迫りくるは凶器の突貫。
おそらく普通の人間ならば突き刺されて殺される。
おそらくかつての自分なら、致命傷を負わされる。
そして、今の自分自身ならば……。
「――ッ――」
手に現したのは夫婦剣。馴染みの感触を確かめながら、俺は干将を横に薙ぐ。
刹那響き渡るは互いの凶器の爆ぜた音。それは俺と慎二、二人の戦いの合図を示すようにただ鳴り響く。
そうしてようやく視界には、その凶器を投擲したであろう人物が姿を現す。
そう。記憶のままに残る姿のまま、そのサーヴァント・ライダーは俺を威嚇するように姿を現した。
「何してんだよライダー!! なんで衛宮を殺せないんだよ!?」
まるで子どもの喚き声ように声を荒げる慎二。
おそらく自分のサーヴァントが一撃でもって、俺を殺してしまうと確信していたはずだ。しかし彼の予想に反し俺はサーヴァントの一撃を受け流し、未だに立ち続けている。それが慎二にとっては堪らなく許せないことだったのだろう。
「さぁ! 早く衛宮を殺してくれよライダー! 君強いんだろ? なぁ、早くしろよ!!」
「……」
慎二の声に耳を傾けようともせず、ただジッと俺を見つめるのはサーヴァント・ライダー。確かにその眼帯の下の瞳は、俺をギロリと睨みつけているであろう。彼女から感じられる殺気は、それを容易に連想させる。
しかし、俺もライダーに時間をやるほど余裕があるわけではなかった。
この場をどう逃げ切るか。そしてこの二人をどうすれば降すことが出来るのか……それを必死に考えながら、俺は夫婦剣を再度強く握りしめたのだった。
風の鳴る音、そして響き渡る鉄のぶつかり合う音。
どこか均整のとれた響きに、ひょっとすると、演舞でも踊っているのではないだろうかという錯覚をしてしまうほどに、俺の意識は高揚するばかりであった。
こんなにも軽やかに、そして力強く短剣を振るい続けるライダーの力量を今だからこそ理解出来る。
かつての俺では彼女の存在に恐怖し、『逃げよう』としか思っていなかった。ライダーの力についても何も見極めることが出来なかった。
「でもな……!」
ライダーの動きに応えるように、俺は手にした夫婦剣で彼女の進攻を遮っていく。
横からの一閃ならばそれを受け流し、突きを返す。
縦からの強襲ならば、受け止めて動きを止める。
ライダーの一挙一動に反応しながら、俺は少しずつ確信していた。
“どうにか、サーヴァントとでも戦える”
「――愚かな」
ズクリ、何が身を引き裂く感触。先程までとは明らかにスピードを上げて繰り出される短剣。
ライダーはより速度を上げながら迫る。逆に俺は身を傷つけながら、防御に徹するしかない。
「ガッ!!―――ッ――ハァ!!」
容赦のない身体を裂く痛み。それに気を留めず、掲げた剣を振るい続ける。
いや、むしろ俺は振り払おうとしていたのだろう。自分の中に過ってしまった思いを。
“サーヴァントには敵わない”と考えてしまった自分自身を。
「フ……フハハハハハハ!! いいよ、良いよライダー! さっさと殺しちゃえ!」
嬉々とした声を上げながら、よりライダーを煽る慎二。
ライダーはその声に応えることもせず、そして手を休めることなく俺への攻撃を続行していく。確かにつけ入れる隙はある。しかしそれをカバーして余りあるほどのスピードを彼女は有している。
「――最期です、魔術師(メイガス)」
感情のない声が頭上から降りかかる。
脳天に向け振り下ろされる切っ先。おそらく受け止めることが精一杯だろう。彼女自身も、これで詰みと考えたはず。
「ッ!!」
だがそれは、“ライダーに対する攻防において”ということに限定される。
手に持った剣を左右に投げ放つ。
それはライダーからすれば何と愚かな行為と見て取れるかもしれない
無論、ライダーの短剣は迫りくる。だとしても、一番有効であろう手段は一つ。
「――まさか!?」
その声は短剣の肉を裂く音と共に響いた。肩口に突き刺さったそれを確認しながら、自分の為そうとしていたことが上手くいったことを確認する。
そう。わざわざ俺が得物を捨ててまでライダーの攻撃を受けたのには理由がある。
「ライダー! 何してる? 早く止めをさ……うわぁ!!」
『標的』自身もようやく気が付いたのだろう。弧を描きながらそれは徐々に『標的』へと近付く。
そう。慎二はろくに魔術も使えないはずの一般人と変わりない。
もし対処法を持っていたとしても、気が動転しているあいつには使いこなすことは出来ないはずだ。
刹那、チィという舌打ちと共に、俺に止めを刺さんとしていた影が疾走を開始する。
「――っ」
「ひぃ――!」
短い悲鳴が耳に届く。俺は身体を起こしながら、一気に肩に突き刺さった短剣を抜き去り、次の一手を撃たんと力を込める。
目の前で繰り広げられる光景は一つ。
主を守ろうと疾走する使い魔。あの速度ならば、ライダーが傷を負ったとしても慎二を無傷で救うことは可能だろう。
「――投影(トレース)・開始(オン)!!」
ここで勝つ必要はない。むしろ一人で勝つことなど不可能だろう。
思考する。
何が最善なのかを。
造り出す。
この局面を打開する最良のモノを。
俺が勝つべきは、目の前の敵ではない。
俺が勝つべきは一分、いや一秒前の自分自身。
より強い自分になるために、弱い自分を打ち倒すことなのだから!
目に映る総てがスローモーション。
両脇に剣の強襲を受けながらも、主を助け出すライダー。飛び散る赤。それは街灯に照らされながら、まるで宝石のように散りばめられていく。
「―――投影(トリガー)装填(オフ)」
静かに言葉を紡ぐ。
手に現したのは黒塗の弓。俺はそれに矢を番え、一気に撃ち出すと同時にその場から踵を返し走り出した。
完全に無防備な背中、撃ちとる可能性もあるだろう。
だが敵はサーヴァント。簡単に殺すことは出来ない。
「――ッ――」
聞こえてきたのは痛みに耐える声。おそらく思惑通りに行ったのだろう。
しかし俺はそれを目にすることもなく、一心に走り続けた。
きっと……俺が逃げ切れることこそが、慎二に対する皮肉であると分かっていたから。
―interlude―
少年、間桐慎二は興奮していた。
自分の使い魔と、自分に何かと絡んでくる憎たらしい友人との戦いを目にし、何も感じなかったと言えば嘘になる。
あれだけ大嫌いだった男、衛宮士郎が自分の駒に傷つけられる様を見て、震えが止まらないほどに自分は興奮を隠しきれなかったのだ。
しかし徐々に彼の頭に苛立ちが募っていった。
そう。自分が有した力は、士郎のような名の知られていない魔術師などに対抗できるほど弱いものではないはず。むしろ数秒で決着が付くであろうと予想していた慎二にとって、目の前で繰り広げられていた光景は、彼の集中を削ぐのに十分なものであったのだ。
「ライダー! 何してる? 早く止めをさ……うわぁ!!」
声を荒げた瞬間に自分に飛来してくる白と黒の殺意。
普段の間桐慎二なら避けられただろう、隙を見てライダーを援護できただろう。
しかし彼は戦いに身を投じるには、覚悟が足らなさすぎる。そして戦場に立つということは、自身も傷を負うということを全く理解してはいなかったのだ。
「ひぃ――!」
発した声とほぼ同時に移動していく自身の身体。
そして視界に飛び込んできたのは、自らの従者の姿と鮮血の雨。
「―――ぁ」
ドスンと音をたてて背中から倒れこむ。呼吸が止まり、正常な思考は彼の頭から消え去る。ライダーの身体によって視界はおおわれ周囲の事を何も目視することは出来ない。
いや、それ以前にそれすら気にしていられないほどに混乱する慎二。
初めて向けられた殺意、そして直面した明確な死のイメージを簡単に払拭できるほど、彼の精神力は強固なものではなかった。むしろあまりに弱々しく幼いものだった。
「……え、そうだ、衛宮は?」
ようやく慎二は我に返り、士郎が先程までいた場所に目を向ける。次の瞬間彼が目にしたのは走り去っていく士郎の後ろ姿。
逃げたのか。勝てないと分かったから逃げることを選んだのかと振るえる中で、口元を歪ませる慎二。しかし次に目線を下に向けた瞬間、彼はそれが間違いであったと気付かされる。
「――何してるんだ! 早く立てよライダー!!」
そう。目に飛び込んできたのは両の脇腹に深く傷を負い、そして脹脛に矢を受けて倒れ伏す自らの従者の姿。
「おまえ、何してんだよ? 早く衛宮を追うんだ!?」
「……分かりました」
自らに覆いかぶさる使い魔を強引に退かせながら、声を荒げる慎二に一言だけ返答し、立ち上がるライダー。しかし彼女が士郎を追えないことなど、火を見るより明らか。幾ら彼女はサーヴァントとはいえ、受けた傷が簡単に癒えるなど、そうあることではない。
だがそれでもライダーは踵を返し、士郎の走り去ったあとを追う。
その姿に慎二は満足げな表情を浮かべながら、もう一度念を押すように声をかけた。
「――いいか? 絶対に仕留めろ! そうじゃないと、あいつが痛い目みるからね」
その声に、より苦悶の表情を浮かべながら、ライダーは振り返らずに走っていく。それは最早は、その場にいる仮初めの主に対するモノではなく、完全に本当の主を守らんがための懸命の行動であった。
彼女が走る度、赤々とした血がその場に落ちる。
それはまるで、彼女が確かにこの時冬木の地に現界していたことを現すように、くっきりとその跡を残していた。
―interlude out―
「――ハァ、ハァ――ッツ!」
走る、呼吸が乱れる、足が縺れる。
ただ一心に一つの場所を目指して走り続ける。
そう。ライダーとの一戦でこれでもかと言うほどに思い知らされたのだ。俺自身、まだまだサーヴァントと討ち合うには戦力が足りないのだと。
だから走る。彼女を、俺がずっと会いたいと願っていた彼女を呼び出すために。
短剣を受けた腕が、肩が痛む。
血を流し過ぎた。その上にこの全力疾走。正直精も根も尽き果てようという状態にあった。
「それ、でもっ!」
俺は脚を動かし続けるしかなかった。
慎二の性格からして、ライダーに俺の後を追わせるということは想像に容易い。だからこそあの時は慎二を狙うのではなく、ライダーの足を狙って矢を射たのだ。出来る限りの時間を稼ぐために。
「……ッ! ハァ、ハァ、ハァ」
どれだけ時間がかかっただろう。普段なら大して時間がかからないはずの慣れた道をようやく走り切り、俺は衛宮邸の門をくぐり抜けて庭に出ることが出来た。
あと十数メートル、そこまでいけばどうにか事態を好転させられる。
しかしそんな希望、簡単に形になるわけがなかった。
刹那、最早聞き慣れてしまった風を切る音が耳に届く。
「ッ……!」
同時に熱くなってく自身の左腕。何かに引っぱられていくような、何かに持ちあげられていくような感覚に見舞われる。
いや、腕に伝わる感触で理解出来る。目を凝らすとそこからは先程まで俺を傷つけていた短剣の切っ先。そしてそれを辿った先、俺の目指す庭先の方に肩で息をしながらこちらを見据える一つの影。
「……さすがは、サーヴァントってことか?」
素直に感嘆の言葉を口にする。まさか先回りをされているとは考えもしなかった。
しかしその影、ライダーは何も応えないままフラフラと近付いてくる。その様子から察するに、確実に俺の攻撃はダメージを与えることが出来たのだろう。彼女の姿は今にも消えてしまいそうなほどに危ういものだった。
突き刺さった短剣と鎖に自由を奪われた俺をジッと睨みつけながら、ライダーはゆっくり俺に歩み寄る。そして冷ややかな響きでこう囁いた。
「さぁ……あとは、ありません」
それだけで分かる。どれだけライダーが俺を殺そうとしているかということを。眼帯に隠れる瞳の鋭さが感じられるほどに、彼女は躍起になってそれを為そうとしているということを。
鎖に繋がれた短剣を掲げられる。それは死を宣告するかのように、鈍い光を放つ。
しかし俺はその短剣を見据えながら、ポツリとライダーに言葉を投げかける。
「そうか、最期か……」
「――えぇ、死になさい!」
挑発されるように、勢いを付けた切っ先が脳天目掛けて降り注ぐ。
光に照らされ、剣の軌跡はこれでもかと言うほどに綺麗な線を描く。そしてガキンという音と共にそれは突き刺さり、鮮血が周囲に振りまかれる。
剣の軌跡、そして飛び散る鮮血だけを見ればそれは、あまりに美しい光景だっただろう。
「な、に――」
そこに差し込まれる無粋な音。口元は苦痛に耐えるように歪み、がくがくと膝が震える。
「ま、さか…!」
その言葉は二つの事柄を指し示していた。
一つは俺に突き刺さった短剣。
確かに振り下ろされたライダーのそれは、咄嗟に前に出した右腕に突き刺さり、その場に血の池を造っている。通常の人間ならば深々と突き刺さり、腕の機能総 てを破壊していたであろう。しかし短剣は何かに阻まれたように右腕を突き通すことなく、切っ先が刺さった程度に過ぎなかった。
そしてもう一つ、流された血は窮地に追いやられていた“俺だけ”のモノではなかったということ。そう。俺の目の前に立つサーヴァント、ライダーも血を流していた。しかし腕などではなく腹部。彼女のそこから赤々と血に濡れた切っ先が顔を出していた。
それは式さんとの本気の戦いの時に使ったモノと同じ。ライダーの後方に一振りの剣を投影し、彼女が俺への止めの一撃を繰り出すと同時にそれを撃ち出した。
無論彼女がそれに気付くことは出来ても、傷を負った身体では回避することはほぼ不可能に近いはず。それに賭け、俺はどうにかその場で得うる一番の結果を手にした。
「な、なんて……デタラメな!」
言葉と同様に苦悶に満ちた表情を浮かべるライダー。その手に持つ短剣に籠められていた力が弱まったのを確認し、俺は彼女の拘束から抜け出し、俺は覚束ないながらも走り始めた。
しかし思うように足が前に出ない。急く心とは裏腹に、血を流し過ぎた自身の身体は最早動くことも拒否しているようだった。
「ま、まだっ!」
後方から投げつけられる声。
「ガッッ―――!」
その声とほぼ同時に腹部を掠める短剣の投擲。だがそれは俺を射抜くことは出来ず、俺の脇腹を抉るだけ。その場から動けないながらも、ライダーは未だに俺を殺すことを諦めてはいない。
しかし何度投擲しようと、確実に足を止めさせるには至らない。それほどまでに、ライダー自身も満身創痍の状態に陥っているのだろう。
しかし、それは俺の方も同じ事であった。
「――ぁ――」
ライダーからの執拗な攻撃、それは確実に俺の体力を奪う。数メートルの距離を残し、片膝をついて俺はその場にへたり込んでしまった。
もう動かない。
前に一歩も進まない。
このまま、このまま殺されるしかない。
頭に浮かぶのはそんな弱々しい考え。しかしそれらと共に、全く違う考えも浮かんでいた。
そう。俺は言葉にしたのではないのか?
もう決して自分の大事なものは落とさない。あの人たちに、約束したのではなかったのか。
「――――――――」
もう声にはならなかった。ただ一歩、這いずるように前に進む。
それ以外に意識をまわした瞬間、総てが終わってしまう。そう思えて仕方がなかった。
「ぁ――――――」
また俺の脇を掠めていく短剣。その幾度目かの殺意を感じながらも前に進む。
そうだ……この身体の痛みは、俺が俺であろうとする証明なのだ。
そして俺は何をしたいのか、何をするべきなのかを既に理解しているはずだ。
「あぁ――――――」
力強く決して折れないように、俺は最後の一歩を踏み出す。
傷付いても構わない、ただ一つの目的を果たすために。
始まりはすぐそこにある。
ようやく俺は、その門に手をかけたのだ。