コズミック・イラ異聞 厄災を翔ぶ者達   作:STASIS

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第三話 あんなに一緒だったのに

「──父は多分、深刻に考え過ぎなんだと思う」

 

 今でも、彼はあの時のことを思い出せる。三年前、月面都市コペルニクス。まだ戦争は起きていなかったが、それでも日に日に不穏なニュースが聞こえて来るようになった頃であった。

 当時13歳の彼は、その日一人の友……四歳の頃から一緒に過ごした、親友とも呼べる少年を呼び出して、幼年学校の敷地にある並木通りに来ていた。今にも儚く消えてしまいそうな色の花弁が風に吹かれる中で、彼はそう切り出した。

 

「プラントと地球で、戦争になんかならないよ」

 

 うん、と親友は頷いた。少なくとも、彼もその時はそう信じていた。そう信じたかった。

 

「でも、避難しろと言われたら行かない訳にはいかないし……」

 

 彼らは確かに、賢明な子供であった。

 例え彼らが望まずとも、絶えず変動する世界は彼らを取り巻く環境をも変化させてゆく。望む、望まないに関わらず。それに抗う事など出来はしないのだ、と理解していた。だから彼も、そして友も頷いて、俯くしか無かった。

 彼はそんな友を励ますように言った。

 

「……そっちも、そのうちプラントに来るんだろ?」

 

 彼はこれからプラントに移るのだ。元々彼はプラントの出身であり、情勢の変化に従って母と自分だけがコペルニクスに移り、プラントには父が残っていた。だが、昨日になって父が家族をプラントに呼び寄せたのだ。戻って来い、そこはもう危険なのだ、と。

 それ自体は仕方のない事だ。だが、そのためにここで過ごした中で出来た友と別れるとなれば、彼としても一大事だ。

 彼も精一杯母に掛け合ったのだが、無駄だった。

 

「多分……」

 

 そうか、ならまた会えるさ。そう言って、彼は肩に下げていた鞄から金属のケースを取り出した。友が見守る中で、彼はその蓋を開いた。

 そこには、彼が丹精込めて、友の為に、と自作したロボット鳥が収められていた。スイッチを入れると赤い目に灯が点き、メタリックグリーンの華奢な身体が起き上がって羽ばたき始める。

 

「これって……!」

 

「引っ越す前に渡しておきたくてさ。この前ロベルトが持ってた奴、お前欲しがってただろ?」

 

「僕の、ために……?」

 

「まあ……そうだよ。別れの……いや、また会える事を願ってのプレゼントだ」

 

 小さな掌で、友はそれを受け取ってくれた。友がやっと顔を上げたのを見て、彼は小さく微笑んだ。

 

 きっとまた、会える。きっと。

 

 

 そう信じて別れ、早三年──。

 

≪──アスラン、アスラン!≫

 

 ハッとなって、アスラン・ザラは周囲を見回した。彼は今、宇宙を漂う岩塊の上に居た。周囲には彼と同じようにノーマルスーツを着込んだ人影が数人居て、その中の一人が彼を覗き込んでいた。

 

≪大丈夫ですか? なんか上の空でしたけど≫

 

「ああ……すまない、大丈夫だ」

 

 心配そうに声を掛けてきた同僚に手を挙げて応えると、アスランは自分のリストウォッチを見た。

 あれか、三年……。たった三年で、世界は大きく変化してしまった。戦争が起こり、自分はこうして軍に入隊して、プラント……いや、ZAFTの為にと戦っている。今もこうして、任務に従事している。

 思わず吐いた溜息に反応して、ノーマルスーツが自動で補正を掛けたのが分かった。開戦以来、コペルニクスで別れた親友の行方は分からずじまいだった。

 

 ……無事でいるよな?

 アスランはいつも、そう願わずにはいられなかった。

 

≪おっと……隊長かな?≫

 

 同僚がふと宇宙空間の虚空を見てそう言った。アスランがそちらへ視線をやった瞬間、漆黒の宇宙を白い何かが横切るのをアスランは見た。

 流星ではない。青白いスラスターを幾たびか瞬かせて、瞬く間に視界を横切ったそれは、間違いなく人型の姿をしていた。ZGMF-1017/M。ZAFTの高機動型MSだ。

 

「……いや、レオだよ」

 

 アスランはふっと笑って言った。ほんの一瞬だったが、アスランの優れた動体視力はジンハイマニューバの姿形をはっきり捉えていた。独特な形状の剣を手にし、こちらへ単眼(モノアイ)カメラを向けて目配せをして来たあの同僚の駆る機体の姿を。

 その白い機体に続くように、また別の機影が一機、二機と横切った。どの機体もZAFTのMSであり、そのマシーンを操るのは、アスランもよく知っている人物たちだ。

 そう、アスランがプラントに移ってから、新たに出来た友人も居る。皆良い奴だ。コペルニクスで別れた友も大事だが、だからといって彼らを蔑ろにするつもりはアスランには無かった。

 

 ──同じ任務に従事する彼らの為にも、自分は自分の仕事をするのだ。そう思った時、アスランの目の前の岩壁が動いた。

 いや、それは岩壁ではない。それらしく擬装された、鋼鉄の隔壁。スペース・コロニー ヘリオポリスの内部へと繋がる排気口だ。排気口の監視装置が停止したのを赤外線(サーマル)バイザーで確認すると、アスランは他の人影にハンドシグナルを発し、消炎器が装備されたジェットパックを起動して排気口の中へと飛び込んだ。

 中立コロニー ヘリオポリスの中枢を目指して。

 

 

 

 

 

 

 

 

「健闘を祈るよ、アスラン」

 

 ジンハイマニューバのコックピットから岩塊に取り付いた同僚の姿を目にすると、レオは彼らにカメラアイを向けたままそう呟いた。通信回線などは繋がっていないから、彼らにその言葉が届く事はない。だが、伝わったと言う感触はあった。何故かは分からないが、そういう確信があった。

 

「──君達が、真にエリートである事を祈ろう」

 

 しかし、一瞬前の言葉に込められた友愛の感情は、次の瞬間悪辣なそれに変わっていた。

 

 アスラン達はこのままコロニー内に潜入し、破壊工作を行いつつ作戦目標である地球軍新型兵器の確保に当たる予定である。レオの任務は港湾からコロニー内に強行侵入、彼らの支援に当たる事だった。

 だから、作戦の成否はアスラン達に掛かっている。最悪、ジンで新型兵器を運び出す事も不可能では無いが、その場セキュリティシステムが作動して新型兵器が自壊する可能性が高い。故に、何としても彼らの手で新型兵器を奪って貰わねばならない。

 

≪──守備隊、来ます!≫

 

 僚機のパイロットがそう叫ぶ。なるほど眼前に迫るヘリオポリスの港口から、複数の小型メカが飛び出して来るのがレオにも確認出来た。データ照合、シルエットから機種を特定。旧式の単座戦闘艇ヘルドッグ。──大層な名前を持つそれはMAでも、所謂宇宙戦闘機ですら無い、ただ宇宙艇に貧相な武器を付けた程度のマシーンだ。更にその後方から多目的MAミストラルが、まるで巣穴から湧き出てくる虫のように群れ為して出て来る。流石に、中立コロニー宙域にNジャマーを撒き散らしながら戦闘艦が踏み込めばそう言う対応にもなろう。

 

 本来なら、国際的な非難を免れない行為。だが、この場合は関係無い事だ。先にレオ自身が述べたように、既にあの中立コロニーが、中立の立て看板の影で地球軍に協力している事実をZAFTは掴んでいる。非難されるのならばそれはヘリオポリス、そしてその本国たるオーブの方だ。そして彼らは、放っておけばプラントにとっての大禍となり得る兵器をそこで開発している。この際、国際法に遠慮して座視している訳にはいかないのだ。プラントにとっても、レオにとっても。

 

「よし、各機、兵器使用自由(オールウェポンズ・フリー)。単座戦闘艇もモビルアーマーも、モビルスーツの敵では無い。蹂躙しつつ敵陣を突破する。ユリシア、行けるな?」

 

≪後ろに居るわよ。陽動隊各機は敵編隊へ攻撃開始。突入部隊の道を開く……と言いつつ、レオ、悪いんだけど先陣任せて良い?≫

 

「いつも通りに、か? 了解した。後ろに付け」

 

 大斧を携えたユリシア機がぴったり真後ろに付いた事を確認すると、レオはジンハイマニューバを増速させて敵編隊の真正面から突撃を仕掛けた。レオは本来援護される側ではあるが、ジンハイマニューバの機動力と突破力はかなり先陣向きでもあった。

 

 突入を開始するレオの背後で他のジンが上下左右へと散開、敵も何機かが彼らに食いついて散り始めた。だが、大多数は真正面のレオ機に標的を定めたようで、ロックオン警報がコックピット内に鳴り響く。

 そう間を開けずに、アラート音が変化した。敵の先陣であるヘルドッグが誘導弾を放って来たのだ。しかし、Nジャマーによって弱体化した誘導弾などMSにとって何の脅威でも無い。どう見ても牽制弾であろうそれを、レオは操縦桿を軽く傾けて、機体に緩やかな回避軌道を取らせた。それだけで、誘導弾は虚空を切ってデブリに命中、宇宙の闇に火球を出現させた。

 

 やがて接近戦レンジにまで近付くと、後衛のミストラル隊も搭載機関砲で攻撃を仕掛けて来た。ミストラルは多目的MAの肩書の通り、ユニット交換によって機体特性を変化させる能力を持つ。だが、ヘリオポリスから出て来たミストラルは殆どが作業用クレーンアーム装備であり、デブリ除去が精々の火力しかない機関砲で必死に弾幕を張って来るだけだった。しかも、各機の連携は殆ど取れておらず、殆どの機体が前衛の指揮官機に盲目的に追従しているだけで、その前衛にしても機体が後衛の機体の射線を塞いでいるケースすら見受けられる。

 

 ──回避するまでもない。レオは一瞬でそう判断した。飛来する全弾を装甲面で弾き返しながら敵編隊の中へ突っ込み、斬機刀を抜刀し先陣の指揮官機ヘルドッグを両断、そのまま一瞬で敵陣を突き抜けて背後に出た。小口径機関砲とはいえかなりの数だ。ただの一発も有効打とならなかったのは、最も防御効率の高い箇所で敵弾を全て受け切ったレオの技量の為せる技であった。

 指揮官を失い、更に中央を縦断されてヘルドッグ、ミストラル双方の陣形が崩れた。右往左往する敵機の群れに対し、レオの背後に付いていたユリシアが続いて突入。重突撃銃を掃射、敵編隊を攻撃する。レオが機体を反転させて敵編隊を視界に収めた時には、既にヘルドッグは全滅状態にあり、ミストラルは逃げ惑うのみ。そこへ別のジン隊が攻撃を仕掛けて、敵は着々とその数を減らして行った。レオも銀に煌く斬機刀を振るい、ミストラルを一機、二機と撃破して行く。あっという間に六機程斬り捨てると、更に火線を逃れたミストラルの一機に急接近し、その丸いオレンジ色の胴体を脚で蹴り飛ばした。殆どボールのような扱いで蹴飛ばされたミストラルは、コロニーの外壁に激突、砕け散った。

 

「ミゲル、マシュー、クルトはついて来い。ユリシア、外は任せるぞ」

 

≪オッケー、援護する。中はお願いね≫

 

 港口にカメラを向けると同時にアラートが鳴った。映像の一部が拡大され表示される。そこに大映しとなったのは、機関砲を展開しながら出航を試みる輸送艦と、その影から現れる薄紫色のMAメビウスの姿。メビウスはミストラルから代替わりしたばかりの地球軍制式MAであり、本国が地球に存在するとは言え中立国であるオーブのコロニーから出て来る道理は無い。

 ……本来なら。

 

「やはり、地球軍か」

 

 メビウスは散開し、戦闘速度で接近して来ていた。そして恐らくはその母艦であろう輸送艦もまた、格納されていた機関砲をフル展開してこちらへ攻撃を開始して来ていた。四機編隊で向かってくるメビウス隊へ、ハイマニューバは螺旋軌道を描きつつ接近する。

 MSと艦艇では、艦艇の方が射程が長い。先手を取った真正面の輸送艦からビームが発射され、四機のジンはパッと左右に散開、突撃銃で今撃って来た砲台に弾丸を送り込んだ。メビウスが反転してレオ達を迎え撃とうとするが、ユリシアのジンが割って入り、ハルバードでメビウスのエンジンブロックを弾き飛ばした。後顧の憂いが無くなったのを確認すると、レオのジンハイマニューバは納刀し、港口からコロニー内に突入した。残る三機のジンが彼に続く。レオは重突撃銃で施設を潰しながら、港湾部の奥深くへと侵攻して行った。

 

 突入部隊は四機。報告にあった新型機は五機存在し、仮に強奪部隊が失敗した場合は、自壊されるリスクを承知でこの四機がかりで新型機を持ち帰る事となる。でなければ、最悪ジンを放棄し、レオ達が降りて新型兵器に乗り込むか。

 

 宇宙港を抜ける四機のジン。一瞬だけモニター映像に宇宙港ロビーの様子が映り、レオは一瞬だけそれに意識を奪われた。

 

 ──蘇る光景。無力だった自分、そして奪われた、大切な人。

 

 フィオレ。君は今、どうしている?

 レオはそう心で呟いた。

 

 あの日彼の手から零れ落ちた、実の妹……フィオレに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 厳重なゲートを越えてモルゲンレーテの敷地に入ると、キラ達は社屋の一つの前でエレカを降りた。オートで市街へと戻り行く無人のエレカを尻目に中に入る。彼らの指導教官であるカトウ教授のラボが、ここの三階にあるのだ。

 

「お、キラやっと来たか」

 

 部屋に入室すると、そんな呑気な声が三人を出迎えた。声の主はサイ・アーガイル……そう、あのサイであった。今朝と変わらぬ派手なジャケットはどこに居ようが一発で見分けがつく。部屋の中は大小様々な機械で埋め尽くされており、メカオタク全開の室内にチャラチャラした風貌の彼の存在はかなり浮いていた。隣で作業に没頭するカズイ・バスカークの方は絵に描いたようなギークである。カズイは軽く目礼するのみで、手元の作業に没頭していた。

 

「あら、こんにちは。ヤマトくん」

 

 そしてそのカズイの横の席にも一人の学生が居た。よく手入れされた黄金色の髪に、美しい翡翠色の瞳。これまたこの部屋に似つかわしくない程にお嬢様然とした、キラと同年代の少女。名前はリーリエと言った。

 

「今朝は大変だったみたいね。アーガイル君から聞いたわよ?」

 

「ああ、どうも。ええっと……キル……キルヒ……」

 

「リーリエで良いってば……長いし、言い辛いでしょう?」

 

 鈴の音のような声で、リーリエは笑った。彼女の本名はリーリエ・フォン・キルヒシュライガー。欧州圏にルーツを持った、地球の名家のお嬢様だ。名家と言えばフレイ・アルスターの実家であるアルスター家もかなりの名家であり、二人の入学に際しては同級生達の間でも相当話題となっていた。

 

「あ、うん……リーリエ」

 

 ただ、そんなカレッジの二大お嬢様である二人だが、二人には一つ明確な差異があった。フレイが所謂お嬢様らしい姿勢を崩さないのに対して、リーリエは逆に、完全に他の学生達と同じ生活環境に身を置いていた。他の学生に混じって寮で生活し、学費、生活費はアルバイトで稼ぐ。どうも家からの仕送りなどにも特に頼っていないらしい。複雑な事情は窺えるが、一見してとても名家のご令嬢とは思えない。

 ……寧ろ、安い学生食堂で食事を済ませたり、食事は質より量である、と大真面目に語っていたり、月々のやりくりに唸っていたりと、見た目のわりに妙に庶民感溢るる存在であった。

 得てしてそういう部分と言うのは、馬鹿をする事しか人生経験の無い学内の男どもには良く刺さる、という事だろう。学内男子からの彼女の人気はかなり高い。一例として、彼女が在籍しているから、という下心を丸出しのままこのカトウゼミを受講しようとした男子生徒は、男子生徒総数の実に半分にも及ぶ、というカトウ教授のデータがある。

 

 因みに、カトウ教授の個人的な集中レッスンであるこのゼミにそれだけの人数を捌く規模など無く、カトウ教授はゼミの開講日数を増やし、クラス別とする事で事態の解決を図った──即ち、彼らは例外なく他のクラスに回されてしまったという訳である。

 

「……で? サイの手紙の件はど〜したよ、キラ!」

 

「はぅっ!?」

 

 不意に、トールがそう言いながらキラの背をブッ叩いた。例のエレカ停留所での件だ。キラが咳き込んでいると、名を呼ばれたサイがコンピュータの前から立ち上がって歩み寄って来た。

 

「手紙?」

 

「い、いや何でもない何でもない」

 

「何でもね〜わけね〜だろ〜がよ!」

 

 誤魔化したキラをトールが後ろから羽交い締めにする。更に騒ぎに乗じたカズイもやって来て「俺にだけ、俺にだけ!」とトールにせがむ始末。何でもないから、と連呼しながら暫くじたばたともがいていたキラは、不意に部屋の奥に視線が向いて動きを止めた。そこに、見慣れぬ一人の少年の姿があった。

 

「止めなさい。お客様の前よ」

 

「お客様……?」

 

 リーリエが作業の手を止める事なく、ぴしゃりとそう言ってトールを止めてくれたので、それで騒ぎは収まった。絡み合った身体を解したキラは、その流れでリーリエに尋ねた。

 

「誰? 見かけない顔だけど……」

 

「私も誰かまでは聞いてないわ。教授のお客様。此処で待ってろって言われたそうよ」

 

 ふぅん、とキラはその少年に顔を向けた。途端、少年はキラを鋭く一瞥し、キラは怯んで顔を背けざるを得なかった。

 濃い茶色のコートと帽子。帽子を部屋の中でも脱いでおらず、そこからはみ出す髪は硬質な金色。顔立ちはやけに幼く見えるし、手足は華奢だ。

 流石にマスクやらサングラスまではしていないが、どうしても変装、という言葉が頭を過ぎってしまうような格好であった。

 あんなに着込んで暑くないのだろうか。見たところ髪多めだし。などと思いながらチラチラと少年の方を観察していると、まるで答えるかのその少年の額から汗が流れ落ちた。慌ててハンカチ……妙に可愛いデザインだ……で汗を拭き取る少年の姿に、キラは苦笑しながら部屋のエアコンを強めた。

 

「ごめん、ちょっとエアコン強めるね」

 

「ほ〜い」

 

 わざとらしく暑がって見せると、少年が一瞬目を丸くしてキラを見て、それからプイッ、と顔を背けた。

 

「んじゃあまあ涼んでからで良いけどさ……これ、預かってる。追加だって」

 

 そう言って、サイがデスクの影から何やら重そうな袋を取り出した。嫌な予感と共に受け取った袋を開くと、そこにはキラの感情をげんなりさせるに充分な量のメディアディスクが収められていた。

 

「うげぇ……」

 

「鬼畜だなウチの教授……何かしでかした?」

 

 割と真剣に心配げな視線を向けて来るサイ。無論の事ながら、今年度開始以来教授から彼の研究に付随するデータ解析を無償でやらされる哀れなキラ・ヤマト少年に、虐げられる心当たりなど無い。

 ……いや、アレかな。この前教授の18禁動画フォルダ見つけちゃったせいかな……。

 

「冗談じゃないよ。前のもまだ済んでないのにさ」

 

 そう言って、キラはラボの真ん中に鎮座する白いワークローダーに目を向けた。

 バイトの現場で使うようなそれとは違う、人が着込む形で装着し運用するもの。パワードスーツと言った方が通じ易いタイプの物だ。

 

「しゃーない。さっさと済ませちまおうぜ。手伝うよ」

 

「ああ、ありがと。サイ」

 

 そうして、トールがワークローダーを装着し始めた。キラと、それから自分の作業を中断したサイがそれをサポートし、ついでだから、とリーリエがこれまた自分の作業を中断してシステムチェックを行ってくれる。

 

「ごめんね。皆にも手伝って貰っちゃって」

 

「良いのよ。私達の方はどっち道教授が来ないと何もできないし、そんなに急ぎでもないわ。じゃあケーニヒくん、動作確認するわよ」

 

「ほいほい。んじゃ安全確認、と」

 

 キラ、サイが離れたのを見て、トールはゆっくりと身体を伸ばした。駆動音と共に白い機械が動作するのを、あの少年も少し興味ありげに眺めていた。

 腕の動作を終えて、今度は脚の動作だ。トールはジャンプでもするかのように身体をバネのように伸び縮みさせた。踵が一瞬浮き上がり、それが床に着いた瞬間──。

 

 突然の轟音と共に、ラボが大きく揺れた。

 

「うわぁ!?」

 

「あぇぇ!? 俺何かしでかした!?」

 

「なワケ無いだろ! 隕石か!?」

 

 ミリアリアが窓の方を見て叫んだ。

 

「ちょっと……あれってモビルスーツじゃないの!?」

 

 全員の視線がそちらに向く。まさにその瞬間、ラボのビルのすぐそばに、灰色の鋼の巨人が降り立った。甲冑を纏ったような一つ目のその立ち姿は、間違いなくZAFTの主力MS ジンだ。

 

「どうしたんです!?」

 

「ZAFTに攻撃されてる! コロニーにモビルスーツが入って来てるんだよ!」

 

 いつの間にか、サイが非常階段のドアを開いてその向こうの人に何事かと問い詰めていた。上階から降りて来た男性がそう言った瞬間、再びラボを揺れが襲った。今度は、明確に爆発音だ、と分かる音も聞こえて来た。サイが避難しよう、と言ったので、皆も──あの少年も彼に続いて非常階段を降り始めた。

 

「あぁ! 君!」

 

 ……いや、少年は非常階段を降りなかった。少年はあっという間に人混みを掻き分けて、ビルの奥の方へと駆けて行ってしまった。他の皆は既に人の流れの中に紛れてしまったが、キラとリーリエはまだ少年を追って引き返す事が出来た。すぐに戻る、とだけ言い残して、二人は少年を追いかけた。

 

「キラ!」

 

「リーリエ!」

 

 すぐに、皆の姿は見えなくなった。キラは全力で廊下を走り、間もなく工場区へと続く通路を走る少年の腕を掴む事が出来た。

 

「駄目だよそっちは! 早く避難しないと!」

 

「何をする! 離せこのバカ!」

 

「ば……っ!?」

 

 いきなりバカ呼ばわりである。誰がバカだ。バカっていう奴がバカなんだぞ。そりゃあ確かにこんなところまで追いかけるのはバカかもしれないが、それを言ったらパニクったのか知らないがこんな見当違いの方に駆け出した君だってバカじゃないか──

 

「ヤマトくん!」

 

 無数に浮かぶ反撃の言葉の内どれをぶつけるべきか、と逡巡していたキラは、背後から飛んで来たリーリエの言葉に振り返った。大丈夫、捕まえたよ。そう言おうとした矢先、これまで以上の揺れが三人を襲った。次の瞬間、轟音と共に廊下の天井が崩れ落ちた。

 

「うわっ!」

 

「きゃぁ!?」

 

 ぎゅっ、と目を瞑り、キラは衝撃から身を守った。目を開けた時、リーリエが居た筈の場所には瓦礫の山があった。

 

「ヤマトくん! 大丈夫!?」

 

 幸いリーリエが巻き込まれた訳でもないようで、瓦礫の向こうから彼女の声が聞こえた。大丈夫だ、と答えて、キラはさっきから捕まえたままの少年の方に顔を戻した。

 少年の帽子が消えていた。さっきの衝撃で吹っ飛んだのだろう。やはりやや硬い印象を与える金髪が露わになり、褐色の瞳がキラの方に向いて──。

 

「おんな、のこ?」

 

 そうして、キラは初めてその少年の性別を理解した。道理で何か華奢な筈だ。

 

「………………何だと思ってたんだ!」

 

 オトコノコダトオモッテマシタ。ゴメンナサイ。

 

「ヤマトくん……?」

 

 瓦礫の向こうから二人を気遣うリーリエの声が聞こえて、キラは意識を現実に戻した。直後、再びラボが揺れた。さっきよりも遠いが、爆発音もする。

 

「とりあえず二人とも無事だ! でもここはもう通れないし……」

 

「良いからさっさと行け! 私には確かめねばならない事がある!」

 

 そう言って、少年いや少女はキラの手を振りほどこうとした。とはいえ、彼女の言う通りさっさと戻ろうにも、道が塞がれて戻れないのだからどうしようもない。その旨を訴えると、少女はばつの悪そうな表情を浮かべた。

 

「……リーリエは行って! こっちはこっちで逃げるから! ほらこっち!」

 

 リーリエの居るであろう方向にそう叫ぶと、キラは少女の手を掴みなおして通路に走った。残された通路は二つあったが、そのうちの片方の通路の先に出口が見えたので、キラはそっちに走った。

 

「こんなことになってはと……私は……!」

 

「泣いてちゃ駄目だよ! ほら走って!」

 

 何やら涙声でごにょごにょと呟く少女を激励しつつ、キラは走った。何だか今日は身体を張らされる一日であった。それでも、工場区まで抜けられれば大規模な退避シェルターがある。そこまで抜けないと、彼女は今日で人生が終わってしまう。それだけは嫌だろうから、キラは全力で走った。

 そうして長い通路を抜けた時、キラの目の前に現れたのは──。

 

「やっぱり……」

 

 少女が絶望の呻きを上げる。天井の高い工場、銃撃戦の只中にあるその場所に、二台の大型トレーラーが鎮座していた。そしてそこに横たわる、古代の巨神を思わせる武骨な巨人の姿。ZAFTの物ではない……肩口に地球連合の紋章が描かれた、地球連合のMSであった。

 

「こ、これって……!?」

 

 地球連合軍の新兵器……それがモルゲンレーテで開発されていた。中立コロニーであるヘリオポリスが襲われた理由としては、充分過ぎる存在であった。

 

「地球軍の新型機動兵器……お父様の裏切り者ぉぉぉぉ!!!」

 

 少女の嘆きが、銃声の飛び交う工場内に響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「情報通り──地球軍はものの見事に中立コロニーを隠蓑にしていた形だな」

 

 隔壁を爆砕し、ヘリオポリス内部に侵入を果たしたレオは瞬時に目的の物を発見した。強奪部隊の指揮を採る同僚から送られて来た画像データには、大型トレーラーに積み込まれたMSの姿が克明に写し出されていた。

 ……五機あるはずの新型機だが、画像には三機しか写っていない。残る二機はまだ工場区ということか。

 

≪しかし、流石イザークだな。早かったじゃないか≫

 

「本番はここからだ。各機、イザーク達を援護する。迎撃システムを破壊しろ」

 

 緩やかな旋回を掛けて、僚機のジンがコロニーの地表面へと降りて行く。重突撃銃が火を吹き、市街に紛れて展開していた対空車輌が次々と破壊されて行く。それはさながら、他国へ武力をもって踏み込んだ侵略軍と、自由の為とそれに対抗する市民軍のようにも見えた。

 

「──結構じゃないか」

 

 レオは一人呟いて、鞘に収めた斬機刀の鯉口を切った。問題の新型兵器は幹線道路に出た所で停止しており、赤や緑のノーマルスーツを着た強奪部隊が群がり始めている。

 

「イザーク、少し下がれ。纏めて斬る。どれから潰して欲しい」

 

≪了解。なら先頭車輌の所に居るヤツをやってくれ≫

 

 レオはジンハイマニューバを減速させ、コロニー外壁の回転速度と自機のマニューバを同調させた。円筒型コロニーの常として、壁面は人工重力を発生させる為に回転し、またその上空は無重力空間のままとなっている。降下の際にこの同調作業を怠れば、着地ではなく墜落と言った方が正しいランディングが待っている。無論そこでしくじるレオ・エルフォードではなく、レオは瞬時に目標の対空砲との距離を詰めると、滑り込むように着地し、抜刀。居合斬りを思わせる早業で対空砲を破壊した。続けて地表面を滑走しながら、舞うが如く斬機刀を走らせる。あっという間に、抵抗可能な対空火器は無くなっていた。ついでに言えば、滑走時に半ば巻き込まれる形で歩哨も多くが潰れていた。血と肉片を踏み付けたまま、レオは愛機に納刀の動作をさせた。

 

≪……やる事がえげつないねぇ≫

 

≪ディアッカ。感心してないで作業に取り掛かれよ≫

 

「クルト、ここを任せる。私は工場区を」

 

 赤服の人影がトレーラーに積み込まれたMSの腹部に取り付くのを尻目に、レオは地表面滑走状態のまま工場区へと機体を走らせた。

 

 工場区は、既に戦闘が開始されていた。強奪部隊は内部深くにまで侵攻を果たしつつあり、レーダーマップ上に表示された施設見取り図には、味方歩兵からの信号を示す光点が複数灯っていた。

 

「これでは、モビルスーツで踏み込む訳にも行かない、か……」

 

 工場区の側に降り立った途端、システムコンピュータが警告を発した。近隣の施設から一斉に銃を持った人影が姿を現し、レオのジンハイマニューバに攻撃を始めていた。

 ……無論、歩兵用銃火器如きでMSの装甲は抜けない。レオは敵歩兵の集まる施設に向き直ると、斬機刀を横に振るった。手応えと共に施設の上半分が地に落ち、展開していた歩兵達が瓦礫の中に消える。レオは武装を突撃銃に持ち替えると、左腕で保持したそれを別の施設に向けた。トリガーを引く度に、白の映える工場区の景観が瓦礫の山へと変わっていった。

 

≪──こちらラスティ、近くに居るジンは誰だ、レオか?≫

 

 無線に声が入った。ラスティ・マッケンジー……強奪部隊に参加した赤服パイロットだ。レオは施設と迎撃部隊の破壊を続けながら通信回線を開いた。

 

「私だ。何かあったか」

 

≪やべぇ事になったぞ……情報が間違ってたみたいだ。連中が作ってた兵器は五機じゃない!≫

 

「何だと?」

 

≪侵入中にアスランが偶然見つけたんだ。連中、味方にも内緒でもう二機ばかし作ってやがる!≫

 

≪こちらアスラン。俺達は工場区で手一杯だ。イザーク達は?≫

 

 レオは望遠カメラを起動して、先程の三台のトレーラーの方を見た。クルトのジンに援護されて、見慣れない……いや情報としては見た事はあるが……MSが三機、起立しているのが見えた。識別信号はブルー、つまり味方の信号を発していた。

 

「……向こうは奪取を済ませたようだ。場所を教えてくれ。私が確認する」

 

≪了解、送信する。頼むぞ≫

 

 間もなく、ジンハイマニューバのコンピュータにデータが送信されて来た。レオはコロニー内に点在する味方のジンを中継して母艦ガモフ及びヴェザリウスにその情報を送信した。間も無く、中継役のジンのパイロット、ミゲル・アイマンから着信が入った。

 

≪おいレオ、これって……≫

 

「アスランが見つけたそうだ。これから私が確認に向かう。他に誰か来られるか?」

 

≪……無理だな。俺はアスランとラスティの援護に回らなきゃならない。クルトはイザーク達と一緒に行って、マシューは脱出路を維持中だ。イザーク達のチームの残りはもう脱出しちまったし≫

 

≪じゃあちょっと待ってなさい、私が行くわよ≫

 

 そこに割り込んで来る声があった。外部チームのユリシアだった。

 

「ユリシア?」

 

≪おいおい、お前外だろ……って、何で中入って来てんだよ!?≫

 

 ミゲルの言葉に、レオはレーダー画面を見た。なるほどミゲルの言う通り、ユリシアのジンがレオ達の通って来たルートを通ってコロニー内に入って来ていた。

 

「外のモビルアーマーが中に入ろうとしてたから追っ掛けて来ただけ。貴方達の為にね」

 

≪そりゃどーも、ありがたい事で……そいつは落としたのか?≫

 

≪……それが返り討ちに遭っちゃって≫

 

 間も無く、レオの視界にユリシアのジンの姿が入って来た。レオは一瞬我が目を疑った。彼女のジンは、特徴的な大斧ごと右腕を失い、左の脚と左スラスターパックも破壊されていた。彼女とて、MSパイロットとしての腕は確かだ。実際、この損傷状態に追い込まれて尚爆散を免れているのは彼女の腕の為せる技だろう。生半可なMA如きに遅れを取る筈がない。

 

≪…………マジで?≫

 

「クルーゼ隊長が出撃して援護に来て下さったから、後は隊長にお願いしたけど……とにかく、この有様だから機体は捨てるしか無いかもね。自分の銃はあるから、それでレオを援護する」

 

 レオは跳躍して空中に飛び出すと、ユリシアのジンの前に出た。近付いた分余計にその損傷状態をまざまざと見せつけられる形となった。改めて、よくこれだけやられて爆散させなかったものだと感心を覚えずにいられなかった。

 

「分かった。ミゲル、私達で先行する。可能ならアスラン達が成功した後、そのチームの残りをこっちに回してくれ」

 

≪OK。まあ、場所が場所だけに兵隊の類は置けねぇかもだろうしな……頼んだぜ≫

 

 レオはジンハイマニューバを旋回させ、コロニーの中心部へと向かった。ユリシアのジンもそれに続く。

 アスランが入手した新たな機体の所在、それはモルゲンレーテではなく、モルゲンレーテと専用の地下リニアトラムで結ばれた先──コロニーに接続された資源衛星の最奥部、原則コロニー管理部門関係者以外立ち入り禁止エリアに隠された、極秘区画であった。

 

 

 

 

 

 

 

≪────≫

 

 真っ赤に染まったランプ。下層の避難シェルターへ続くドアの前で、キラは息を整えた。既にあの少女は側に居ない。何故ならたった今、キラがこのエレベーターの中へと押し込んだからだ。

 

 ……一人分くらいしか空きがない。そう中から訴えられた時、キラは自分が入るのではなく、迷わず少女をシェルターに押し込んだ。銃声飛び交う只中に一人残されて、それを掻い潜って別のシェルターに向かわねばならなくなる、と知っていながら。

 自分は、ここで死ぬかも知れない。ぼんやりだが頭に浮かんでいた可能性が、キラの中でくっきりと形作られつつあった。隣できゃんきゃんと騒いでいた彼女がいなくなった事で、嫌でもそこに意識を集中せざるを得なかった。それが、キラにある事柄を意識させた。

 

 死を前にした人間は、普通どういう心境なのだろう。この疑問は、最近のキラの脳裏に付いて回る疑問であった。

 

 キラ・ヤマトはかつて一度、死にかけた事がある。バイト中の事だ。珍しく宇宙空間での作業員募集があって、ワークローダーの習熟とカレッジの課題の為に、とこれに応募した時だった。誰かの一つのミスの為に、自分達とコロニー外壁とを繋ぐ命綱が断ち切られて、宇宙に放り出されたのだ。作業の時には監督役として小型艇が近くに居たが、運悪く彼らの意識は、別の場所で発生していた何かに向いていた。監督役との通話手段は有線接続だったが、これは命綱共々千切れてしまっていた。

 

 母船に助けを求める事も出来ず、少し強めの慣性に流されて宇宙を漂った。同僚の声は聞こえなかったが、不気味に静まり返った世界の中で、同僚達は皆一様に恐怖に怯えた表情をして、ばたばたと手足を動かしていた。

 ……ただ一人、自分を除いては。

 幸い空気が無くなる前に救出されたから良いのだが、あの時、キラは自分の、自身の生命に対するあまりの無頓着さを知った。救出に現れた宇宙艇を視界に捉えた時、キラは一瞬……本当に一瞬だけ、失望に近い感情を抱いていた。

 

 生命あるものは、皆自己の保存を第一に考える。それこそカレッジで興味本位で受講した講義の中でも、教授はそんなことを当然のように語っていた。あれに反発する人間は居なかったから、あれが常識なのだろう。でも、キラにとっては……。

 

 

 不意の爆音で、キラの意識は現実に戻った。思い切り首を横に振る。こんな時に何考えてるんだ。ただ自分よりか弱い女の子にシェルターの席を譲っただけじゃないか。そんなのきっと当たり前のことで、だからって自分の生命を蔑ろにしていることに繋がるわけないじゃないか。それに教授の解析だって全然終わってないし、明後日には予約していたゲームが発売する。あれを皆でプレイして誰が一番早くクリアするか、ってカレッジの皆で競争しなきゃならないんだ。僕にはまだ、やらなきゃならない事が──

 

 ごちゃごちゃの頭の中を更に掻き回しながら、キラは工場を横切るキャットウォークの上を全力で走った。ふと下を見ると、件の横たわる二機のMSの片方、角ばった側の影から、作業員服の女性が他の作業員に指示を飛ばしているのが見えた。反対側に横たわる尖った方の影にはノーマルスーツ姿のZAFT兵達の姿がある。

 ナチュラルで構成された地球連合と、コーディネイターで構成されたZAFT。基本的はコーディネイターの方が優れている……厳密に言えば“優れた形になるように調整されている”から、地球連合としては甚だ不利だ。多分、ここもそう時間を掛けずにZAFTの手に落ちるだろう。

 

 と、キラは立ち止まった。さっきの女性の背後から、一人のZAFT兵が彼女に銃を向けている。

 

「危ない! 後ろ!」

 

 迷わず、キラは彼女にそう叫んでいた。途端、ZAFT兵の銃口が女性作業員からキラへと向けられる。当たり前の反応だ。多分、今の叫びでキラに狙いを変えたZAFT兵は彼だけではあるまい。

 しかし、女性作業員は素早く振り返って、キラに気を取られているZAFT兵を手早く射殺した。彼女はたった今自分の生命を救った声の主を探して辺りを見回し、それから頭上のキラに気付いて怒鳴った。

 

「来い!」

 

「左ブロックのシェルターに行きます! お構いなく!」

 

「あそこはもうドアしか無い!!」

 

 一瞬、どうすべきか迷った後、キラは彼女の言葉に従った──すなわち、キャットウォークの手摺りを飛び越えて、彼女の真横に飛び降りた。彼女が目を丸くする前で、キラは三点着地を決めようとし…………残念ながら勢いを全く殺せないまま鋼色の外殻の上に転がった。

 

「君……」

 

 女性作業員は上下逆さまになって自分の足元に転がり込んで来たキラに何やら問い正そうとするが、他の作業員の悲鳴にすぐさま顔を戻した。

 

「ハマナ!」

 

 直後、キラは彼女の身体がびくり、と震えるのを見た。下から見上げた豊かな胸に隠れて表情は見えなかったが、その時聞こえた銃声と迸る鮮血のせいで、手にした銃を取り落として自分の方に倒れ込んで来た彼女に何があったのかは理解出来た。キラは慌てて立ち上がると、横たわるMSの上から落ちそうになった彼女を抱き留めた。

 瞬間、爆炎の中から赤い人影がキラ達の方へと飛び込んで来た。手にはナイフを構えて、咆哮と共にこちらへ駆け寄って来る。助けに来たわけではなさそうだった。キラは彼女を庇って、その赤い人影を睨んだ。何なら、そのままタックルでも叩き込む心積りですらあった。

 

 だが、赤い人影はナイフを振り上げた手を、頭上でピタリ、と止めていた。

 

「……キラ……?」

 

 人影がぽつり、と呟いた。それは紛れも無く自分の名前だったし、その声色にも聞き覚えがあった。

 

 ──きっとまた、会える。きっと──

 

「アスラン……?」

 

 バイザーを押し上げて呆然と立ち尽くすその人影の名を、キラは恐る恐る呼んだ。意志の強そうな緑の眼が、キラの姿を映して開かれていた。

 

 爆発。閃光。既に工場内は炎に包まれていた。地獄のような光景の光が、二人に過去の光景をフラッシュバックさせた。あの日、コペルニクスで別れた瞬間の事を。思えば、あの時も最後に向き合った時はこんな距離感だったような気がする。

 

 二人の間に生じた空白の時間。それを一発の銃弾が引き裂いた。さっきの女性作業員が取り落とした銃を拾い上げて、人影を……アスランを撃ったのだ。アスランは背中のランドムーバー吹かして後退り、今立っていた機体のすぐ隣に寝転がっているMSの上に降り立った。追い掛けようとキラは立ち上がる。が、それより先に女性作業員が立ち上がって、キラを開かれたままのハッチの中へ押し込んだ。それは、キラとアスランの再会の舞台となったMSのコックピットであった。続いて女性作業員もコックピットに乗り込み、ハッチが閉じられた。

 

「シートの後ろに! この機体だけでも……私にだって、動かす事くらい……」

 

 女性作業員は素早く機体の起動シーケンスを始めていた。ワークローダーのそれと手順は良く似ていた。が、あのチンケなワークローダーのそれに対して、このMSのコックピット・コンソールには桁違いの情報量があった。圧倒されるキラの前でメインスクリーンが点灯し、アスランがMSのコックピットに消えるのが見えた。微動するコックピット。サブモニターに映る地球連合のエンブレム。それと、断続的に表示される文字列。

 

 General

 Unilateral

 Neuro-Link

 Dispersive

 Automatic

 Maneuver……

 

「ガン……ダム……?」

 

 呆然と、キラは呟いた。赤く輝く頭文字。微動はやがて強い振動となり、強力なエネルギーの波動が機体全体に浸透してゆくのが分かる。女性作業員の操作で、MSはゆっくりと動作を開始した。まるで生まれたばかりの稚児のようにぎこちない動作で、爆炎の中、立ち上がる。空に聳える程の巨人が、炎に照らされて屹立した。火山の火口を思わせる程の爆炎が鋼色の装甲に彩りを加え、聳え立つ威容を朱色に染めていた。

 

 

 ──この瞬間を境に、キラ・ヤマトの平穏は彼の人生から、永遠に失われた。


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