終わりの続きに   作:桃kan

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強さの意味

 

 腹部に感じる鈍痛で俺は目を覚ました。

どうにも今日は痛みのせいで深く眠りにつけなかったようだった。寝かされていた部屋の障子を開け、縁側に出て空を眺めてみる。そこにはまだ月があり、今晩もその光を惜しげもなく夜の世界に降り注いでいた。

 

 

「――そうか俺は……」

 それ以上に言葉は出なかった。

いや。それ以上に言葉にしてしまえば、あまりの悔しさばかりが後を絶たないと理解していたから。

 

あの式さんとの戦い……正直に言うならば、俺は楽しんでいたのかもしれない。自分がこれだけ戦えるようになったということに酔っていたのかもしれない。

しかしそんな考えを文字通り一蹴されてしまい、俺は改めて自分自身の甘さに打ちひしがれていた。

 

 

 縁側に出てゆっくりと腰を下ろす。

もう一度あの戦いを、そして『エミヤシロウ』を繰り返すことになってからの今までを思い出すと、何故か笑みがこぼれた。

 

 手元をみる。昔の自分にはなかった傷が多くあることに気が付いた。

あぁ、思えばなんて贅沢な男なんだろう。

多くの人に関わってもらって、沢山の経験をさせてもらった。今の『エミヤシロウ』があるのはそれのおかげだ。

 

 

「やぁ、大丈夫だった?」

「すいません、今日は迷惑をかけてしまって」

 

自分の背後からかけられた声に俺は会釈しながら振り返った。

そこに居たのは左目を前髪で隠した青年、幹也さんだった。彼は“よかった”と微笑みながら、俺のすぐ左隣に腰かける。

 

それから少しの間、どちらも口を開こうとはしなかった。ただ星を見つめ月を見つめ、少しずつではあるが景色を変えていく空の変化を眺め続ける。特に何かをするわけでもなく、ゆっくりと時間が流れるのを楽しんでいるかのように。

 

 

 

「――士郎くんはさ」

 先に沈黙を破ったのは幹也さんだった。

 

 

「『強さ』って、どういうことだと思う?」

 

 ゆっくりと語りかけるように言葉が響く。

俺は幹也さんに視線を向け一度瞳を閉じた後、思いを吐き出すように言葉にした。

 

「譲らないこと……ですか?」

 それは全く嘘のない、心からの本音だった。

今までも俺はそうして“強さ”を手に入れてきたように思う。

 

“親父のようなヒーローになる”

“みんなを守ることのできる人になりたい”

かつての俺が目指した揺るぎない決意。

 

 この願いがあったから俺は走り続けてこられた。

守れるならば総てを守りたい。親父が為し得なかったことをやり遂げたい。

どれだけ傷付こうが裏切られようが、その思いだけは失くさずにきた。

 

その結果俺は……オレは英霊となり、ある意味その信念に報いることが出来たのだ。

だから俺の中でそれは自信をもっていうことが出来る。

 

 

「そうだね。うん、それも正解だね」

 幹也さんは変わらない笑顔で俺に答えてくれた。スッと立ち上がり伸びをしながら彼は空を見上げながらもう一言呟く。

 

「強さってさ、『自分らしくあること』だと思うんだよ」

 

 彼は俺だけにではなく、自分にも語りかけるように大事に言葉を紡いだ。その言葉にはなぜかすごく説得力がある。

それは最初の出会いからずっと、幹也さんがずっと俺と本音で付き合ってくれていたからだろう。だからこそ幹也さんの言葉は信じるに値する、俺には素直にそう思えた。

 

「幸いなことにさ、僕の傍にはそういう人が沢山いたんだ。そういう意味での『強い』人たちがさ」

 

 幹也さんは言う、自分自身がした選択を大事にしたほうが良いと。そうでないと後悔ばかりしか残らないからと。

 

「ゆっくり落ち着いて、焦ってばかりじゃ何も見えてこないからさ」

 そう一言呟き、幹也さんはまた笑って見せた。その言葉がそれだけ重い言葉だったかということを俺はこれからいやというほど思い知ることとなる。

ただこの時の俺には、その言葉はただの励ましの一言にしか思えなかった。

 

 

 

 

「――まったく……何言ってるんだよ」

 廊下の暗がりの方から声が聞こえてくる。

その声は聞き取りづらかったが一定のリズムで近づいてくる足音を聞けば、それが誰かは容易に分かることが出来た。

 

「やぁ、式。起しちゃったかな?」

「起きたら幹也がいなかったからな。多分衛宮のとこに居るんだろうと思って来ただけだ」

 

 式さんは幹也さんのすぐ隣に立ちながら俺を見下ろしていた。

その瞳は先刻戦っていた時のような冷えたものではなく、どこか温かみのある様な色をしていた。

 

そして幹也さんの方を窺ってから一言、俺に呟いた。

 

「衛宮、オレは幹也みたいに回りくどいことは言えない。だからハッキリ聞くぞ?」

 式さんの真剣な声に、俺は一言“はい”と答えた。ただ言葉が浮かばなかったからではなく、素直にこの人の言葉に耳を傾けようと思ったからだ。

 

 

「お前、あるだろう?」

「何をですか?」

 

 

 

「――お前、人を殺したこと……あるだろう?」

 

 

 それはあまりに予想もしない問いかけだった。言わずもがな、隣に立っていた幹也さんも驚いた表情で式さんを見つめている。

 

 彼女の問いかけに、本当になんと返せば良いかも分からないままに、ただ首を縦に振るしか出来なかった。

 

 ただ月の明かりだけが冴えわたり、地を照らしている。

そして俺の目の前に居る死に神の瞳がその色を変えていく。それは戦いのときにも見せたことのない、形容しがたい色をしていた。

 

この眼は一体何を俺に語りかけようとしているのだろうか。

先の言葉に素直に答えることが正解ならば、これからどんな展開が訪れるのか……予想することさえ出来ない。

 ただ一つ分かること、それは『人を殺す』というキーワードが、それが両儀式という人物にとっては何よりも大事なことだということだった。

だからきっと、その回答にそれは慎重にならざるを得なかったのだ。

 

 

しかし俺が考えを巡らしていた最中、式さんはため息を吐きながら呟く。

「……まぁいいや。とりあえず、オレが勝手に話したいことから話すか」

 

 式さんの言葉に、俺は何が起こっているのか全く理解できなかった。ただ彼女は総てを確信したような表情を見せながら、言葉を続けた。

 

「――きっとお前は、シンプルに考えた方が良いんだよ」

「な、何のことですか?」

 

 きっと俺は呆気にとられた顔をしている。しかし彼女は話すのをやめようとはしない。それは最初に言った通り、ただ『勝手に』話しているからだろう。

 

「何がしたいのか、そのためにどうするのか、それだけを考えろってことだ」

 それは俺自身に気付かせようとしていたのだろうか。式さんは具体的なことを言うことは避けながらも、俺の弱い部分を的確に指摘していた。

そう、今の俺は目的の実行するための行為がチグハグになっている。自分でも分かっているはずなのに軸がぶれている……今まではそんなことはなかったはずなのに。

 

 

「いいか?ニンゲンなんてモノは器用じゃない。自分の領分でしか生きていけないんだよ」

 そう呟きながら、月の光の降り注ぐ庭に足を踏み出す。

俺はそれを目で追いながら、式さんの言葉の意味を考えていた。むしろ彼女がわざわざ俺にこんな風に話してくれている意味を見出さなければならないと思ったのだ。

 

 

「……オレはね衛宮」

 

 これまでにない重たい響き。

きっとここからが核心部分なのだろう。それを示すように式さんの表情は普段の気だるそうなモノから、真剣なモノに変わっていた。

チラリと横目で幹也さんを見る。彼の表情は言わずもがな、少し緊張したモノになっている。

俺も幹也さんと違わず、そういった表情になっているのだろう。掌にジワリと汗の感触が広がっていくのを感じた。

 

 

「自分のこの日常が大事なんだよ。それこそ壊れるのを見たくないから、自分で壊してしまおうと思ったくらいに」

 

 それはどこか、必死に訴えかける少女の叫びのようで。

きっとこれは俺だけに言い聞かせているモノではない……もしかすると式さん自身の『大切なモノ』に対する贖罪だったのかもしれない。

 

「――失くしそうになって、失くしちまって初めてそれが大事だって思えるんだ。お前はどうだ?」

 

「俺、には……」

 

 そう。それはきっと誰もが持っているモノだ。

かつての俺にとって、それは『正義の味方になる』という思いだった。

そして今は……。

 

「オレはこの日常を守りたいんだ。お前にだってあるんだろ? どうしても守りたいモノがさ」

 

 あぁ、あるさ。俺がどうしても守りたいモノ、どうしても手に入れたいモノ。

でも恐れもある、迷いもある。それを成し遂げるということは、これまでの総てを裏切るということだから。選ぶはずだった総てのモノを切り捨てることだから。

 

 

「何を迷ってんだ?」

 一歩近付きながら、式さんは真っ直ぐに俺を見据えて呟く。

きっと俺の態度に嫌気がさしたのだろう。その表情にははっきりとした苛立ちがにじみ出て、ハッキリと答えることを強要されているようだった。

 

「どうしたいかは……分かってるんです」

 

 でもその返答はやはり煮え切らないもので、俺は式さんの視線に耐えきれずに顔を背けてしまった。ただ拳に力を強く握りこんで自身の不甲斐なさに耐えるだけ。こんな態度が、こんな行動が一番嫌いだったのは、俺自身だったはずなのに。

しかし俺のそんな態度に耐えきれなかったのは、式さんも同じだった。

 

 

 

「――甘えるなよ」

 

 

 静かな、しかし大きな怒りを孕んだ声。間違いなくその矛先は俺に向いている。

 

 

「お前はさ、ただ傷付きたくないだけだ」

 

 最早その言葉は先程までの遠回しな言い方などではなく、俺の恐れていたモノの確信を突いてくる。

これ以上は、もう言ってほしくはなかった。自分でも目を背けてしまっている『甘え』を露見されてしまう。そう思えたから。

 

 

 

「お前の選択のために苦しむ人たちを、その光景を見たくないだけだ!」

「――そんなことは!」

 

 

 ないとは、そうは言えなかった。

桜の事がそうではないか。彼女を遠ざけてしまえば、悲しむことが分かっているから……。それを出来ない時点で俺は、式さんの言葉に何かを言う資格はない。

 

 思わず立ち上がって反論しようとした自分があまりに情けない。

ただ立ち尽くすしか出来ないと、そう決めつけてしまっている自分があまりに情けなかった。

 

 

 

 

「……そんなんじゃ何も出来ない。守れないぞ? それこそ、お前が大事に思うモノすらな」

 

 追い打ちをかけるように、再び言葉をかけられる。それに思わず子どものように躍起になって顔を上げる。

しかしそこにあったのは嘲りでもなく悔蔑でもなく、優しさをにじませた色。式さんの瞳はそんな色を湛えながら、俺を見つめていた。

 

 

「俺、は……出来るなら全部守りたい」

 先程まで弱音しか出なかった口から出たのはその言葉。

何を犠牲にしてでも守るべきと思ったモノのために、俺は今まで鍛え上げてきた。

一体どうしていたんだろう。なまじ力を付け過ぎたからこそ、色んな事を決めかねて、後回しにしてしまって。

 

 こんなことでは、本当に式さんの言葉通りになってしまう。だからこそ……

 

「ケジメをつけなくちゃ……」

 握った拳をほどきながら、俺は努めて冷静に式さんに向き直る。

この機会を作ってくれたこの人に報いなければ、俺は前には進めない。それにまだこの人には聞いていないことが沢山ある。

 

 

 イメージする。

それは俺が、エミヤシロウたる由縁を示すモノ。俺と共にずっと戦ってくれた得物をこの手に現す。

そう、昔から分かっていたではないか。

俺に出来ること、それは考えること。そしてそれをカタチにすることだと。

 

 思考をシンプルに。

どれだけ色々考えようとも、その瞬間は一度きりしか訪れない。ならば出来る限り自分が最大限の力を奮えるようにするまで。

 

 

 

 両の手に感じる、馴染みの感触。

そしてその切っ先を俺は自身の恩師に向ける。そこに以前戦った時のような感情はない。

そう。今から起こるこの戦いにおいて、迷いなどありはしない。

 

俺はこの人に、両儀式という人物に自分の在り方を認めてもらいたい。

ただ、それだけなのだ。

 

「――ようやくマシな目に戻ったな。……それだよ、オレがお前に求めていたモノはさ」

 

 その表情は語る。『この時を待っていた』と。

言うまでもなく、式さんの瞳は俺の得物の『死』を既に捉えている。この人の中で戦いはもう始まっているのだ。

 

 

「じゃぁ、式さんも本気を見せてください」

「生意気なこと言ってるんじゃないよ、やっぱりお前はまだまだ子どもだ」

 

 皮肉を口にしながらも、式さんのその表情は変わらない。

いつこの身に彼女の刃が訪れようとも、不思議ではないのだ。

 

 

「あぁ、オレの得物がないや……すまない幹也、アレを取ってきてくれ」

 不意に式さんはとぼけたような一言を幹也さんに投げかけた。

そう。幹也さんは俺と式さんが話している間、言葉を口にはせず、ただずっと俺たちの傍に居てくれたのだ。

おそらくそこには式さんに対する憂慮の念があったのだろう。

 

 

「――うん、でも式……僕は、許してないんだぞ?」

「あぁ、分かってるよ。オレはお前がいるから大丈夫だ」

 

 

きっと戦わせたくないはずだ。これ以上式さんを非日常には置いては置きたくないんだろう。

だが次の瞬間、幹也さんの見せたは変わらずの笑顔だった。一言“うん”と口にして自身の部屋に引き返していく。それは幹也さんが式さんを心の底から信用している証明なのだろう。

 

 

「……衛宮、最初に聞いたよな?」

 

 “幹也が得物を取ってくる暇つぶしだ”と言いながら式さんは話し始める。

 

 

「ハッキリとは言えません。ただ……それに似た経験をした記憶はあります」

 この身でなくとも覚えているあの感覚を、好きになれないあの感覚を忘れることは出来ない。自らの手で、人の命を刈り取っていく。犯していく。亡き者にしていく。

より大勢を救うためという理由があろうとも、それが『人を殺す』という行為を俺は行ってきた。それは何が変わっても揺るがないだろう。

だからこそ、俺はこの人の問いに素直に答えよう。この人の想いを、しっかりと受け止めるために。

 

 

「――でも俺は自分を全うするために、もう決して自分の大事なものは落とさない」

「あぁ、本当にお前らしいよ」

 

 式さんは笑う。

俺という人間を本当に理解することが出来たと。その上で、やはり自分たちは相容れない者同士なのだと。

 

 

「昔教えてもらったんだよ。『人は、一生のうちに一度しか人を殺せない』ってさ」

 

 そう、きっとこれが式さんの語りたかった一番の言葉。スラスラと淀みなく話す姿から、いつもそのことを心に留めているんだろうということは、想像に容易い。

しかし、正直彼女からこんな言葉が出るとは、俺は考えもしていなかったということも事実だ。

 

 

「笑っちゃうだろ? オレがこんなこと言うなんてさ。でもね、それって本当に事なんだよ」

「――ホントの、こと?」

 

 

「オレは自分が不確かでしょうがなかったんだよ。だから生きている確証が欲しかった……」

 

 だから大事なモノを殺そうとした。

大事なモノを奪ったモノを殺すしかなかった。

 でもそれはあまりに悲しすぎる決意と諦め。

しかし、それを言葉にしながらもその表情に後悔は見えない。どこか健やかで、大きな支えを持っているようだった。

 

 

 彼女は身を翻し、庭の中心に歩き始る。

流れるような歩みはどこか虚ろで、しかし彼女の纏う空気はそこに確かに在ることを印象付ける。

 

「オレはきっともう、誰も殺せない……」

 

 言葉から感じる強い意志。最早それ以上何を言わなくても分かる。

もうすぐこの時間が終わってしまうのだと。

それを指し示すように、彼女が一番大事にしている人物が朱塗りの鞘に収められた刀を

手に再び俺たちの前に姿を現す。

それを笑顔で受け取りながら、何度か言葉を交わすと幹也さんが式さんから離れていった。それと同時に式さんは次第に纏った空気をより、『ヒトからかけ離れたモノ』へ変質させていく。

 

 

「……衛宮、お前は不確かでも何でもない。ただ、前だけを見て歩いていくだけのヤツなんだろう」

 

 それはきっと、俺たちの『人を殺すこと、生かすこと』への考え方の相違を指し示していた。

お互いを理解することは出来る。しかし、その生き方を自身の中で許容することは絶対に不可能なのだ。

 

 

「――なんだかさ、酷くお前が憎らしくて羨ましい」

 

「俺だって、式さんみたいな生き方……羨ましいけど、しようとは思わない」

 

 手にした自らの得物の切っ先を、俺は再び目の前に立つ者に向ける。立ち居姿ですぐに分かる。きっと式さんは刀を持った状態の時、一番の力を出すことが出来るのだと。

 正眼に構えられた刀からは何も感じられない。ただあるのは『斬る』という明確な意思のみ。

 

「さぁ、やろうぜ。見せてみろよ」

「あぁ、そっちこそ……もう後には引けない!」

 

 刹那、風が流れた。

 ただ音もなく、頬を撫でる優しい風が。

 そんな優しい光景があっさりと違うものへと変わっていく。

 

 その合図は言わずもがな、あまりに甲高い剣と刀の鳴り響く音。

 

 

「――ハァァァ!!」

「――っ!」

 

 それは互いの存在意義を証明するための戦い。

決して触れあえぬ二人が、唯一共有できるたった一瞬の出来事であった。

 

 

 

 


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