5回裏の攻撃はまだノーヒットの岡田から。
何回か素振りをしてから打席に入る前に、ベンチの方を見てサインを確認する。
――普通に打たせれば多分打てないだろう。だから、ここはギャンブルだ。
監督は反撃へと繋がるそのサインを出した。
――相手の守備は少しだけしか前進してないし、それに下手らしいし。
ヘルメットを触り、岡田はこのサインを受け取る。
――ここで試すしかない!
2人の考えている事は一緒だった。
初球のスライダー、ギリギリまで引きつけてからバットを出す。
「セーフティーだ! ボール1つ!」
「はい!」
三塁線に上手く転がしてから、岡田は強く地面を踏み駆け出す。
しなやかに力強く駆ける岡田は、ただベースの先だけを見据えて走っていた。
「セーフ!」
「よし! 岡田ナイス!」
「早紀ちゃん最高だよー!」
サードの握り替えがもたつき、楽々セーフ。
岡田の脚と走塁・盗塁技術の高さは全国トップクラス。
だから常にグリーンライトのサインが出ているが。
「ここは走らせるの怖いな……牽制上手いし」
「けど攻めたいですよね〜」
「どうしましょうか」
どうにかして大量点を取りたいが、失敗した時のリスクが大きい。
監督はどちらかと言うとリスクを恐れる傾向にある。
「あのー……」
「春宮? どうした?」
頭を悩ませている3人に恐る恐る声を掛ける春宮。
「エンドランっていうのしちゃダメなんですか?」
彼女のこの発言に、3人は言葉を失った。
春宮も変な事を言ったかと次の言葉が出ず、ただ無音の時間が流れる。
「……ちなみに、そう思った理由は?」
「だって岡田先輩って走塁判断? っての上手いんですよね、で渚は打つのが上手い……いけるじゃないですか!」
「そういう簡単な話じゃないんだよ〜……けど、アリかもな」
「本当ですか!?」
監督が意見を肯定すると、春宮は目をキラキラと輝かせて喜ぶ。
そしてエンドランをするか否かでまた3人は話し合う。
「川端は結構気合入ってるし、ゲッツーにならないように打ってくれそうだよな」
「こういう場面に強そうですよね」
「それに、発破を掛けるという意味でも良いと思います」
意見は一致した、エンドランを決行する。
そのサインを見た川端と岡田の2名は、驚きをなんとかヘルメットで隠した。
――ここでエンドラン……監督達は、まだ私の事を見捨ててなかった。いや、これがラストチャンスかも知れない。
――これを失敗したら渚は自分を責める、そんな事させないように走塁はミスれない。
両名は顔を上げ、決意が固まった表情を見せた。
岡田に盗塁のサインが出たのだと考えた汐屋は、何度も一塁へ牽制する。
何度牽制されてもリードの大きさは変えない。
そして遂に投球モーションに入った時、岡田は走り出した。
「走った!」
「いけ……! 川端!」
川端は外の変化球をおっつけて打ち返し、三遊間を破るヒットを放つ。
流石にレフト方向への打球では進塁出来ず、岡田は二塁ストップ。
「エンドラン成功!」
「渚すごーい!」
「凄いのは春宮の作戦だよ、よくこの場面でエンドランとか思い付いたな」
監督にそう言われた春宮は不思議そうな顔をしている。
「だってこの2人の組み合わせか、キャプテンだったら成功しそうじゃないですか?」
「確かにそうだけど……失敗した時怖いだろ、そういうのは考えなかったのか?」
「渚ならやってくれるって信じてましたから!」
――選手を信じる采配、か……。リスクを嫌ってこういうサインは控えていたけど、少しずつやってみるか。
リスクの大きさが実感出来ていない春宮だからこそ出せた、大胆不適なサイン。
「よし、この回で追いつくぞ!」
『おー!』
このチャンスの場面で回ってくるのは三好。
しかしここでも岡田への牽制が挟まれる。
――2回牽制を挟んだ、そろそろ打者と勝負したいはず。それにさっき気付いたけど、この人サークルチェンジ投げる時は気持ち長く持つ気がする。
そして今まさに、投球モーションに入るまで長い。
岡田の眼は見逃さず、三塁に向かって駆け出した。
「三盗だ!」
「なっ、岡田……!?」
投手の癖を完全に掴んだ岡田は、一度ボールの現在位置を確認してから三塁に右脚から滑り込む。
三塁審判はタッチプレーを見守った後、両腕を地面と平行に上げる。
「セーフ、セーフ!」
「いえっす!」
三塁上で手を叩く岡田を見て、監督は心臓を押さえている。
「ヒヤヒヤした……」
「グリーンライトですけど、まさか三盗するとは……」
「けど成功したから何も言えませんね」
これで一塁・三塁となり犠牲フライでも1点だ。
期待に応えたい三好だったが、セカンドへのフライで1アウト。
――流石にこれじゃ帰れないってばー、ピカ!
――ごめん。
申し訳無さそうに謝り、ベンチに戻る三好。
だがまだ至誠の攻撃は終わっていない、次は今日当たっている上林だ。
2球続けて見送って1ボール1ストライク。
上林は狙い球を絞り、それ以外の球には反応していない。
狙い球が投げられたのは3球目だった。
――サークルチェンジきたっ!
外角低めの緩い球に合わせ、ライト方向へ流す。
岡田は余裕で生還し尚も一・二塁のチャンスで鈴井。
どんなコースに何が来てもカットして粘り、フルカウントとしてからの7球目。
「っ!」
「アウト!」
詰まった当たりはキャッチャーフライとなり、2アウト。ランナーは変わらず一・二塁のまま。
「珍しいな」
「すみません、クイックの速さ変えられました」
クイックの速さを変える事により、ボールが到達するまでの時間をずらした。
それにより打ち損じてしまったのだ。
「まあ鈴井で無理なら仕方ない……石川ー! お前が決めろよ!」
「灯、代わりに頼んだよ!」
石川が緊張した雰囲気のまま左打席に立つ。
5回裏、2アウト1点差。打ち損じれば終わりかも知れない。
――監督は左に強いって理由で私を起用したんだから、打たないと。
しかし2球であっという間に追い込まれ、1球ボールを挟んでカウント1-2。
これはバッテリーが勝負に来るカウントだ。
投じられた4球目は内角低めへのストレート、石川は最も苦手としているコースと球種。
――ハマ先輩と練習したんだ、ここで打つことくらい私にだって出来るはず!
肘を畳んで、身体を回転させてボールを捉える。
打球は鋭く一二塁間を抜け、ライトの前に運ばれる。
「川端突っ込めー!」
監督の怒号にも近い叫び声が響き、川端は三塁を蹴りホームへ突っ込む。
ライトもそれを見てバックホームをし、最後の要である捕手に託す。
川端が滑り込んで片手でホームベースをタッチするのとほぼ同時に、捕手もミットで川端をタッチする。
「……セーフ!!」
「川端ナイスラン!」
僅かに川端のタッチの方が速かったと判定され、これで振り出しに戻した。
「監督も結構大胆な指示出しますよね……」
「あいつ地味に走塁上手いからな、いけると思ったんだ」
「なるほど」
川端は送球も走塁も平均よりは上手い。
高い打率に目が行きがちで、この点はあまり注目されてこなかったようだ。
「さあ栗原逆転だ! 得点圏は好きだろ?」
「まっかせてください!」
フルスイングの素振りをしてから打席に入り、バットを構える。
普通ならばプレッシャーを感じる状況だが、栗原は笑っている。
――確か引っ張りが多いタイプだったな、警戒で。
横浜隼天は引っ張り警戒のシフトを敷く。
これで逆をつければ良いのだが、栗原には狙ってそんな事を出来る技術は持ち合わせていない。
その初球だった。外角のスライダーを鋭く弾き返して流す。
本来であればセカンド真正面の打球だが、シフトにより誰も居ない。
――私は、
宮崎が横っ飛びで打球に喰らい付く。
泥を飛び散らせながら地面に飛び込み、グラブを審判に見せる。
「アウトー!!」
アウトコールが響くと球場が沸いた。
負けられないと意地を見せるキャプテン宮崎のプレーに、至誠側の応援席からも思わず出た拍手の音がかすかに聞こえる。
「悔しい〜!!」
「今のは宮崎じゃなかったら抜けてたな、ドンマイ」
「実質ヒットだから、ね?」
「ぐぬぬ……守備行ってきます」
固く閉ざされた口元に悔しさが滲んでいるが、それを拭うように一塁へと歩く。
宮崎は横浜隼天の選手には珍しく守備も良い。
その守備力の高さがこの大事な場面で出てきた。
「神宮いくぞー」
「はいっ! 調子は最高ですよ、もう6人で終わらせちゃいます」
「……6回を?」
「違いますよ! 2イニングです!!」
信頼されているのかどうなのか分からないやり取りをして、神宮は怒りながらマウンドに向かう。
――あの真理がホームラン打たれてからも引きずらなかったんだ。その成長の日を私がぶち壊す訳にはいかないんだ!
先程の発言通り、調子は絶好調の模様。
鋭く曲がるスライダーとシュート、ブレーキの効いたカーブ。
そしてストライクゾーン内で荒れるストレートが、洲嵜とのギャップを与え3人で6回を終える。
「ナイピ、次の回もその投球頼むよ」
「余裕ですよ!」
「なんでフラグ立てるかな……」
自信満々かつフラグ満載な神宮に、苦笑いを返す監督。
6回裏が始まる前に横浜隼天のベンチが動いた。
投手交代のアナウンスがされ、汐屋がベンチに下がる。
「お、汐屋下がったか」
「私の出番っすか〜?」
「だな、代打の準備しておいてくれ」
「はーい」
投手が変わったという事は、約束通り石川と茶谷が交代となる。
投球練習が終わり荒波が構える。
今日はまだノーヒットで、守備でも目立った活躍は無い。
初球はストレートを見逃して1ストライク。
汐屋とは打って変わって速球派の投手だ。
平行カウントとしてからの5球目。
外角高めにストレートが投げられる。
――確かに球は速いけど、伊吹先輩と比べたらノビはない。
高めの球に上手く合わせてレフト方向へ流してヒット。岡田は送りバントで1アウト二塁に。
続く川端は今までの試合とは違い、本来の打力を取り戻していた。
際どい球はカットして粘り、外れれば迷わず見送る。
和歌山の安打製造機と呼ばれていた頃の川端だ。
「ボールフォア!」
「よし、完璧」
「これぞ渚ちゃん、ですね!」
しかし三好は速球に押されてしまい、セカンドゴロに終わる。
荒波は三塁に進んで2アウト三塁、最高のチャンスを作り出した。
「上林頼むぞー」
「真希って速球打ちはどうなんですか?」
「得意でも苦手でも無かった思うが」
「バランス型だなぁ……」
得意でも苦手でもない、そんな要素が大半を占めている上林。
しかしそんな評価をひっくり返すかのように、初球を打ち返してレフトの前に落とす。
「勝ち越し! 今日の上林良いな!」
「最高の結果ですね……!」
鈴井が続くもその後は代打の茶谷が三振して3アウト。
迎えた7回の守備、ここを抑えれば勝利となる。
マウンドに上がったのは、6回からリリーフ出場している神宮。
横浜隼天は下位打線からの攻撃だったが、代打攻勢に出る。
それでも神宮を捉える事は出来ず7番をセカンドフライ、8番をショートゴロに仕留める。
「本当に6人で抑えそうだな」
「監督、そんな事言っちゃうと……」
この発言が引き金となってしまったのか、急に制球が乱れ四球を出す。
1発出れば逆転の状況で、今日1本打っている宮崎。
「失投だけはやめろよ神宮……」
「なんか既に胃が痛いんですけど……」
胃がキリキリとするのを感じながらも、グラウンドの戦いからは目を逸らさない。
最初はスライダーで空振り、次はボール球のシュートに釣られずボール。
3球目もカーブが外れてカウント2-1からの4球目。
やけくそ気味に投げた内角のストレート、それを宮崎は打ち上げ打球はファールグラウンドに。
「あれは無理か?」
「風で流されてますね」
捕球を諦めていないのが1人居た、三好だ。
オーライ、と声を出しながら打球に突っ込み、最後はフェンスにぶつかりながら捕球を試みる。
「アウト!」
「おいおい、三好大丈夫か?」
ゲームセットのコールがされても、三好はうずくまったまま立ち上がらない。
「三好先輩、立てますか?」
「っ……平気、整列するよ」
「はい……」
心配そうな目で見つめている上林には気付かず、三好は列に並ぶ。
握手を交わし応援席にも挨拶をしてから、監督は三好を呼び止める。
「小林先生は怪我とかにも詳しいから、少し診てもらえ」
「別に平気ですよ」
「コールドスプレーとかもして貰うし、監督の命令には従え」
「……はい」
普段は絶対服従な環境ではないが、今は別だ。
怪我しているかも知れない選手を放っておけない。
三好は渋々と小林の後を追って医務室へ入り、ユニフォームを脱いでアンダーシャツ姿になる。
「見せて下さいね、左肩付近でしたよね」
「はい」
「少し触りますね……痛いですか?」
「痛くないです」
触ったり動かしたりして、痛みが無いかを確認する。
「これなら平気そうですね、一応湿布は貼っておきましょう」
「大袈裟ですよ……」
「こうしないと、私が監督に怒られてしまいますから。監督は皆さんの事を大事にされていますからね」
そう言われると反論も何も出来ず、大人しく湿布を貼られる。
最後にもう一度痛みを確認してユニフォームを着る。
「そういえば、なぜあのようなプレーをされたんですか? 普段の三好さんなら無理矢理には捕りに行かない打球でしたけど……」
三好は無茶はせず、自身の範囲内の打球を正確に捌く選手。
あのような打球をぶつかりながら捕るのは、明らかにおかしい。
「…………真希は凄い活躍してたのに、私は全然だったから」
「ふふっ」
「なっ、何がおかしいんですか?」
「いえ、ただ素敵なライバル関係だと思いまして」
ライバルと思われているのが恥ずかしいのか、顔を赤くして俯く。
「はぁ……意識してあんなプレーするとかって笑われてそうで憂鬱です」
「貴女の中の上林さんはどんな人なんですか……それに、上林さんは三好さんの事好きですよ」
「はっ?」
すると医務室の扉がノックされ、小林は微笑みながら入室の許可を出す。
扉を開いた先には噂の人物が立っている。
「上林……」
「あの、三好先輩……怪我とかは大丈夫ですか?」
「あれくらいのプレーで怪我とかしないよ」
「……良かったです」
心底安心した様子で微笑む上林。
それを見て本当に嫌われていないと、ようやく実感した三好。
「こちらの片付けはやっておきますから、2人は先にバスに戻っていて下さい」
「分かりました、ありがとうございました」
上林と三好の2人は、小林に礼をし医務室を後にする。
「あれ、私の荷物は?」
「それならもうバスに積みましたよ」
「……ありがと」
「流石にぶつけた人に荷物持たせませんよ」
それは流石に過保護じゃないか、と思う三好。
だが上林は心の底から彼女を心配していたのだ。
「……心配してくれてありがとな」
「気にしないで良いですよ、私先輩のこと好きですし」
上林の言葉にあからさまに動揺する三好。
――落ち着け、別にそんな意味じゃない。そうだ私にも上林にも、鈴井先輩がいる。違う絶対にそうじゃない。
「先輩?」
「……ふんっ!」
「いった!? 何するんですか!?」
照れ隠しで上林の頭を引っ叩く。
上林からは三好の顔は見えていないので、何が起こったのか分からないだろう。
三好の顔は熱が出たように真っ赤だ。
「……バスまで競争するぞ!」
「いきなり!? まあいいや、負けませんよ!」
三好はぶつかったのなんて嘘のように走る。
それを追いかける上林、2人の顔には笑顔が浮かんでいた。
「……ん?」
――なんだ、やっぱり2人とも仲良いじゃん。
バスの中からその様子を見つけた監督は、やれやれと言った笑顔だった。
「脚遅いぞ!」
「うるさいですよ! こっちは気にしてるんです!」
ライバルではあるが仲は悪くない、遊撃手コンビ。
2人の仲は今日だけでもかなり縮まった事だろう。
至誠高校、3年連続の決勝進出。
恋(?)のライバル同士がお互いに矢印向くの、王道だけど良いと思います