」

「せんしゅーお疲れー!」

「今までで一番良い投球だったよ」

 

千秋がタブレットを脇に抱えながらバスに乗り込んできた。

そしてデータを映した画面を二人に見せる。

 

「これがボールがどこに投げられたかのデータで、これはストライク率に被打率……あとは平均球速と最高球速ね」

「結構良い数字なの?」

「かなり良いよ、安定してこの数字が出せれば間違いなくエースだよ」

 

ストライク率は72%と高水準の数字を残し、平均球速に至っては過去最高だ。

鈴井の言う通りこの数字を安定して出すことが出来れば、全国でも通用する大エースになれる確率は高い。

 

「来年こそ全国制覇目指すぞ! 帰ったら練習しよう!」

「伊吹ちゃん今日投げたから抑えてね」

「えぇー……でも洲嵜は私よりやる気みたいだけど」

 

そう言われ洲嵜の方を見る鈴井と千秋。

確かに一年生で固まり、練習メニューについて熱く語り合っていた。

 

「……いつも通りの球数投げて良いよ、その代わり休憩はしっかり取ること! ストレッチやアップ、ダウンも丁寧にね!」

「やったー! せんしゅー好きー」

 

浜矢が軽く抱き付くと、千秋は現役高校球女に抱き締められた事が衝撃的すぎてフリーズした。

 

「一旦静かにー、全員いるな?」

「一年いまーす」

「二年も一名フリーズしてるけど全員揃ってます」

「三年もオッケーです」

 

監督がバスに乗り込んで全員が揃っているか見る。

静かになったのを確認してから話し出す。

 

「残念ながら今年は全国出場は果たせなかった、だが神奈川で準優勝だ! 全員自信を持って、胸を張って帰ろう!」

「はい!」

 

監督は誰かを責める事はなく、部員の奮闘を讃える。

 

「激戦区神奈川で二年連続決勝進出、これは全く簡単な事ではない……至誠は間違いなく神奈川の強豪校だ、そこの生徒なんだから自信を持つ事を忘れるな!」

 

今の至誠はかつての強さを取り戻していた、いや寧ろ越えている。

そんな強いチームに在籍しておきながら、自分に自信が持てないのはいけない事だと監督は感じていた。

 

「自分がもっと活躍出来ていれば、少なからずそう思った奴はいると思う……けどな、私は自分が輝かせられる選手しか獲らない」

 

至誠のスカウトの基準が初めて語られた。

自分が輝かせられる選手、つまり自分が関与しなくても勝手に結果を残せるような選手は獲らない。

鈴井に関しては完全に例外。彼女の方から接触してきたので、断るのも酷だと思い推薦入学を認めただけ。

 

「だから今回の試合で活躍出来なかったとしても、次は必ず活躍出来る。三年生は上の舞台で輝けると私は確信しているぞ」

「監督……」

 

素晴らしい投手とはいえ、二年生相手に抑え込まれた三年生の四人。

もっとチームを引っ張りたかった、全員がそう考えていた。

けれど灰原は必ず自分たちが活躍出来ると信じてくれた。

 

「私からは以上だ、キャプテンからは何か……」

「全員帰ったら猛特訓するよ! 来年こそ優勝するために!」

「オーーー!!」

 

灰原が言い切る前に金堂が気合の入った声を出す。

その声に呼応して部員たちも腹から声を出し、声の圧により窓がビリビリと揺れる。

 

 

学校に帰り早々、至誠ナインは一目散にグラウンドに向かった。

中には競争形式で走る選手も居た。

 

「自分の弱点はこの夏分かったよね? なら克服するよ! 持ち味がわかっている選手はそこも伸ばそう!」

「ハイ!!」

 

キャプテン金堂の声出しから練習が始まった。

 

「野球部もう練習してるじゃん」

「はやっ! さっきまで試合してたんだよね?」

「惜しかったよねー、金堂先輩がホームラン打った時はいけると思ったんだけどなー」

 

通りすがった生徒たちは、試合が終わって一時間しか経っていないのに練習を始めている事に驚いていた。

 

全員が立つ事すら出来ない程の練習を終える頃には、空はすっかり暗くなっていた。

 

「疲れた……」

「そういや秋はどうするんですか?」

「一塁と三塁が居ないんだよな……」

「私が一塁守りましょうか?」

 

伊藤が挙手をして一塁に立候補する。

それでも三塁を守れる選手が居ない上に、部員の数もたったの十人、選手は九人だ。

浜矢たちが入学した時と同じ状況に逆戻り。むしろポジションが被ってるせいで当時よりも酷い状況に陥っているかもしれない。

 

「神宮って投手以外もどこか守れないか?」

「小学校の時にセカンドやってましたけど……」

「なら石川を三塁に置いて神宮を二塁、洲嵜と浜矢を外野すれば一応形にはなるか……?」

 

かなり無理のある陣形ではあるが、やってみようという話になる。

実戦経験を積んで来年に備える、そんな狙いもあった。

 

「それとキャプテン! 誰がやる?」

 

灰原が二年生の三人を見て尋ねる。

三人がそれぞれ顔を見合わせてから、鈴井が言う。

 

「じゃあ私がやります」

「鈴井が? あんまやらなさそうなイメージあったけど……」

「伊吹ちゃんは家の事あるし、美月ちゃんはそもそもやる事が多すぎるでしょ」

 

浜矢は片親家庭のため家事をこなしており、千秋は今ですら仕事量が多すぎる。

これ以上二人に負担をかける事は出来ないという判断だ。

 

「でも鈴井も正捕手じゃん、負担はあるっしょ?」

「けど部長会議を伊吹ちゃんに任せたくないから」

「それ言われると何も言い返せない……」

 

結果としては鈴井がキャプテンになる、という事で纏まった。

灰原、柳谷に次ぐ三人目の捕手キャプテンの誕生だ。


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