梅雨の時期真っ只中だったが、今日は運良く快晴。
連日の抑圧された練習の鬱憤を晴らすかのように、部員達は全力で練習を行っていた。
「湧ちゃんは左は苦手なんだっけ?」
「はい、まあアンダーってそういうものですよね」
「球の出どころが見やすいからね……」
アンダースローの弱点は左に弱い事。
また、そのフォームにより一巡目は抑えやすいが、目が慣れた二巡目以降は球の遅さも相まって打たれやすくなる。
「……他にも苦手な人は2人いるんですよ、どれだけ対策しても抑えられなかった人が」
「それって右? 左?」
「2人とも右です、1つ上の先輩なんですけどね」
「へぇ〜……私も知ってるかな?」
「知ってると思いますよ、強豪校で今年はレギュラーみたいですし」
最後まで名前は出さなかったが、埼玉出身という事と今は東京の高校にいることを伝えた。
彼女達のいるチームは必ず全国まで勝ち上がってくる、その時に答え合わせをしようと告げた。
「佐野いくぞー」
「はいっ!」
「おー……飛んだな、ナイスバッティング」
「最近はやっとボールに当てられるようになりましたよ!」
佐野はトスバッティングで快音を響かせ続けている。
初めの頃は狙って当てる事が出来なかった彼女も、今はそんな過去が嘘のように打ちまくっている。
――守備がアレだから今年はスタメンで使えないけど、代打くらいは出すかな。佐野を出せば守備だけとはいえ石川も出番が増えるし。
監督は出来る事なら全員を使って勝ちたい、という考えの持ち主だ。
1年でスカウト出来る上限はあるが、それ以外で殆ど声を掛けないのも出番を与えられないから。
「佐野はいい選手になるな」
「ほんとですか!? じゃあもっと頑張りますね!」
「そうだな、もっと頑張って全員抜く勢いで成長しような」
「はいっ!」
普段の振る舞いからは想像出来ないが、佐野は忍耐強く練習好きだ。
タイプとしては野手版の浜矢と監督は称している。
「灰原監督ー! きましたよー」
「おっ、本当か! 今行くよ」
小林が段ボールを両手で抱えながら、グラウンドに現れる。
トス役を千秋に代わってもらい確認に行く。
「…………よし、全員分ありますね」
「全員集合! ほら走って走って!」
この集合の時間もトレーニングとして使えるよう、監督は毎回走るように命じる。
外野から全力疾走で来た部員は息が切れている。
全員が集まったのを確認して監督は話を切り出す。
「背番号が届いたので、今から配るぞ!」
「やったー! 何番かな?」
「部員少ないからベンチ入りは確約されているの気が楽で良いね」
栗原も牧野も、ベンチ入りの心配はせず背番号を楽しみにしている。
部員が上限よりも少ない至誠だからこその会話だ。
ざわつきが収まってから、監督は1番のゼッケンを取り出す。
「……背番号1、浜矢!」
「えっ? わ、私ですか!?」
「当然! ほら、早く受け取りな……エース!」
「はっ、はい! ……本当に、1番だ」
今にも泣きそうな顔で背番号1を手に持つ浜矢。
ずっと憧れ続けた背番号、それがついに自分の物になったのだ。
「おめでと、伊吹ちゃん」
「おめでとう! エースの伊吹ちゃん!」
「2人ともありがとう〜!!」
「ちょっ、引っ付かないで……」
口ではそう言いながらも、引き剥がす素振りはない鈴井。
浜矢が1番を手にした事が彼女も嬉しいのだろう。
「2番は変わらず鈴井で、3番栗原!」
「はいっ! やったーレギュラー!」
「得点圏でのバッティング、期待してるからな」
「もちろん打ちまくりますよ!」
栗原が大喜びでゼッケンを受け取る。
得点圏での強さは鈴井に次ぐチーム2位だ。
「4番、茶谷!」
「はーい」
「攻守に渡って活躍してくれ」
「まっ、私なら余裕っすよ」
いつもの猫を被った笑顔とは違い、本当に嬉しそうに受け取る。
「5番川端」
「はい」
「どの打順でもチャンスメイクは頼んだぞ」
「分かりました」
1年生からの一桁に、口元が緩んでいる川端。
彼女の役目はどの打順でも変わらずチャンスメイクをする事だ。
「6番、上林」
「はい!」
「……至誠の要だから頑張ってくれ」
「一瞬の間が気になりましたけど、わかりました」
バランスが良すぎて何を言えばいいのかわからなかった監督。
だが上林が要である事には間違いない。
「7番三好!」
「はい」
「守備といつも通りの粘り強さ、楽しみにしてるぞ」
「去年より活躍してみせます」
背番号は1つ後ろに下がったが、レギュラーというのは変わらない。
昨年を超えた自分を見せられるよう決意する彼女だった。
「8番から10番は変わらないから、11番洲嵜!」
「はい」
「11番だけど左のエースだからな」
「……わかりました、全力で投げ切ります」
昨年の1番から大きく番号を下げた洲嵜。
しかし先発であり、浜矢とダブルエースという扱いではある。
「伊藤と石川も変わらなくて、13番佐野!」
「はいっ! ファーストなんですね?」
「だな、代打で起用するからな」
「代打の切り札頑張りますっ!」
守備力を考えるとスタメンで起用するのは難しいが、あの打力があれば他校を脅かす代打になれる。
「15番、白崎」
「は、はい……」
「白崎も代打起用するから、心の準備はしっかりとな」
「……頑張り、ます」
佐野と白崎の左右の代打コンビは、おそらく全国に名を知らしめるだろう。
「16番、牧野!」
「はい」
「守護神は任せた!」
「完璧に抑えて試合を締めますよ」
彼女の対左の被打率と、適正により抑えでの起用となる。
前に登板していた投手との落差は大きいだろう。
「最後……17番、千秋」
「ありがとうございます!」
「今年も参謀よろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
ベンチ入りできる記録員は1人だけ。
春宮と千秋をベンチに居させるのであれば、どちらかを選手登録しなければならなかった。
「今年は攻守でバランスが良いチームになったと思う、今年こそ全国制覇するぞ!」
『オオーーッ!!』
背番号が配れらた興奮のまま、最終下校の時間まで練習を続ける。
大会までの最後の追い込みとして、弱点を克服しようと奮起した者、得意分野を伸ばす者に分かれた。
片付けも終わり空はすっかり闇に包まれている。
そんな中残っている3人の部員がいた。
最上級生で今年が最後の夏になる浜矢と鈴井、そして千秋だ。
「ねっ、キャッチボールしようよ」
「美月ちゃんから言い出すなんて珍しいね、私はいいよ」
「今8時か……うん、30分くらいなら付き合えるよ」
「2人ともありがとう、特に伊吹ちゃん」
帰宅したら夕食や洗濯をしなくてはいけない浜矢だが、30分だけなら付き合えると残ってくれた。
連日の雨で少し濡れているグラウンドに、3人は一定の距離を置いて立つ。
「じゃあいくよー」
「こい! ……うん、ナイスボール!」
「美月ちゃんっていい回転の球投げるよね、投手向いてるんじゃない?」
2人に褒めちぎられ恥ずかしそうにする千秋。
「それはさすがに……伊吹ちゃんの方が凄いもん」
「本職投手で初心者に負けてたらヤバいでしょ」
「……それに、伊吹ちゃんは高校トップクラスだからね」
鈴井の発言に目を見開いて驚く浜矢。
頬をつねったり千秋に現実か確認したりと、実感が湧いていない様子だ。
「す、鈴井が私の事をそんな風に……!」
「試合中は褒めてるでしょ」
「私の調子を上げる為だと思ってたし!」
試合中以外で鈴井が浜矢を褒めるのは珍しい。
しかもここまでの高評価はなかなか無い。
「……それに、伊吹ちゃんの事そこそこ好きだし」
「せんしゅー聞いた!? 私の事好きだって〜!」
「よかったね伊吹ちゃん!」
「そこそこって言ってるでしょ!」
小声で呟いた言葉を大声で復唱され、流石に赤面する鈴井。だが表情を見るに楽しそうだ。
ひときしりはしゃぎ終わると、千秋が何か考え込むような顔で遠くを見つめている。
「せんしゅー? どうしたの?」
「ううん、ただ最後なんだなあって……高校生活も、2人と一緒に居れるのも」
「3年間早かったな〜」
「まだ3年経ってないけどね」
浜矢と鈴井はプロ入りを希望しているが千秋は違う。
そもそも選手ではないのだから当然だが、進路は2人と変わってくる。
「……わがまま、言ってもいい?」
蚊の鳴くような声で呟いたその言葉は、2人の耳には届かなかった。
むしろ届かせようとしなかった、というのが正しい。
「いいよ」
「えっ……? 聞こえてた?」
「もちろん」
「せんしゅーの声を聞き流すわけないだろ〜」
最初に反応したのは鈴井だった。
誰も聞き取れないような言葉を、この2人は聞き逃さなかった。
千秋がこういう場面では遠慮するのを知っていて、耳を澄ませていたのだ。
「ほれほれ、なんでも言ってみ〜? あっ、でも出来れば叶えられることね!」
「台無しだよ……遠慮しなくていいから」
「…………優勝したいな、神奈川も、全国も」
その言葉を聞くと、2人は顔を見合わせてから笑った。
「ええ!? ふ、2人ともなんで笑うのぉ……?」
「いやー、だって当たり前のこと過ぎてさ!」
「そうだよ、全国制覇なんて当たり前じゃん」
「うぅ……じゃあ何か別のこと……」
1分近く頭を悩ませた彼女は、何か閃いたようで目を輝かせる。
「全国制覇した時ね、2人がマウンドにいて欲しい!」
「それだけ?」
「それだけじゃないよ! だって3年間一緒だった2人でさ、努力してる姿も全部知ってるんだよ? そんな2人が全国の頂点に立った瞬間を見れるなんて、野球ファン名利に尽きるよ!!」
浜矢の発言に早口かつ大きな声で反論する千秋。
2人は少し後ずさるものの、この言葉をしっかりと受け止めていた。
「分かったよ、最後のマウンドは誰にも譲らない」
「だから美月ちゃんも、私達から絶対に目を逸らさないでね」
「……うん!」
初めて会った時から随分と大人びた2人。
そんな2人の笑顔はまさに、チームを引っ張る最上級生と呼ぶに相応しいものだった。
誰が思い付いたか、3人は手を重ね合う。
浜矢が1番下でその上が鈴井、1番上は千秋。
「私達の最後の夏、有終の美を飾って終わろう!」
『おー!』
夏の夜空に、輝かしい未来を見据える少女達の声が木霊した。