―interlude―
「まさかアインツベルンまで出てくるなんて……」
一人家路を急ぎながら遠坂凛はポツリと、誰に投げかけるでもなく言葉を発していた。
つい先ほどまで彼女の思考の優先順位は、聖杯戦争を乱すイレギュラーを殲滅することであったしかしそれが一転、敵視していた一人の魔術師とアインツベルンを名乗る少女の登場によって掻き乱されている。
足早に歩く彼女の表情は困惑を隠しきれてはいない。それに何か感じるものがあったのだろうか、人の眼で見ることの出来ない超常の存在である彼女の従者はクスクスと彼女のみが聞く事の出来る声で笑ってみせた。
「何がおかしいのよ」
自らの従者の挑発ともとれる行動に、彼女は苛立ちを露わにしながら声を荒げた。
先程までの士郎たちとのやり取りの中では、自分は蚊帳の外に追い遣られているのではないかと疑念を抱いていただけに彼女の苛立ちは限界を超えようとしていた。
「……まぁいいわ。で、何?」
「いやね。君らしくない判断だと思ってね」
「何よ、私の判断に意見するつもりなの」
パタリと足を止め咳払い一つ、落ち着きを取り戻した凛は従者に声をかける。
人が家路に着くであろう時間帯にも関わらず、彼女の近くに人の姿はない。まるでそこだけが周囲と隔絶されてしまった空間であるかのような印象すらあった。その怪しさに反応するように、彼女の背後に現れたのは、赤い外套を見に纏った屈強な男、サーヴァント・アーチャーの姿。彼は自らの主の機嫌を窺うことはせず、険しい顔を見せたままそう呟いていた。
凛自身も、アーチャーの言葉には思うところがあるのだろう。強気な言葉を向けながらも、その響きはどこか弱々しさを感じるものになっていた。
「いいや。主の命令には従うさ……だがね、これはある意味好機ではないか」
「――何? 私に火事場泥棒にでもなれって言うの」
アーチャーの発案、それは詰まる所アインツベルンと衛宮士郎との決闘を監視し、疲弊しきったところを背後から襲撃すればいいということであった。
もちろん、勝利を優先するならばそれは真っ先に考えにのぼるであろう。
しかし彼女の、遠坂凛という少女の性格を考えれば、その考えは真っ先に棄却されるもののはずだ。実際彼女が『火事場泥棒』という言葉を選んだのも、その行為が唾棄すべきものと理解していたからである。
しかしそう答えながらも、凛は何かを必死に悩んでいる様子であった。
そう。彼女には見えているのだ。あの二人と、自分自身とでは明確な差があると言うことが。彼らにあって自分にないもの、それは自分の意志。聖杯戦争を始めた家系なのだから参加することが義務付けられている自分と違いあの二人、特にイリヤスフィールは衛宮士郎と戦うためだけにこの戦いに赴いたのだろうということを凛は感じ取っていた。
「……いいわ。アンタの案に乗ってあげる」
ゆっくりと、苦悶を吐き出すように凛が言葉を紡ぐ。
今までの自分であれば決して選びはしなかったであろう。それを示すように彼女の握りこんだ拳はブルブルと震えている。
「ほぉ、今日は存外に素直な反応ではないか」
「アンタも気付いているでしょ? 真っ向から戦っても勝ち目がないことくらい……なら、せめて魔術師らしく……」
イリヤスフィールの口にしたヘラクレスという英雄の名を聞いた時、そして士郎と学校で相対した時、真っ当な勝負をしては決して勝つことは出来ないと彼女は直感した。
だからこそ彼女は自身の信念を、優雅たれという家訓を破ってでも勝つことに拘ったのだ。
「策を講じると……なるほど。いよいよ我がマスターもらしくなってきたではないか」
「どこかの誰かさんの影響かもね。ましてや自分の信念を曲げるんですもの……」
息を吸い込み、凛は従者に向き合う。瞳の色は少しの憂いもなく、固い決意を示す。
今から口にする言葉だけは、決して裏切ることはないと誓うように。
「絶対に、勝ちに行くわ」
「あぁ、分かっている」
凛の言葉に相槌を打ち、アーチャーはニヤリと自らの顔を歪めた。
「こちらも、その方が都合が良いからな」
それは決して主を支えようとするサーヴァントの表情ではない。暗い感情を抱えた一人の男の表情。
そう。アーチャーにとっても、凛の決意は好機なのだ。自分自身を、エミヤシロウを亡き者にするための、絶好の好機だったのである。
―interlude out―
自宅に帰った俺は居間にセイバーを呼び出し、遠坂からの情報とイリヤとの決着を付ける旨を出来る限り簡潔に説明した。その報告には決して自分の感情を含めることはしない。ただこれから起こるであろう事態、そして戦うべき相手について俺は自分なりの考察を告げた。
「――なるほど。なかなかに理解しやすい考察でした」
セイバーは俺の報告を聞き、一言簡単に感想を述べた。
相変わらず彼女の瞳が俺を捉えることはない。ただ完全に感情を排した、それぞれが昨日としての役割を果たすだけの関係。
当初はどこか居心地の悪かった状態も、慣れてしまえばどうということはなかった。寧ろ話が円滑に進むならばそれもいいとすら感じるほどだった。
「私は一対一でバーサーカーと果たし合うことが出来ると考えて良いのですね?」
佇まいを正したセイバーが俺に尋ねる。
彼女にとって、何よりも気にかかることはそれだったのだろう。言葉では手段を選ばないとする彼女も、どうしようもないほどに『騎士』なのだ。だからこそ彼女が最大限にポテンシャルを発揮できるように俺は振舞わなければならない。
俺自身も佇まいを直し、ゆっくりと言葉を選びながら音にする。
「あぁ、これならお前も存分に力を発揮できるだろう」
「確かに。いささか信用なりませんが、今回ばかりはマスターを信じましょう」
言葉には棘があったが、セイバーは俺の言葉に納得した様子だった。
それを示すように、彼女の瞳は戦いに臨む騎士そのものであった。おそらく予想外の強大な敵との戦いを楽しみにしているからに他ならないだろう。
「……イリヤの言っていた通り、相手はヘラクレスだ。油断なんか出来ないぞ」
「無論だ。全力を尽くし、眼前の敵に対する。それが彼の十二の試練を超えし英雄であったとしても……私はこの剣で斬り伏せよう」
「あぁ。期待してるぞ、セイバー」
「言われずとも……聖杯を手にするまで、私は負けない」
そう語った彼女からは、油断も憂いもない。
ただそこには戦士として、誇りある決闘を望む一人の少女の真摯な表情。だからなのかもしれない、その表情が俺にはあまりに悲しく見えた。
「それじゃ。また呼びに来る。少しでも英気を養っておいてくれ」
居心地の悪さを感じ俺はそう言い残して、居間を出ようと立ち上がった。
視界の隅でセイバーはシッカリと相槌をうち、俺の言葉を受け取ってくれていたのだろう。
俺は逃げるように居間を出て、一路土蔵を目指して庭に足を延ばしていた。
やはり自室に居ては全く落ち着かない。ならば出来る限り集中の出来る場に留まりたいと思い、もう日の暮れてしまった月明りの照らす中を俺は急いだ。
足を運んだ土蔵は冷ややかで、しかしどこか暖かさを感じさせた。天窓からは柔らかな月の灯りが差し込み、落ち着いた雰囲気を作り出している。
視線を下に移すと、そこには数日前に俺が流したのであろう血の跡。どうやってもこびり付いて取りきれなかったその跡は、最早言われなければ分からないほどに土蔵の床と一体となっていた。
「相手はイリヤとバーサーカー、いやヘラクレスか……真っ向からやりあって勝ち目なんてあるはずない」
溜息と共に吐き出したのは、やはり弱気な言葉。
これだけは変えることの出来ない、この時に戻ってきてからの俺の悪癖。
「――って、こんなこと分かりきってたことじゃないか」
そう。どうしようもなく強大な敵だと言うことは分かりきっていたことなのだ。だからこそこれまで自分自身を鍛え上げ、足手まといにならないように努めてきたのだ。
確かに戦えば敗退するかもしれない。傷付くかもしれない。それでもそれを避けて通ることは出来ない
「俺は、俺たちは勝つしかないんだ。気付かせてやるのは、それからでも遅くない……」
バーサーカーとの戦いが終われば、きっと話をしよう。彼女が求めている聖杯が、一体どんなものであるのか。
あの聖杯は決して彼女の望みを叶えるものではないということを。
そんな悠長なことを考えている場合ではなかったと俺はすぐに後悔してしまうことになる。
何故イリヤと戦う前にセイバーともっと話をしなかったのか。
何故間桐のことを放っておいてしまったのか。
そして何より、何故俺は言峰を気に掛けつつも、何も行動を起こさなかったのか。
数え切れない後悔をして、結局俺は何も変わることが出来なかった変えることが出来なかったと理解するのだ。