A colorful adamant   作:海のあざらし

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ユウレイ? その②

 現れた少女は、およそ可憐と評して差し支えない容姿を備えていた。丈の短いスカートを着こなして、髪と共に薄桃色で統一している。露伴はともかく、純情な男子学生たる康一なら漸時見惚れてもおかしくないくらいの美少女であった。

 

「霊道に人? あの人も迷い込んだんですかね」

「馬鹿。ありゃ幽霊だよ」

「でも、どこからどう見ても人間じゃないですか? きっとぼくたちと合流して出口を探したいんです」

「姿形だけ寄せてるんだ。よく考えろ、こんな場所で他人を見つけて焦りも喜びもしないやつが人間なわけあるか」

 

 だが、その正体が幽霊となれば話は別だ。人間の言葉を話し、人間と同じように二本の足で不自由なく歩く。他よりも上手く人に擬態している分、警戒度は高い。アリスも引き締めた集中をそのままで維持している。

 

「驚いてはいるわよ?」

「……聞こえてたのか」

「耳は良い方なの。ピアスを開けたこともないから綺麗だしね」

 

 露伴の推理は的中していた。茶化すように軽口を叩きながら、人外であることを否定はしなかった。体の一部が不自然に透けているわけでもなく、人混みに紛れれば常人ではまず判別できなくなるだろう。彼女の容姿を適切に覚えでもしない限りは。

 少女がポケットを探った。アリスの目が僅かに細まる。いつでも二体の人形を動かせる、まさに臨戦状態ともいうべき警戒を前にして、まるで気がついてもいないかのようにあっさりと取り出したのは、菓子の箱であった。刃物や拳銃なら即座に反応できただろう、しかし予想外のものが出てきてやや拍子抜けした表情の金色髪に、桃色髪はひょいと箱を差し出した。

 

「食べる?」

「黄泉竈食を知らないわけじゃないの」

「やあねー、食べたって帰れるわよ」

 

 少女はそう言ってあっけらかんと笑った。死人の食物なんて食えるか、そうとも受け取れる言葉を気にする様子はない。そのまま箱を開けて、チョコレートのコーティングされた細長いビスケット菓子をぽきぽき食べる。

 気の済むまでもさもさと菓子を貪り、喉でも乾いたのか。アリスの持っているコーラに目をつけた。別に高い買い物だったわけでもなし、後で買い直せば良いだけのこと。気勢を削がれていた彼女は、半ば以上を呆れで満たした表情で手元のペットボトルを少女に寄越した。

 

「案内してあげる。似た路地ばっかりで分かんなくなるでしょ」

「帰り方だけ教えてくれたら良いんだけどな」

「あんたじゃ聞いただけで帰るのは無理ね。大人しく着いてきなさい」

「……随分と馴れ馴れしいやつだな」

 

 一息にボトルの三割以上を飲み、それは美味しそうに息継ぎ。幽霊にも人間のような味覚を備えている者はいる。そういった手合いに飲食物を強請られたのは初めてではない。だから手慣れた対応ができるかというと、それは話が異なるのだが。

 やはりというか、帰り道は把握している。聞いただけで帰るのは無理、という文言から察するに、彼女なしでは通れない地点(ポイント)があるのだろう。例えば物理的にでなく、霊的に封鎖されているとか。

 

「それで、コンビニ帰りらしい三人さん。ここって普通じゃ見つけられない場所なんだけど、どうやって来たの?」

「ここは霊道でしょう。奇しくも今貴女が立証してくれている通り、三人とも霊の類は見えるわ」

「霊道かー……うん、80%は正解ってところね」

 

 何かを考えつつのような、言葉をひとつひとつ選んだ口ぶりだった。出会って数分で考えるのも何だが、初めて真面目な顔を見たと思った。

 少女は内心を確認するように頷いた。視線が一瞬だけ露伴の方を向き、それからアリスへ移った。さっき彼に笑ってみせたりと、意味深長な振る舞いをしているように思えるのは、気にかけ過ぎなのだろうか。

 

「残りの20%は?」

「……この家、昔殺人事件があったのよ」

 

 意を決したように話し出す。あまりに唐突な話題の転換に、怪訝に思うが止めはしない。この会話の流れで喋っているのだから、アリスが外した予想の二割と何か関係があるはず。下手に無関係だと指摘して恥を晒す羽目になりかねないのは、他でもないアリス当人なのだ。

 

「一人の少女が、何か滴るような音がして目が覚めたの。親を呼んでも、寝ているのか返事がない。ベッドの下にいるはずの飼い犬は、手をやってもいつもみたいに舐めてくれない」

 

 所謂怪談話(ホラー)の類か。『杉本』の表札を掲げる邸宅を見上げながら、少女は語る。裕福な家庭での殺人事件、如何にもありふれた形式だ。資産を有している、というそれらしい理由があるから、殺人の被害者として設定しやすい。

 

「滴る音があんまりにも止まないものだから、親の部屋を見に行った。そうしたらそこに犬はいたのよ」

「犬『は』って、もしかして親がいなかったの? よく怖い話で見る手法だし、ちょっと震えてきそう」

「首が千切れかけるところまで切り込まれて、ぴちゃぴちゃと血を流すだけの物言わない骸になってね」

「……いッ!?」

 

 淡々とした語り口で、少女は康一の予想を超えてみせた。成程、完全に首を切断し切らない辺りに殺人鬼──現状この話が創作か否かを判別できやしないのだが──の異常な性格が現れている。生首だけを飾っておくより、その下にふらふらと揺れ動く胴体をくっつけていた方が、視覚的な怖さは増す。

 三人を怖がらせて、こっそりと悦に入りたいわけではなさそうだ。先程までとは明らかに声の抑揚度合いが違っている。彼女の醸し出す異様な雰囲気に、康一が居心地悪そうに身動ぎした。

 

「殺人鬼は犬を壁に打ち付けていたの。決して小さな犬種じゃないわ、あの高さまで持ち上げるのに躊躇いを覚えるくらいにね。それでもあいつはやったのよ」

「待った待った。話すのは良いにしてもきみの主観が混ざってる。『あの高さ』とか『あいつ』とか、きみは殺人鬼や被害者と知り合いでも何でもないはずだろう」

「……そうね。知り合いではない」

 

 少女の台詞に三人共が違和感を覚えた。単に露伴が真っ先に指摘しただけのことだ。そして、この違和感に気がつけば直前までの言葉の意味合いも変わりかねない。最初こそ『自分』と『一人の女の子』を別物としているようであったが、それからは主観的な物言いと捉えることもできる。

 

 犬の鳴き声が聞こえた。それなりの大きさがあるのだろうと推測できる、低く太い声だった。それは少女の元に落ち着いた足取りで歩み寄る。アリス達には一瞥を寄越すに留まって、別段警戒しているようでもない。

 少女の飼い犬なら、おかしな光景でもない。三人を驚かせたのは、その犬の首に刻まれた極めて深い切断跡であった。普通ならば出血量と呼吸の阻害でほぼ即死するであろう深手を負いながら、それさえも気にかけようとはしない。ただ親睦を示すように少女の手を舐めただけであった。

 

 少女が徐ろに服を肩から外す。下着は未着用なのか、白い肌が衆目に晒されるが、それでもストリップ紛いの脱衣を止めない。

 三人は少女の背に視線を吸い寄せられた。決して邪な思いからではなかった。白い肌の中で異様な存在感を放つ、錆びた銅のように鈍く赤い傷跡があった。

 

「な……何だッ! その傷はッ!? それに首元を切られた犬、これじゃまるで!」

「あたしが殺人鬼を一方的に知っているだけ。向こうからすれば大量に殺してきた人間の一人、きっともう覚えてもいないでしょう。あたしの『杉本 鈴美』という名前さえも」

 

 不慮の事故や野生動物によって付くものではない。身が見えなくなるまで包丁を突き立てて、そのまま大きく横に滑らせたかのような、極めて惨い傷だ。悍ましいまでの悪意を抱いた人間にしか、こんな傷は付けられない。

 少女──杉本 鈴美の体は微かに震えていた。いつ殺されたにせよ、当時を想起すれば身も凍る恐怖に襲われることだろう。出会った当初の朗らかな雰囲気はなく、ただ勇気と恐怖とを内心に綯い交ぜにした一人の少女がそこにいた。

 

「話すべきは二つ。あなたたちにこの傷跡を見せた理由と、ここが厳密にはどういった場所であるかね」

「り、理由?」

「ええ。あたしにこの傷を刻んだ殺人鬼は、まだこの杜王町にいるわ」

 

 頭に冷水をかけられたような、痛い程に鮮烈な衝撃だった。人間に斯様な惨憺たる殺傷を行える怪物が、よりによって杜王町に潜んでいるというのだから。しかもその怪物には理性があり、傍目には他の人間と区別がつかない。

 時折自身の前に現れるスタンド使いよりも、なお恐ろしい相手ではないか。康一は三人の中でも一際強い驚愕に打たれた。彼自身、山岸 由花子という常識の捻じ曲がった女に狂った感情を向けられた経験がある。それともまた異なるベクトルの『怖さ』──殺すことを主たる目的に据える性の持ち主なのだろう。

 

「それじゃあきみは、何人も人を殺した大量殺人犯が今ものうのうと杜王町で田舎暮らしを楽しんでいるというのか。小説でもなきゃ非現実的な話だと、きみ自身は思っていないのか?」

「でもそれが現実。あいつは他所の町に引っ越すことも、仕事で転勤することもなく、ずっとここにい続けているわ」

「証拠がない。良いかい、この際はっきり言わせてもらうが、きみの言葉の一つ一つがぼくには妄言か誇張にしか聞こえない! 勿論背中の傷をこの目で実際に見ての感想だ。きみについて信じられることはただ一つ、きみ自身とそこの犬が幽霊だってことだけさ」

 

 露伴にしては珍しいといえる、口調をやや荒らげた反駁だった。まだ付き合いは長くないが、妙だなと思わずにはいられない。彼は明言したのだ、『傷をこの目で実際に見』た上で鈴美を信用できないのだと。

 鈴美は乱した服を着直す。凄惨な死因が綺麗な生地に隠れた。そこに男の目から肌を隠せたという安堵はない。話すべきことのため、幾らかの羞恥を捨てることに二の足を踏むつもりはなかった。

 

「上を見て。あたしと同じような傷を負って、ここを通っていく魂がたまにいるわ。大抵は女性で、手首から先がない人もいる」

 

 上空を霊体が飛んでいるならば、やはりこの道は霊道なのだ。鈴美が言った通り、アリスの推測は八割方正解であった。そして、新たに明らかとなった事実──この道の更に奥へ向かえば、恐らくだが『死後の世界』がある。

 そこを『地獄』と呼ぶか、『冥府』とでも言うか。アリスにとって、名称はさしたる差異でない。最も気になるのは、この場所の存在意義である。現状分かっている情報から推し量るに、ここは此岸と彼岸の接続通路だ。生身を有した状態で奥へと進めば、安全は一切保証されない。

 

「成程。杉本 鈴美、つまり貴女はこう言いたいわけね。『杜王町に潜む殺人鬼を捕まえて、私を成仏させてくれ』と」

「そこまでお願いすると厚かましいかしら。でもせめて、この町に異常な危険人物が潜んでいることは知っておいてほしかった」

 

 死後の魂が生前に負った怪我を反映しているというのは、彼女の知る『理』と異なるところである。霊体という特性上、物理的損失とは無縁であり、一方で魔力や霊力などの所謂非物理的エネルギーによる消失は受け付ける。こちらの霊体は、そういったルールに基づいて動いているわけではなさそうだ。

 たまにいる、という表現からして、怪我を負った魂がこの道を通る頻度はあまり高くないのだろう。だが、怪我が共通点として認識される程度の母数はある。それだけ名も知らない殺人鬼によって殺されている人間がこの町にいるのなら、甚大な被害と称しても過言ではない。

 

 露伴が苛立たしげに踵で地面を叩いた。鈴美へ向ける感情は警戒から怒りへと変わりつつあった。何故こうも気持ちが昂るのか、自らも理解できないままに、酷く声を荒らげる。

 

「馬鹿馬鹿しい。枯れ尾花よりもつまらん冗談を言うのが幽霊の本性か! 良い漫画のネタになるかと思ったらがっかりだ」

「露伴先生、流石に言い過ぎでは」

「いーや違うね! 断じて殺人鬼がこの町にいることを信じたくないわけではない。この岸辺 露伴の中にある感覚が、きみを信じるなと大音量で警告してきているぞ! 杉本 鈴美ッ!」

 

 鈴美を前にすると、不思議な程に感情を抑えられない。露伴はそれを生来の相性の悪さに起因すると結論づけた。確かに根拠もない話を堂々と訳知り顔で宣う輩に対しては、侮蔑を隠そうとも思わない。きっと生まれながらに反りが合わないのだ、ならば多少口汚く罵っても罪悪感は湧いてこない。どうせ道理は自分に寄っているのだし。

 

「露伴。らしくないわ」

「む……あぁ、悪かった。ちょっとばっかし感情的になり過ぎたかな。だが信用が底を舐めているのに変わりはないぞ」

 

 鈴美は震えながら俯いた。その態度は、痛いところを突かれて困り果てているように見えた。だから極めて儀礼的に謝って、その実内心で一切信頼の置けない幽霊少女であるとの印象を確立させた。

 今頃どう言いくるめるかを苦心しているはず。頭の回る人間が訪れたせいで、鈴美の予定が大きく狂った。どうにか軌道修正を図りたくとも、時既に遅し。『疑わしい幽霊』の地平線を越えて『危険物』にまで成り下がったのだから。

 

 空気が凍ったかと錯覚する程の静寂が訪れる。康一は強烈な居心地の悪さを感じていたが、こうも雰囲気の悪い場を取り纏める度量はない。何も言えずにおろおろと視線を右往左往させるだけだった。ここで口火を切れるとしたら、圧迫感に怯まない胆力と適切な言葉を選択できる理性を併せ持った人物。

 

「露伴。悪いけど先に帰っておいてくれる? 私は少し彼女に話を聞いておきたいわ」

「……きみ、まさかその女の言うことを信じるってんじゃあないだろうな」

「何も全員で否定することないでしょうに。それに、杉本 鈴美の話を偽と判定する根拠もないわね」

「……」

 

 ぐうの音も出ない正論に、露伴は押し黙った。彼女は鈴美の話を信用するなどとは一言も述べていない。ただ話を聞きたいだけなのだ。ここで逸ったのは露伴であり、それに気がつく聡明さを有しているからこそ、二の句を継げなかった。

 

「康一は?」

「……あ、ぼくも残ります」

「OK。ああ、一応補足しておくけど、別に貴方の言い分を否定する気もないからね。彼女を疑う立場も持って然るべきなのだし」

「……きみの判断だ。尊重しないとな」

 

 些か不承不承の気がありつつも溜飲を下げたのは、アリスが相手だったからだろう。自身が信用に足ると認める少女が、客観的には合理的としか評しようのない折衷案を提出してきた。この上意地を張って妥協点を飲まなければ、彼女を高く評価している自らの株まで下げることになってしまう。

 

 依然重苦しい雰囲気が揺蕩う中で、鈴美に目配せをする。彼が危害を加えられることなく離脱できるよう、帰り方を伝えておいてほしかった。スタンドに目覚めているとはいえ、万一にも彼の身に何かあれば、『オトイシアキラ』の捜索は大きな後退を余儀なくされる。

 

「来た道をそのまま戻れば良い。あのコンビニの前に出られるわ。でも約束して、絶対に最後の一本道で後ろを振り返らないと」

「へえ。袖でも可愛らしく引かれるのか?」

「絶対によ。振り向いたらあちらには戻れない」

 

 軽口に取り合うことはなかった。ただ厳粛に念を押して、そこで限界だったと言わんばかりに露伴から目を逸らした。アリスの個人的な印象としては、仮にこれが演技なら鈴美は演者としての巨大な才能に恵まれていると思う。

 目を閉じる。まるで納得のいかない現状に、どうにかして折り合いをつけるかのように。ややあって露伴は目を開き、一呼吸置いてから話し出す。繭のように声を包み込む棘は、未だに研ぎ澄まされた刃物めいて鋭い。

 

「じゃあ先に帰って、きみたちの報告を待っているよ。だけどアリスに康一くん、くれぐれも気をつけてくれ。気がついたろう、杉本 鈴美は今もう一つ嘘を吐いた」

「『聞いただけで帰るのは無理』」

「とんだ大根役者だと思うがね。そのアバズレは」

 

 一度冷静になる時間を挟んだからか、露伴の目から熱が消えた。かといって態度が柔らかくなるわけもなく、ただ鈴美に向ける視線が烈火から氷点下へ変わったに過ぎない。寧ろ冷えたことで更に硬さを増しさえした。

 今の捨て台詞で、鈴美の心を串刺しにした。彼はきっと分かってやっている。故意を悪意と呼ぶのなら、今の彼は悪意に満ち溢れている。断じて一厘たりとも心を許すべきではない、そんな思いが透けて見えるようでもあった。


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