―interlude―
「止まれ……、止まれ!」
目の前の少年は私の言葉を意に介さず、ただ歩を進める。
もう何度、彼に対して殺意を放っただろう。
何度彼に致命傷を負わせようとしただろう。
それすら思い出せないほどに、私は少年に対しての殺意を、自らの得物を放ち続けた。
しかし、彼は止まろうとはしない。ただあと数メートルの距離をまるで這うように進む。はたからから見れば愚かな行為。しかし私にはそれが、決して止まることのない神の行進のように感じられた。
「なにを、バカなことを!!」
あまりの悔しさに血を吐き出しながらも、私は大声をあげてしまう。
そう。私はサーヴァント、その成り立ちはどうであれ英霊なのだ。
怒り、憎しみ、悲しみ、痛み、怯え……総ての負の感情を飲み込んできた。
その私が、たかが一介の魔術師に恐れを抱くなど、そんなことがあるわけがない。
しかし、事実目の前を進んでいく男は私を怯えさせる。
そして私の総てが語りかけてくるのだ。きっとこの男は、我が真実の主の害を為す者になると。
だから殺さなくては……恐怖するよりも前に。
目の前から消さなくてはならない……主が傷つくとわかっていても。
「ァ――」
すっと血の気が引いていく。動こうとするたびに、夥しい血が体の外に吐き出される。フラフラと意識を失うかというところをどうにか繋ぎ止めていたもの、 それは皮肉なことに先ほど受けた一撃の痛みだった。腹部から生える剣の切っ先を目にし、私はようやく正気を保っていられたのだ。
徐々に痛みに慣れていく身体。いや、これはむしろ身体がマヒしているということなのかもしれない。それすら、今の私にはありがたいものであった。
「なんて、無様な姿なのでしょうか」
立ち上がる最中、口にしたのは自分への嘲り。
これでは偽りの主の愚行をバカにすることは出来ない。無様な姿を見せながらも、どうにか目的を果たそうと、足掻いてでも生きようとする気概は、きっと彼も私も同じなのだから。
ようやく立ち上がったのと時を同じくして、魔術師は庭に建てられた蔵の中に足を踏み入れようとしていた。
「――ついに万策尽きたか」
あそこまで傷ついた身体で、まさか籠城を選ぶなど…失策と呼ばずになんと言うだろう。
「これで終わりだ。早く、彼女の……サクラの側に帰ろう」
振るえる手で再び短剣を手繰りよせ、止めを刺さんとゆっくりとではあるが、その足を進める。
あと数秒もしないうちに短剣は再び魔術師の血で染まり、魔術師の叫び声があがるだろう……私はそう信じて疑わなかった。
しかしその余裕と油断が、あの蔵から感じる魔力の奔流に気付くのを、一瞬だけ遅らせることになった。
「ハァァァァァァァ!」
聞こえたのはまったく聞き覚えのない、少女の猛々しい怒号。それに気がついた刹那、何もかもが消え去った。
最後に私が目にしたモノ。
それは血飛沫を上げる自分自身の身体、そしてそれとは対照的な、美しい……あまりに勇敢な色を湛えた少女の瞳の色だった。
―interlude out―
「ハ――ハァ、ハァ」
身体に走る痛みに耐えながら、目の前にそびえる重々しい扉を開け、ようやくその中へと転がり込む。
ひんやりとした蔵の中には月明りが差し込み、その静寂さをたたえていた。そこに俺という異物が混入されたことによって、それは全く違うモノへとその色を変貌していく。
静寂が蒼だとするならば、それは殺戮の色。毒々しすぎるほど赤色に。
そんなことを頭では考えていたが、身体の方は悲鳴を上げる一方であった。
数多の血を吐き出してきた身体は、もう完全に動くことを拒否している。
視界も混濁し、意識も闇に落ちてしまう寸前まで差し掛かっていた。
「――は――」
右手の甲に疼きを感じた。いつか感じたことのある様な、懐かしい感覚。
「――そう、だ……」
投げ出していた身体を仰向けにし、天井を見据える。いつも見ている、慣れ親しんだ光景がそこにはあった。
そうして思い出す。自分がここに来た理由を、何をすべきかを。
「投影(トレース)……開始(オン)」
力なく手の平を掲げ、口にしたのはお決まりの言葉。
多分今の状態では、どんな詠唱も簡単には口に出来ないだろう。
だからこれでいい。俺の言葉で……俺にしか出来ないやり方で!
思う。それは彼女と俺を繋ぐ唯一のモノ。
描く。俺の身に宿るモノならば、難しいことではない。
造り出す。それこそが鍵……本当の始まりの扉を開ける鍵。
そして、この手に現す。自らの幻想を結び、形を成す。
「―――投影、装填(トリガー・オフ)」
ここに形を為すのは、かつての俺では再現できなかったモノ。
今の俺であるからこそ造り出すことのできる……彼女との、これは彼女との繋がりの印なのだ。
かつて、彼女の姿はどんどん自分の中から消え去っていって、もう思い出すことはできなくなってしまった。それはきっと、彼女自身が俺の中にある信念を支えてくれていたからだろう。だから俺の信念が弱くなればなるほどに、彼女の面影は俺の中から消えていった。
しかし今こうして、俺は彼女との繋がりをこの手に現すことが出来る。
それは俺の中に、ちゃんと彼女が残っているという証明。この生涯も、この俺自身ですら、彼女のために在る。そう思えてしまうんだ。
そしてこんなに血に濡れた手でも、もう一度彼女と手をとり合うことが出来るのかもしれない。
いや。きっと出来る。これまで強情なまでに信じた理想を求め続けてきた『エミヤシロウ』ならば、出来ないはずがない。決して諦めることはしない。
黄金に輝くそれを目にし、彼女を思った。
彼女こそ、ずっと追い求めていたあの『全て遠き理想郷(アヴァロン)』なのだから。
「――……れ」
小さな、声にならない声で呟く。
「……てくれ――……い、来いよ!」
再び、今度ははっきりと言葉にする。
声同様に、手にした鞘を力強く天にかざす。
「――来いよ、セイバァァァァアアァァ!!」
擦れる声で、しかし渾身の力を込め、俺は彼女の名を叫ぶ。
ゴオと音をたてながら、風が吹き抜けていく。
それと同時に大きな影が一つ俺を覆ったと思った刹那、一気にその場から姿を消していた。
「ハァァァァァァァ!」
聞き覚えのある声が響く。そしてザンと一閃、何かを斬り伏せたような物音。
何が起こったのだろうか。ぼやける目を凝らしながら、影の動いた先を見つめる。
また強い風が吹いた。
目に入ってきたのは風に揺れる金砂の髪。
和風の蔵の中にあって、それはあまりに不釣り合いなモノ……だからだろうか、周囲はぼやけたままなのに、そこに佇む少女の姿だけはハッキリとしていた。
そこには、確かにいた。
消えゆくサーヴァントを目の前に、ただ悠然と構える一人の少女の姿。
勇敢に見えるその騎士姿は、土蔵に差し込む月明りによって、それをさらに際立たせていた。
「――ぁ」
何を言えばいいのだろう。ぼんやりとする意識の中で、俺はそれだけを考えていた。
いつだったろう……確か以前のこんな光景を目にして、俺は言葉を失ってしまった。
きっと、きっとそれだけ目の前の少女が綺麗過ぎたんだろう。今のように何も口にできないまま、俺はその始まりの言葉を聞くことになる。
「――失礼。緊急事態と判断し、独断で行動してしまいました」
凛とした響きが投げかけられる。
それはきっと、俺がずっと待ち望んでいた響き。俺の一番欲しかったものだ。
そして彼女は呟く。ずっと変わらない、曇りのない瞳を俺に見せながら。
「サーヴァント・セイバー、召喚に従い参上した」
「――問おう、貴方が、私のマスターか」