終わりの続きに   作:桃kan

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暗き思いの淵

―interlude―

 

 

 月は頂へと進む。

一日の営みを終え、街は静寂の中にある。

落ち着くと言えば聞こえは良いだろう。しかしこの場を動く事の叶わぬ彼にとって、その静けさは拷問でしかない。唯一、街を一望できるその光景のみが彼を楽しませるものであった。

 

 しかし今宵、この時だけは違う。

 

「――何もせず消えるのみが我が宿命と思っていたが……」

 陣羽織を翻し、手にした太刀を一閃。精悍な表情で男は、歩み来る影に視線を向けながら顔を歪める。

 アサシン・佐々木小次郎はひどく嬉しそうに口元を吊り上げていた。

これこそ彼が求め続けていたモノ。明らかに殺意を秘めた者が自分自身と刃を交えんと歩を進めてくる。そして自身も最高の技をもってそれに応ずる。武人として、否、一人の男としてそれを成し遂げるため彼は刀を掲げる。

そう。先日現れた鉛の巨人は、石段はおろか彼の守護する山門を易々と飛び越え、刃を交える暇すらなく、一瞬のうちに彼を召喚した魔術師を打倒してしまった。

 

「さぁ、我が終の一振り。受けよ、黒き者」

 ゆらりと、小次郎は必殺の剣を繰り出さんと構える。

マスターを失った彼にとって、この世に現界出来る時間はもう幾ばくの時もない。せめて最後の一太刀を、渾身の力を籠めんと彼は静かに、そして力強く繰り出す。

 

「秘剣――燕、がえ……し」

 これぞ宝具にまで昇華された剣技。魔術を使うことなく、剣の修練のみで魔術師が目指す魔法の域に到達した業。初見の者がその太刀筋の総てを見きることは不可能。どれだけ研鑚を積んだ者でも、同時に振るわれる三つの剣筋を受けることなど出来もしない。

しかしそれは、『普通』の敵であったならばの話であった。

「――まさか、人でない者に」

そう。言葉の通り、彼は重要なことを見誤っていた。

一太刀をあびせることが出来れば、決着はつくと小次郎は考えていたのだろう。しかし秘剣が黒の敵に届く事はなく、むしろ影から伸びた闇色の触手にそれらは食い尽され、あろうことか小次郎の身体に纏わりつき肉体を侵食しようとしていたのだ。

そもそも眼前に立つ敵と一度も刃を交えることもなく、魔剣を繰り出すことなど、普段の彼であればすることはなかったであろう。それだけ消えゆく彼が焦りを隠せなかったのか、戦えることの出来る唯一の機会に心が躍ってしまったのか。それは彼のみしか分からない。しかし事実小次郎はその身の自由を奪われた。平時の彼であれば避けることは容易であるはずの敵の攻撃も、必殺の剣を放った直後の彼にとっては次の行動に移ることに時間がかかり、避けることは叶わなかったのだ。

「このような散りようは……まだまだ、研鑚が足りんということか。やはり戦とは奥深いものよ」

 月夜にその身を掻き消すのではなく影に飲み込まれる。それはおそらくサーヴァントにとって、戻るべき場所には戻れないことを意味していた。そのあまりに醜悪な色を見せる影とは対照的に、小次郎の表情はどこか爽やかなものであった。

ただより多くの強者と刀を交えたかったと、そう嘆きながら彼はその身を闇に沈めていったのだ。

 

 

 

 影による捕食は一瞬の内にそれを終え、周囲には静寂が戻っていた。

影の主は先まで侍の立っていた場を見つめ、何かを考え込むように動こうとしない。

それは、この影の主の出来る唯一の贖罪だったのかもしれない。

 

「……ったくよぉ。何だってんだよ」

 刹那、石段の下の方から、乱暴に投げ出された棘のある声が響き、闇の中から紅の槍を携えた青の戦士が姿を顕わした。声の主はゆっくりと影に近付き、横に並び立ちながら一言悪態を吐く。

「オレはアンタを見張っとけって言われたからよぉ………にしてもこれはないだろ」

 そう。その声の主は誇り高き槍兵・ランサー。これほどの醜悪な、戦いとも呼べるものではないものを目の当たりにし、彼の我慢は既に限界に達しようとしていたのだ。しかし声を荒げるランサーを後目に、影の主はその声に反応することはない。影の主に、ランサーの声は全く響くことはなかった。

 

「誇りがどうとか言わねえ。でもよ……アイツは、誰かと正々堂々戦えるのを待ってたんだ」

 ランサー自身もそれは理解していたのだろう。棘のあったはずの彼の言葉は、柔らかなものに変わっていく。いや、そもそも彼は影の主を糾弾するつもりなどなかったのだ。

武人として、届かないと分かっていても、それを告げずにはいられなかった。

ただ、それだけのことだったのだ。

 

「――まだ、足りない……」

 ランサーの声を気にも留めず、声の主はそう言い残し、再び柳洞寺へと伸びる石段を登り始める。その姿を見送るランサーは見逃さなかった。無表情に塗り固められていたはずの表情が辛そうに歪む瞬間を。

「無理しやがって……お嬢ちゃん」

 そう。ランサーには彼女を見送ることしか出来ない。

彼女にとって辛い結末になろうとも、彼には何もすることは出来ないのだ。

 

 

―interlude out―

 

 

 

―interlude 2―

 

 

 暗い、闇より暗い部屋の隅。一人の少女は肩を震わせる。

ただ目を閉じ自分の行いを反芻する彼女は、もうどうしようもないほどに狂ってしまっているのかもしれない。

「そっか。わたし……したんだ」

 ぽつりと投げ出した声は、何に受け止められることもなくただ消える。不幸にも、今の彼女を受け入れる存在は皆無。部屋に広がる闇が、彼女が孤独であることをよりくっきりと顕わにしていた。

 

「……ふふ、そうだ……そうしたんだ」

 その呟きはひどく嬉しそうに部屋に響いた。

最早彼女にその行為に対する罪の意識は皆無なのかもしれない。それほどまでに、この数日間の内に少女は自らの手を汚し続けたのだ。

 

「わたしは、悪くない!! だって、あの人が……あの人たちが苛めるんだもの! 叩くんだもの! 殴るんだもの! わたしはただ……仕返ししただけ」

 髪を掻き乱しながら、声を荒げる少女の頬には大粒の涙か伝っていた。

 決して罪の意識がないのではない。彼女は常に苛まれ続けているのだ。だからこそ、言葉では自分自身を肯定し続け、行為を正当化し続けなくてはならなかったのだ。彼女が彼女自身の目的を果たすために。辛くともその行為を続ける理由が彼女にはあったのだ。

「もうすぐ自由! あと少しで……自由に」

 そう。彼女は自由を求めていた。

ただ人並みに得られるはずの幸せを、彼女は欲していたのだ。しかしそれを為すには、どうしても排除しなくてはならないモノが、文字通り彼女の中にはあった。

「……邪魔だなぁ」

 彼女は自らの胸にそっと手をあてる。

手に感じる自らの鼓動とは別に響くのは、這いずりまわる何かの音。

「今は……ふふ、もう少しだけこのままでもいいや」

 今までは、その音がどうしようもないほどに嫌いだった。

しかしそれもあと少しで消えてなくなると思うと、彼女にとってはそれすら心地のいい響きに聞こえるのだろう。涙にくれていたはずの彼女の表情は、あっさりと嬉々としたものに変わり、瞳を輝かせていた。

 

「先輩、もうすぐですからね」

「もうすぐわたしが……」

 

 

「桜が、迎えに行きますから……」

 

―interlude 2 out―

 


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