終わりの続きに   作:桃kan

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終わりの始まり
終わりへの序章


 進む。這いずりながら進む。

 時には木の幹に身体を預けながら、時には地面に倒れ込みながら進んでいく。

 

 何て惨めな姿なのだろうか。

 こんなにも血を吐き出しながら進むなんて。

 

 何て馬鹿らしいのだろう。

 行く先には『死』しか待っていないと言うのに。

 

 それでも、だからこそ俺は進んでいく。

 果てが見えない、闇が犇めくこの洞窟のただ進んでいくのだ。

 しかしその思いは前に逸っていっても、身体の方は別であった。

 

「……ハァ……ハァ……っ! は、ごほっ、ほっ!」

 視界は利かない。

 ただ吐き出す吐息に混じって、生温い何かが噴き出す。

 口を左手で覆い意味もなくソレを受け止め、手に溜まる生温い感触を確かめながら、ゆっくりと顔に近付けて掌を開く。

 

 気持ち悪い。

 

 自分の中に流れているモノであるはずなのに、いざそれを目にしてしまうとその感情が俺の中を占めていく。

 しかし同時に俺の中にもう一つの感情が芽生えていた。

 

「まだ……大丈夫だ」

 まだ、進める。

 血が流れ出るのは、俺の身体が動こうとしている証拠なのだから。

 まだ、折れてはいない。

 吐息が荒くなるのは、俺が先に進もうとしているからなのだから。

 

「情け、ないな……ッ!」

 乱暴に拳を壁に打つけ、そのまま壁にもたれ掛かり身体を横たえる。

 時間はない。しかしこんな満身創痍の状況で彼女の目の前に立ったとしても、何をするでもなく消し飛ばされるのは目に見えている。

 高ぶる動悸を少しでも沈めようと、ゆっくりと空気を肺に満たしていく。

 ズキリと節々が痛む。

 まるで身体の内面から、剣の切っ先が突き出してくるような鋭い痛みだ。

 

「……」

 しかしその痛みこそ、『エミヤシロウ』たる由縁の痛みである事を、俺は既に理解している。

 それすら俺にとっては心地良いものなのだ。

 

「は……何を、馬鹿な事を」

 そうだ、馬鹿だ。エミヤシロウとは大馬鹿者なのだ。

 アーチャーの言った通り、『破綻者』と呼んで然るべき人間なのだ。

 でも……だからこそ、そんな大馬鹿者であるから、『エミヤ』という名を受け継いだ俺だからこそ、頑に守らなければならない事がある。

 

 俺は約束していた。

 遠坂やセイバーよりも先に、一人の少女とある約束を交わしていた。

 

「イリヤ……」

 本来聖杯の器になるはずであった、ある意味この聖杯戦争の中心にいる少女。

 アーチャーとの戦いが終わったというのに、俺はまだ彼女の事を見つける事が出来ないままにいた。

 そう。俺は安易に考えていたのだ。

 アーチャーを打倒する事が出来れば、すぐにイリヤは解放されると思い込んでいた。

 アイツがイリヤを攫った理由は、単純に桜が最早俺を待つ事が出来なくなったからだと思っていたのだ。

 しかし蓋を開けてみればどうだ。

 イリヤの居場所は分からない。

 俺自身も、満身創痍。

 こんな状況、笑うしかないじゃないか。

 

「は……馬鹿みたいだ」

 しかし、アーチャーや桜にとって、彼女が必要な存在であるとは思えない。

 二人には、少なくともアーチャーには聖杯を使ってまで叶えたい願いはなかったはずだ。

 そしてそもそも今の桜にとっては、聖杯を使わずとも大抵の望みを叶える事は出来るはずなのだ。

 彼女自身、最早その身は聖杯と繋がっているはずなのだから。

 

「イリヤ……どこに—————————————ッ」

 薄らと瞼を開きながら、虚空に言葉を投げ出す。

 

 刹那、まるで電気のブレイカーを落としたように、視界が闇に染まる。

 周囲に蔓延る闇よりも、あまりに深過ぎる黒。

 

「っ……は!……ははーーーー」

 

 見える。

 あの時の一瞬の夢と同じ。

 あまりにも煩くざわめく聖剣の極光の中で垣間見た、アレと同じモノだ。

 

 見えたのは、周囲に紛れるほどに黒く染まる禍々しい甲冑。

 金色に変わり、何にも無関心を示す事のない瞳は、恐怖を感じさせる。

 そして何よりも俺を落胆させたのは、尊く黄金に光り輝いていた、彼女の存在の象徴となる彼の剣がその光を失っていた事だった。

 それは恐ろしいまでに闇に染められていた。

 まるで総てを飲み込まんとする悪意のように。

 

 その感情を感じない瞳が、ただ見開かれていたのだ。

 口から零れる赤い雫が、その状況をありありと示していた。

 

 悲しい。ただ悲しくて、やりきれない。

 その光景が視界に入った瞬間、頭を過った感情はそれ一つだけ。

 

 そう。それはあったはずの未来の光景。

 俺が至る事の出来なかった、一つの聖杯戦争の姿だった。 

 

 

 

 ジジジ

 

 再び視界にノイズが奔る。

 

 まるでテレビの砂嵐のように、徐々に目に見える総てを覆っていくノイズ。

 

 その先に確かに彼女はいた。

 

 いつもの、あまりに無邪気な笑顔で、彼女はそこにいた。

 

 俺に生き方を示してくれた恩人の本当の子ども。

 俺が、オレになっても助け出す事も、守る事も出来なかった幼い少女。

 

 あぁ、でもその笑顔は今にも泣き顔に変わりそうで……。

 それでも、ただ『見ている』だけの俺には何も出来ない。

 

 そう。それはきっと、『その光景を見ている俺』が最期に目にした彼女の姿。

 白の聖女が、消えゆく姿だった。

 

 

 

 

「ははは……そうかよ」

 

 気付けばそんな事を呟きながら、俺はただ宙を眺めていた。

 目も慣れてしまったのだろう。彼女の元へと向かう道中の洞窟の凹凸でさえ、ハッキリと認識する事が出来るようになっていた。

 

「そんな可能性も……あったのか」

 そう。今垣間見た光景も、この聖杯戦争で起こりえたものなのだろう。

 

「……」

 あぁ、言葉を発する事が出来ない。

 

「ゴメンな……本当は、探しにいってやりたいんだけどな」

 ゆっくりと溜め息と共にそう呟く。

 出来もしない、しようともしない事を口にしてしまう。

 本当に、こんなにも自分勝手な自分が嫌になってしまう。

 

「でもな、それでも……」

 そう。俺は我を通す他ないのだ。

 

 友を欺いていた。

 かつて主と仰いだ少女を傷付けた。

 過去の自分を下して、この道を進み続けた。

 

 俺は、その先へと踏み出さなくては行けない。

 

「……桜」

 今一番会いたい、会わなくてはならない少女の名を口にし、ゆっくりと身体を起こす。

 少し身体を休め過ぎたようだ。これ以上この場に留まり続ければ、きっと俺はダメになってしまう。

 何も出来ずにこの場で最期を迎えてしまう。

 

 だから進む事にしよう。

 ようやく終わりを迎える、この戦いの最後の舞台に昇る為に。

 

「こっちだ……さぁ、行くぞ」

 

 さぁ、もうそれは目の前にある。

 その禍々しきは、今まさに。

 

 今まさに、そこに産み落とされようとしている。

 

 

 

—interlude—

 

 

 初めて、人を殺めたのは何時だっただろう。

 

 わたしの足下には『アレ』が転がっていたのは、何時のことだっただろう。

 

 そうだ……あの夜だ。

 先輩に見送ってもらって、少し恥ずかしいけど嬉しかった。

 お屋敷に返ると、お爺さまから、わたしの思うように行動して良いって言われて、ぽかんとしてしまうくらい驚いてしまった。

 

 わたしは幸福に満たされていた。

 初めてお爺さまがわたしに自由をくれたから。

 もうあんな蟲蔵の中に入らずに、綺麗な身体で先輩の傍に行けるから。

 

 今まで与えられなかった、なし得なかったそれらが……わたしにはあまりに至福だった。

 きっとわたしを縛り付けるモノなんて、何一つないんだって思えた。

 

「それをね……あの人、穢そうとしたんです」

 

 そう。

 

 あの人が……。

 

 兄さんが……わたしを穢した。

 

 違う。もう汚れてた。薄汚れていた

 

 いつもの事だった。

 ただぼうっと天井を眺めていればすぐに終わるはずだった。

 我慢していればすぐに終わる事なのに、何故だかその夜はそうする事が出来なかった。

 

 その夜、急にライダーの気配がなくなった。

 きっと聖杯戦争が始まったから。それはきっと仕方がない事。

 わたしのこの運命と一緒で、決して逃れようのない現実だったから。

 だからその事実をわたしは素直に受け入れた。

 ただ部屋の隅で震えながら、朝が来るのを待っていたのです。

 

 いくら自由を与えられても、この暗闇だけは怖かった。

 総てを飲み込んでしまうかもしれない、その黒が怖くて仕方がなかったのです。

 

 そう。わたしは我慢していれば良かった。

 兄さんがイライラした様子で私に掴み掛かってきたその夜も、ただ我慢していれば良かった。

 

 普段は何も感じないはずなのに、兄さんがわたしの上に伸し掛かった瞬間、頭を過った。

 先輩がわたしの言葉を受け入れてくれた時の、あの苦し気な表情。

 わたしを家まで送ってくれた先輩が見せてくれた慈しみ深い笑顔。

 

 すると急に、我慢が効かなくなった。

 抑えられなくなった。

 

「気が付くとね、濡れてたんです」

 

 それは赤。

 視界を埋め尽くす赤。

 ゴロゴロと異臭を放つナニカがわたしの足元を転がり、その色を噴き出し続けていた。

 無粋なその色があるだけで、見慣れたわたしの部屋は異界へと変貌を遂げてしまったのです。

 

「気持ち悪くて、吐き気がした。でも……」

 

 そう呟きながら、ふと自分の頬にそっと右手を添える。

 おかしいな。

 何でだろう。楽しくなんてないのに……。

 

「でも、暖かかった」

 

 今思い出しても気持ち悪いのに、わたしは笑っていた。

 身体はきっと恐怖ではなく、歓喜に震えていた。

 その笑顔が、その震えが、何故浮かび上がるのか、理解出来なかった。

 ただこの時は、その感情を何と呼べば良いのか知らなかったのです。

 

 

 でも、今は違う。

 

 

「そう。今は……違います」

 

 兄さんをただの肉塊に変えて、面識のない人の死骸を食らい尽くして、ようやくわたしは自らの中にある感情に名前をつける事が出来た。

 

 そう。わたしは、愉しんでいたのです。 

 人を傷付けること、嬲ること、辱めること……殺すこと。

 

 わたしは、ただ愉しんでいたのです。

 強くなった、なってしまった自分が、自分以外をまるで羽虫みたいに潰していく様を。

 

 そしてわたしは今だって、こうやって笑っている。

 

 わたしの目の前でその身を横たえている姉さんと、そして一緒にやってきた騎士王様を見下ろしながら、その光景を笑みを絶やさずに見ていた。

 

 本当に呆気なかった。

 数回腕を振っただけ。

 何度かわたしを取り囲んでいる黒が彼女たちを突き刺しただけ。

 

 先に姉さんが動かなくなって、意外に丈夫だったセイバーさんがその場に突っ伏してしまった。それでもこれまでわたしの邪魔をしてきた人たちに比べると、凄く愉しむことが出来たように思う。

 ただセイバーさんは鬱陶しかった。

 何度突き刺しても、砕いても、何回だって立ち上がってわたしを睨みつけて剣を振り上げてこちらに向かってくる彼女は本当に凄く憎らしかった。

 でもそれと同時に彼女がわたしに突きつけてきたその強情さは、少し羨ましいと思ってしまう自分がいたけど、目の前に流れる赤を目にしてそんな気持ちは吹き飛んでいた。

 

 だってそこに姉さんが、あんなにも格好良かった人が肩から真っ赤な血を流しながら、倒れ臥しているんだもの。

 なんて無様。

 なんて好い気味なのだろう。

 それだけでわたしの心が軽くなっていく……でも、まだ足りない。

 

「姉さん……」

 声は返って来ない。でも息は止まっていない。

 ピクリとも動かない。ただその身を横たえて、時折呻き声を上げるだけ。

 

「やっぱり、こんなに惨めな姿になっても、何でそんなに……」

 頬にあてていた右手を、そっと血の流れる姉さんの肩に載せる。

 無様なはずなのに、こんなにも弱々しいのに、それでもこんな姿になっても姉さんはわたしとは違う。

 

 気絶してしまった今でさえ、こんなに綺麗だなんて……!

 

「なんで……なんで、何でなんで、なんで!」

 

 グッと手のひらに力を籠める。するとただ地面を穢していくだけだった姉さんの赤が、わたしの手でも覆えないほどに溢れ出していく。

 きっと起きていれば悲鳴を上げている。

 身体を這いずりまわる痛みに、のたうち回っているはずだ。

 だってこんなにも、こんなにも血が……赤い色が流れ出しているんだもの。

 

「やっぱり。やっぱり……暖かい。でも……やっぱり、気持ち悪い」

 でも心が満たされるのは、ほんの一瞬だけ。

 どれだけ次から次へと暖かなものが溢れ出してきても、血の暖かさなんてすぐに冷めてしまう。

 わたしの思いと一緒ですぐに冷めて、何もなくなってしまう。

 

「先輩は……どうなんだろ?」

 想像する、あの人から流れた血の暖かさを。

 きっと一瞬ではなく、何時までも、いつまでもわたしのことを満たしてくれる暖かさがあるはずだ。

 そう思うだけで、うっとりと幸福な気持ちで満たされる。

 あぁ、きっとそうだ。そうに違いないのだ。

 それは疑いようのない、わたしだけの真実のはずなのだ。

 

「そう言えば……あの時は、何だかイヤな感じがした」

 ふとわたしが切り刻んだあの王様みたいな人と、お寺で飲み干したあのお侍さんを思い出す。

 驚きと苛立ちを感じさせたあの怒りの表情と、納得しながらもどこか悔し気に見えた達観した様を思い出すと、自然とわたしはその答えに行き着いたのです。

 

「そっか……あの人も、あのお侍さんも人間じゃなかったんだ」

 考えてみれば、二人とも他の人とは『飲み心地』が全然違った。

 喉に詰まる、不快感しか感じない……でも自分の中のナニカが満たされていくような感じがした。

 

 その不快感はまるで……。

「そこの、お邪魔虫と同じだった……」

 セイバーさんに感じるモノと同じだった。

 

 足元に横たわるセイバーさんに視線を向け、わたしはそう確信する。

 何故でしょう。それが頭を過った瞬間、わたしの傍を渦巻いていた黒の塊がまるで自ら殺意をもったようにざわめき立ちます。

 そうだ。この人は、この人だけはダメなんだ。

 この人は先輩が待ち望んでいた人。この人がいたから、わたしはずっと一番になることが出来なかった。

 

「ねぇ、姉さん。わたしね、わたし……やっぱりこの人嫌いです。だから、やっぱり……壊さなきゃ」

 そうだ。こんなにも人のことを嫌いになることが出来るなんて、わたしにとっては初めての経験だった。

 こんなにも手が震えて、頭が混乱しているなんて……初めての感覚だ。

 でも、先輩以外にわたしの心を揺さぶる人なんて、必要ない。

 

「壊さなきゃ……あぁ、でも暇つぶしは、お終いみたい。よかったですね、姉さん。それにセイバーさんも……」

 闇を刃に変え、それを目の前に横たわる騎士に突き立てようとした瞬間、確かにその音はわたしの耳に届いた。

 

 聞こえる。あの人の声。

 苦しそうに息を吐いているけど、その声はいつも優しくわたしに語りかけてくれた声だ。

 感じる。あの人の匂い。

 あの陽だまりの差し込む土蔵の中で、いつも感じていた優しい匂いだ。

 

「来てくれた……」

 視線を祭壇の下に向ける。

 もう見慣れてしまった、夕暮れを思い出させる茶色の髪。少し堅くて癖毛で……凄く心を落ち着かせてくれる色が視界に入った。

 

「わたしの、わたしだけの王子様が……来てくれた」

 

 砂埃を上げながら、彼はやってくる。わたしのいちばん……いちばんの人が。

 

—interlude out—

 

 


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