仮面ライダージェッター&レイガー   作:マフ30

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第2話 混沌を招くモノ

 

 小鳥の囀りが遠くで聞こえる早朝の鉄京市の住宅街を猛スピードで走る人影があった。それはほんの数十分前に異世界からやって来た怪人を相手に自らも仮面の戦士に変身して戦った帆高万里である。

 彼は背負ったバックパックの重量や先の戦いの疲労など感じさせないパワフルな足取りで一目散に西部の住宅街の中でも郊外の方に建つ一軒の大きな家を目指していた。

 

 目的の一軒家――と言うよりはお屋敷と言った方が適切な立派な住居だ。

 和風モダン調の大きな母屋の他に平屋造りながら立派な離れや管理の行き届いた菜園もある広い敷地が小窓を設けて開放感を持たせたレンガ造りの塀で囲まれている。

 万里は【遊月】という表札が掲げられたその家の塀を片手で軽く飛び越えると勝手知ったると言った様子で進んでいき、可能な限り静かな動作で玄関の鍵を開けると中へと入って行った。

 

「どうにか三葉さんが来る前に帰って……あ」

 

 大きく息を吐き出して安堵の表情を浮かべたのも束の間。

 万里は薄暗い玄関で自分のことを待っていましたとばかりにしゃんと背筋を伸ばして立っている人影の存在に気付いて、間の抜けた声を漏らした。

 

「おはよう、万里。いい朝ですね……もっとも、寝不足の身には少々つらい眩さではありますけれど」

「あ、安寿……おはよ」

 

 万里の目の前にいたのは黒いブレザーと青を基調としたチェックのスカートに赤いリボンタイという組み合わせの鉄京高校の制服に身を包んだ清楚な雰囲気の少女だった。

 腰まで伸びた烏羽色の髪をポニーテールで纏めて、折り鶴の細工が付いた簪を挿しているその佇まいは凛とした大和撫子という言葉が実に似合っている。

 彼女は遊月安寿(ゆうづきあんじゅ)。万里とは遠縁の親類にあたり、現在彼が居候している遊月家の一人娘だ。

 また居候と言っても万里が自ら区切りとして分を弁えている面があり、実際は11歳で身寄りを亡くして遊月家に引き取られて以来12年間ずっと一緒に暮らしてきた本当の家族も同然の妹分のようなものであった。

 

「もしかして……お前、俺が帰って来るのを寝ずに待ってたのか?」

「まさか。今日もこうして学校がある身ですもの。一睡もしていないというわけではありませんのでご安心を」

 

 思いがけない出迎えに万里が慌てて腕時計を見ると時刻はまだ朝の五時半にもなっていなかった。白く透き通ったような手で口元を押さえて可愛らしく欠伸を漏らす安寿に恐る恐る聞いてみる。

 

「そ、そりゃあ良かった」

「本当は丑三つ時を越えようと万里の帰りを待っているつもりでしたけど、一人寂しくお布団を被ってさめざめと枕を濡らしている間に眠りに落ちていたようで」

「……本当にすみませんでした」

 

 ホッと一安心した束の間。

 安寿は時代劇の一幕のように水晶のような瞳を右手の袖口でそっと覆って涙を拭う如何にもな仕草をしてみせる。安寿の言葉に一気に青ざめた万里は深々と頭を下げて、彼女が密かに小悪魔的な微笑を浮かべていることも知らずに平謝りの一択だった。

 

「そんなことよりも何よりもまず、万里は私に言うことがあるんじゃないの?」

「ああ、そうだな。罪滅ぼしの内容はそれからだ――ただいま、安寿」

「クス……おかえりなさい」

 

 安寿は頭を下げたままの万里の頬を両手でそっと触れて顔を上げさせると小首を傾げてそう問うた。涼しげだが強い意志を感じさせるその瞳には決して軽蔑が宿っているわけではない。むしろ、そこには安堵と慕情が深く満ちていた。

 彼女の言葉に万里もまた外で見せるような破天荒で飄々とした気風はなりを潜めて、凪の海原のような穏やかな物腰でしっかりとそう告げた。

 兄貴分と妹分。

 この少しまどろっこしく複雑な間柄の二人にとってこの二つの言葉は特別な意味を持っていることを知る者は少ない。

 

 

 

 

 遊月家のハウスキーパー・六角三葉(ろっかくみつば)の平日の朝は早い。

 輸入雑貨の貿易商を営む当主夫妻は年間を通して海外を忙しく渡り歩いているものだから、邸宅には高校二年生になる一人娘の安寿が一人で暮らしている。

 遊月家の居候ということになっている遠縁の親類である万里も職業柄よく家を留守にすることが多いので雇われの立場でありながら三葉は遊月家の管理を一任されており、実質的な主と言っていい状態だった。

 それだけに仕事に対する責務や内容は大きく多岐に渡る。だから遊月氏からの要望もあり三葉は敷地内の離れを住居としてあてがわれ、月曜日から金曜日までの五日間を住み込みで働いている。

なので、彼女にとって始業時間とは午前六時前後とかなり早い部類だ。

 第三者が聞けばなかなかに過酷なものと考えるかもしれないが彼女にとってはそれぐらいならばすでに慣れ親しんだ日常の繰り返しだ。簡単に言うと大した苦ではない。

 実務的なデザインのエプロンに身を包み、亜麻色の髪をシニヨンに纏めて、いつものように準備万端の格好でポストに入れられた新聞を取ってから、預かっている合鍵で母屋の勝手口から屋敷の中へと入っていく。

 

「ま、まだかよ安寿! も、もう限界だ……俺ァどうにかなっちまうぞ!」

「だめ。あともうちょっと我慢できたら、楽にしてあげるわ」

 

 屋敷の中へ入って早々にリビングの方からは熱を帯びた男の苦しげな声とそれを聞いて冷ややかだが愉悦に満ちた少女の声が響いてくるではないか。

 思わず体に染みついた前職の癖が出て、瞬時に気配を消して三葉は静かに素早くリビングのドアの前まで接近した。 

 

「おはようございまーす! 三葉さん出勤ですよー!!」

 

 二人の会話と声色から否が応でも只ならぬディープで禁断の光景を連想させる自らの煩悩を一度振り払って、三葉は勢いのままに部屋へと踏み込んだ。

 

「ふざっけんな! スマホゲームの1ステージをクリアするのにどれだけ時間食ってんだ! とっくに十五分は経ってるぞ? お前の腕なら大抵のゲームはすぐに片が付くだろ」

「ごめんなさい。いまプレイしているのは高難易度ミッションだから、どうしても長丁場になってしまって」

 

 三葉の視界に飛び込んできたのは山口県の名所である錦帯橋にも負けない見事なアーチを描くブリッジを決めている万里と、そんな彼を椅子代わりにして優雅にゲームに興じる安寿の姿があった。

 

「わざとだな? 最初から俺に責め苦を味あわせるために狙ったろ!」

「そうはいうけどね、万里。これは甘い一夜を待ち惚けにされた私への罪滅ぼしなのよ。それが簡単なものでは理屈が通らないとは思わなくて?」

「くっ……おっしゃる通りだよ! とてもじゃないが俺には反論する資格ないわ! 分かった。安寿の気の済むまで耐えてやるけど、コンテニューはするんじゃないぞ?」

「クス……あ、いけないわ。私としたことが選択ボタンを間違えてしまったわ」

「こぉおらぁ!?」

 

 全身をプルプルと震わせながら、どうにかブリッジの姿勢を維持する万里。体力には自信のある彼だがほぼ徹夜で人知を超えた怪物と一戦交えた後では流石に厳しい物があるのか安寿に文句をまくし立てるが彼女が言う正論の城塞の前には歯が立たず、最後の力を振り絞って意地を見せる。

 そんな万里の姿に満足しているのか安寿はわざわざ足を浮かせてパタパタと泳がせたり、万里の鉄板のように鍛えられた腹筋を指でなぞって弄ったりしつつ、涼しい顔でプレイ中のパズルゲームをクリアまで進めていった。

 

「あのー……お二人さん? 家族の朝のコミュニケーションを邪魔する気はないけど、ちょっとマニアックが過ぎるんじゃなくて?」

「おはようございます。三葉ねえさま」

「三葉さん、おはようございます! 今回も無事に帰ってきました!!」

 

 これはこれである意味完全な二人の世界である万里と安寿の姿にどうにかツッコミを入れることに成功した三葉。そこでようやく彼女の存在を認識した二人はそのままの状態で明るい声で挨拶を返した。

 

「あ、うん。はい。元気があってよろしいってことにしておこう! お姉さんは寛大だからね!」

 

 三葉の方もこの二人が本人たちの自覚は薄いようだが大なり小なり変わり者だということをすっかり受け入れているのでこれぐらいのことは笑って流すのが自然になっていた。

 久しぶりに主だった面子が揃った遊月家の朝はこうして始まった。

 

 

 

 

 程なくして、万里たちは屋敷の奥にあるダイニングキッチンで朝食を摂っていた。

 食卓には三葉の手によって前日から下拵えをされて手際よく用意されたタラの西京焼きやきんぴらごぼうに、漬物など純日本食が並んでいる。

 

「美味いな……最高です、三葉さん。この味噌汁飲んでると生きてるって感じだ」

「またまたー嬉しいこと言ってくれるじゃないですか! そんなに褒めても、オマケのもう一品なんて出ませんよ」

「他意のない素直な感想だよ。探検帰りの俺の味覚は縄文時代あたりまで退行してるんだ。全神経で味わっても足りねえよ」

 

 白菜とえのきの味噌汁に舌鼓を打ちながら、万里は満面の笑みで三葉の料理を褒め称える。隣では安寿がよく味のしみたタラの身を咀嚼しながら万里の言葉に同意するようにうんうんと頷いている。

 

「くぅ~! 万里くん、あんたいつの間にそんな悪い男になったのさ? そこまで言われたら今夜の夕食は予定を変更して奮発するしかないじゃない!」

「おお、ありがたい! 三葉さんが居る限り我が家は安泰だな!」

「うわっはっはっは! もっと持て囃してもいいんですよぉ!」

 

 万里の言葉に更に気を良くした三葉はけらけらと笑っていた。

 三葉が遊月家専属のハウスキーパーになって三年目になるが彼女の陽気で親しみやすい性格や、歳も近いことも手伝って万里も安寿も三葉を本当の姉のように慕っているのだ。

 

「それで今回は世紀の大発見はありましたか、万里君?」

「そんなポンポンとは無いよ。今回は殆ど観光を兼ねた取材旅行みたいなもんで。エッツ渓谷には前から行ってみたかったから、仕事で行けるとは願ったり叶ったりで食いついた感じです。ところで先に送ったお土産、ちゃんと届きました?」

 

 一段落して同じテーブルに腰をおろした三葉に今回の探検の話を振られて、万里は少し苦笑しながら旅先でのことを掻い摘んで話した。

 

「もち! 本場のラクレットチーズ、ばっちり堪能しましたとも! ねえ、安寿ちゃん?」

「絶品でした。まさか、チーズとパイナップルがあれほど合うとは」

「生ハムと合わせたサンドイッチも良かったよねー!」

「一応聞くけど……まだ残ってますよね? 大きさ、スクーターのタイヤぐらいのだったし」

 

 某アルプスの少女が劇中で食べていることで有名なとろけるチーズの味を思い返して盛り上がる安寿と三葉の勢いに万里は不安そうに尋ねた。

 

「ご安心を。万里と一緒に食べる分は当然キープしてあるわ」

「それを聞いてホッとしたよ。俺だって楽しみにしてたんだ」

「んん? 現地で色々と美味しい物食べてきたんじゃないの?」

「今回は現地の工芸品や純粋にエッツ渓谷の景観や道中の旅模様がメインだから、交通費が出ただけでも御の字ですよ」

 

 怪訝そうに首を傾げる三葉に万里はナスの浅漬けを齧りつつ主な収入源であるフリーライター業の実情を話した。

 探検家として駆け出しの頃に恩師を通じてその手の業界人と結んだパイプのおかげで慎ましい生活を心掛けていれば食うのに困らない程度の仕事を回してもらえるとは言え、探検家を生業として続けていくにはあれこれとやり繰りしなければならないし、科せられた制約はなかなかに多いのだ。

 

「おやおや、それはご無体な。でも、一食ぐらいは何か食べたでしょ?」

「節約できるところは節約したかったから、現地の木賃宿で一人寂しくペミカン作って、毎度変わらぬ献立だよ」

「ペミ……よく家でも作ってるあのジャーキーやドライフルーツを大量の豚の脂身で固めたギトギトの王様みたいなアレ? 登山用の保存食とかいう?」

「大正解。ま、そういう切り詰めた食生活だったから、一際家庭の味が尊いのさ」

「万里くんってば、顔は良い方なんだからスポンサーとかパトロンでも付けば良いのにねぇ」

 

 普段はあまり深入りして聞かない万里のお仕事事情に軽く哀れんで三葉はたははと笑っていると一足先に朝食を食べ終えた安寿がポツリと口を開いた。

 

「その手のお誘い、実は二年前から幾つかあったんですよ、三葉ねえさま。万里は全部断ってしまったんですけれどね」

「だってスポンサーとか付かれると建て前でも装備品とかメーカーで統一しなきゃいけなくなるだろ? それに別に俺は自分の探検を見せ物にしたいわけじゃない」

「そうかもしれないけれど、万里はもう少し探検以外のことは楽な道を選んでも良いと思うのだけれど」

「逆だよ、安寿。一応、いまの俺のスタイルは色々と考えて取捨選択を行った上での在り方さ。外野からの横槍を気にしないで気ままに探検を続けるための必要な制約なんだ。別に苦労だなんて思ったことはないさ」

「そう……万里が満足しているのなら、それがいいんでしょうね」

 

 意外にも現実的な考えを巡らせている万里の言葉にずっと涼しげで余裕の落ち着きを纏っていた安寿の表情が僅かに驚きで綻んでいた。

 普段はまるで腕白なやんちゃ坊主がそのまま大人になったような万里だが不意にこうした大人の顔を見せてくるのが安寿としては誇らしいと同時に一泡吹かせられたような気がして少し釈然としないものがあった。

 安寿がしばし黙りこんで食後のコーヒーが注がれたカップをちびちび飲んでいる間に今度は万里の方がずっと気掛かりになっていた話題を切り出した。

 

「ところで。俺の留守中に近所とかで変なこと起きなかったか? 不審者とか」

「東部の街を抜けた山奥で器物破損や大きな倒木のようなものが何件かあったらしいけど、大事件なんてものは起きてないはずよ」

「そうか」

「急にどうしたの万里くん?」

「いや別に、そりゃあ三葉さんに居てもらっているとはいえ大事な妹分を一人にしてりゃあな……色々と心配するだろ。色々とよ」

 

 二人のリアクションからどうやら昨日の自然公園での出来事も大きな騒ぎになっていなさそうな様子に万里は内心首を傾げて訝しんでいた。

 自分の知る限り怪我人こそ出ていないようだったがマンティスケイオスの暴れようから動画なり写真なりがSNSを通じで街中に広まっていても可笑しくないはずだったからだ。

 

「そこまで想っていてくれているのなら、もう少し保護者代理の自覚を持って家に居着いてくれると私は嬉しいのだけれどね」

「耳が痛いな。その気でいるからしばらくは遠出するつもりはないよ。それで勘弁してくれ」

「えっ!?」

「なんだよ?」

「別に。ふーん、そうなの……万里、いてくれるんだ」

 

「お邪魔虫だったか? まさか、本当は友達を家に連れ込みたいからさっさと旅立てとか言うなよな?」

「……この愚万里め」

「痛ぁ? え、なに!?」

「何でもありません。では、今日は日直なのでそろそろ支度していってきます」

「お、おう。いってらっしゃい」

 

 無神経というか、鈍感というべきか――兎に角、女心にはとことん疎い万里の言葉に安寿はジト目で睨んで彼を威嚇すると軽くおでこにデコピンを放って、そのまま早足でダイニングキッチンから出て行ってしまった。

 

「なんだい、安寿のいまのあれ? 俺なにか気に障ること言いましたか?」

「はぁぁぁ……朝からホントに仲睦まじくて結構なこと。全く、アオハルかよ」

「――分かった。ついに安寿も反抗期に突入ってやつか……参ったなぁ」

「そんなんだから、愚万里なんて言われるんですよ」

 

 見せつけるような二人の少し禁断の香りを混ぜ込んだ仲の良いやり取りに三葉が特大の溜息を吐く傍らで万里は最後まで腑に落ちない様子ですっとんきょうな不安に駆られて抱えなくてもいい頭を抱えていた。

 

「ところで万里くんの今日のご予定は? 暇ならまた包丁や鎌なんかを研いでもらいたいんだけど」

「悪い三葉さん……午前中は流石に一眠りさせてくれ。で、昼からはちょっと野暮用で出掛けます。包丁やらは明日には研ぎ直しておくよ」

「そっか。野暮用ってのはお仕事関係?」

「まあ、そんな感じだな」

 

 こうして満足いく食事を堪能した万里は自室に戻るなりベッドに寝転がるとそれまでの疲労が一気に押し寄せたのかそのまま電池の切れた玩具のように動かなくなり、深い眠りに落ちていった。

 

 

 

 

 鉄京市・東部。

 駅を中心にデパートや様々な商業施設などが建ち並ぶ繁華街から少し外れたところに夢路の自宅を兼ねる明石探偵事務所が入ったビルはあった。

 

「夢路さん、身体の方は大丈夫ですか?」

「平気だよ。今回はまさかあの図体で飛ぶ奴だとは思ってなくて痛い目見たけど、次からは気を付けるさ」

 

 心配そうなティオの言葉に乱れた髪を掻きながら気恥ずかしく夢路は言って、事務所へ続く外階段を上る。片手にはコンビニの総菜パンがいくつか詰め込まれたビニール袋が握られている。

 

「おやおやぁ♪ 探偵さんは今日も朝帰りとは昨夜はお楽しみでしたか?」

 

 突然、階段の上の方から明るく弾むような可憐な声が投げかけられて二人はふと足を止めた。そこには茜色の髪をさっぱりとしたショートカットにした二人がよく知る少女がおどけた笑みを見せて、事務所のドアの前でしゃがんでいた。

 制服をラフに着こなし、ミニスカートからは良く鍛えこまれた瑞々しく健美な生足が伸びている。スカートの中身がうっかり見えてしまいそうな危うい丈の長さに夢路は何か言いたげだったが心配無用と主張するように彼女の太ももを黒いスパッツが包んでいた。

 

「おはよう、リンカちゃん。残念だけど、キミが想像している様なスリリングな夜は体験してないよ」

「それはそっか! ティオっちも一緒だもんね。もしもそうならあたしの予想を上回るマニアックな夜になっちゃうか……いやー大人の世界はハードですなー」

 

 少女はアダルティな想像を膨らませているのかにまにまと口元を緩ませながら身軽そうに立ち上がり、大きく伸びをする。

 

「そうじゃなくて! というか、未成年の女子があまり外でそう言うこと言うんじゃありません!」

「いいじゃん。あたしと夢にいとの仲じゃない?」

 

 彼女の名前は和堂(わどう)リンカ。

 鉄京高校に通う高校二年の女子生徒であり、夢路とは所謂幼馴染の間柄である。また明石探偵事務所が入っているビルのオーナーであり、同ビル一階で美容室を営む和堂藤次郎氏の娘でもあった。

 

「それはそれとして、お仕事だったのはホントなんでしょ、お疲れ様。今回は浮気調査とか?」

「いや、それは……」

「大丈夫、知ってるよ。守秘義務ってやつでしょ? どんな仕事にしろ、夢にいがまたこの街の困っている誰かのための力になったことに変わりはないんだから、祝わねば! ハイ、拍手♪」

 

 弾むような声でそう言うとリンカは手を叩いて仕事終わりの二人を屈託のない笑顔で労った。

 

「……あ、ありがと」

「おはようございます。リンカさん」

「ティオっち、おはー! うひゃー相変わらず可愛い顔してるねえ! 肌白っ! すべすべ!」

「ひゃう!? ボクは子犬ではありませんよ、リンカさん……く、苦しいぃ」

 

 自分たちが夜間にどんなことをしていたのか正直に言えないもどかしさやド真ん中ストレートに褒められることに夢路がぎこちなく照れている脇からティオがトレードマークの帽子を取りながら顔を出して、リンカへ挨拶をした。

 するとリンカは幼少の頃からの付き合いである夢路を相手にしていた時よりもさらに気軽な足取りでティオにくっついてスキンシップを取り始める。

 

「元気があり余ってるのは良いことだけど、それぐらいにしてやりなリンカちゃん。いくらティオが大人しいからって舐めてるとそのうち噛みつかれるかもよ?」

「いやー失敬、失敬」

 

 使い魔という造られた存在ゆえか傍から見れば素晴らしい美貌の持ち主とも言える端麗な外見をしているティオをあちこち撫で回しているリンカをほどほどで引き離して、夢路はさらに続けた。

 

「なにか俺に用事があったんじゃないの? こんなところで油売ってると学校に遅刻するよ?」

「ご心配なく! 足の速さには自信ありですので! 女子100m走のアキレウスとはわたしのことッ!」

「それは初情報だ。うっかり、画鋲とか踏まないように気をつけるようにね。アキレス腱切ったなんてことになったら、悪い意味で学校の神話になるでしょう」

「むっ……それはカッコ悪いね。よし、ちゃんとストレッチ済ませて全力で学校へ向かうことにするよ、ありがと夢にい!」

「素直なことはいいことだよ。リンカちゃんらしい」

「おっと、忘れるとこだった! はい、これ!」

 

 他愛のない雑談をほどほどにリンカは持参していた紙袋を夢路に手渡した。

 中には四角い包みが二つ入っていた。

 

「またおかず作りすぎちゃったから、お弁当にしたんだ。二人で食べてよ」

「いや、そう毎度毎度なんか悪いよ」

「悪いと思うんならしっかり食べて。ほらそれぇ! ちょっと目を離すとすぐにコンビニの食べ物で済まそうとするんだから!」

 

 リンカが今朝のように差し入れを持ってきてくれるのは今回が初めてではないこともあり、遠慮がちになる夢路に彼女はビシッと手に提げたビニール袋を指差して窘めた。

 

「め、面目ない」

「うむ、分かればよろしい♪ それじゃあ、あたしもいってくるよ! またね、夢にい! ティオっち!」

「はい。いってらっしゃいです、リンカさん」

 

 半ば押し付けるようにお弁当を夢路たち渡したリンカはその場で忠告通りにストレッチをした後で軽快な足取りで学校目指して駆けだすと、風のように素早くあっという間に見えなくなっていった。

 

「これは昼飯だな。折角だから、少しでも温かいうちにごちそうになろうか?」

「あの、ボクはその……活動するための魔力は太陽光で賄えますし、夢路さんが二つとも食べてもらっても。このところ連戦続きでお疲れでしょう?」

「一人で食べても味気ないから、むしろティオに一緒に食べてもらえると嬉しいんだけどな。それにリンカちゃんに味の感想を聞かれたら大変だろ?」

「で、ではご相伴にあずかります!」

「ああ、かたじけない……なんてね。兎に角、ティオの仲間も探さないといけないしやることは山積みだ。腹が減っては何とやらってね――いや、本当に」

 

 事情が事情だけにまだこの世界の人間たちに対して、負い目や罪悪感から遠慮がちになるティオだがこうして夢路には全幅の信頼と安心を寄せているようで、尻尾を振って喜ぶ子犬のようにその背中の後ろを追って事務所の中へと入って行った。

 この二人が出会い、陰日向で異世界からの侵攻に立ち向かうようになってもう二週間が経とうとしていた。

 

 

 

 

 それは大空に浮かぶ一つの雲の中にあった。

 正しくは不変の雲を模した結界の中に存在する浮島にそびえる隠し砦。

 その名も【アウトレイジ・パレス】

 これこそが異世界から来た盗賊団の拠点である。

 

 砦の中にある一区画。

 まるで中世ヨーロッパの酒場のような危うさと退廃的な空気が漂う広間には二つの人影があった。

 

「いけないなあ……これは」

 

 不可思議なクリスタルを眺めながら赤いローブに身を包んだ青年が呟いた。

 

「どうかしたの、ランテマーニュ? 随分と悲しそうな声だわ。まるで愛玩するペットが死んでしまった幼子のよう」

 

 青年の呟きに傍にいた紫のローブの女性が尋ねた。

 

「ペットは酷いんじゃないかリヨネッタ。我らの仲間がまた一人……討たれたようだ」

 

 ランテマーニュと呼ばれた青年はそう言って面を上げた。

 ローブで見え辛かったその容貌が露わになるがその顔は右半分が奇妙な仮面によって綺麗に覆い隠されていた。さらに外界の様子を映し出す魔術道具であるクリスタルを持つ右手は角張った機械仕掛けの鋼の義腕のようだった。

 だが、年若くも覇気を備えた凛々しく不遜な雰囲気のこの青年こそが異世界アポジェネシスより来訪した盗賊団の総団長ランテマーニュ・ジェミオスであった。

 

「貴方が気を病む必要はないわ。あくまで私の主義思想のことだから。禁術によって得た異形と力を持ちながらむざむざ敗れた負け犬に愛着も哀悼も感じないの」

「だがね、リヨネッタ。斥候として送りだした仲間たちはそれなりに恐怖と絶望を振りまいて暴れたはずなのにこの世界への汚染が些か少なすぎる。その原因が彼らにあるとしたら、それだけの強大な力を持っているとしたら我らとしても看過は出来ない」

「私たちを追ってきた魔術師の小細工の線もあるけれど、確かにそう考えると少し厄介ね……仮面ライダー」

「ああ、そうだ。我らが団の太祖ですら半世紀前にその野望を砕かれた怨敵とも言える存在だ。遊び過ぎるのもよくないかもしれないな。そろそろ、当初の予定通りに樹を用いた仕掛けで本格的に国盗りの準備を始めたいと思う。それまでは真面目に働いておくれよ」

「残念ね。もっと派手に可愛い子たちがいる盛り場へ繰り出して遊びたかったのに――嗚呼、略奪! 凌辱! 鏖殺! 見目美しい女子供の血肉で贅沢に湯浴みでも愉しもうと思っていたのにねぇ? アハ!アッハッハッハ――!!」

 

 紫のローブの女性は深い憂いの溜息を艶やかに吐いて、いきなり哄笑を上げた。

 フードと一緒に長い髪を掻きあげて興奮した様子で立ち上がると肌に密着したボティスーツのような衣服越しに豊かな乳房がたわわに躍動する。

 白い女が嗤う。

 真綿のように白い髪で。雪のように白い肌で。黒真珠のような黒く爛々とした眼で。

 寒気がするような美しい肢体を鼠径部や臍などあちこちにジッパーがついた白いレザースーツで包み込んで白い魔女が嗤う。

 ギザギザした獣異常に鋭く物々しい牙を色っぽい唇からチラつかせて、盗賊団の副団長・リヨリッタは天使のように美しく、悪魔のように恐ろしげな笑みを浮かべていた。

 

「盛り上がっているようだな、リヨリッタ」

 

 するとリヨリッタの猟奇的な笑い声にも動じずに巌のような声の主は暗闇の奥から堂々とした歩調で現れた。深緑のローブを纏った逞しい体格の男だった。獣の毛皮や骨を加工した野趣溢れる軽鎧を纏っている。彼の名はバルバント。リヨリッタと同じく盗賊団のもう一人の副団長だ。

 

「おかえりなさい、地上の様子はどうだったの?」

「それについては後に詳しく報告しよう。それよりも少し面白い収穫があった。おい」

 

 リヨリッタの言葉に短く答えるとバルバントは一部の隙もない挙動で自分の後ろに控えさせていた人物を団長であるランテマーニュの前に目通りさせる。

 バルバントが連れてきた人物の身なりを見てリヨリッタはおろかランテマーニュさえも興味深げに目を丸くした。

 

「ほぉ……ようこそ、我らのアウトレイジ・パレスへ」

「へへっ。アンタ達、俺を雇う気はないか?」

 

 カンテラの灯りに照らされて、来客の姿が露わになる。

 くたびれた派手な柄のアロハシャツ。その男は間違いなくこの世界に住む人間の格好をしていた。ニヤついた笑みを浮かべる男の手には驚くべきことに万里たちが持つものと同じファンタズムホルダーが握られていた。

 

「面白い人間だね。我らに詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか?」

 

 様々な思惑と野望を孕みながら、彼らは笑う。

 

 

 

 

 正午を少し過ぎた頃。

 朝に分かれる前に取り決めていた約束の時間の少し前に万里が事務所を訪ねてきた。

 

「こんちわ。今朝は先にお暇して悪かったな」

「万里さん、こんにちは。お待ちしていました」

 

 一眠りしてすっかり体力も回復した様子の万里は小脇に甘くて香ばしい匂いが漂う紙袋を抱えながら物怖じする様子も無く事務所の奥へと入って行く。

 明石探偵事務所の室内は整理整頓が行き届いており、秘密の潜入アイテムや事件の捜査資料が散乱しているような探偵小説に出てくるような事務所と言うよりは商社ビルの一角にあるモダンな応接室といったクリーンな印象が漂っていた。

 

「いらっしゃい。まあ、適当に掛けてくれよ。ところで何を持ってるんだいそれ?」

「おう。まあ、長話になりそうだと思ったんでお茶請けぐらいは持参したのさ」

「妙なところで準備が良いな。うち、コーヒーしか置いてないぞ?」

「構わねえよ。何たって、鉄京市が誇る老舗和菓子屋の一番人気だ! 何にだって合うさ。ティオは甘いもん好きか?」

 

 コミュニケーション能力が高いのか既にこちらが気後れするぐらいフレンドリーな物腰の万里に苦笑しながら夢路は一度奥にあるキッチンへと引っ込んでいく。

 彼の背中を見届けながら事務所の中央に配置された応接用のテーブルとセットになったソファーに腰掛けた万里は先程から興味深そうに紙袋を見ていたティオに声をかける。

 

「は、はい! その、こちらの世界のお菓子という物はあまり食べたことありませんが南瓜の煮物というものでしたり、砂糖入りの卵焼きというものでしたり、甘いの好きです!」

「そいつは結構! ちゃんとした食生活を送れてるじゃないか。いいよな、南瓜。俺も好きだよ。卵焼きも出汁より甘口派だし」

 

 天然なのか、まだこちらの食文化にはそれほど馴染みがないのか少し素っ頓狂なアンサーを素直な顔で答えるティオに豪快で気持ちの良い笑いを返しながら、万里は紙袋の中からまだ少し温かいUFOのような焼印が押されたどら焼きを手渡した。

 

「ほら。お前の世界の中での甘くて美味いの常識が覆るぞ? 自家製オリジナルレシピのバターと粒あんが無敵のスクラムを組んだ鉄京市の誇る和菓子屋葉山堂が誇る一番人気の特製バターどら焼き、通称……」

「円盤焼きだあああぁ―――!!」

 

 まるで我が子を自慢するかようにどら焼きをプレゼンしていた万里の声はコーヒーの乗ったトレーを持って出てきた夢路の突然の大声にかき消された。

 

「ゆ、夢路さん!?」

「ビックリしたぁ……なんだよ、明石さんの方はまさか甘いの駄目か?」

「違う、そうじゃない。円盤焼き――それでキミのことを思い出したんだ。探検家の帆高万里!」

 

 慌てて躓きそうになりながら、二人にコーヒーを配り、自分の分を窓辺にあるL字型のデスクに置くと夢路は探検家としての万里について知っていることを話し始めた。

 

「三年前にシルクロードの砂漠で未発見の小規模な城塞都市の遺跡を発見して大騒ぎになったのがキミだろ? 若手探検家が世紀の新発見をしたって日本でも一時期有名だったんだ」

「お、おう……面と向かって言われると照れ臭いがその帆高万里が俺だよ」

「万里さん、そんなすごい人だったんですか?」

 

 正直なところ、探検家というのは自称で実際は定職について居ない自由人だと思っていたティオも夢路が話す内容が真実だと言うことを理解して思わず唖然とした顔で万里のことを見ていた。

 

「だけど、この鉄京市に与えた影響としてはその発見よりも、その後に行われたTVインタビューの方が大きかったんだ」

「げ……あれ、見てたのかよ?」

「多分、あのニュースの後にキミが頑なにメディアに顔を出さないこともあって記憶が風化されただけでこの街の殆どの人は確実に見ているだろうね。なんせ、キミの言葉一つが一部の人たちの運命を変えたんだ。あれは事件と行ってもいいぐらいだ」

「それはどういう……ゆ、夢路さんっ」

 

 露骨に気まずい顔をする万里にティオは首を傾げて、続きを促すように夢路の方を見た。

 

「キミはいま一番なにがしたいというインタビュアーの質問にこう答えたんだ。好物の地元の和菓子屋のどら焼きが食べたいって。未練を残しておいた方が却って意地が出て生きて帰れるだろうから、食べずに探検に出た。だけど、店主がそろそろ店を辞めるって噂もあったからすごく心配だってね」

「やめろォ! 世界に晒した赤っ恥を丁寧に掘り起こすんじゃねえや!」

「だけど、その発言が切っ掛けで当時、後継者がいなくて本当に店を畳む気でいた葉山堂にはお客さんが殺到。その味が本物だと言うことが分かるとついには有志の後継者志願者まで現れてほんの一年で葉山堂は鉄京市にある和菓子屋でも指折りの大人気店に急成長して、いまでは近隣の他の街にも数軒の支店が出来るまで大盛況だ」

「……あ、えと。す、すごいでーす」

 

 顔を真っ赤にして狼狽する万里を尻目に探検家としての彼とそんな彼が鉄京市に巻き起こした微笑ましい事件のあらましを夢路が語り終えると事務所にはしばし、何とも言えない沈黙が流れ、空気を察したティオは朝のリンカを真似てとりあえず万里へと拍手を送った。

 

「くっそー……人が忘れていた黒歴史を無慈悲に突きつけやがって、人が悪いぜ名探偵」

「よしてくれよ。俺なんてのは何処にでもいる普通の探偵、そうだな平探偵だよ。さて、兎に角キミの素性がちゃんとしたものだって判明したし、そろそろ気を許して本題について話そうか」

「ん……もしかして、俺ってばついさっきまで実は警戒されてたのか?」

 

 夢路の言葉に引っ掛かるものを感じた万里は円盤焼きを齧り付きながら、怪訝な顔をした。するとコーヒーを一口飲んで夢路が申し訳なさそうな顔で切り出した。

 

「我ながら少し人が悪いと思ったけど、用心はしていたよ。なんせあんな風に生身でケイオスに立ち向かっていたのはキミが初めてだったんだ。その、すまない」

「気にすんな。不用心よりはよっぽど仲間としては頼もしい。じゃあ、早速俺の知らない細々を教えてくれないかい?」

「んくっ。では、それについてはボクの方から――」

 

 ティオは密かにあまりの美味しさに舌鼓を打って大口で頬張っていた円盤焼きを急いで呑みこんでから真面目な面持ちで切り出した。

 

「ケイオス達がこちらの世界で企てているのはずばり、この世界を奪うことです」

「世界征服ってわけかある意味シンプルで分かりやすいな。とはいえ、犠牲が増えるのは願い下げだが」

「いや、それが俺たちが思っている感じのと少し毛色が違うらしいんだ。どうやら連中は極力無傷でこの世界を奪いたいらしい」

 

 意味深な夢路の言葉に万里は円盤焼きの生地の欠片がついた指先を一舐めして、ティオの説明に耳を傾ける。

 

「そもそも奴らは一度アポジェネシスで国盗りと称して各地で武装蜂起を起こした末にこちらの世界へ渡航してきたのです。迎撃に当たった王都の軍は最初、ケイオスたちは敗走したものと判断していたのですが実際はこちらの世界を手中に収めて、戦力を増すための陽動だった」

「考えたな。ティオの世界と俺たちの世界、二つの世界の優劣を比べるのはまたの機会にしておいて未知の文化圏の兵力は正体不明というだけで十分に脅威だ」

「恐らく、そういう魂胆もありますがもう一つ。禁術を得て異形となった彼らには世界の環境を自分たちに最適に変質させる恐るべき秘術を持っているんです」

 

 不安そうに顔色を曇らせて話すティオの様子に好奇心以上の危機感を本能で感じた万里は唇を真一文字に結んで引き締めると無意識に窓から鉄京市の街を眺めた。

 

「まさに一大事だな。だが、それを聞いたら尚更あの化け物どもの好きにはさせたくなくなってきたよ。俺たちの世界は盗人どもがそう簡単に土足で踏み荒らせるほど安くはないぜ?」

 

 気ままな探検家には荷が重いのはあきらかな案件に乗り掛ったことを実感する。だがそれ以上に、平凡に暮らしていたら決して巡り会えない様々な未知に触れられる予感に不謹慎ながら歓喜で肝が震えるのを感じた。

 それに放浪を愛する万里だがこの街には守らなければならない人が、日々の営みが、あまりにも多く在りすぎた。

 

 

 

 

「毎度、ありがとうございました」

 

 鉄京市・東部のある大通りにソレイユという店名の花屋がある。

 小さいが華やかなお店だ。

 店長の並木春政は十年間サラリーマンとして働いて開店資金を貯めて、二年前の春にこの店をオープンした。

 よく手入れされた商品の花々と男性ながら丁寧で花について豊富な知識を活かした上質な接客が噂となり、大盛況というわけにはいかないがそれでもまずまずの売上を出せるだけに店の軌道も乗り、店主である春政は日々、追われるように忙しい充実した毎日を送っていた。

 

「ふー! さてと、いまの内に来週保育園に配達するお花の確認でもやっちまうか」

 

 春政はそう言って気合を入れ直すとまだまだやることが山ほどある、花屋の仕事に邁進する。花とは生き物だ。我が子の面倒をみるように剪定から、保存の温度調整など気を配ることは多い。花の手入れ以外にも数多ある花言葉を常に脳内に留め、お客の要望に合わせて冠婚葬祭を始めとするあらゆる行事に最適な花を選別するための情報収集など例に出せばキリがないぐらいだ。

 

 彼が花屋を始める切っ掛けになったのは亡き祖母との思い出だった。

 生前、春政の祖母はよくこんなことを言っていた。「花を買うというのは、その人の心にゆとりがある証拠。だから、日頃から花が生活の身近にあるような人生を送れるように努力したいものね」と。

 両親が共働きで幼少期は祖母に育てられ、その後も高校生の時に死別するまでの長い間、祖母と一緒にいる時間が多かった春政だったがその言葉の意味については学生の身分でいる間は到底理解できないものだった。

 

 けれど、大学を卒業後に社会人として仕事に追われ、時間に追われ、日々を忙しなく走り抜ける毎日が始まって初めて、彼は敬愛した祖母の言葉の意味と花一輪の秘めたる癒しの力を痛感した。

 やがて春政は人の心に余裕を与える花を商い、自分じゃない誰かの生活や心に余裕という潤いを与えられたらと言う夢を持つようになった。

 そして、仕事と並行して苦学すること十年、彼はいまのようにまだ小さく貧相な店構えながらも自分の夢を叶え、夢を大きくするために学ぶことだらけの仕事に奮闘していた。

 だが、そんな夢に邁進する善良な彼にこそ混沌は忍び寄る。

 

『もし――』

「いらっしゃいま……せ!?」

 

 声を掛けられて振り向いた先にいた異様なお客に春政は思わずたじろいだ。

 くぐもったような声の主はデスマスクのような不気味な白い仮面に黒いローブという装いだったからだ。

 

『オマエ、良い夢を持っているな。決まりだ……お前を使ってやろう』

「何を……あ、がっ――!?」

 

 値踏みを終えたケイオスはまだ事態が呑み込めていない春政の胸部に手にしていた気味の悪い種子を問答無用で植え込んだ。

 その種の名はケイオスシード。文字通り、混沌を生ずる悪夢の大樹の源である悪しき禁術の一端である。

 

「僕になにを……ひぎッ!? これは僕の腕から芽が出て……う、嘘だ!?」

 

 街路を行き交う人々の困惑と驚愕の喧騒を余所にケイオスの足元で蹲ってもがき苦しむ春政は自分の体に起き始めた異変に絶句した。

 彼の手足や頬、頭部など体中のいたるところから植物の芽のようなものが生えたかと思うとまるで映像を早送りしているかのように急速に成長を始めたのだ。

 

「こんな、の――誰か助、だ……だずげ……でぇぇえぇええ――!?」

 

 この世の物とは思えない恐ろしい光景。

 その悪魔のような植物はまるで春政を苗床にして見る見るうちにドス黒く、あちこちに極彩色の鉱物のような物が埋め込まれた巨大な樹木へと変貌したのだ。

 更にその醜悪極まる樹木がそそり立つと同時にケイオス自身が持つ野望のイメージと春政の夢のイメージとが混ざり合い、素体状態であったケイオスの姿形をも変貌させていく。

 

『混沌樹よ! さあ――育てよ、育て! さあ――穢せよ、穢せ! 我らケイオスの春を招き給え!! 悪濁汚染を開始せよォオオ!!』

 

 顔そのものが巨大で刺激的な赤色の毒薔薇となり、幾本もの太くて鋭い棘を持つ植物のつるのようなものが四肢となり人型を成した完全体への変化を完了させたケイオス。

 さらにその異形の肉体を守るかのように腕部や背中にはダンゴムシのような甲殻が具足のように纏わりついている。

 薔薇とダンゴムシの融合怪人――ローズケイオスは割れんばかりに響き渡る周囲の人々の悲鳴をまるで恵みの雨を浴びるかのようにその身に受けて悦に浸る。

 

『素晴らしい! 素晴らしい恐怖! 素晴らしい混乱! 恐怖に震えて、喚き散らせ木端共! それこそが混沌樹の養分となるのだ。悪濁領域(ケイオスゾーン)よ、世界を塗り潰せ!!』

 

 まるで神託を受けた預言者のような大袈裟な振舞いでローズケイオスは大空へ向けて声を張り上げる。先程まで青く澄んだ空の色は混沌樹から放出される黒く濁った禍々しい瘴気によって気持ちの悪い闇色が広がり始めていた。

 

 

 

 

「ところでよ。昨夜あのカマキリ野郎が随分と自然公園を荒らしたわけだが今朝になってもまるで騒ぎになってないみたいなんだがティオたちが何かしたのか?」

「それはボクというよりも正確にはボクのオリジナルにあたるティオネウスがこの国に施した認識阻害の魔術の影響です」

「なんでもそれのお陰で一般の人たちは物や建物が壊れたりしても、その原因についてはあやふやで意識の対象から外れるみたいなんだ。こちらとしても正体がバレるリスクやマスメディアに変に騒がれるのを心配する必要がないからありがたいよ」

「そりゃあ便利な仕掛けをしてくれたな。出来れば直接出会って礼が言いたいぜ」

「そんなことは……でも、気を付けてください。オリジナルによると万里さんたちと仮面ライダーが同一人物だと明確に認識してしまった場合、その人への魔術の効き目が急激に減退してしまうらしいですから」

「了解だ。ま、変身すればあんだけ違う存在になるんだ。誰も気付きはしな――」

 

 同時刻、明石探偵事務所で話をしていた万里たちが持つファンタズムホルダーの磁針が突然激しい勢いで回転したかと思うとある方向を指し示して震え始めた。

 

「なんだ? ホルダーが勝手に」

「夢路さん!」

「ああ。これは奴らが……ケイオスが派手な騒ぎを始めている警報だ」

「昨日の今日でか!? ハン、上等じゃねえか!」

 

 敵の出現を知らせるアラームに万里たちに緊張が走った。

 いち早く外の異変に気付いた夢路が事務所の窓を開けて街の様子を窺うとまさにソレイユがある方角の空が一定範囲で異様に黒く染まっていた。

 

「場所はあの黒い靄の発生しているところだろうな」

「明石さん、車とか持ってるかい?」

「ごめん、いま人に貸してる!」

「なら俺の乗ってきたのを使うぞ。来い!」

「えっ、ちょっと待っ――!?

 

 事件現場を断定した夢路を万里は自分がした質問に彼が答えるか否かの速さで力任せに外へと連れ出して事務所近くの駐車場へと走った。

 

「さあ、乗りな! 本当は道路交通法的にアウトだが緊急事態だ!」

 

 目的地に付いた万里は自宅からここまでの距離を移動するのに使っていた愛機に跨って、夢路に後ろに乗るよう催促するも彼は顔を引きつらせて、冷静かつ語気を強くツッコミを入れる。

 

「い、いや。いやいやいや……これママチャリじゃないか! 速度的にキツイって!」

「大丈夫。自慢じゃないが俺は中学の頃に自転車で75キロ出して警察のネズミ捕りに引っ掛かった男だぜ。二人乗りでも50キロぐらいは出せるって!」

 

 謎の自信と実績に満ち足りた表情の万里に夢路は少しずつ分かってきたこの男の破天荒さと良くも悪くも本能や直感に素直なノリに頭を抱えながら、冷静にまだ明かしていない仮面ライダーとしての装備について教えるべく、ティオに声をかけた。

 

「本当に自慢にならないからな! それよりも良い物があるんだって。ティオ、頼む!」

「はい! 万里さん、これを渡します」

「おう……で、これは?」

 

 夢路の言葉を受けて、ティオは万里にスマートフォンに似た見慣れぬ端末を手渡した。通常のそれよりも少し分厚く角張ったデザインをしていた。

 

「ファンタズムデバイス。ボクたちの世界にある生活補助型魔法書をこちらの世界に合わせて形状からガラっとアップデートしたものです。そして、こんなものも搭載しています」

 

 ティオはそういって、デバイスを操作すると画面から眩く光る何かが飛び出して万里の目の前に姿を現す。

 それはまるでフロントカウルを始めとして、鎧を纏った戦馬を模した意匠をしたオフロードバイクのような乗り物だった。

 

「うおっ! すげえな、バイクが飛び出してきたぞ!」

「機巧馬メタローダー。デバイスと同じく、長距離移動用の錬金術製の機械馬をこちら側の乗り物に寄せたものです。今後は自由に使ってください」

「ハッハハ! ありがたい。助かるぜ、ティオ!」

 

 実に奇跡を起こす魔術の力とばかりのアイテムの登場にすっかり昂った万里はティオの頭を少し荒く撫でると意気揚々とメタローダーに跨った。

 

「使い方は俺たちがよく知るバイクやスマホと殆ど一緒だ。いけるな、帆高君」

「もちろんだ! 任せとけ、明石さんよ」

「お二人とも出発しましょう!!」

 

 そして、夢路が自分用のデバイスでメタローダーを召喚して後ろにティオを同乗させると二台のマシンは爆音を上げて混沌樹が出現した場所へと駆け出した。

 

 

 

 

 三人が悪濁領域の展開されているすぐ傍に辿りついた時には領域内はかなりの濃度の瘴気に汚染されていてまだ太陽が高く昇っていると言うのに暗闇の世界と化していた。

 混沌樹から放出されている瘴気の影響か悪濁領域内に巻き込まれた人々は生気を失い廃人のようにその場で座り込んでいたり、倒れ伏していた。

 まさに生き地獄の再現のような凄惨な光景だった。

 

「酷いなこりゃあ。前からケイオスが悪さするとこんな感じか?」

「いや……ここまで目立つアプローチは初めてだよ。ティオ、これが前に言っていた例の?」

「はい。混沌樹とそこから展開される悪濁領域の影響によるもので間違いありません」

 

 冷や汗を一筋流しながら、ティオは緊張したように微かに震えた声で二人に伝えた。

 

「これが世界の性質を化け物の好みに魔改造するってやつか?」

「はい。これが完了してしまえば汚染された一区画はケイオス達の物と言って過言ではありません。この黒い瘴気の中では人間は淘汰され、悪しき魔性は栄える。彼らの言う国盗りとはこういうことです」

「この妙な現象、連中を倒せば元に戻るのか?」

「悪濁領域を消すにはケイオスともう一つ、世界を汚し変質させている瘴気を発生させている混沌樹を取り除かなくてはなりません」

 

 ティオの言葉に万里は目を凝らして黒い瘴気に覆われた範囲の街並みを慎重に見渡した。

 

「あれだな。靄が濃くて見辛いがデカい枯れ木みたいなのがある。全く、探検し甲斐のある場所じゃねえか!」

「お二人とも急いでください! もしも悪濁領域が完成してしまえばその一区画を元に戻すのは容易ではありません」

「まるでオセロか陣取りゲームだな。発想と代償は最低の極みだけど。急ごう」

 

 夢路はケイオスの引き起こした混迷の悪趣味さに強い怒りを浮かべて、ライダーユニットを腰に装着する。

 そして、万里もそれに続くように不敵な笑みを浮かべて懐からファンタズムホルダーを取り出して起動させると力強くライダーユニットに装填した。

 

【ライズ・ジェッター・ライ・ライド!!】

「変身――!!」

 

【ライズ・レイガー・ライ・ライド!!】

「変身ッ!!」

 

 赤と青。二色の輝きを放って、二人の足元にそれぞれの魔法陣が展開する。

 

【オーライ・ライダ・ライライラァァァ――イ!!】

 

 迷いのない声が二つ重なって暗天の空に響くとファンタズムホルダーから溢れ出る神秘の力が無限大の可能性を秘めたる仮面の戦士たちを顕現させる。

 

『よし! 一仕事、始めよう!!』

『おうよ、ブッ飛んで行こうぜ!!』

 

 蒼鋼(そうこう)の雷霆――レイガー。

 紅鉄(こうてつ)の熱風――ジェッター。

 

 二人の仮面ライダーが見つめるその視線の先には無数の枝先から絶えず禍々しい瘴気を吐き出す混沌樹が不気味に聳え立っていた。

 どんな危険、どんな障害が待ち受けているか定かではない想像不可能な不確定危険地帯。

 悪濁領域にいま――夢の守り人たちは不屈の闘志で挑戦する。 

 

 

 




お久しぶりです。
依然と比べるとかなり時間が掛かってしまいましたがどうにか第二話更新です(汗)
ちなみに本作の主な舞台となる架空の地方都市・鉄京市ですが地形としてはFate/SNの冬木市をイメージしています。地形や地理の説明や描写もっと上手くなりたいものです。

それにしてもほぼ二週間かけて戦闘シーンまで持っていけないとは……
次回は沢山ある予定なので平にご容赦下さいませ。
それでは、よろしければご意見・ご感想お待ちしております。



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