人はどうして生まれて来るのだろうか。生んで欲しいとも頼んでいないのに産まれ出でて、そして長く辛い人生を歩まなければならない。
人生とは魂に課せられた試練であり、乗り越えられない試練は用意されていないと言われている。生きてさえいればきっと幸せが待っていると言われる事もある。
でも、そんな、いつ来るともわからないし、待っている幸せよりも押し寄せる辛さに耐えられない。だから人は自分を殺してしまう程追い詰められてしまう。逃げちゃダメなんて言わないで欲しい。逃げなければ駄目なんだ。逃げたって良いのだから。
「え?」
右を見て、左を見て、正面には天井。
「知らない天井だ──っぐ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あああああああああーーーーー!!!!」
脳髄を掻き乱す激痛。その出所は右目の辺りから突き抜ける様に後頭部に抜けていく。両手で右目を押さえる。だが痛みは少しも楽にならず、ただ叫ぶしか出来なかった。
その間にフラッシュバックする記憶は、ひとりの男の子の記憶だった。夏のプールの帰りでの母の言葉。その母が居なくなる瞬間。父に捨てられて泣き叫ぶ姿。第二東京で過ごす灰色の日々。そして父に呼ばれて第三新東京市で遭遇する使徒と、エヴァンゲリオン初号機。
運ばれてくる白い女の子と、手に着いた血。こんな娘を戦わせるくらいならと決めた覚悟。
しかしそれを容易くへし折る使徒への恐怖と痛み。
終いには顔を突き抜けた激痛──。
碇シンジという少年の14年間の記憶を走馬灯の様に見せられながら、自分の身体を苛む痛みが死ぬ程痛かったからだろうか。
騒ぎを聞き付けたのか、看護師達がやって来て鎮痛剤を打ってくれた。すると痛みが引いていったけれども叫び疲れた自分はそのまま目蓋を閉じた。
碇シンジへの憑依とか、考え得る憑依先でかなり最悪の部類だなぁなんて思いながら、目が覚めたら夢であります様にと祈った。
◇◇◇◇◇
サードチルドレン、碇シンジ君が目覚めたと病院から連絡があった。第三使徒殲滅から一週間が過ぎていた。
第三使徒戦で頭部を貫かれた初号機。そのフィードバックでパイロットに致命的なダメージが及ぶ可能性もあった。現に彼は一週間眠り続けていた。最悪、このまま目覚めない事すら予見してはいたけれど、目覚めたのなら重畳。
本人も若干記憶の混乱があるらしいけれど、目立った後遺症はなし。至って健康。大変結構だ。
「こんにちは、碇シンジ君」
「あ、りつ──赤木…さん」
一週間眠ったままだった身体を無理矢理起こすのは辛いのだろう。病室に入って声を掛けると、此方を認めて起き上がろうとして、また布団に沈み込んだ。
「良いわよ? リツコで。それより、アナタは何があったか覚えてる?」
「……父に呼ばれて、エヴァに乗って、使徒と戦うところまでは、思い出せます…」
そう語るシンジ君の顔は段々険しくなっていき、右手で右目を覆った。ダメージフィードバックがフラッシュバックしてパイロットに後遺症を残すという事は可能性としてあったけれど、シンジ君は今まさにその状態にあるのかもしれない。担当医の話だと目覚めた時は叫びながら右目を両手で押さえて痛いと訴えていたから鎮痛剤と鎮静剤を投与して落ち着けた様だし。今はこれ以上この話題を続ける理由はない。
「そう。なら結構。今は休みなさい。明日からリハビリになるわ」
「はい……」
そうして面会は終わった。こういった役目はミサトの方が適任でしょうけれど、初陣でパイロットをダメにしかけた負い目で今は彼に会い難いようだから仕方がない、か…。
◇◇◇◇◇
リツコさんとの面会を終えて一先ず記憶の整理をつけられた。
第三使徒サキエル戦は特に何事も変わること無く終わった様だ。
他人の記憶を覗くようで気が引けるものの、取り敢えず碇シンジの記憶を紐解けば、強烈に残っているのはやはり父に捨てられたという記憶だった。そこから先生家族との暮らしもあまり馴染める事もなく、友達も居ないどころか味方さえ居ない様な私生活は見ている此方が病みそうなものだった。
そんなある日に届いた父からの手紙。手紙というには手紙とも言えないただ一言殴り書きで『来い』と書かれた紙。父からの手紙に期待を寄せ、開けてみれば裏切られた様な気持ちになって衝動的に手紙を破ってしまう。それでもその手紙を直したのは、そんな手紙でも父からの物だったから。
本当に不器用だ。見た目は母親譲りなのに内面は父親譲りなのが碇シンジという人間なのだろう。
それでも、怪我をしている女の子を戦わせるくらいなら自分が行ってやると決意を抱く程度には男の子なんだと思わせられる。αシリーズの頼れるシンジさんとか好きだったっけな。
問題は、そんな碇シンジに自分が成り代わってしまっている点だ。
その手の話はエヴァの二次創作が盛んだった2000年代初頭に色々と読み漁った記憶があるし、20年経った今もなお使われる手法だが。そんな状況に自分が陥るのは正直勘弁願いたい。新劇にしろ旧劇にしろ、この世界は救いが無さすぎる。それこそTV版のおめでとうENDでも目指せと言うのか。
自分がエヴァと出会ったのはまだ幼稚園の頃か。両親がビデオにダビングしてて、リアルで見たのは零号機が自爆する回だったか。そしてエヴァの映画がやるってんで両親にせがんで見に行った旧劇で無事トラウマを刻んできた。未だに弐号機がバラバラにされるシーンは1人ではあまり見られないし、旧劇自体進んでみれない。その点貞本エヴァは巧くグロくならない程度に納めてくれて読み直すのも苦じゃない。ただ戦自突入時のシーンはアレだけれども。だから序と破は見返せるけども、Qはそんな旧劇っぽい怖さを彷彿させるからちと苦手だったりする。未だに旧劇のシーンを夢に見て魘されるとかマジのトラウマになってるんだよ。
ただそれでもエヴァの戦闘シーンとかカッコいいとか子供ながらに思っていたし、中学校の頃とかは狂った様にSSサイトというか、FFサイトとか考察サイト巡りしてた。
そんなエヴァの世界にやって来る系のSSとかも書いた記憶はあるものの、いざ実際当事者になるのはノーセンキューだ。
何処をどう頑張ってもDEAD ENDなこの世界で何を頑張れば良いのか。特殊能力持ちのスパシン(スーパーシンジの略)であるわけでもない。シンジ君の代表的な台詞は「逃げちゃ駄目だ!」だけどめちゃくちゃ逃げたいですはい。
『良いわね? シンジ君。最初と同じ様にただ座ってリラックスして、肩の力を抜いていてちょうだい』
「は、はい…」
目が覚めて3日。身体に問題は無いとして病院は退院できた。ただ、ミサトさんは現れなかった。リツコさんに訊ねてみれば、気不味くてシンジ君に会い辛いらしい。
そりゃ、初陣で何も出来ずに戦わせた子供が植物人間に成り掛けたなんて相手とどう顔を合わせれば良いのかなんて判らないもんだ。その辺気にしないでズカズカ来そうなミサトさんではあるものの、人との付き合いに不器用だからなミサトさんてば。
なんで、今のところ自分の監督役はリツコさんになっている。記憶をほじくり返せば、リツコさんがミサトさんを迎えに来たときに「葛城一尉」と呼んでいるから、この世界は旧劇で良いんだろう。正直映像は映えるけどえげつない新劇の使徒と戦うことにならないことにホッとした。ただだからといって旧劇の使徒が弱いわけではなく、さらに旧劇ならラストに待つサードインパクトをどう乗り越えれば良いのかという思考に囚われる。
逃げたいけれど、逃げたところでどうにもならないし。自分が居なくともアスカを依り代にサードインパクトを起こすことだって出来るらしい。
つまり逃げても無駄。逃げれば確実にサードインパクトが起こってしまう八方塞がり。だからサードインパクトをどうにかするなら逃げずに立ち向かうしかない。ホント、クソゲー極まりない。
その第一関門。初号機とのシンクロテストに挑む事になった。
見た目は碇シンジでも、中身は全くの別人がエントリーして無事にシンクロしてくれるのだろうか?
まさか初号機の中に居るユイさんに「コレはシンジじゃない! シンジはドコ!?」なんて感じに拒絶されて最悪暴走だなんて眼も当てられない。だからプラグスーツを着てエントリープラグのインテリアに座ってから緊張感で落ち着かない。リツコさんが肩の力を抜けと言ったのもその為だろう。
プラグスーツ着用時のシンクロ率測定も兼ねているため、実機への直接エントリーになる。
零号機が再起動実験とかしていた白い実験設備棟での起動になるため、最悪の場合は零号機と同じ様に止められるかもしれない。
『プラグ固定完了、第一次接続開始』
真っ暗だったエントリープラグ内に光が点る。ただまだ虹色のプラグ内が見えるだけだ。
『エントリープラグ、注水』
「っ!」
足元から赤い水が上がってきて、それから逃げようと反射的に身体が動く。だが背中は既にインテリアの背もたれにぶつかっていて逃げ場はない。
『…大丈夫。前にも説明したけれど、肺がLCLで満たされれば、直接血液に酸素を送ってくれます。直ぐに慣れるわ』
ゴボッ──。
頭で判っていても意図的に溺れるなんて生理的な恐怖がある。それでも意を決して口の中の空気を吐き出して、うがいをする様に肺の中の空気を出してLCLを取り入れるけれども、鼻は痛いし、気道に液体を取り入れるなんて事をしたから喉や胸が本当に痛い。血生臭いLCLを取り込むのも正直気持ち悪い。初搭乗でゲンナリしていた、さらには貞本エヴァでは死ぬとまで言っていたシンジ君の気持ちも分からなくはない。これは確かにしんどい。本当に慣れるんだろうか。
『第二次接続開始』
『了解。主電源接続問題なし。動力伝達』
『リスト150までクリア。A10神経接続問題なし。双方境界線開きます』
いよいよエヴァとのシンクロが始まる。肩の力を抜いて、抜いて、抜いて……、温かい何かに包まれる感覚があった。
それはまるで、誰かに抱かれている様な心地好さがあった。
「え……? うっっ」
ただその感覚が急に離れて、不思議に思った次の瞬間、身体を通り抜ける凄まじい嘔吐感を口を押さえて堪える。
『第三ステージに異常発生!』
『シンクログラフ反転! パルスが逆流しています!!』
『実験中止!! 電源を落として!』
制御室の慌ただしい声が聞こえてくる。
「……やっぱり、ダメなんだ……」
見通しが甘かった。並み有るSSやFFで碇シンジに成り代わったり入れ替わったり憑依したり、兎も角そんなジャンルの物語では初号機に問題なく乗っていた数多の碇シンジ君(仮)たち。
自分も同じ様に乗れるものだと思っていた。でもダメだった。途中まで上手くいっていたものの、初号機は──ユイさんは騙すことが出来なかったらしい。ダミーシステムで動かなかった初号機の様に。自分では初号機は動いてくれないらしい。
どーすんのよ、コレ。
つづく。