―interlude―
月は頂からゆっくりと傾き始める。闇は深く、ただその濃度をより濃いものにしながら時間は進む。
それは少年が、かつての自分自身と戦っていた時、剣の英霊が真紅の槍を持つ武人と刃を交えていた瞬間から幾ばくかの時が過ぎた頃。既に周囲の世界は眠りの中にあった。
そう。誰もあずかり知らぬところで、それは幕を開けようとしていた。
長い石段を目の前に、一人の少女が悠然と立つ。このような時間に少女が一人でいることに疑問を抱かない者はいないだろう。
しかし事実少女はその場にいた。銀に輝く髪は月明りを受けその美しさを、そして赤々と光る瞳は強い意志を露わにしながら。
「これを登るの、面倒だわ」
少女は眼前に佇むそれを見据え、一言そう漏らしていた。
周囲に人影はない。ならばと少女はニコリと口元を歪め、続けてこう呟いた。
「飛び越えちゃおうか……」
その声に応えるように、その場に現れたのは巨大な体躯。おおよそ人とは言い表すことの出来ないそれは、銀の少女を自らの肩に抱く。
「―――さぁ、いくよ! 」
鈴のなる様な響きに続き、地面を砕く轟音が周囲を揺らす。
それは幕を上げる合図。鉛色の巨人は力強く、そしてその体躯からは想像も出来ないほどに軽やかに闇夜を舞う。
まるで月にも届かんばかりのその跳躍に、少女は嬉々とした表情を浮かべる。
しかしそれだけではない。彼女を高揚させているものは眼下に広がる街の風景だけではなく、これから待ち受けているであろう戦いを夢想しているからであろう。
自ら他者に戦いを挑む。これほどまでに無駄なことを、普段の彼女なら行うはずもない愚行であろう。しかし事実少女は、自らの従者と共に今まさに戦場に赴かんとしている。
そう。感じ取っていたのだ。総てのサーヴァントが揃うと同時に、一騎のサーヴァントがこの世界から消滅していくのを。そしてそれは、自らの中にある器を満たす、最初のひとしずくが零れ落ちてきたことに他ならないということも。
しかしそれらが自ら戦いに赴く理由になるとは言い難い。
だが彼女は自らを押し止めることが出来なかったのだ。
ただ少女はあの夜、あの男に感じさせられた苛立ちを、何かにぶつけようとしていた時に、街中から魔力を吸い上げる山上の寺を見付けた。そしてその場所を魔術師が根城にしていることは想像するに容易かった。
そう。そこにいるであろう魔術師は少女の、イリヤスフィール・フォン・アインツベルンの憂さを晴らすための標的にされたにすぎないのだ。
易々と石段、そして山門を飛び越え鉛色の巨人は、音をたてて寺の境内へと降り立つ。ぐるりと周囲に見送りながら、巨人の肩に佇む少女は一際嬉しそうに笑みを浮かべる。それは彼女が想像していた通りの光景が、そこには展開されていたからに他ならない。
それは骨の大軍。全てが同じ形の骨の兵は、それぞれに違う得物を抱きながら、巨人が降り立つ瞬間を今か今かと待ちかまえていたのだ。
境内を埋め尽くさんとばかりに陣形を整え、少女たちを包囲する兵士たち。どれだけ研鑚を積んだ練達の士であっても、ここまでの数量差を埋めることは至難の業であろう。
「こーんな、骨の人形……一振りよね、バーサーカー?」
しかしその異形を目の当たりにしても全くおぞけを振るうこともなく、少女は自らの従者にそう言葉をかけた。
彼女の声に巨人は手に携えていた大剣を一閃、縦にそれを振り下ろすことで応えた。周囲の大気を斬り裂き、振り下ろされたそれに境内の石畳は砕かれ、粉塵は月明りを浴びながら光を散りばめる。
それに意志を持たないはずの骨の兵士たちは、まるで恐怖を感じているかのように後ずさるようにカタカタと自らを鳴らす。
そしてその光景にイリヤは高揚したのだろうか、残酷なまでに無邪気な響きで告げる。
総てを壊し尽くす、彼女なりの魔術師の戦いの合図を。
「さぁ。……やっちゃえ、バーサーカー」
「■■■■■■――――!!!」
鈴のなる様な響きに続き、咆哮が周囲を染め抜く。
静寂の支配していたはずの境内は一変、暴風と鉛の巨人の叫び声に塗り替えられてしまう。
横一閃。大剣はまるで旋風の如く振るわれ、音をたてて骨の大軍を粉砕していく。それは兵士たちが受けることも出来ようはずもないまさに嵐であった。
「あれ? 本当に一撃で終わっちゃった?」
ピタリとその巨体が動きを止める。
先の少女の言葉通り、バーサーカーの巻き起こした風は、彼らを包囲していたはずの大軍を一撃のもとに壊し尽くしてしまったのだ。
「ホント……呆れちゃうわ。こんな小物しか用意できないなんて」
そう呟きながら少女は上空を見上げる。
しかし言葉とは裏腹に、その表情は境内に降り立った時のまま。嬉しそうな笑みを浮かべたままであった。
そう。イリヤは感知していたのだ。彼女らを見つめるその存在を。
「名乗りもしないなんて……貴女はキャスターのサーヴァントかしら?」
ゆっくりと上空に佇むそれに疑問を投げかけるイリヤ。
「まさか!……いえ、貴方なら当然というべきなのかしら」
まるで翼を広げるようにそれはあった。
それは地に大きく影を作りながら鉛の巨人を見据え、驚きと納得の声を上げる。
「あら。わたしのバーサーカーが、ヘラクレスだって分かるの?」
先の魔術師と同様に驚きの声を上げるイリヤ。
しかしその彼女の反応に耳を傾けることもなく、魔術師はゆっくりと手にしていた杖を掲げる。
「そう……人の言葉を聞こうともしないのね」
魔術師の周囲に展開された魔法陣は少女たちを捉え、今まさに殺意を撃ち出さんとしていた。対するイリヤはそれを目の当たりにしながら苛立ちを露わにする。
赤い瞳は眼光鋭く魔術師に向けられ、先程までの無邪気さはどこにも感じられない。
彼女は決意したのだ。決して、目の前にいる魔術師を逃しはしないと。
「バーサーカー、絶対に逃がしちゃダメ……キャスターを叩き落として!!」
棘のある響きでイリヤは告げると同時に、魔術の砲撃が轟音をたて放たれる。
自らの主の隠しようのない苛立ちに呼応するように、鉛の巨体はさながら弾丸の如く、上空に佇むキャスターに向かい、飛び出していた。
「――」
確かに砲撃は放たれた。
数秒とかからず巨人を焼き尽くすほどの出力、そして標的は間違いなくその場にいたはずであった。
しかし声が示す通り、瞬きの間にその鉛色はキャスターの前から姿を消した。
標的がその場にいない、だが既に放たれてしまった轟音は境内を焦がしていく。
「……どこに!?」
眼下で無意味な破壊が行われる中、焦りを隠せず周囲を見渡すキャスター。
見失ってしまった巨体を、一瞥すれば見付けることの出来るはずのバーサーカーを探す。
「―――なっ!」
しかし鉛の巨人は確かにそこにいた。
バーサーカーがどこにいたのか。それはあまりに簡単なことであった。
弾丸の如く、巨体からは想像すら出来ないほどの速度で彼はキャスターのはるか上空に飛び上がった。そして主の命令通り、眼前の敵を『叩き落とした』のだ。
「―――――――――ァ」
小さく呻き声を上げ影が一つ、地に叩きつけられる。
この時キャスターは全てを悟った。
そう。何をしたとしても自分がこの巨人に、十二の試練を超えた大英霊に一矢報いることは不可能だったのだと。どれだけ意表を突く攻撃を繰り出そうと、すぐ さま逃げる手筈を整えようとしていたとしても、少女がこの寺に目を付けた時点で敗北は、自分が死ぬことは覆らないのだと。
叩きつけられたキャスターの身体は夥しい血を吐き出しながら、境内の石畳を穢していく。まるで自らの破壊してしまったこの場を覆い隠すように、ただ赤々とした血が止め処なく流れる。
それをイリヤはバーサーカーの肩から降り、ジッとそれを見つめ再び驚きの声をあげる。
「あら、良く生きてるわね」
彼女は一歩近付きながら、素直に感心したと声をかける。だが今のキャスターに応える術はない。
ただ何かを言葉にしようと必死に口を動かすが、既に声を出す機能が破壊されてしまったのだろう。それは叶わない。
「さようなら、可哀想な魔術師さん」
無慈悲に、イリヤは絶命寸前のキャスターに向かい、言葉を投げかける。声に合わせ、巨人の大剣は振り下ろされる。それはおそらく少女には目にも留らぬ速度であっただろう。
しかし一人、巨人とは別にもう一人、その狂気に反応できる者がいた。キャスターと大剣の衝突の瞬間、間に割って入る一つの影。それはキャスターを守らんと大剣を受け止め、その場に立つ。それはキャスターが声にならない声で必死に逃げろと訴えていた人物。
「へぇ、人間なのに……! 凄いじゃない!?」
そう。ただの人間がその一撃を受け止めた。全身から血の赤に染めながらも、キャスターの主である葛木宗一郎がバーサーカーの攻撃を退けたのだ。
「―――ッ―――!!」
しかしやはりその身は人間のモノ。
宗一郎はキャスターからの魔力付与を得ていた。だがどれだけ魔力の恩恵を受けようとも、サーヴァントの、バーサーカーの一撃を受け止めて無事に済むわけがない。
それはこの男も例外なく全身はその支えを失い、力なく自らの従者の傍に倒れ伏した。
「……キャス、ター……すまん……」
「―――そ……う、……いちろ……さ……」
傍らに倒れ伏す、自らの愛した男の亡骸を目にしながら、キャスターはゆっくりと瞳を閉じた。それは彼女の聖杯を求めた戦いの終焉、いや彼女が夢に見ていた平穏な生活の終焉を意味していた。
二人の亡骸を目にし、イリヤはどこか複雑な表情を見せる。確かに自分自身が、バーサーカーが勝利したはずなのに、何か納得がいかない。その答えを出せぬまま、彼女は踵を返し、バーサーカーに歩み寄り、こう告げた。
「……行こう、バーサーカー」
その言葉を耳にし、巨人は再び肩に自らの主を抱き、来た時と同様に一気に山門を飛び越え、石段を飛び降りていく。
帰路を急ぐその姿は、感情を表に出すことのない狂戦士が、自らの主を気遣っているかのようにも見受けられた。
ここに一つの戦いが幕を降ろす。
総ての幕引きを急ぐように、器の完成を急くように、物語は更に速度を増しながら進みゆくのであった。
―interlude out―