しかし約束は果たされず、裏切られ。異界の勇者は凶行に手を染める。
玉座の間に、ひとつの音が鳴った。
それは肉を裂く音。裂かれた者の名はグランディウス四世。この国の王だ。
そして裂いた者の名は。
彼は、少し前まで、ただの一般人で、しかし運よく最高の両親に最良の教育を施され、最愛の恋人が居て。
不運にも、この滅びかけた王国に【異界の勇者】という形で呼び出された、哀れな男であった。
それだけならまだ、救いはあったのかもしれない。グランディウス四世は、元の世界への切符と山ほどの財宝を報酬に協力を願ったのだ。
短い旅の末、彼は人類の天敵、魔王を討った。
そして、達之は億万長者となった。それにしか成れなかった。
召喚魔法に復路など存在しなかったのだ。
達之にとって、財宝などどうでも良かった。元の世界に戻り、敬愛する両親と最愛の恋人と共にあれば、それで良かった。親指ほどもある金剛石も、飴細工よりも薄い金細工も、それらの前には霞同然だ。
当然彼は激昂した。したが、召喚魔法は失伝していたものを掘り返して無理やり使ったものであり、それは不完全であることに思い至った。
なので彼は猶予を与えた。700日。彼の世界で、およそ2年に当たる日数である。
そして王は約束した。それまでに、彼を元の世界へ還す事を。
今日は、701日目であった。
「タツユキ!」
彼の背後からバラバラと足音が鳴った。剣はそのままに振り返る。
かつて豪奢な装飾にあふれ、埃ひとつ落ちていなかった玉座の間は。近衛兵の血で汚れ、バラバラになった鎧や武器がそこかしこに散らばっていた。
さらにその奥、大きく切り裂かれた扉付近。そこに達之に声を掛けた男が。
彼は王国の現勇者。
実力こそ達之には遠く及ばぬものの、彼の価値はその特異な魔法と精神性にある。
『あらゆる人物の力を10倍にできる魔法』、そして勇者として最も大事な、慈しみの心を持っている。
「リランか」
達之は彼の名を呼んだ。呼ばれたリランは胸を貫かれた王を見て顔を歪める。
それから程なくしてさらに三人が謁見の間に現れた。
聖女アリシャ。左手に聖女の証を持った、勇者リランの幼馴染にして、配偶者。
この世界唯一の癒しの魔法使い。
賢者エイシカ。小柄で弱気で、泣き虫で、勇者リランの二人目の配偶者。
この世界随一の天才魔女。
剣聖クリシス。眩いほどの美貌と長躯を持つ、この国の姫。前勇者の婚約者であり、現勇者リランの三人目の配偶者。
この世界屈指の魔法剣士。
三人は玉座の間を見て、それぞれの感想を漏らした。
その中でもクリシスは王、実父の変わり果てた姿を見て大きく動揺した。
「父上!」
思わず駆け出し、抜剣し達之へ迫る。
「タツユキ!貴様ぁ!」
大きく振りかぶった力任せの一撃。しかしそれは容易く躱され、逆に腹部に蹴りを受ける結果になった。
吹き飛ばされたクリシスはリランの目の前まで転がっていき、彼に助け起こされる。
「大丈夫かクリシス!?」
「ぐっ…くそっ!」
「じっとしてて」
痛みに顔をしかめながら起き上がり、アイシャの魔法で治癒される。
剣を拾い上げ再び達之に向かおうとした彼女は、リランに制止させられることでようやく止まった。
「話をするべきだ」
「話!?やつは私の父を討った逆賊だぞ!」
「だからだよ。彼にも言い分があるはずだ」
「やつの言い分など…!」
リランはそれでも、と説得した。その言葉に彼女はとうとう折れ、リランの後ろに付く。
彼は三人の先頭に立ち、達之に声を掛けた。
「タツユキ。どうしてこんな事を?」
「こんな事?
「そうだ」
なんだそんな事、と達之は笑う。
「こいつは約束を守らなかった」
「たったそれだけで殺したのか!」
激昂したクリシスが食って掛かる。さすがに襲い掛かることはなかったが、射殺さんばかりの憎しみの目で睨みつけた。
それに対し達之は呆れたとばかりに溜め息。
「勿論それだけじゃない。お前たちだって本当は分かっているんだろう」
「何を…!」
「俺をこの世界に呼んだこと」
クリシスはぐっと歯を食いしばった。反論などできなかったからだ。
彼女は愚昧ではない。彼がこの世界に呼ばれた際、どのような苦悩を抱えるかなど、初めから。
「両親と恋人に別れの言葉も碌に交わせず、元の世界に戻す約束も破られた。今なら、二度と親と会えなくなった俺の気持ちも痛いほど解るだろ?クリシス」
理解していたつもりだった。しかし、つもりではどこまで行ってもつもり。真の理解などに到底届かない。
何も言えなくなったクリシスは強く拳を握りしめ、深く俯いた。
「で、でも!もう少し探したら元の世界に戻す方法だってあったかも!」
呼びかけたのは賢者エイシカ。普段弱気な彼女は、それでもと声を張り上げる。
その優し気な気づかいのある言葉に、やはり達之は首を横に振った。
「駄目だった。そもそも不可能なんだ」
「えっ…」
「エイシカは研究結果を見ていないのか?それとも見せられなかったのか…。まあどっちでもいい」
彼は玉座の肘掛けに腰を落とすと、言い聞かせるように語り始めた。
「そうだな。星で例えよう。俺は空の上から無理やり引きずり落され、この地上の世界に居る。ならどうやれば空の上に戻せるか?」
「えっと……」
「無理だ。俺たちがどうあがいたってね。この世界にはそれだけの魔法や技術がない」
「……」
「ありがとうエイシカ。いつかきっと、なんて言わないでくれて。もし口にしていたら今ここで殺していた」
エイシカは賢者である。彼が言うような突飛な方法を実現する方法の一つや二つは思いついたが、それこそ何世紀も掛かる大掛かりなものだ。達之を還せるようになるころには既に寿命を全うしている。
彼はそう言っているのだ。
彼女、エイシカは異界の勇者召喚に消極的ながら賛同した一人である。そしてその儀式に立ち会った。
もし、儀式の魔法の構築文をしっかりと把握していれば、このような事実に気が付けていたのかもしれない。そのような疑念の形をした後悔が産まれた。
エイシカは何も言わなくなった。
「だからって!どうして彼らを殺したのよ!」
怒りながら叫んだのは聖女アイシャ。彼女はグランディウスと、事切れた近衛たちを指さす。
「もう戻れないなら、この世界で生きれば良かったじゃない!アンタには金も人脈もあった!」
「確かにそれも考えた」
「だったらなんで……!」
「八つ当たりだよ」
は、とアイシャの口から空気が漏れた。そんな理由で?という困惑の表情が浮かび上がる。
「二度と会えなくなってしまった人たちの事を考えると、悲しくて悲しくて、やり切れなかった。だから、鬱憤晴らしに殺した」
「鬱憤晴らしって…!アンタ何言ってのかわかってんの!?」
「もちろん。俺の言い分もアイシャなら分かってくれると思ったんだけどね」
「ふざけないで!」
ふぅ、と。哀れなものでも見るような瞳がアイシャを見据える。その冷たい目に彼女はたじろいだ。
「前勇者の事は残念だったね」
「な…!」
どうしてそいつの名が!アイシャは喉元まで出てきた言葉を必死に呑み込み、平静を保とうとする。しかし、続く言葉にそうも行かなくなった。
「彼、婚約者のクリシスに酷い事をしたらしいじゃないか。それにエイシカにも。アイシャも寝所に連れ込まれて、犯される寸前まで行ったって聞いてるよ」
「あ、アンタ…それ誰から…」
「王城の兵士だったらみんな知ってたよ。前勇者の事だ、知らない奴なんていない。素行が相当酷かったからね」
彼女の額から汗が一粒落ちる。
「リランがあの魔法に覚醒してからはあっという間だったらしいね。王女…クリシスを乱暴されていたと知ったグランディウスは激昂して、前勇者を酷い拷問に掛けたらしいじゃないか」
「う…!」
「一応公式の処刑だったらしいからね、記録が残ってたよ。彼の処刑に立ち会ったのは王族と処刑人、拷問官。そして」
お前だ、と。指を差されたアイシャは背中に氷柱を差し込まれた気分に陥った。
「前勇者の悲鳴は聞いてて気持ちよかっただろ?君の親友であるクリシスとアイシャに酷い事をしていたんだから。当然、憎んでもいただろうし」
「うっ…!」
「彼の死を目の当たりにした瞬間、お前はどんな気持ちになった?それが今、俺が感じている気持ちだよ」
ぐうの音も出なくなった。
しかしそれでも、納得はできなかった。
「いいじゃない…」
「ん?」
「アンタがちょっと我慢すればいいじゃない!私たちだって必死で生きてるの!私たちみんなが異界の勇者サマみたいに何でもできるわけじゃないのよ!」
「そうかい。じゃあどうしてお前たちは前勇者の件を我慢できなかったんだ?」
「何を言ってるの!アイツを野放しにしたままだったら私たちが…!」
「彼、素行はともかく、強かったらしいじゃないか。それこそリランの魔法を使えば、ひょっとすれば魔王に届いたかもしれないよ」
「……っ!」
「考えなかったわけじゃないだろう。それでもお前たちは彼の処刑を望んだ。どこか間違えているかな」
「──っ!──っ…!」
「自分達は生贄になりたくないクセに、俺には生贄になれと?自分が出来なかったことを異界の勇者サマにせびるのかい、聖女サマ?」
今度こそ、アイシャは何も言えなくなった。彼女にできるのは、もはや俯いて震える事だけである。
三人を言い負かして少しは気が晴れたのか、達之は王の亡骸から剣を抜いて立ち上がった。
「…どこへ行く気だい?」
「ちょっと、この世界の人間を滅ぼしに」
尋ねたのはリラン。達之はなにも気負うことなく、言い放った。
「どうしてだい?」
「もちろん八つ当たりだよ。どうせ、俺を召喚しなければ滅びるはずだった世界なんだ。俺が滅ぼしても問題ないだろ」
「僕たちがそれを許すと思ってる?」
「いいや。だけど障害にもならない。リラン、お前はいい奴だから忠告するぞ。俺の行く道を塞ぐのなら容赦はしない」
玉座の間の出入り口は一つ。それはリランの背後にある。
達之は歩を進める。その間にクリシスが剣を携え、彼の前に立った。
「父上の恨みもあるが…貴様をこの先に行かせるわけにはいかん」
その背後にアイシャとエイシカが歩み出る。
「アタシはみんなを守るために聖女やってるの!アンタが私たちの敵になるって言うなら……!」
「ごめんなさい、タツユキさん…」
アイシャは怒りながら、エイシカは泣きながら。それぞれの得物を構えた。
「リラン!」
「リランさん」
「リラン…!」
三人が同時に勇者を呼ぶ。
そしてそれに応えるように、魔法を行使した。
「お前たちは、本当に馬鹿だ」
呆れたように、達之は顔を覆った。
■■■
リランたちは、一矢報いることすらできなかった。
剣聖クリシスは足の腱を裂かれ、賢者エイシカは腹を貫かれ、聖女アイシャはクリシスの剣で腕の紋章ごと地面に縫い付けられていた。
「う…一体何が…」
唯一無事なのは壁まで吹き飛ばされた勇者リランのみ。その彼も剣を吹き飛ばされ、鎧も半ばほど損傷している。
「リラン」
この惨状を作り出した下手人、達之は聖剣を片手に持ったまま、彼に問いかけた。
「お前と、もう一人だけ助けてやる。お前が選ぶんだ、リラン」
その言葉でガバリと体を起こす。
その視線の先には、三人が苦悶の表情でリランを見つめていた。
「選べ。誰を死なせて、誰を生かす」
もう一度問われる。
そんなもの、選べるわけがない。
しかし、立ち向かおうにも武器は無く。また、距離もある。
リランは立ち尽くした。
自分の選択で誰かが死ぬ。そんな経験は初めてだったのだ。
「選べ」
もう一度強く問われる。
しかし、リランは選べない。
「お前はいい奴だ。正直尊敬している。だが一つだけ気に入らないことがあった」
聖剣が大きく振りかぶられる。
「やめ──」
「その、優柔不断で、選ぶことを恐れるところだ」
ザクリ。
その一撃はクリシスの胸を貫いた。
「やめてくれ──」
「俺の召喚には立ち会ってはいなかったが、積極的に召喚を防ごうとはしていなかったんじゃないか?お前は自分が悪者になることを恐れたんだ」
ザクリ。
次の一撃でエイシカは命を散らした。
「やめてくれぇぇーーーーっ!!」
「そして三人に言い寄られて、全員を娶るだなんて。羨ましくて反吐が出るよ」
ザクリ。
最後に残っていたアイシャも、二人と運命を共にした。
達之は血を払うと、今度こそ出口へと向かって歩いていく。もはや止めるものなど何処にもいない。
膝を突いて絶望するリランを一瞥すると、達之はその場を後にした。
「俺が世界を滅ぼすところを見ているといい」
ただ、そう言い残して。
戦場後と見紛うような焼け跡の街で、達之は懐かしい顔と出逢った。
それはリラン。その顔からは幼さが消え、しかし未だ甘さを残している。
「やっと見つけたよ、タツユキ」
「何の用かな?」
分かっていても、問いかけたかった。達之にとってリランは、甘々の優男で、優柔不断の、しかし尊敬できる男である。
で、あるならば。自分が驚くような答えでも持ってきたのではないかという期待があった。
「君を助けに来た」
「ほう、なぜ?」
ほら、やっぱり。内心で感激しながらも、達之はおくびにも出さずに真意を問う。
「俺は山ほど、それこそ数え切れないほど人間を殺してきた。お前の嫁もな。その上でどうしてそんな事が言えたんだ?」
「君がまだ、苦しんでいるから。助けを欲しているから」
「よくも恥ずかしげもなく言えたもんだ」
その言葉で達之は聖剣を抜く。それを見たリランも、また。
「図星だ。なら助けてくれよ。力づくででもね」
「君がそう望むのなら」
「言っておくが、手加減も容赦もなしだ」
「知ってるよ。タツユキは昔からそうだった」
会話が終わり、耳が痛いほどの静寂に包まれる。
二人は小動もせず、睨み合った。
読了ありがとうございました!
本作のプロットはエルナ氏より。詳しくは下のリンクからどうぞ。
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