「すまなかったな、衛宮」
「あぁ、じゃぁ教室に鞄取りに行って、そのまま帰ることにするよ」
時間は流れ、既に日も暮れ始める時間帯。
俺は一成の手伝いで、壊れかけだというストーブの点検をしていた。数としてはそんなに多くはないものの、やはり一人での作業となると時間はかかる。
おそらく予想より一時間近くは時間をかけてしまったのであろう。他の仕事で外に出ていた一成が帰ってきたころに俺のようやく作業を終えることが出来た。
「最近物騒だからな。気を付けるの帰るのだぞ」
「それは一成もだろ? 早めに帰れよ」
別れの挨拶も済ませ、俺は一路自分の教室へ急いだ。
こんな時間だ。窓から見える校庭にも部活動している生徒は疎らにしか見られず、廊下には誰一人としていない。
「まぁこんな時間だしな……」
独り言を呟きながら、オレンジに染まった廊下を急ぐ。
この景色を見ていると、どこか家路を急ぎたくなるのは何故だろう。
きっと誰もがそうだろう。それぞれに持つ、“本当に帰りたい場所”。俺にとってはそれが、あの切嗣と暮らした……そして今、藤ねえや桜と食卓を囲むあの家。彼女と初めて出会ったあの場所なのだ。
ようやく教室の前にたどり着く。
おそらくもう誰も居残ってはいないだろうと思いつつも、ゆっくりと扉を開く。
真っ先に目に入ってきたのは、その美しい横顔だった。
もう誰もいない教室で一人、ただ外の風景を眺めている影が一つ。
あぁ、いつかこんな光景を見たことがあったような気がする。
その影は俺の存在に気がついたのか、少しだけ微笑みながら俺へと声をかける。
「遅かったのね、衛宮くん」
「遠坂、まだ残ってたんだな」
互いに視線を交わらせながら、それ以上には何も言わない。ただ直感する。彼女が一体何をするために、この教室に一人残っていたのか。
答えは、簡単なことなのだ。
「じゃぁな、遠坂も早く帰れよ」
自分の席に掛けておいた鞄を手に取り、踵を返し片手をあげて別れを告げながら廊下へ出るべく歩き始める。
「――ねぇ。貴方……いつまで惚けた顔してるつもりなのよ?」
「ん? 何言ってるんだ、遠坂?」
背後からかけられた声に、俺は振り向かずに返答する。
綺麗な声から感じられたのは警戒。おそらく既に気が付いていたのだろう、俺が魔術を使う者だということを。
背中に向けられる殺気が重い。しかしどうということはなかった。これくらいのモノなら、逆に心地良いほどなのだから。
「それが惚けてるって! ……いいわ。聞きたいことは一つよ」
棘のある響きを投げかけられる。その言葉に応じるように、俺は彼女の方へと顔を向ける。
言うまでもなく、遠坂はするどい目つきで俺を睨みつけていた。それは明らかに敵意を持った視線。魔術師に向けられるべきモノ。
「――衛宮くん。貴方、この街で一体何をするつもり?」
「何をする? 俺はただこの街で生活してるだけだぞ。それ以上に何もない」
俺の言葉に顔をしかめる遠坂。バカにしているように聞こえたかもしれない。しかしそれ以上の目的は俺にはない。
「―――ハァ」
彼女は呆れたように溜息をついてからブツブツと“嘘ではないみたいね”と呟き、俺に視線を戻した。表情からはようやく彼女らしい、落ち着いた様子が見て取れた。
「聞き方が間違ってたわ。魔術師がこの土地に来て、やることは一つしかないのよ。」
一呼吸、ゆっくりと深呼吸した後で遠坂は呟く。
これは俺が、そして彼女が戦う意味を示すための言葉。確認するための言葉。
俺だけが一方的に考える、彼女との誓いのようなモノだ。
「――貴方、聖杯戦争に参加するつもりなの?」
「――それは言えない。でも、一つ言えることがある」
「俺は、衛宮士郎は聖杯なんかに興味はない」
ただ、聖杯の導きによって現れる……彼女と一目会いたい、ただそれだけ。
そう言った点では、俺は聖杯を欲しているのかもしれない。
しかし叶えたい望みなど、そんなモノ俺にはもうない。
いや。俺はずっとその道の上を歩いているのだから、今さら望みをかなえてもらう必要などないのだ。
「――そう。なら良いわ。でもね、もし貴方が私の邪魔をするようなら……」
「あぁ、その時はどうぞご自由に」
俺は手をヒラヒラと振りながら、再び教室の扉を開け、足早にその場から立ち去ることにした。
「ちょっと、まだ話は……!!」
その後、遠坂が何かを言っていたようだが、ちゃんと聞きとることは出来ない。むしろ聞きたくないという方が正しいのかもしれない。これ以上の遠坂との接触は、俺にとっては決意を鈍らせるモノ以外の何物でもなかったのだ。
―interlude―
「ちょっと、まだ話は……!!」
その呼びかけに応えようともせず、衛宮くんは教室の外へと去って行ってしまった。
無論止めることも出来た。強引に話を続けることだって。
でも何故なのだろう。言葉は出ても、身体が動こうとはしない。
ふと視線を自らの手に移すと、両の手が小刻みに何かに怯えているように震えていた。
「ッ……」
恐れてしまったのだ。彼を……衛宮士郎という魔術師を。
彼と話している時には気付いていなかった。それだけ衛宮士郎と対峙している間、気をはっていたということだろう。
しかしそうだったとしても、私がこんなにも誰かに怯えるなんて。これまであの神父にさえ嫌悪はしても、怯えることなんてなかった。
それが彼が相手と言うだけでこんなにも違うだなんて……。
「どちらにしても、このままにしておけない」
衛宮士郎……あの男だけは聖杯戦争など関係なく、危険すぎる。頭に浮かぶマイナスの感情を破棄しながら、ただ私は考える。
彼の思惑とは一体何なのか。彼がこの冬木で本当にしようとしていることは一体何なのか。
しかし答えの出ないままに、周囲は闇に染まっていく。
そして夜が、魔術師たちの駆ける時間が刻一刻と迫りつつあった。
―interlude out―
夜、季節も移り変わって陽が落ちるのも早くなっている。いくらあたりが闇に沈んでいるといっても、遅いとは言えない時間帯にも関わらず街路に人の影はない。
ここ最近冬木でおかしな事件が頻発していた。おそらくそのせいだろう。
何の手がかりもない強盗殺人事件、新都で頻発しているガス漏れ事故…それらの原因は大体見当は付いている。
そしてそれを行うであろう、あのサーヴァントたちの顔を思い出しながら、俺は苦笑いを浮かべる。
「――もう召喚されてるんだろう」
一言呟き、俺は急ぎ足で家を目指した。まだ俺が関わってはいけない、勝手にそう思い込むことしにて。
それが自分の身勝手な考えだと、あの理想をもつ者としては恥ずべき行為であると分かりながら。
「何故見過ごせる…分かってるのに……」
ただ言い訳をしていた。自分が関わっていいのはあの夜からだと。何も知らなかった俺が一度、“殺されてしまった”あの夜からだと。
拳に力を込める。それは掌に痛みを生むだけの不毛なこと。自分が変わったことへの後悔なのか報いなのか、ただ自分があまりにも不安定でどうしようもない奴ということはハッキリしていた。
「――ッ!」
刹那、どこからともなく殺気を孕んだ視線を感じ、俺は思考を魔術師のモノへと切り替える。
間違うはずもない。俺のことを見ている“誰か”がいる。
それとともに響いてくる靴音が一つ。ゆっくりとした歩みでこちらに向かってきていた。
「……なんでだ? なんで何もしてこない?」
相手も魔術師ならば、姿を見せる前に攻撃してくるのが必定。しかし靴音の主は最初に俺に殺気を向けて以降、ただこちらに歩いてくるだけだった。
点在する街灯の下、その少女は姿を見せた。
忘れるはずもない。その容姿、その銀の髪、意地悪に笑う可愛らしい笑顔…小さな少女が俺に笑いかけながらそこにはいた。
その姿に俺は立ち尽くすことしか出来なかった。
俺はこの子を知っている。雪のような真白がよく似合うこの子を。俺が救うことが出来なかったこの子を。
「イ……」
彼女の名前を口にしようとして、すぐに声を押しとどめる。何故かは分からなかった。ただ彼女に視線を送り続けるしか出来ない。
そして一歩、もう一歩と少女は歩みを進め、ついに俺の横を通り過ぎていく。そして一言、鈴の鳴る様な響きで俺に呟いた。
「早く呼び出さないと死んじゃうよ、お兄ちゃん」
その言葉をようやく俺は理解した。この少女はこの瞬間、俺を殺すつもりだったのだろう。本当はそうするつもりだったのに、こうして警告だけしかしなかった。
これは同じ人を親に持つ俺への憐れみ……いやきっとこれはこの子なりの優しさだったのだろう。
「あぁ、でも俺は殺されない」
俺は少女の後ろ姿を見送りながら、そう呟いた。きっと彼女には届いていないだろう。届いていたとしても戯言にしか聞こえない。
だから今はこのままでいい。次に対峙した時、俺はこの子には殺されない。
自分のためにも……彼女のためにも。
―interlude―
「なんで?なんで!?」
足早に駆けていく少女の表情は完全に困惑の色を見せていた。
今すれ違った男。自らの耳に入ってきた情報では、そこまで力も強くない、一般人とほとんど変わらない半人前の魔術師ということだった。
しかし、少女が行使していたはずの魔術は彼には通じず、こんな結果を彼女にもたらしただけだったのだ。
少女の目的は一つ。ただ男がどんな顔をしているのか、それを確認したいだけだった。自分から親を奪った男、自分を見捨てた人間が育てた男の顔を。
だから少女は、自分の従者も連れてこずにやってきた。
仮につまらない人間ならば聖杯戦争を前に殺す。
気に入ればそれが始まってからじっくりと痛め付けてから殺してしまおう。
どちらにしても結果は変わらないが、そうしようと少女は心に決めていた。
しかし実際、今は少女の方が男に困惑させられていた。魔術が効かなかった、それはどうでもいい。
あの言葉だ……あの言葉がいけなかった
『あぁ、でも俺は殺されない』
この言葉を聞いた時、脳裏に浮かんだのは自分に優しく語りかける父親の姿。
ただそれだけが彼女を、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンをこんなにも苦しめていた。
「――何なの? なんでな!?」
言葉の端々、そしてその表情から滲みでる少女の心の揺らぎ。
殺すと決めたはずの相手に、どこか懐かしさすら感じられる。そんなおかしな感覚に彼女はどこか嬉しさと悲しみを抑えきれずにいた。
イリヤはその小さな手のひらをギュッと握りしめながら、静かに溜息をつく。
「もうダメ……今度会ったら殺しちゃうよ、お兄ちゃん」
もう考え疲れたのか、イリヤは自分が一番はっきりと出せるシンプルな結論を出す。
そうすれば思考がきれいに整う、そうすればおかしくなることはない、そうすれば何にもとらわれずにアインツベルンの悲願を果たせる。
イリヤは自分にそう言い聞かせ、自らに用意された城へと帰っていく。
もう開幕まで残り少ない時間を、彼がどう過ごすのかを楽しみにしながら。
―interlude out―