A colorful adamant   作:海のあざらし

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山岸由花子 『ラブ・デラックス』 その④

「くっそ~……こりゃ不味いぜ。おれが全部消すより潰される方が早い!」

「駄目だよ億泰くん、どの扉も髪に覆われてる!」

「チッ! 一箇所だけ消して一気に抜けるか……!?」

 

 救出成功も束の間、想い人(えもの)を横取りされて怒る山岸 由花子に追われた億泰と康一は、度々捕まりそうになりながらも何とか体育倉庫まで逃げ仰せた。近くにあったおんぼろの電話から仗助に手助けを求め、現状と居場所まで伝えることには成功した。しかしそこで由花子に追いつかれ、電話は哀れ鉄のスクラップに変えられてしまった。

 通信手段が絶たれ、慌てて倉庫内に逃げ込む。脱出の機を伺うための時間稼ぎだったが、能力で由花子が上を行った。髪で倉庫の外周を覆い尽くし、完全に二人を包囲してしまった。

 触れたらどうなるか、朧気には想像がつく。ノーダメージで済ませられるとは思えない。ここから脱出できる道があるとすれば、『ザ・ハンド』の削除能力をフルに活かした一点突破くらいだろう。それでも消し切れなかった髪が襲い来る可能性は非常に高い。

 

 仗助達が到着したらしい。言い争う声がうっすらと聞こえてくる。相思相愛だとか運命の赤い糸だとか、随分好き放題言っている。照準を合わせられていない億泰でも背筋にぞっと冷たいものが走るのだから、康一の心情や如何に。

 

「心理学なんざ知らんが、ありゃまともな精神じゃねーよ。こんなことして嫌われるって分かんねぇんだからよ」

「……」

「かくなる上は適当こいて機嫌取るか? 『あなたが魅力的過ぎて思わず逃げちゃいました』とか……おい康一?」

 

 思い込みの激しさを逆手に取って、それらしいおべんちゃらを並べてみるか。好意があると伝えてやれば、案外上手く騙せそうではある。とはいえ見抜かれた時を考えるとまた怖いが。

 由花子はただ妄信的に康一を好いているのではない。自分への絶対的な自信、『こんな良い女に康一が靡かないはずはない』と心の底から信じ抜く自尊心(プライド)の持ち主でもある。もし口だけの好意だとばれようものなら、この自尊心を大いに傷つけることになるのだ。

 そうなれば康一が無事で済む確証もなくなる。多少手荒な手段に出られる危険があろう。そして最悪なことに、少なくとも億泰はこの上なく惨たらしく殺される。憎悪が最も強く向けられるのが、好きな人か邪魔な不良かという問題である。髪で気道を塞がれて窒息死だとか、絶対に御免願いたい。

 

 ……静かになった。倉庫の軋む音が、いつの間にかより明確に聞こえる。はてと訝しみつつ周囲を見回す。てっきり震え上がって怯えていると思われた康一が、予想に反してごく静かに立っていた。

 

「何でぼくがこんな目に遭ってるんだ?」

「いきなり大元を気にしだしたなおめー。いやまぁ確かにそうなんだが、今はこのピンチをどーにかすることをだな」

「何とも思ってない女がどうしてぼくを苦しめる? 勝手に好きになって勝手に迷惑かけてきて、考えたら考える程に……」

 

 聴診器を当てたら、心音は一定のリズムを規則的に刻むだろう。つい数秒前の恐怖を何処へ放り投げたのか、その佇まいは威風さえ感じさせる。

 康一の髪が逆立った。億泰は自分の目を二度疑った。連載が終了し、尚も人気の衰えないとある漫画に、似たようなキャラクターが登場するのをふと思い出す。苦楽を共にしてきた親友を目の前で爆破され、その男が最強の敵に向けた感情は。

 

「ムカついてきたッ!」

「康一……さん?」

「一発かましてやらなきゃ気が済まない。人の気持ちも量れない愚図には特に!」

 

 ──怒りだった。

 

 康一の周囲をエネルギーが取り巻く。スタンド使いが己のスタンドを繰り出すときに現れるものとよく似ていた。そしてそれは、億泰をして凄まじいと評するべき質量を伴い、暴風の如き勢いで吹き上がっていた。

 形兆は『矢』を康一には使っていないはず。だとすれば、自力でスタンドに目覚めたのか。承太郎や仗助のように、天性の才能を持って生まれてきたというのか。真実は今、億泰の目に映らぬよう身を隠している。

 

「これがぼくのスタンド。手に取るように分かる、音が持つ力──『反響(エコーズ)』、ぼくを害する()に報復をッ!」

 

 姿を現した康一のスタンドは、内包するエネルギーに反して威圧的でも、また巨大でもなかった。所謂『拍子抜け』な外見を、康一は予め知っていたように受け入れる。

 尻尾が変形し、拡大されて天井や壁に張り付く。よく見れば、全て『ジョキン』という単語になっていた。切断の擬音を第一にイメージさせる言葉だ。

 

 四方を覆い尽くし、中にさえ侵入しつつあった由花子の髪が、まさに『ジョキン』と切れた。支えを失い地に落ちた髪は、死にゆく虫が最後に生へ執着するように小さく痙攣してから、淡く溶けるように消えた。

 倉庫が軋む音はもうしない。勝利を確信したのか、ゆったりとした足取りで外へと出る。まるで由花子が敵たり得ないと言わんばかりに、王者の風格を漂わせながら彼女と相対する。

 

「へぇ……切断がそのままフィードバックされるってわけじゃあないのか。不思議なものだなぁ、スタンドって」

「おっ、おい康一」

「大丈夫。ぼくの『エコーズ』は彼女に負けない」

 

 由花子は憤怒の形相で愛しいはずの人を睨みつけていた。億泰が怯む程の憎悪を真正面から受け止めて、それでも瞳は嵐に翻弄される小船とならない。大嵐にも屈しない大樹の如く、堅牢に座して彼女の視線を迎え撃つ。

 瞳の中で爛々と輝く熱量は、真っ黒な憎悪と激突しても押し負ける気配を見せない。睨んでもいない康一は、この瞬間確かに覇気を纏い由花子を圧していた。

 

「今のは……今のはあなたがッ!」

「山岸 由花子。できるならさっきのようにやって、きみとの縁も切りたいよ」

「ふざけんじゃないわよッ! わたしの髪を……髪をよくもこんなッ!」

 

 長い黒髪が今や灰色がかっている。あたかも五十の齢を一気に重ねたように、くすんだ白色が頭部から力なく垂れている。受けたダメージの証左なのか、息も乱れて彼女の言葉を震わせる。

 由花子にしてみれば、想定外の反撃が急所を直撃したようなものだ。まさかこのタイミングでスタンドに覚醒するなど、一体誰が想像できようか。さらに康一は逃げも隠れもせずに堂々と姿を現し、現在進行形で由花子の精神に大きな揺さぶりをかけている。

 

 勝利に王手をかけていた。得意な距離を確保できていたのだから、如何に『ザ・ハンド』と雖も劣勢を覆すのは至難の業だった。例え扉を閉め切ったって、髪の這入る隙間くらい充分にある。主観に留まらず、第三者の客観的な視点からでさえ、由花子は九分九厘『勝っていた』。

 

「きみは思い通りになる奴隷が欲しいんだろう。都合よくきみを好きになって、都合よくきみの好きな性格で。ぼくの意思なんてどうでもいい、ただきみが満足できることだけが重要で唯一なんだよね」

 

 勝利は彼女の手から逃げていった。まさにご都合主義的に、それこそ少年漫画でピンチに陥った主人公が都合よく逆転するかのように。人間よりも高次の存在がいるとして、彼らの定めた道筋(ルート)を運命というならば、由花子にとってこれ以上の不幸はない。同時に、康一にとってこれ以上の幸運はない。

 

 神様に愛されているんじゃあないか。睨み合う両者を俯瞰しながら、億泰の脳裏で一つの仮説が瞬く。思えば康一は、自分や仗助と比べてもなお不可思議なルートを歩んでいるようである。

 形兆に捕まったときも、()()()アリスが居合わせて救出されている。今回も、あわや諸共に圧死というところで()()()()スタンドに目覚め、()()()()事態をひっくり返せる能力だったので窮地を逃れている。

 

 これは偶然なのか。否、問う意味のない愚問だろう。偶然でも必然でも、億泰が到達できる結論は同じ──『康一は神様に愛されている』。

 スタンドは守護神ではない。あくまで強力な手札の一つであって、ピンチを救ってくれる保証なんて誰もしてくれない。兄と共に過ごした数年間で、それを痛い程に理解しているからこそ、ただただ康一という人間(そんざい)が不可思議に見える。

 

「だから答えてあげるよ。──『生まれ変わって出直してこい』」

「……相当な調教が必要みたいね。このわたしにここまで歯向かうなんてねッ!」

「髪を巻き付けてみるかい? やれば良いさ、残った髪を丸ごと切り落とされて坊主にしたいなら。似合ってるとは思うよ、失恋したらばっさり髪を切るっていうし」

 

 勇敢な性格へと豹変した彼は、仗助やアリスをも驚かせている。二人して戸惑い、顔を見合わせて加勢するべきか決めあぐねる。一番近くにいた億泰がすぐに気がつけないシームレスな覚醒だったから、二人からしてみれば面食らうのが当然だろう。

 彼のスタンド『エコーズ』が、どうやって由花子を倒すのか。取り乱さないのを見るに、彼の脳内には既に撃退のプランが出来上がっているようだ。……少し考えて、結局億泰は事が動くまで見守ることにした。『エコーズ』がどんな戦い方をするのかも興味があるから。


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