前回の(フェイトとなのは)喧嘩相手……タコに似たよく分からない生物。
凶星来たれり。海鳴市に向かい、凶悪な生物が降り立つ。
その名は深海族。海底に住む種族。人間抹殺を企む生物だ。
「あーあ、やってもうたかあ」
そしてなのは達の戦いを見物していた者が一人。
黒髪と眼鏡が特徴の男――出馬要。
彼は深海族との戦いの一部始終をしっかり見ていた。
「さて、悩んどったんや。君みたいな奴は初めて見るし、なんて言葉を掛ければいいのか分からんかったからな。でも今、率直な気持ちを伝えようと思うんや」
出馬がいるのは海の見える坂道。そして深海族が一体、出馬を見下ろしている。
もちろん深海族にとって人間は敵だ。発見したからには生かしておく必要はない。
深海族の頭に生える触手。ニ十本近くあるそれが伸び、出馬のいた場所へ突き刺さる。コンクリートも容易く砕く威力は、並の人間が喰らえば即死だろう。武術を使える出馬からでも脅威と判断される。
しかし脅威の力も、当たらなければ意味がない。
「帰ってもらえるか? 君らの広い故郷に」
ニ十本近くある触手のうち、一本が踏みつけられて地面に押さえられる。
黒く、黒く、どす黒く。
漆黒の煙のようなものが、出馬の体から噴き出た。
* * *
商店街の道路。まだ昼間だったのもあり、人通りは多いこの場所に、深海族が一体降臨してしまった。
明らかに異常な生命体に、人々は戸惑い、恐怖し、一人を除いて逃げていく。慌てて逃げ出す人々の一人が、触手に貫かれて死亡する。それでも誰もが動きを止めず逃げていた。死体など踏み越えて、醜くとも生き残りたい一心で。
「うーんとお、なんなのかなあ? あなたぁどちら様あ?」
そんな危険な現場に、長い白髪をツインテールにしている少女は平然と立っていた。
キャベツが入っている買い物袋を持っていることから、買い物帰りであることが推測される。そしてどこか風矢と似たように呑気な発言。それでいて強者のオーラが放たれている。
深海族は目の前の人間の女性にしては高身長の少女を見下ろす。
「抹殺。人間、抹殺」
「会話できないのぉ? じゃあいいかなあ」
動けない。深海族は身体が震えて、身動き一つ取れない。
どうしてか、少女が怖いから。
どうしてか、妙なプレッシャーを感じるから。
どうしてか、本能が警報を鳴らしている。この少女と戦ってはいけない。
人間よりも敏感な生存本能が十全に発揮される。
「決まり手は、押し出しねぇ」
なぜならそう、彼女は……強いから。
深海族が逃走を図ろうとしたとき、少女の白くきれいな手が力士のように突き出される。その張り手を受けた深海族は口から体液を吐き出し、遥か彼方へと突き飛ばされた。
* * *
海鳴総合病院には八神風矢が入院している。
彼は一度、暇だからという理由で病院を抜け出していることから看護師に怒られ、退院予定日が遠ざかったとはいえ、今日が退院日だ。キングとの戦闘でできた傷も完治……までとはいかずとも、日常生活に支障がない状態までには回復した。
本来なら退院は数か月先の予定であるのだが、常人離れした自然治癒力により、予定よりも早く治っているのだ。看護師達は退院日、人間を見る目ではなく、何か別の生命体を見るかのような目になっていた。
そんな化け物染みた男の妹である少女は兄が退院するという報告を受け、病院にまで迎えに行こうと歩いている。
足が不自由であるがゆえに車椅子である彼女。一人でも行けなくはない道のりだが、念のため同行者を一人選んでいた。
「いやぁ、しっかし本当にすみませんキングさん。兄貴迎えに行くだけなのに付き添ってもらって」
「いいよ、俺とはやて氏の仲じゃないか。それに風矢氏は俺のせいで入院しているんだから、行かないわけにはいかないよ」
入院の原因となったキングには罪悪感がある。
今では対等な友人という関係に落ち着いていても、心の奥にしこりのように残る罪悪感は消えないものだ。それどころか友人にまでなった相手のこととなれば罪悪感は増してしまう。
はやてと話しているときも、遊んでいるときも、どこか罪滅ぼしのような気持ちになり、あまり純粋に楽しめたことはなかった。それでも僅かな楽しさがあったことがキングにとっては救いだった。
「人間抹殺」
――二人が病院までの道を進んでいるとき、恐怖の塊のような聞き取りづらい声が届く。
二人の目の前には、タコの足のような触手が十本以上生えていて、五メートルのヒトデが立っているかのような生物が存在していた。
どこからどう見ても人間ではない生物に、二人は顔を青ざめさせ、汗を噴き出す。
「は、はやて氏。もしかしてこの人、お知り合い……?」
「ははは、そんなわけあらへんやん。キングさんのお知り合いやろ?」
ぎこちない動きで二人は顔を見合わせ、目の前の怪物と交互に視線を彷徨わせる。
やがて汗を滝のように流しながら、二人は恐怖でおかしくなった叫び声を上げて逆方向に走り出す。
「あああああ! なんや、なんなんやあれ! この町はいつから地球外生命体がうろつくようになったんや!」
「まずいまずいあれはまずい! 聞き間違いじゃなかったら抹殺とか物騒なこと言ってたよ!」
「私も聞こえたわ! 幻聴でなければやばい奴や! というかキングさんもっと早く走ってえええ!」
「む、無理! これでも全力でっ……しかも、息、切れてきた……!」
体力がガンガン削れていくことでキングの速度が低下する。
はやての車椅子を押していることも原因の一つだが、普段運動をしない性格なツケが出始めていた。
「しっかりしてやあああ! こんな若さで死ぬんは嫌やああ! 私は意地でも天寿を全うするんやからなああああ! ほら、キング流気功術や! あの煉獄なんたらってやつやってえな!」
「あの時のは、使えない……げほっ、はあっ……! し、死ぬ……!」
さらに走る速度が減速し、ふらつき始めたキングはとりあえず足を進めているものの、小学生の歩行速度と同レベルである。そんな速度で離れられるわけがなく、先程から追ってきている深海族との距離が縮まる。
至近距離にまで近づかれたことにより、キングとはやては死にたくないと涙を流す。
絶望の触手が二人に迫る。鞭のようにしならせたそれが届こうとしたとき、はやては思わず叫ぶ。
「助けて、兄貴……助けて、お兄ちゃあああん!」
二本の触手が二人に叩きつけられて、軽々と命が吹き飛ぶ――はずだった。
「任せろ」
触手は二人に届かず、いつの間にか現れた男が掴んで防いでいた。
逆立っている茶髪は風で揺れている。大切なものが害されそうになったことで茶色の瞳は相手を睨みつけている。筋肉質な体は攻撃を掴んでいるために腕と足が膨張して、鋼鉄をへし折るような力が発揮される。
――はやてが助けを求めた相手、八神風矢がそこにいた。
「おに……兄貴……!」
「風矢氏……!」
頼りがいのある広い背中を目にして、目を見開いた二人が涙を零しながら名を呼ぶ。
「テメエが誰だか知らねえが、俺のダチと妹に手を出すなら容赦は……しねえ!」
風矢は掴んでいる二本の触手を離さず、思いっきり空中へと放り投げる。
深海族の巨体は軽々と浮かび上がり宙を舞う。そして投擲してすぐ風矢も跳ぶ。
「人間、抹殺!」
青い光が包みこむ触手が五本、高速で飛来する風矢に向かっていく。
鞭のように向かってくる触手を風矢は連続で拳と脚で迎撃する。餅のような弾性など関係ないように弾かれた触手。その最後の一本に関しては弾くことなく、さらに高く上がるための踏み台とする。
気合の込められた叫びが轟く。
深海族は猛獣の咆哮のようなものを聞き取り、真上へと視線を移動させる。すると、もう目前に迫っていた風矢が思いっきり拳を振るっていた。
咄嗟に動かせた三本の触手で、深海族は盾のような形を作り拳を防ごうとする。だが圧倒的筋力から繰り出され、空気を切り裂くようにして迫る拳は――防げない。
いとも簡単に即席の盾を崩し、深海族の額に重い拳が叩き込まれた。
深海族は轟音と共に道路に叩きつけられた。
コンクリートは蜘蛛の巣状に砕け、深海族の全身の筋肉が断裂する。口から緑色の血液を含む液体を吹き出してから微動だにしない。それから遅れて風矢が深海族の体の上に着地したことにより、体の一部が跳ねることはあったが、もうそれ以上動くことはなかった。
一際静かになったその場に、はやてが車椅子を自分で動かして近付いていく。
「兄貴! 大丈夫やった!」
「はあっ、はあっ……! 待ってよはやて氏……!」
キングもその後ろを走っている……子供の歩行速度並だが。
無事であった妹が来たので風矢は深海族の上から地面に下り、手を挙げて笑みを浮かべる。
「よおはやて、それにキングも」
「兄貴のドアホー!」
「ぐおっ!? ……はやて?」
止まることなくはやては勢いよく風矢に衝突する。
痛みがあるわけではないが驚きはあった風矢は、自分の腹筋に顔をうずめる妹を見下ろす。
「なんで、なんで……」
「……わりぃな、また約束守れなかった。だけど俺は――」
「なんでもっと早く来てくれなかったんや!」
風矢の私服が涙で濡れてシミを作る。
顔は見えないが、妹が泣いていることは容易に理解できた。
「怖かった。私、怖かったよ……! 兄貴はいっつも遅いんやから……!」
「……ああ、悪かったな。お前がピンチのときに傍にいなくて、悪かった」
風矢は穏やかな表情になり、泣いているであろうはやての頭を優しく撫でる。
傷つきやすい宝石を触るかのように優しく、そして静かに抱きしめた。
「そ、それにしても、風矢氏が倒したのっていったい何なんだろうね」
「ん? さあな、着ぐるみじゃねえのか?」
「こんな生々しすぎる着ぐるみ嫌だよ……」
はやてを抱きしめるのを止め、風矢は深海族の方に視線を向ける。
明らかに人間ではない生命体が道路に横たわっているのは不気味なものだ。
その生命体については思わぬ方向から答えられる。
「ジュエルシードが現地生物と融合して、暴走した結果だ」
三人は咄嗟に声の方向に顔を向ける。
上から聞こえた声の正体は一人の少年によるもの。彼はゆっくりと地上に降り立つ。
「お前、確か」
「初めましての人もいることだし自己紹介をしておこう。僕の名前は――」
「コロナ・パルチザンじゃねえか」
「誰だそれは! 僕の名前はクロノ・ハラオウンだ!」
叫ぶクロノは深くため息を吐く。
「はぁ、まったく君というやつは、関わらないと約束したくせに思いっきり関わるじゃないか。まあ封印はできないとはいえ、一般人を庇い、ジュエルシードを取り込んだ現地生物を迅速に動けなくしたことは賞賛されることだ。そこはいいだろう。だが規則として君のことを認めるわけにはいかないんだよ。魔力も持っていない一般人を戦わせたなどと知られれば、上になんて言われるか分かったもんじゃない」
「妹が危なかったんだ。それだけで俺には喧嘩をする理由になる」
「君の妹? そこの、車椅子の彼女か? 似ていないな」
ジッと見られたはやては委縮してしまうが、一応礼儀として頭を下げる。
「ど、どうも」
クロノも無言であるが軽く会釈して、再び風矢の方へと視線を移す。
そこでキングから素朴な疑問が出る。
「よく分からないんだけど、こんなやつは他にいるの?」
「高町ともう一人の少女が封印に失敗した三体がこの町に堕ちた。一体は八神が倒してくれたがな」
つまり残り二体。怪物が町にいるということ。
恐ろしい事実を聞かされたはやてとキングは怯えるが、すぐに続いたクロノの言葉でなくなる。
「残り二体もどういうわけか倒されているのを確認した。それで訊きたいんだが、あれを倒せる者がお前以外にいるか? ジュエルシードはこちらで回収できたとはいえ、もしかすれば新たな敵の可能性もあるからな」
「さあなあ、わりといるんじゃね?」
「……いるのか。はぁ、この星は高町といいお前といい出鱈目なやつばかりだな。僕はこれからアースラへと戻るがお前はどうする?」
「俺はいい。はやて達を放っておくわけにはいかねえからな」
今ならば解決に向け、一時的に協力してもいいというクロノの考えは否定される。
風矢としては妹の身の安全が一番であり、無理に事件に関わるつもりはない。
「そうか、なら気を付けて帰れ。何が起こるのか分からないからな」
「おう、お前もな」
本当にこの世界は何が起こるか分からない。
遠くで、雨雲もなく太陽が輝く空に突如として魔法陣が現れ、紫光の雷が降り注いだ。
風矢達はそれに気付かずに帰るべき場所へと帰っていった。
* * *
紫の雷が降るおよそ三分前。
なのは、フェイト、ユーノ、アルフの四人がいる場所。海鳴市近海。
七つのジュエルシード全ての封印には失敗したものの、四つは成功している。町に落ちた三つの反応はすぐに消えてしまったので、現状では四人が探す術がない。しかしそれはクロノが封印したからであり、実際には管理局がジュエルシード収集で一歩リードしている。
『高町、詰めが甘かったな』
どうしたものかと悩んでいるとなのはに対して念話が飛んでくる。
『クロノ君……』
『安心しろ、現地民の協力もあってすぐに封印出来た。君を、いや君達を咎めはしない。……これで我々のジュエルシード所持数は十個だ。できればそちらにある四個も回収してほしいんだが……可能か?』
なのはは表情に出さずに思考力を高め、多少の罪悪感を持ちつつも偽りの言葉を口にする。
『……ごめんなさい。フェイトちゃんに二個取られちゃった』
『そうか、ならば仕方ない。至急残りの二個を持ってアースラ内に戻ってくれ』
『うん、謝らなきゃいけないもんね』
命令違反を犯したことの謝罪が残っている。フェイトを助けるためとはいえ、民間協力者の立場で管理局の指示に背いたことは悪いことだとなのはも分かっている。ユーノも同罪で謝らなければならない。
これからのことを考えて、なのははすぐにジュエルシードを回収しようと決意した。
「フェイトちゃん、ジュエルシードはこっちが手に入れたみたい。だから町への被害は大丈夫だよ」
「……そう」
目的の物が取られているのはフェイトにとって面白くないが、はやてに危害が加えられなくてよかったと安心する自分もいた。
「だから私達は二個貰うよ。四個の封印を二人でやったから、半分こ」
「……いいの?」
本来なら全て持っていかれてもおかしくない。敵側が譲歩してくれているという事実を受け入れ、フェイトは確認の意味も込めて問いかける。だがなのはの答えは同じだ。
「いいよ、だって二人で協力したんだもん! だったら二個ずつ手に取ればいいでしょ?」
「分かった、ありがとう……」
譲歩してくれたのだから断る理由はない。ここで全てを奪えるなら簡単なのだが、現在のフェイトにそこまでの余裕はない。
フェイトは宙に浮かぶジュエルシードを二個手に取る。
ジュエルシードを確保するとフェイトはなのはを見据えた。
「ただ、これでジュエルシードはお互いが持つもののみ。次に会ったときは戦うしかない」
それについてはなのはも承知の上だ。
もうこれで管理局側が十二個、フェイト側が九個。これ以上はいくら探しても見つからず、手に入れるには相手から奪うしかない。つまり確実に戦闘することになる。
今回だけは協力したが次はない。四人はそれぞれ、次に戦う相手と向かい合って鋭い視線を送る。
「分かってる。だから約束しよう? 戦いは明日、時間は午前の十時、場所はここ、誰にも迷惑のかからない海上。負けた方が持っているジュエルシードを全て渡す!」
「……望むところ。私は絶対に負けない、覚悟しておいて」
「ふふ、私だって負けないよ……!」
二人の少女が小さく笑みを浮かべたときだった。
――突如、フェイト達の真上に紫の魔法陣が出現し、紫光の雷がなのは目掛けて落ちる。
空高くに出現した魔法陣には気付かなかったが、フェイトは落雷には気がついた。
よく知っている魔力反応。強力な紫電が迫ってくること。二つのことからフェイトは攻撃を仕掛けてきたのが誰なのか瞬時に理解する。
「母さんっ……! なのは!」
「……えっ?」
一人の少女が、強烈な電流を浴びる。
甲高い悲鳴が周囲に響き、焼き焦げるような臭いが広がる。
誰もが聞いていて痛々しい悲鳴を上げたのは――フェイトだった。
「フェイト! 大丈夫かい!?」
「フェイト、ちゃん? 私を……助けてくれた?」
落雷が迫って来たとき、フェイトは咄嗟になのはを突き飛ばした。その結果自分の回避行動が取れず紫電が直撃したのだ。
押されたなのはは呆然と、目の前で海に落ちていくフェイトを眺めることしかできない。
間一髪で海に落ちる前にアルフがフェイトを抱え、最悪の事態は免れた。
「フェイト! フェイトしっかりしな! ああクソあのババア!」
生きてはいるが、フェイトの全身には痛みが駆け巡っている。
このままでは危険なため、アルフは一度本拠地に戻ろうと転移魔法を使用しようとする。
「待って!」
転移することを感じ取り、なのはは焦って止めようとするが遅かった。
もう海上にはフェイトとアルフの姿はなく、最後の最後で心が痛む事件が起きてしまった。
「……フェイトちゃん」
自分が気付いていればフェイトがああなることもなかった。それに助けてくれたことのお礼も言えていない。
なのはは深く己の弱さを後悔するまま動かず、やがてアースラへと転移魔法で帰還した。
* * *
時の庭園。
アルフは本拠地である庭園内にフェイトを連れ帰っていた。
怒りを抱えてフェイトを背負い、アルフは歩き出す。
「……ぅ、ん。ぐうっ……!」
歩いている途中、アルフの背中にいるフェイトが目を覚ます。
落雷により気絶していたが、目が覚めてみれば焼けるような痛みが襲ってきている。
「フェイト、目が覚めたんだね」
「……ア、ルフ。こ、こは、時の庭園?」
「そうだよ、プレシアの魔法が直撃してフェイトが気絶しちゃったから、一度こっちに帰ってきたんだ。高町との戦いは明日だし、ここは誰も邪魔しないからゆっくり休めると思う」
「そう、だね。ねえアルフ……こっち、私の部屋じゃ、ないよ?」
アルフが向かっている先が自分の部屋でないことにフェイトは疑問を抱く。
幼い頃から過ごしてきたフェイトには、今向かっている先にいるのが誰なのかすぐに分かる。倒れる原因を作ったプレシア本人がいる部屋だ。
「フェイトが気絶したままならぶん殴ってやろうとしてた。でも目が覚めたんなら、どうせ報告しに行くんだろ?」
「うん、ちゃんと、二個手に入れたこと、報告しないと」
「分かってるよ、もうすぐ着くからジッとして体を休ませときな」
「ありがとう……」
痛みに目を細めながらフェイトは我慢する。苦しそうな表情のまま目を瞑り、信頼できる背中に身を預けていた。
そんなフェイトを背負いながら歩き続け、アルフはプレシアがいる広間へと辿り着く。重厚な扉を押して開くと、その隙にフェイトが床に下りて歩き出す。
「母さん、ただいま戻りました」
広間の玉座には一人の女性が座っていた。
黒い髪は左目を覆い、後ろは太もも辺りにまで伸びている長髪。黒いマントを羽織っており、大胆にも胸元がはだけているドレスは大きな胸部が半分ほど露わになっている。冷たく鋭い目は家族に向けるようなものではない。彼女こそがフェイトの親であり、ジュエルシードを集めるように指示しているプレシア・テスタロッサだ。
プレシアは紫に近い口紅が塗られている口を開く。
「ジュエルシードは回収できたのかしら」
多少の怒りを感じたフェイトは俯いてしまう。
「……二個だけ回収しました。でも残りは明日に必ず確保します」
「相変わらず役立たずね。七個の内たったの二個だなんて」
あんまりな物言いにアルフは青筋を額に立てる。
殴りたい衝動から拳を握るアルフに、予想外の一言がプレシアからかけられる。
「……使い魔、出ていきなさい。私はこれからフェイトと二人でお話しないといけないから」
「は? な、なんでだよ、アタシがいたら何か問題でも――」
納得できないため抗議しようとするアルフをフェイトが手で制す。
「アルフ、出ていって。母さんは二人で話がしたいらしいから」
「……フェイトが、そう言うなら」
主にそう言われては従うしかない。使い魔の性というものだ。
言われるがままに退室するアルフだが、二人っきりにするという状況に不安を抱いていた。
フェイトはプレシアのことを信頼し、好ましく思っているが、逆はどうか分からない。むしろプレシアは普段の態度から、フェイトを憎んでいるようにすら思えてしまう。
フェイトの話では昔はいい人だったと聞いている。しかしアルフは今のプレシアしか知らない。敬愛する主人に冷たく当たるプレシアしか知らない。それを信じろ、警戒するなと言われても無理な話である。
悪く思っているがアルフはプレシアに敵意しか抱いていない。正の感情などなく、ただフェイトを扱き使うクズであるとしか思っていない。今まで溜められた怒りと敵意はフェイトのために抑えているが、もう自分では抑えきれないところまで来ていた。
「なに、話してるんだろ」
好奇心ではなく心配から、アルフは中の様子が気になっていた。
厚い扉に近付き、耳を静かに密着させて音を聞き取ろうとする。
「……なんだ? 今、小さいけどフェイトの声が」
もっと耳を澄ます。全神経を聴覚に集中してようやく声がはっきり聞こえた。
痛い、痛い、痛い。耐えるような少女の悲鳴が……はっきりと。
「おい、なんだよ、なにしてんだよあのババア……!」
何かで叩く音が聞こえる。重いものではないが、軽くても鋭い音が響いている。その度にフェイトの小さな悲鳴が上げられている。
中に入ろうと扉に手をかけるも、震えてしまって押すことができない。
しばらくの間、少女の耐えるような小さい悲鳴を聞いていることしかできなかった。
「がああっ!」
今までと違う一際大きい悲鳴が上がり、それを聞いたアルフは決意を固め、勢いよく両手で扉を開く。
中の様子を確認して言葉を失う。フェイトの雪のように白い上半身が露わになっている、そこは大した問題ではない。問題なのはその白い肌に、赤く目立つミミズ腫れがいくつもできていたことだ。
何がどうしてそうなったのか。黒い鞭を持っているプレシアがいることから想像は容易い。
「あら、主人の命令も守れないなんて下等な使い魔ね」
「……どういう、ことだ」
フェイトは呼吸により胸が上下することでしか動いていない。
死んだように気絶している主を見て、冷静にいられる使い魔がいるものか。
「どういうことだよプレシアアアアア!」
「うるさいわね、静かにしなさい」
プレシアが取り出した杖の先から、紫色の魔力弾がアルフに向かって放たれる。
回避することができず、直撃して爆発。アルフは横に転がって壁に激突した。肺の中にある空気が吐き出されるのと同じく、今まで溜め込んでいた負の感情が吐き出される。
「がはっ、ふざけんなよプレシア……! その子は、フェイトは、アンタのことを信じて、アンタのためにジュエルシードなんていう危ないもん集めて、ずっと命がけで頑張ってきたんだ! 褒めてもらおうって、昔みたいに穏やかなアンタに戻ってほしいって、健気に頑張ってきたんだ! それでこの仕打ちかよ! 実の娘を鞭で叩きまくって、それでもアンタは人の親なのかよ!」
荒ぶる激情を抑えずに、思っていることを正直に叫ぶ。
それに対してプレシアの反応はものすごく薄いものだった。
「……娘? 私の目の前に転がっているのは道具しかないけれど、どこにいるのかしら」
「……は? 道具……?」
何を言っているのか理解したくないが、そういうことだと分かってしまう。
プレシアという女は、フェイトを娘として見ていない。アルフは理解すると同時に激しい怒りに駆られ、胸に点いた火を燃やして走り出す。
「プレシアアアアア!」
どうしても殴らなければ気が済まない。一発でなく、死の寸前まで殴らなければ怒りが収まらないと思い、アルフは叫びながら拳を振るう。
固く握られた拳がプレシアに届く――寸前で薄い紫の障壁に止められる。
「があああああああ!」
強引に突破しようとして力を込め続ける。
障壁に小さな亀裂が入り、広がって、やがて亀裂を中心に障壁が崩れた。
力任せに突破した代償で骨が歪み、皮膚が削れて血が噴き出しているがお構いなしに殴りかかる。
憎しみ、怒り、これまでに溜め込んだ全てを拳に宿す。
全身全霊の一撃が今プレシアの顔面に突き刺さる――直前で躱された。
僅か二センチという至近距離に迫っていたにもかかわらず、紙一重で避けられてしまったことに驚愕する。
「サンダーレイジ」
紫光を纏う雷がアルフに直撃した。
「があああああああ!」
電撃の余波が部屋全体に行き渡り、強烈な電流がアルフの体に伝わる。
「消えなさい」
そして――ふいに出現した黒い渦が、アルフを呑みこんだ。
意識が薄れたアルフは意識がなくなる最後まで暗闇しかその瞳に映らなかった。
戦いが終わり、部屋は一気に静かになる。
フェイトが目を覚ましたとき、もう時の庭園にアルフは存在していなかった。