終わりの続きに   作:桃kan

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始まりの季節へ
遠き冬に向けて


 

 広がるのは見慣れた光景。

 

鉛を垂らし込んだように重く落ちる空。

荒れ果て、目も当てることの出来ない大地。

そして数多の剣、墓標のようにただ冷たい剣の葬列。

 

「あぁ、俺は……まだ此処にいる」

 

 そう、俺は此処にいる。この世界から逃れることは出来ない。

どれだけ違う風景を見ようと、感じたことのないことを感じようと。

俺はこの世界から、この呪縛から逃れることは出来ないのだ。これは……いやこれこそ俺がエミヤシロウたる由縁の風景なのだから。

 

「――でも、ここで立ち止まってばかりはいられない」

 ジッと、剣の葬列の終点に目をやる。彼方、砂埃をあげてこちらに歩いてくる。

赤い外套に身を包み、焦げた肌をした一人の男が。

 

「なんだ、そんな顔するなよ。久しぶりの再会だろ?」

 男は何も答えない。ただこちらを睨み付けるだけ。感じられるモノは明確な一つの感情。

俺には分かっていた。そいつが言いたいことも、したいことも。

 

「いいぜ、俺だって試してみたいんだ」

 

 手のひらに現れる二対の夫婦剣。ゆっくりと掲げられるそれを目にし、俺は思い出していた。自分の信念を疑わず、走り続けていたあの頃を。俺の歩んだ道が間違いではないと気付かせてくれたあの人たちを。

そしてそれは、俺が行おうとしている矛盾を肯定させるための言い訳に過ぎないことを理解していたのだ。

 

「さぁ来いよ! 英霊エミヤ!!」

 

 俺の敵意を理解したように、赤い外套の男は俺に向け疾走する。

同時に、後ろ手に構えていた剣を、風をも突き破るような速度をもって突き出す。

 

「――ッつ!! 投影・開始(トレース・オン)」

 

 甲高い音をたて、剣の侵攻が止まる。俺は瞬時に目の前の敵が持つものと同じ夫婦剣を投影し、敵に対する。

容赦のない力、鍔迫り合い。力を抜いてしまえば、そのままに斬りかかられてもおかしくはない状況。

 

「はぁぁぁぁ!!」

 

 その定石を覆すように俺は剣をくるりと返し、もう一方の剣を横に滑らせる。

狙うはがら空きの胴。しかし、赤い外套の男はそれも先読みしていたように、剣を外された途端、俺の剣が当たる寸でのところで後方へと飛び退いた。

 

「あぁ、そうするよな。俺もそうだった……」

 語りかけ、相手の表情を見据える。

憎しみの篭った、今にも爆発してしまいそうな爆弾を抱え、男は再び疾走を開始する。

これで最後だと、お前は死ぬべき人間なのだと諭すように。

 

「お前の気持ちは良く分かる。でもな……俺は自分には負けられないんだよ」

 

 その言葉の裏に、もう引き返すこと、逃げることが出来ない自分への戒めを籠め、俺も男と同様に自らの速度を上げていく。

 

互いの距離が縮まる。そう、これが夢だと分かっていても、俺の心は躍っていたのだ。

さぁ、俺はどれだけ近付いた?

お前に、かつてのエミヤシロウに!!

「――ちょっと! いつまで寝ているつもりなの?」

 

 鈴が鳴るような響きが耳に響いてくる。

朝の目覚ましのように無機質ではなく、どこか落ち着くような温かみのある響き。

 

「あ~……も少し」

 開きかけた瞳を再びぎゅっと瞑り、俺は夢の世界へトリップを試みた。

 

「ゴッッ!!」

 しかしそれもつかの間、ゴツリといたい衝撃が俺の顔面を強打したのだ。

 

「いってぇぇぇ! 何するんですか!?って、あ……鮮花さん」

目の前の女性は、艶のある黒髪をなびかせ俺に鋭い眼光を向ける。

 

「確かに貴方が疲れているっていうのは分かるし、橙子さんからの課題を持って来てくれているんだから感謝はしてるわよ。でもね……仮眠を取るっていっても一時間以上も女性のことを待たせるっていうのは、男性としてどうかと思うのだけど?」

 容赦ない言葉攻めが俺を襲う。

目の前の女性、黒桐鮮花さんはあからさまに不機嫌になってしまっている。

あぁ、こうなるとこの人には歯止めが効かないのだから性質が悪いのだ。

 

「あ、えっと、すいません!」

 

「まったく……まぁ私の方も少し大人気なかったわ。ごめんね、士郎くん」

 

 小言を言われるのかと思いきや、あっさりとした鮮花さんの物言いに少しばかり困惑してしまう。

そう考えながら壁にかかった時計に目をやると、確かに約束の時間から一時間以上も経っていた。何と言うか……思った以上に自分自身が疲れているのだと実感してしまう半面、素直に鮮花さんへの謝罪の気持ちにかられてしまう。

 

「本当にすいませんでした。なんだか寝入ってしまってて」

「あぁ、本当に良いのよ」

 鮮花さんは気にしないでねと微笑みながら、俺を紅茶の用意したテーブルへと手招きする。それに誘われるままに俺は席に着くことにした。

 

 

 ここは観布子にある、幹也さんの仕事場である。まぁ一人で調べ物をするために用意した部屋ということで目につくものは書類であったり、何かの資料をまとめたファイルであったりで、橙子さんの仕事場に比べれば幾分かそれに近い感じではあった。

俺は観布子に滞在する際は決まってこの仕事場でお世話になっている。正直知り合いがあまりにも少ない土地だけに、幹也さんたちの存在は本当にありがたいものがあった。

 

 気が付けば幹也さんたちと出会って五年の歳月が経とうとしていた。

この五年間、いろんな経験をした。この年齢では使えるはずもなかった技術すら今の俺には身に付いている。

ただ、その代償に俺が大事にしていた者たちとは疎遠になっているということは言うまでもない。

 そして目線がどんどん高くなるにつれ、それがかつてのオレのモノに近付いていく。それが余計に『もう時間がない』ということを俺に訴えかけていた。

 

 

「――で、これが今回の橙子さんからの課題になります」

「……はい、確かに受け取りました。本当に、毎回悪いわね」

 

 そして俺は蒼崎橙子さんと関わりを持つ対価として、彼女の……まぁ小間使いをさせられていた。こんな風に運び屋だったり、橙子さんの弟子へのメッセンジャーだったりと、自分の負担にならない程度であるが仕事をさせられていた。

 

「何かありましたか? 前に会った時も調子悪そうでしたが」

「ん~どうだろうね」

 言葉を濁しながら、鮮花さんは紅茶に口を付けた。

そう。この鮮花さんも橙子さんの弟子の一人であり、一応の世間の立場上俺も同門になるわけだ。

 

「……まぁ、理由があるとすれば、あの二人の事なんだけどね」

「あぁ、あの二人ですか」

 自嘲気味に呟く鮮花さん。言わずもがな『あの二人』というのは、幹也さんと式さんのことだ。以前鮮花さん本人の口から聞いたことがある。『魔術を習っているのは、式さんに対抗するため』だと。

 

 

「――もうね……あの二人があんな感じだから、私個人としても魔術を習う理由って無くなってきているのよ。だからなんだか君のこと見ていると、悪いことしてるかなって気持ちになるの」

 あまりに弱気な発言に、何を言っていいのかは分からない。

でも、これだけははっきりと言うことが出来るというモノは一つだけある。手にしていたカップを置き、俺は鮮花さんを見据えて呟く。

 

「それも良いかもしれない、何もなかったように日常を生きていくのも。……それで今まで積み上げてきたものが無くなってしまうわけがない、嘘になるわけがないんです」

 俺の言葉に納得したような表情を見せる鮮花さん。少し微笑みながらカップに残っていた紅茶を飲み干すと、一言そうだねと呟いた。

 

 正直、俺がそんな言葉を口にしていいのか……それが正しいのか分からなかった。

俺は自分の言葉に見合うような生き方をしているのか。あの時、あの魔術使いが言ってくれた『間違いではない』ということを実践できているのか。そして、自 分がかつてあの騎士と肩を並べて戦っていた時に言ったはずの『やりなおしなんか、できない』という言葉を、簡単に反故にしているのではないのか。

矛盾している、今この時でさえ自分はそれを繰り返している。

 

そんな人間が、分かったようなことを言っていいわけがない……そうでなくてはならないはずなのに。

 

「士郎くん、どうしたの?」

「――あ……すいません。少し疲れているみたいです」

 少し考え込んでいたせいだろうか、鮮花さんは心配そうな顔を俺に向けていた。

心配をかけまいと誤魔化すように俺は笑みを見せたが、腑に落ちないという表情を彼女は見せるのだった。

 

「鮮花ー士郎くんー、みんなでお昼でも食べに行こうか?」

 不意に聞き慣れた落ち着いた声が階下から響いてくる。

俺にとってそれは救いの音にも似た響きだった。正直、これ以上鮮花さんと二人きりで話すのは限界だった。別に嫌というわけではない……ただそのあまりに真っ直ぐな眼差しもはっきりとした物言いも、かつて主と呼び共に戦った『あの少女』と重ね合わせてしまう。

 

それが堪らなく辛かったのだ。

 

 

 

 

「あ、お疲れ様、二人とも」

 階下に降りるとそこには、いつもと変わらず俺たちを向かえる幹也さんの優しい笑顔。そんな幹也さんの隣には式さんが早くしろよと言いながら不貞腐れている。

相変わらずの二人に、俺はどこか安心感を覚えた。

結婚して五年目になろうというのに、二人は付き合いだしたばかりの恋人のようにういういしい雰囲気である。

 俺にとっては二人とも恩人であることに変わりはないのだから、そこのところは嬉しい限りである。

俺がそんな幸せなことを考えて呆けてしまったのだろうか。三人は既に俺より少し前を歩いていた。少し進んだところから幹也さんが俺に向かって声をかけてくれる。

 

「さぁ、色々話したいこともあるから早く行こうか?」

 俺は言葉に導かれるまま、前を歩き始めていた三人に並ぼうと少し小走り進んでいく。

今はこの時間を楽しもう。焦りを覚えながらも俺はそう思い込むことにした。

 

 集中しろ。俺は“それ”を為すための一つの回路。魔力の流れを変える変速機。

 集中しろ。俺の心に宿す風景を此処に具現化する。果て無きあの大地を。

 

 “体は剣で出来ている”

ギシリ、ギシリと俺の身体が悲鳴をあげる。

 

“血潮は鉄で、心は硝子”

魔力の奔流。うねりを増し、俺の身体を食い破らんと暴走している。

中止を訴える身体を必死に止めつつ、俺は詞を口にする。

 

 “幾度の戦場を越えて不敗”

そう、これは儀式だ。自身の全てを世界に浸す。犯されていく、手の先から足の先まで。

だから、痛いのは当たり前なんだ。

 

“ただ一度も敗走もなく”

“ただ一度の勝利もない”

 世界を開く。これは証明の為の儀式。

俺が、アイツに迫ったことを証明する儀式。

 

“担い手は此処に独り”

――未練を残すな

 

“剣の丘で鉄を鍛つ”

――後悔を残すな

 

 

“ならば、我が生涯に意味は要らず”

そう、何故ならばこの身体は……

 

“この体は……剣で出来ていた”

 

 

 詞を紡ぐ。語りなれた、俺のための詞を。

焼け付くような風に誘われ目を開く。そこに広がったのは、見慣れた……果て無き剣の大地。

 

 吸い上げられていく身に宿した魔力。それをただ強引に、容赦なく、根こそぎ持っていかれる。何度経験してもこの感覚は慣れることの出来るものではない。

 

「――ぁ、はぁ!!」

 

 掲げた腕がガタガタと震え始める。

しかしそれをそれすら凌駕し、この風景を自由に使えるようになった時、俺はオレとの戦いのステージにようやく昇ることが出来る。

だからこそ俺は止めることは出来ない。この行為を。自らの心象風景を形にし、世界を変容させていく行為を。

しかし既に限界を通り越していた。

自身の思いとは裏腹に徐々に世界は歪みを見せ始め、そして幕を降ろしたように、剣の大地は消え失せ普段から使用している修行部屋へと、その姿を戻していた。

 

「確かな幻想、確固たる己を持たない者が、固有結界なんかを使いこなせるわけがないと教えたはずだぞ? 士郎、つくづくお前は進歩のない奴だよ、本当に」

 息を切らしへたり込んでいた俺に、冷酷な言葉が投げかけられる。

一体いつから見ていたんだろうか、蒼崎橙子は呆れ顔を見せながら部屋の隅に立っていた。

 

「――何が言いたいんですか?」

「まぁ今のお前に何を言っても変わらんだろうがね。自分の身体を思う存分痛め付けて、疲れ果てればいいさ」

 

 これは彼女なりの優しさなのだろう。決して励ますことはせず、自らの足で立ってみろと言われているような気がした。しかし俺はそれを素直に受け取ること が出来ず、苦悶の表情を浮かべているということを自分でも容易に感じることが出来た。その表情に呆れ顔を見せながら、橙子さんはタバコに火を灯し、足早に 部屋から立ち去っていく。

 

紫煙の香りが残る中、一人部屋に取り残され何も出来ないまま上を見上げた。

何も出来ない、超えることの出来ない自分に苛立ちを覚えながら。

 

「どうしたら、どうしたらもっと……強くなれる?」

 ただその言葉だけが虚空に消え去り、俺の不甲斐なさだけが今ここに残った。

 

 

 ただ、強くなる術を得たくて橙子さんの下にやってきた。

確かに体験するはずもなかった経験のおかげで、この年齢では身につけることの出来なかった力を宿すことは出来た。それは間違いない、もちろん感謝もしている。

 

 あと一歩、何かが足りない。

それが何なのかは既に理解しているはずなのに……それを明確にすることを自分自身が恐れている。

いや、むしろ意識しないことが幸せであるとでも思っているのだろうか。

 

もはや俺は取り返しのつかないほどの罪を抱えているというのに。

 

 

 

“体は剣で出来ている”

 そして俺はもう一度立ち上がり、自らを表す詞をカタチにしていく。

今は闇雲に、橙子さんに言われたように自分自身を痛め付けんがために。

 

 


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