ーinterludeー
騎士と槍兵の衝突は続く。
決して誰も阻む事の出来ない、ただ互いの死力を尽くしながら交わされる命のやり取りは、おそらく目にする者全てが見入る事は間違いないだろう。
それを示すかのように、蒼き槍兵は嬉々としながら呪われし赤の槍を突き出し続ける。しかしその戦いの中にあって、剣を振りかざす騎士の表情には、得物を打ち交わす度に苦悶の表情が見て取れるようになっていった。
「ーーおぉ、辛そうじゃねぇか。こないだの夜とは全然剣のキレが違う。弱々し過ぎるぜ!」
剣戟の衝突音が響き渡る中、息も切らさず声を上げるランサー。
ようやく得たこの機会を大いに楽しむ彼にとって、セイバーの体たらくはいささか興ざめなものであったという事は言うまでもない。
だが弱々しいと言っても、少女も彼の英雄譚に名高き騎士王。ランサー自身も気を抜いてしまえば一刀でもって斬り捨てられる事は、彼自身想像するに容易であった。
「ーーッッ!」
ランサーの繰り出す打突を弾き返し、攻めに転じようと一歩踏み込む、しかし斬り返す一刀に力が籠らない。
悔し気な彼女の脳裏には、間違いなく今朝のバーサーカーとの戦いが思い出されているのだろう。事実、本来少女が有するはずの力強さも、素早さすら発揮出来てはいない。それほどまでにセイバーは消耗しながらその剣を握っているのだ。
「どうした、どうした! ここまでなのかよ、セイバー!」
挑発の言葉は続く。そしてそれに呼応するように繰り出される槍の切っ先は更に速度を増していく。
まさに深紅に塗り固められた壁を思わせる、その槍の残像にセイバーはある確信を得ていた。
「……貴方こそ動きに粗が目立つぞ」
そう。セイバーは感じ取っていた。
ランサーが速度を優先した打突に切り替えたという事を。だからこそその事実を突きつけてしまえば、彼がどう出るかも容易に導きだせる。
「皮肉を言う……そんな口が叩けるならーー!」
「ーー!」
赤の閃光がより速度、力を込め繰り出される。
槍の戻しを全く考えずに繰り出された渾身の一突き。そう言っても過言ではない。
周囲に響き渡るほどの衝突音をまき散らしながら、黄金の剣を捉えるランサー。
それまで全ての打突を去なし続けていたセイバー自身もこの一突きには耐えられず、最早苦痛に近い表情を浮かべ上体を崩しながら、どうにか力任せに槍の進行を逸らす。
「勢いを殺しきれてねぇんだよ、それでもセイバーか? 騎士の中の騎士なのかよ?」
苛立ちを露にしながら声を上げるランサー。
この程度なのかと、こんなにも弱いのかと不満をぶつける。その苛立ちを隠しきれなかったせいだろうか、槍の軌道は荒々しくなり、槍の戻しが数瞬遅くなる。
そのランサーの槍に生じた一瞬の遅れを、彼女が見過ごすはずはなかった。
「……そこッ!」
斬。
渾身の力を籠めた一太刀。
黄金に軌跡を描きながら、ランサーに生まれた一瞬の隙を逃すまいと振り下ろされる一撃。
まさに必殺の一撃。おそらく、この一刀を無事に受け止める事の出来る者などそうはいないだろう。
だが例外は確かに存在する。
「ーーック」
金属の拉げるような音に続き、ランサーの口から零れる衝撃に耐える声。
そう。彼は受け止めた。
槍の返しが遅れたにも関わらず、セイバーの体たらくに苛立っていたのにも関わらず、彼はその必殺の剣を受け止めたのだ。
だがその渾身の一撃の勢いを殺しきれるものではなかった。
「ーーッーーーーーー!!」
受け止めたランサーの身体が宙を舞う。
その強引な剣の圧力はランサーを弾き飛ばし、両者の間に大きな間合いを作る。
しかしランサーを弾き飛ばしたはずのセイバーの表情は浮かないものであった。そしてそれとは対照的に嬉々とした笑顔を作るランサー。
「やりやがる……やりやがるぜ、オイ!」
「仕留め……切れないか」
間合いを保ったまま佇まいを直し、視線をぶつけ合い互いの様子を窺う。
まるでここまでの攻防が嘘であったかのような静寂が両者を包み込んでいく。
「でもよ、分かってんだろ?」
その静寂の中に、冷えきった声が投げかける。
最早セイバーの発揮しうる力を読み切ったのだろう。これ以上は無駄だろうとまるで諭すようなその言葉は、容赦なく彼女に浴びせかけられた。
「まだ、認められません」
ぎりりと奥歯を噛み締めながら少女は再び正眼の構えをとる。
「往生際が悪いぜ。今のお前じゃオレには勝てねぇよ」
「……しかし、退いてはいけない理由が私にはある」
「なんだ? 後ろの小僧に惚れでもしたか? 騎士王と言っても所詮は只の小娘だったといいうことか?」
刹那、息も絶え絶えだったはずの少女の瞳に火が宿る。
その火の名は怒り。
彼女にとってその言葉は許す事の出来ないものだったのであろう。枯渇しかけていたはずの彼女の身体に、視認出来るほどの魔力が滾る。
「ーー口を閉じろ、ランサー」
淡々と少女は語る。
「私と剣を交えた貴方には分かるだろう?」
剣を交えたからこそ理解出来るはずの、ランサーに打つけていたはずのその感情を。
「私の剣の一太刀にでも、そんな思いは感じられたか?」
「……」
少女の言葉に、男は返答をする事はない。しかしその表情だけは満足そうに、嬉々とした表情を更に歪めていく。
まるでここまでが男の筋書きだったのだろう。
騎士の誉れたるセイバーを挑発し、燻ったままの力を更に発揮させるために敢えてその言葉を選んだ。
「総ては語るまい。剣を交える前に確かに言ったではないか……我々は剣を交える事でしか語り合う事の出来ない人種なのだ」
剣を掲げ、切っ先を男に向けながらセイバーは告げる。
「あぁそうだ、その通りだ! その通りだぜ騎士王!」
その言葉にいたく感心したのだろう。
男は、ランサーは感嘆の言葉を口にしながら再び槍を構える事で、少女の宣言に返した。
「良い目してるぜ。流石は名にし負うアーサー王だけの事はある!」
刹那、槍を構えたはずの男の身体が前方に弾ける。
青の弾丸となった男の身体は、真っ直ぐに少女を突き殺さんとその赤の狂気を突き出しながら進む。
その弾丸を正面から叩き斬らんと少女は柄を握る手に力を籠め、短く吐き出した。
「ーー参る!」
騎士と槍兵の戦いは続く。
ただ、未だに勝者も決まらぬまま。
ただ、どちらも必殺の一撃を秘めたままに。
ーinterlude outー
何度、火花は庭を照らしただろうか。
何度魔力の猛りはこの身体を震わせただろうか。
「楽しい……楽しいぜ。これが俺が求めてたモンだ! この胸くそ悪い戦いの中でようやく心行くまで戦える! なぁ、お前も、お前もそうだろう?」
嬉々として笑う槍兵と自らの従者である騎士を前に、心の決めたはずの一歩を踏み出せずにいた。いや、見入っていたという方が正しいのかもしれない。
かつてあの空間の中で戦いっていた事への淡い郷愁の念からだろうか。それとも自分では間に割って入る事が出来ないと理解しているからだろうか。
どちらの感情であっても構わない。
頭の中にある撃鉄を起こし正面を見据え、脚に力を籠める。無慈悲なまでの命のやり取りを続けるその空間に、身を投じていく。
ただ、この一歩を踏み出すときはいつでも手が震えてしまうのだ。
どの場面でもそうだった、だからこれは俺にとっての当たり前なのだ。
だから踏みしめる。
己の出し得る最大の速度で。
だから力を籠める。
手にしたこの剣で、己の信念を貫き通す為に。
ランサーの得物が引き戻される。
それに相対する為打ち合った反動を利用したまま、下段から掬い上げるように剣が振るわれる寸前。
「ッーーシ、シロウ!!」
強引にランサーとセイバーの間に割って入り、白と黒の夫婦剣をもって、赤の侵攻を食い止める。
駆け抜けていく突風を背に感じながら、セイバーが振るおうとした剣が寸でで止められた事に胸を撫で下ろしながら、腕に力を籠め続ける。
「ーー坊主! 何のつもりだ!」
干将と莫耶がギチギチと震える。一瞬でも気を抜いてしまえば俺の胴には風穴が開いてしまうだろう。それが容易に理解出来るほどに、この剣から感じる圧力は堪え難いものであった。
そして赤く鋭い眼光が、ジロリとこちらを睨みつけながら苛立ちを露にする。
「……お前、言ってただろ? 今のままじゃセイバーはお前に勝てないって」
「ならお前が戦うってか!」
乱暴に槍が横薙ぎに動く。
渾身の力を籠めていたにも関わらず、易々と俺の身体はその動きに流されるままに上体を崩す。
視線だけはランサーからは外してはならない。身体では追いつく事は出来なくとも、状況を見るこの瞳だけはあの頃と変わらないはずだ。
「ーーッ! 違う、俺がお前と戦える訳ないだろ」
槍の軌道を目で追いかけながら、吐き出すように言葉を紡ぐ。
あまりに安っぽい挑発、しかしそれで十分。
横に流れていたはずの槍の軌道が一瞬動きを止まる。
「ならば、この槍の餌食になれ!」
言葉と同時に突き出される赤の切っ先。
身体は横に流れている。
どうにかこの初撃を回避する事は叶うはずだ。脚に力を込め、ランサーとの間合いを稼ぐ為に横に飛ぶ。
だがそれだけでは二の槍の餌食になる。最悪の状態をイメージしながら再び撃鉄を起こし、この手に顕しうる唯一の盾を頭に思い描く。
「ーーグァ!」
その想像が重々しい衝撃に遮られる。
脇腹に痛みを感じた。勢いを殺しきれず、砂埃をあげながら地を転がってしまう。
飛び退いた動きの中に加えられるその衝撃は、俺とランサーの距離を強引に広げ盾を展開するまでもなく、俺を窮地から救う。
息が詰まる。
地を転がった際に感じた痛み、そして脇腹を襲った痛みが俺の思考を停止寸前に追い立てられる。
「バカ! 相手は槍兵なのよ! すぐに離れなきゃあのスピードの餌食になるだけだって分かってないの?」
荒々しい声が鼓膜に、そして頭に響く。無理矢理俺を揺り起こすような、無慈悲な声だ。おそらく俺を助けようとその衝撃を打ち出した人物の声だろう。声を聞けばその主が誰であるのかは簡単であった。
転がった身体を強引に引き起こし、声の先へと視線を向ける。
そこには言わずもがな、我が協力者のである遠坂凛の姿。
「……おま、いくらなんでもガント打ち込むなんて酷過ぎるだろ」
しかし遠坂の機転がなければ、無駄に魔力を消費していた事も事実だ。
これから俺がしようとしている事を考えるのであれば、今は少しの魔力でも無駄にする事は出来ない。
焦りを覚えながら再び彼の前に相対さんと立ち上がる。しかし俺と遠坂の一連の行動を、つまらなさそうにランサーは見つめる。
「おいおい、嬢ちゃんまで俺の邪魔をするのか? 女子供には手を上げねぇって決めてんだぜ、こっちはよ!」
茶番だと溜め息をつきながら槍を横に振い、歩を進めるランサー。
遠坂の指先から放たれる全ての弾丸をいとも容易く撃ち落とす表情は戦いを邪魔された事よりも、俺たちの同情の念の方が強いのかもしれない。
無駄な事をするなと、そう呆れ果てているのだろう。
「もって数十秒が限界! 早く済ませなさい、士郎!」
撃ち出すガントの勢いを抑えず、声を荒げた遠坂の表情には焦りの色が露になっていた。自らが放った視認出来るほどの黒の軌跡はランサーの身体に届く事はなく、赤の槍にいとも容易く消し飛ばされていくのだ。
「分かってる! 頼むから怪我はするな!」
それを理解しながら、彼女が折角作ってくれた時間だ。
手に携えていた夫婦剣を破棄し、自らのサーヴァントに向けて足早に駆ける。脇腹が何かに刺し貫かれたようにジクジクと痛む。
しかし俺が感じる痛みよりも、優先しなければいけないモノが今目の前にある。その為の最初の鍵を開けるのは……他ならない俺だ。
この戦いを始めてしまった、このエミヤシロウなのだ。
ものの数秒と言った所だっただろうか。俺は再びセイバーの目の前に立ち、彼女を正面から見据える。
ただ今までと違った風景がそこにはあった。
俺と遠坂がランサーとの間に割って入った事により一気に身体の力が抜けてしまったのだろう。剣を地に突き立て、膝をつき肩で息をするセイバーの姿がそこにはあった。
覚悟はしていた。しかし彼女の今の姿に俺は、自分に対する憤りを覚えずにはいられなかった。
そう。今までは俺はただ見上げるだけだったのだ。勇敢な彼女、雄々しい騎士としての彼女の姿を。
俺がその彼女の寛然たる姿を、俺が穢している。
俺が彼女にこんな姿を強いている。
「……シロウ、まさか貴方はこの戦いにまで水を差そうというのか?」
こんなにも苛立ちと絶望を綯い交ぜにした瞳で俺を見上げる彼女を、今すぐに救い出さないといけない。
きっと、それが俺に出来る最初で最後の償いなのだから。
「そんな事はしない。出来る訳がないじゃないか」
淡々とそうを紡ぎながら、静かにいつもの言葉を頭に思い浮かべる。
掌に確かに感じたその冷たさに、今自分が為そうとしている事が成功すると確信を得た。
否、成功は最初から決まっている。
目にした剣であるなら、その総てを再現することが出来るのだから。
「ならば早く凛を助け……いや、その場を退いてくれれば今すぐ彼女を助ける!」
「助けられない。今のセイバーじゃ遠坂を助ける事なんて出来ない」
「何を言う! また私を貶めるつもりか? 私の言葉を何も理解していなかったのか?」
「今のお前じゃランサーには勝てない。剣を交えて理解したはずだ」
「ーーッ……しかし!」
力なく立ち上がりながら、悔し気にこちらを睨みつけるセイバー。
今のままでは無駄に足掻いて、最後は全員がランサーの槍の餌食になるとハッキリ言葉にしたのだ。彼女自身、それは納得しなければならないものだ。
しかしそれはあくまで、“現状の彼女であった”場合の話だ。
「だからセイバーを最高の状態に引き上げる!」
カン。
「シ、ロウ……何を……」
金属が金属を穿つ音。
夜の雑踏にすら消えてしまうのではないかというほどのか弱い音。
しかし俺たちの絆を断つには充分な音であった。
俺がセイバーに突き立てた短剣は破戒すべき全ての符(ルールブレイカー)。
如何なる魔術効果をも初期化してしまう、俺の知り得る中で唯一の対魔術宝具。
そう。俺がサーヴァントであった時、俺はこの剣を使い、遠坂との契約を破棄し、俺を殺す為に行動を起こしていた。
そして今、俺はマスターとしてそれを彼女に突き立てた。
そしてそれは音もなく、本当の意味で俺たちの絆を打ち消してしまったのだ。
「この儀を持って、汝と我を繋ぐ魔の鎖は解けた……セイバー、これまで済まなかった」
魔力不足だろうか。
ガタガタと震え始める脚を必死で奮い立たせながら、俺はマスターとしての最後の言葉を彼女に告げる。
最早体力も限界なのだろう。目の前にいるはずのセイバーの顔がハッキリと見えない。おそらくその表情は怒りに塗り込められているに違いないはずなのに、最後までこんな体たらくでは何を言われても否定などできない。
「キサマ……! キサマという男は……」
「お前に足りないのは……魔力の供給源だ。俺の、俺なんかの貧弱な力より、傍にお前に相応しい主がいるだろう」
苛立ち声を上げる彼女を制し、その人物を指差す。その先には言わずもがな、俺たちの為に必死に時間を稼いでくれている、焦りの表情を見せる少女の姿。
「そうか……納得はしていない。あとでキチンと釈明してくれるのだろうな、エミヤシロウ?」
「あぁ、でもこれがお前を最高の状態に引き上げる唯一の術だ」
言葉の通り、納得のいかない表情を見せながらセイバーは再度、剣を片手に地を駆ける。俺はというとあまりの脱力感に、思わずその場に座り込んでしまう。
不意に夜風が流れた。いつもの夜に比べれば弱々しい風だ。それでも強さを秘めた風。どんな時でもその風が吹けば勝利を確信出来た。
そして今この時に感じたこれは、セイバーとの本当の意味での別れを意味するもの。
これまでウダウダと引きずり続けた、彼女に対する思いを打ち切る為のものになった。
「ーーーーッ!」
「……嬢ちゃん、分かるだろ? 人間とサーヴァントじゃ戦いになんねぇよ」
一際大きく、ランサーの蛮声が庭に響き渡る。
いくら女だからといって、これ以上は彼も我慢の限界なのだろう。遠坂の撃ち出すガントなど、ランサーにとっては最早児戯に過ぎない。
「そんな事くらい……もうちゃんと理解してるわ」
ガントの雨が止み、肩で息をする遠坂に向かい青の脅威が走る。
心配する事はない。そんな達観したようなようにも見て取れる笑顔で遠坂は何かを向かい入れるように身体を逸らした。
「ーーランサー! 腑抜けた表情はそこまでだ!」
青に肉薄する銀の閃光。
「やっときたかよ、セイバー!」
火花が再び両者の間を飛び交い、再戦の合図を告げる。
しかし嬉々とした表情を見せた刹那、槍兵の顔は先程以上に苛立ちに歪み、手にしていた赤の槍は俺の位置からでも分かるほどに、ガタガタと震えていた。
「ーーおい……貴様、何のつもりだ?」
努めて冷静に、しかし深い怒りを孕んだ声が響く。
「流石は光の御子……一合打ち交わしただけで私の状態を理解出来るか」
ニヤリと口元を歪めながら、必死にランサーの力に対抗しようとする彼女の姿は、彼からしてみれば戦いを愚弄するに他ならないのだろう。俺とのラインが切れてしまったのだ。今は彼女の中に残された少ない魔力だけで彼は槍兵と相対しているのだ。
これまでのセイバーの戦力がランサーの許しうるギリギリの状態であったという事は想像に容易い。どうにかその状態で戦い続け、打開策を導く事が出来れば最良ではあったが、俺がマスターを続けていては、セイバーの魔力が回復するのはあまりに時間がかかりすぎる。
だからこそ俺はこれからの展開に賭けた。枯渇寸前のセイバーを前に、ランサーがどんな反応を見せるのかを。
ランサーは剣を受け止めていた槍を振り回し、セイバーを強引に引きはがす。明らかに故意的に間合いが広げらる。
知っている。
俺はこの間合いが意味する所を知っている。
それはまるで槍が周囲の熱量の全てを奪い尽くしているのではないかと思われるほどに、冷気が俺が座するこの場所まで伝わってくるのだ。
最早この場全てがランサーの、あの赤い槍の間合いである事は明白だ。
「興が削がれた。次の一撃で貴様を殺す。戦いを愚弄した貴様は、最早俺の前に立つなど……」
再び、冷ややかな声が庭に響く。
それは彼にとっての最後の宣告。
下に向けられる槍は、主の声を待つかのように静かに煌々と自らの赤を滾らせる。
最早今の状態のセイバーは為す術無く、それに貫かれるだろう。
しかしこんな状態になる事を、予想していなかった訳ではない。
「ーー結論付けるには些か早計だぞ、ランサー」
剣を下段に構え、臨戦態勢のランサーにそう告げる。端から見ればそれは強がりに他ならないだろう。
苦しそうに肩で息をしている彼女が勝利を掴む事が出来るなど、誰も思うはずもない。
そう。しかしそれは今の“マスターのいないセイバー”であればの話である。
“ーー告げる! 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に! 聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うのなら……”
響き渡る、契約の言葉。
そして背後に飛び退き、その音を放った主の傍に駆け寄る銀の光。
「……! なるほどな、そうゆう事かよ」
ランサー自身も彼女たちがしようとしている事に気付いたのだろう。しかし彼は構えを崩そうともせず、ただそれを睨みつけていた。
彼の中ではセイバーを殺す事に変わりはない。それが早いのか、遅いのかの違いに過ぎないのだ。
「我が命運、汝が剣に預けよう! 来て、セイバー!」
捧げられる言葉、不意に彼女の握りしめた右手の甲に、赤く輝く紋様が現れる。
再び遠坂凛という少女が、聖杯戦争を戦う事を認められたという証が、そこに舞い戻ってきたのだ。
「我が名に懸け汝を受け入れる! 凛、貴方に我が剣を預けよう」
そう。これが俺と遠坂の真の目的。
俺の貧弱な力では結局セイバーを完全に活かしきる事は出来ない。
しかし遠坂ならばどうか。考えるまでもなく、セイバーのポテンシャルは最大限に引き出され、完全な力を得る事が出来るはずだ。
俺の横を吹き抜けていった風が、それが間違っていなかった事を告げる。
彼女の甲冑を覆う魔力の渦が、決して敗北する事などないとそう言いきっているのだ。
思わず声を失い、その光景に見入ってしまう。
否、真に賞賛すべきはセイバーではなく、セイバーにこれほどの魔力を供給する事の出来る遠坂の方だ。
「ーーマジかよ。確かにまだまだ戦える。それどころか……」
その光景に驚いているのは、ランサーも同様であった。
同じサーヴァントであって、これほどまでに圧力を感じる敵は他にいないだろう。それほどまでに真のマスターを得た彼女は強大。
剣の英霊であるセイバーの力をここまで示されては、彼も黙って入られないのだろう。
不満に満ちた表情は一体どこに消えたのか。ニヤリと口元を歪め、彼の持つ槍は更に周囲の熱を吸い込んでいく。
剣をやや下段に構え、視線をランサーの槍に向けたままセイバーは呟く。
「凛……貴方のその勇気に報いよう」
彼女なりの決意の表れの言葉。そして身を呈して時間を作った遠坂に対する感謝の言葉。
その言葉を受けとりキュッと唇を噛み締め、遠坂は言葉を返す。
「セイバー、私に勝利を……!」
シンプルな言葉。しかしそれだけで充分であった。
「無論、そのつもりだ」
満足げに声を上げ脚部、そして甲冑を通し、聖剣の総てに魔力が滾る。
「ランサー、続きを始めよう。最早私に何の憂いもないぞ?」
「そうだな……いくぞ騎士王! 我が槍の一撃、止める事が出来るなら止めてみせろ!」
そこにはもう言葉は要らなかった。
ただ両者が繰り出すのは最後の一撃。あまりに短いこの夜の終わりを告げる最後の衝突。
「止めはしない……只、正面から相対するのみ」
「その心臓……貰い受ける!」
青が地を蹴り、銀の軌跡が跳ねる。
俊敏さを最大の武器とするランサーと、それと同等の速度で接近するセイバー。瞬きの間に互いに得物の触れ合う位置まで入り込む。
「ーーーー刺し穿つ(ゲイ)」
同時に打ち交わされると思われた得物は、ランサーの魔力を帯びた言葉に遮られ、
「ーーーー死棘の槍(ボルク)ーー!」
真の名を告げられた赤の呪いは、逸れる事なく真っ直ぐにセイバーの心臓に向かって軌道を描いた。
その名が口にされれば、一つの結果以外何も生み出さない。
『槍が心臓を貫いた』という結果の上に、槍を放つこの“刺し穿つ死棘の槍(ゲイ・ボルク)”を前に、どんな戦士であろうともそれを遮る事は出来ない。
「っ……く!」
無論、それはセイバーであっても同様であった。
甲冑を突き破る重々しい音に続き、苦悶に満ちた響きがセイバーの口から零れる。夥しい血を口から、そして甲冑の隙間から溢れさせながら、彼女はその呪いを真っ向から受けきったのだ。
去なす事の出来ない衝撃。何より心臓に当たる事が運命付けられたその槍を受けててしまえば、脚を止めてしまう事は必至。
「ーーーーーーーーーアァ!」
しかし銀の閃光は止まらない。
二の足を踏むであろうその場面で、彼女は更なる一歩を踏み込み、下に構えた剣をランサーに向かい、斬り上げようと力を籠める。
「……セイ……バー!」
彼女の動きに槍を引き戻そうと、槍を引くランサー。
しかし言うまでもなく、彼の槍はセイバーに突き立てられたまま、戻す槍がどうしても遅れてしまう。
そう。セイバーはこれに賭けていたのだ。
道場で、これまでについて話した時、サーヴァントの情報については総て彼女に話していた。
彼女なりに考えた結果、ランサーのゲイ・ボルクを完全に回避する事は不可能であると判断したのだろう。
だからこそ、彼女は自らの持つ『直感』と『幸運』に賭けたのだ。
『心臓を穿つ』のであれば、そこに当たらないように直感し身体を動かし、その結果を導き出す為の幸運を祈るしかない。
彼女はその大きな賭けに勝利し、どうにか心臓を穿たれることなかった。
そして今、必殺の一撃を加えんと、力を籠めたその剣は斬り上げられる。まるで月をも斬らんとするほどの鋭さのまま。
「ア、はっっ……ーー!」
痛みに耐え繰り出された剣が弧を描く。
ただ視界に痛いほど痕跡を残す光の軌跡が、その剣がランサーに振るわれた事を指し示している。
刹那、ランサーの胴、そして口から夥しい赤が吹き出す。
彼の手に携えた赤よりも、より濃い赤。
最早死に体と化した槍兵の身体は、携えていたはずの槍すら持てぬほどに手を振るわせていたのだ。
「ぐーーーーあ……ッ」
赤の槍を身体から引き抜きながら、セイバーはヨロヨロと数歩離れ、再びランサーに切っ先を向ける。
「……まさか我が必殺の槍を受けると分かっていても尚、一歩進む事が出来るとは」
槍を引き抜かれた後、寄る辺をなくした彼は地に膝をつき、ただその自身の血に濡れた剣の切っ先を見つめ、穏やかに微笑んだ。
そこに鬼気迫る様子は見られない。
ただ彼が全力を尽くし、そして死力を尽くしてセイバーがそれに打ち勝ったというその事実だけがこの場の答えであった。
「貴方が光の御子であると分かっていなければ、進む事は出来なかった。そして……私は我が幸運に賭けた」
剣を降ろしながら、セイバーは言う。
あくまで幸運であったと、厳しい表情を見せたのだ。
その表情に拍子抜けしたのだろう。
そうか、と低い声で呟く。
「チーーーーやられたぜ。これだから強えぇ女は……」
ただ、楽しかったと満足げに笑いながら。