北条の野望 ~織田信奈の野望 The if story~   作:tanuu

32 / 123
ちょっと長くなり過ぎました。一万文字越えたのは初めてです。すみません。筆が乗り過ぎました。


第30話 関宿城攻防戦

 北条軍九千が二倍の数を誇る今川・武田連合軍に歴史上稀に見る反転強襲をしかけ、大敗させたのとほぼ時を同じくして、遥か東、下総の北側に位置する江戸川と利根川の分岐点である関宿では、古河公方足利晴氏率いる二万五千と里見義堯・真里谷信隆・千葉利胤の三家連合軍一万二千がにらみ合っていた。

 

 真里谷信隆。現代でその名を知る人間は一部の戦国超ガチ勢ぐらいなものであろう。そんなマイナーと言っても問題ない男は、これでも一応名家真里谷(別名、上総武田家)の産まれである。先ごろ国府台で一条兼音の手で討たれた真里谷信応は彼の実弟である。ただ、家督を争うようになってから、兄弟の情など捨てていたが。彼は弟に上総の地を追われることとなる。その背後には都合のいい部下を欲した故・足利義明の存在があった。

 

 頑強に義明並びに信応に抵抗していたが、結局は敗れ、峰上城を明け渡し足利義明に降伏した。その後、造海城に籠城したが歌を百首詠むことを条件に開城する。そして、支援していた北条家の下に逃れた。そのまま燻ったまま生涯を終えるかと思っていたが、恩人の北条家の家臣、一条兼音がにっくき実弟をこの世から追放してくれたおかげで、真里谷家の当主に返り咲けた。

 

 願望は果たせたが、その後復讐が終わったらやるべき事が無くなって燃え尽きた人の典型例を発動して真っ白になっていた。が、今回の戦においては義理を通すべく参戦している。加えて言えば、自分を追放した足利義明と同じ足利家の古河公方に嫌悪感を抱いていたというのもあるが。ともあれそこそこやる気はある。今回の指揮をする里見義堯にも特に含む所はない。彼の野望は知っているが、最近は真里谷の家名を保てれば何でもいいと思っており、最悪は上総を離れ、北条家の臣下となるのも悪くないと考えている。

 

 

 

 

 千葉利胤。現在の千葉市にある亥鼻をかつては治めていたが、今はその支配権すら失いつつあり、佐倉城を本拠地にしている。病弱な少女であり、名門千葉家の名跡は重過ぎると言えた。彼女なりに責務を果たそうと考えており、その一環で北条家に近づいた。至上命題は黄昏の名家、千葉家の延命。名前を残せるならと、最近は病弱な自分に代わり北条の血を引き入れる事を計画していた。

 

 千葉家はかつて平安末期に源頼朝に仕えた御家人、千葉常胤の子孫である。常胤は初期の頼朝と合力し、その政権を支えた。なお、元々は平家の一族である。多くの一族を持つ古い名族だ。

 

 弟の臼井胤寿と争ったり、発言権を原胤清らの重臣に奪われつつあった。重臣たちの中で、北条に付くことを主張したものと関東管領に付くことを主張したものとで争っていたが、利胤の強い主張によって千葉家の命運を賭けて北条側で参戦した。北上している里見義堯に危機感を抱いてはいるが、勝てなかった場合、待つのは滅亡のみであることを理解している彼女は経験豊富な里見義堯の指示に従うことにしている。

 

 

 

 

 

 

 対するは関東の旧主、足利晴氏。それに従う結城晴朝、梁田晴助。そして籠城するのは梁田晴助の息子持助である。

 

 梁田氏は平家の血を引く名家である。鎌倉公方、そして古河公方の家臣として仕えている。筆頭家老として古河公方を支える彼らにとって北条家は倒すべき敵だった。今回の戦にも主、足利晴氏の望みがあったため参戦している。勝ち戦だと思って当主は息子持助に僅かな兵を預けて河越へ出兵していたが、戻る羽目になりやや苛立っている。自分の居城と息子を囲まれていればそれもやむを得ないだろう。

 

 一方の結城氏も名家の出である。藤原家の出であるが、頼朝のご落胤説も存在している。関東八屋形に数えられる名門であった。かつて結城氏は結城合戦を行い幕府などと対立。一時は滅亡した。その後何とか復活を果たしたが、家臣の相次ぐ分離独立で衰亡の一途をたどる。分国法の「結城氏新法度」はそれなりに有名だ。古くから古河公方を支持しており、今回の戦にも古河公方の命で参戦している。

 

 結城氏は普段佐竹や宇都宮、小田などと争い合っている。しかし、今回は同じ軍門に集い反北条で結集している。北条家に特にこれといった恨みはないが、大勢を読み、また古いつながりから兵を率いていた。

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 両軍は睨み合っている。関宿城がもうすぐ陥落寸前というところで古河公方がやってきたため、現在は攻城戦を中止している。

 

陣中で里見義堯は舌打ちをする。

 

「ちっ、無駄に足の速い奴め。あと少しで関宿城は落ちたものを」

 

「まぁまぁ、そうカッカなさらず」

 

「あの小娘もまだ駿河から戻らぬのか…。いい加減にせぬと河越も落ちるぞ」

 

「その時が殿と我らの命日ですな」

 

「滅多な事を言うな!縁起でもない」

 

「先に始めたのはそちらでしょうに」

 

やり取りをするのは安西実元。彼のほかには正木時茂率いる正木一族、多賀高明、加藤信景、土岐為頼、秋元義久、酒井敏房、岡本氏元率いる岡本一族、市川玄東斎ら里見家が誇る将たち。義堯の息子義弘は現在幽閉されている、という事になっている。義堯も滅亡を回避するための保険はしっかりと用意しておいた。事実は反北条派の義弘を義堯が強引に幽閉したということにして、いざというときは義堯が切腹し、家の命脈を保つつもりであった。

 

「しかし、動きが無いのもまずいでしょう。幸い敵は寡兵を侮り陣中の風紀は乱れておるようです。この機を逃しては、勝利は厳しいやもしれませぬぞ」 

 

「陣中の様子は回ってきておる。風魔が手をまわしてかき乱しているらしい」

 

 義堯の言葉に複雑な顔の諸将。普段は最重要警戒対象の風魔が味方であることに対する色々な感情が混ざっていた。ともあれ、味方になると役に立つもので、古河公方側の陣中の様子は筒抜けであった。遊女や白拍子などの陣中風俗に携わる女性に扮した風魔も多数潜入している。これは、河越城を囲む軍勢も同じだが。

 

 そこへ一つの報せが敵陣に侵入していた風魔によって舞い込む。

 

「申し上げます。敵軍、夜襲を立案中にてございます。今晩に実行すると」

 

「なんだと!それは真か」

 

「は。我が手の者が陣中より盗み出した情報にございます」

 

「よし分かった。ご苦労、下がってよいぞ」

 

「は!」

 

 義堯からすれば実に僥倖なことであった。埒が明かないことにしびれを切らしたのであろう。一気に状況打開を図るため、夜襲を計画したのだな、と彼は考えた。そして、その情報が伝わったことで、敵軍の優位性は一気に崩れた。今晩ならば、まだ時間はある。義堯は顎髭を撫でながら、どう料理するか思案し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 場面は変わって、その古河公方の陣中である。風紀は乱れているというだけのことはあり、酒の匂いと嬌声が響いていた。流石に、総大将足利晴氏などは油断せずにいたが、一般の雑兵たちはそうもいかない。彼らは別に闘志に燃えている訳でもなんでもなかった。早く故郷に帰りたくなっている。溜まった不満は酒と女で解消するしか手はなかったのだ。おそらく禁止すれば暴動が起きる。

 

 元の、上杉や古河公方の治世には戻りたくないと心の底から思っている兵で構成され、救国の意思が固い北条軍の兵士とはそこが違った。必死さが段違いなのである。早雲より続く北条家の善政の成果が確実に出ていた。

 

 このままではどうしようもない。ここで釘付けになり、その間に河越が落ちれば、上杉が幅を利かせるようになるのは明白であった。そうなっては関東での権勢は取り戻せない。加えて言えば、北条家を皆殺しにする勢いなのは関東管領だけであり、扇谷上杉はそこまで憎悪に燃えている訳ではなく、足利晴氏もそうであった。今更相模伊豆が戻ってきても統治が難しいだけであろうことは想像がついている。彼の脳内では、武蔵を扇谷上杉、相模伊豆を北条家、安房を里見家、上総・上野を上杉憲政、下総と常陸は自分という何となくの国分けがあった。勿論小領主が多数いるため、実際はこの通りにはならないかもしれないが。

 

 彼自身は悪人でもなく、北条家に凄まじい敵意も無かった。事実、北条家の娘である妻も離縁してはいなかった。彼女は夫が自らの一族に敵すると決めた時、ショックを受けたが、離縁しろとは言わなかった。彼自身もする気はなかった。政略結婚だが、謎の名門意識を働かせ偉そうにしている梁田家の出である正妻より愛していた。自らを侮る正妻より、優しく気立てのよく、氏康の血縁であることが良くわかる美人顔の妻の方が好きだった。珍しいことである。まぁ、こんなこと口が裂けても言えないが。ともかく、彼自身は北条に壮大な恨みつらみはなかった。むしろ、敗軍の北条に講和の斡旋くらいはする気だった。なお、自分が負けるという発想はないが。

 

 長期間の出陣は彼の心に疲れを生み出していた。最初あった情熱もだんだん失われていた。関東が北条のものになったら鎌倉に行きたいと要請すればいいのではないか、と今更気付いた。それに気付くと、途端にやる気が失せていく。ただ彼も二万五千の総大将。投げ出して帰るわけにはいかない。せめて、鮮やかに勝たねばならなかった。

 

 長時間の滞陣は、雑兵たちにもあまりよろしくない。凡庸な彼でもそこはよくわかっていた。そのため、陣に旗下の将を集め、策を練ることとした。そして辿り着いた結論が夜襲である。長期の陣張りに倦んでいるのは向こうも同じはずだった。大規模な勝利を掴めば、停滞した流れを覆せる。足利軍の将たちは、そう考えていた。残念ながら、彼らはそこまで防諜に意識が向いていなかったため、それが筒抜けであるとは夢にも思っていないが。

 

 かくして足利軍は、全軍でもって奇襲を計画したのである。この作戦は関宿城にも伝えられ、彼らも夜襲が始まれば、城を開けて打って出ることとなった。こうして粛々と両軍の準備は整えられていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻は真夜中。普段ならば草木も眠る時間ではあるが、水音を抑えつつ行軍する集団がある。結城軍三千五百と足利軍二万が一斉に渡河を開始した。この季節は水も少ない。渡河は簡単だった。梁田軍は、城の援軍として別行動である。

 

 対岸の里見軍らまであとほんの少し。そう先頭集団が思った矢先のことであった。里見軍、そして千葉軍の陣からかなりの数の松明が一斉に灯される。その光量は現代の電気の明かりよりは格段に落ちるものの、月も細く空も曇っていて星のない夜中に夜目を慣らしていた足利軍にはかなりのダメージだった。瞳孔の開いていた彼らにはその炎の明かりであっても目がくらんだ。

 

 そこへ一斉に矢が放たれる。ここに至って足利軍の指揮官たちは夜襲の失敗を悟った。

 

 

 

 

 

 

 時はやや戻り、里見義堯のもとに敵が夜襲を計画している旨の情報が入った少し後になる。千葉利胤や真里谷信隆も集められ、今後の方針が話し合われていた。

 

「先ごろ報せがあった。公方は夜襲を計画している。今夜だ。各々方、ここが正念場と心得られよ」

 

 義堯の言葉に利胤と信隆が頷く。ここで敗れればどちらとも命運は尽きるのだ。顔も真剣そのものである。

 

「敵が夜襲をするつもりなら、こちらは当然それに乗ずる。夜になるのを待ち、川岸へ移動する。奴らが攻めて来たらば、火を灯せ。多く、出来るだけ多くだ。奴らの目をつぶす。そうしたらば、弓を射かけ、混乱したところを叩く。これを千葉軍と里見軍でやる」

 

「我ら真里谷はいかがしましょう」

 

「城にこの情報が届いていないとは考えにくい。大方こちらがやられているのを見て混乱したそちらを城を開け放ち城兵で奇襲するつもりであろう。貴殿らは城門の前に張り付き、城兵がまんまと門を開けた時に一気呵成に攻め上られよ。さすれば城は瞬く間に落ちるであろう」

 

「承知いたした」

 

 城兵は七百、真里谷軍は二千。数は元よりこちら側にあった。真里谷軍は他の二家の部隊とは異なり、橋を渡った城側に陣を張っている。

 

「敵は城兵以外は全軍でこちらへ来るでしょうか。城兵と真里谷殿の隊の兵数差があるのは向こうも承知のはず。まったく救援を寄越さないとは考えにくくはありませんか」

 

 利胤が口を開く。この姫は病弱であったが暗愚ではない。長い黒髪を結うことなく垂らしながら、目の下に長期の滞陣による疲れから生じたであろう色濃い隈を残す彼女の姿に義堯はやや同情した。

 

「千葉殿の申されることもっとも。その可能性は大いにあり得る。然らば……真里谷殿」

 

「はい」

 

「電撃的に城を落とすことは可能か?一度城を落としてから迎え撃っていただきたいのだが」

 

「善処致しましょう」

 

「お頼み申す」

 

 信隆は無言で頷く。確かな勝算が義堯に生まれていた。もしうまく行けば、かなりの戦果を挙げられるだろう。遥か川の対岸に見える足利家の陣を眺めながら、義堯はほくそ笑んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして里見・千葉軍は一万をもって全力で攻勢を開始する。射かけられる弓に大軍であること、川の中であることが理由で身動きがとれない。次々と射抜かれていった。前方の部隊の有り様を見て、後方部隊は慌てて撤退を始める。しかし規律が乱れ、士気も落ちていた所に無理やり始めた夜襲でこうなっていては兵の統率が執れる訳がない。なりふり構わず逃亡する兵を叱咤する将たち。しかし残念ながらその声は恐慌状態の彼らの耳には届かない。

 

 大混乱の様子を見た義堯は、利胤に僅かな手勢を預け後衛を任せ先陣切って突撃を敢行する。足利軍の前衛はまともに戦闘も出来ず次々討ち取られていく。

 

「進め!進め!見よあの敗走する足利の弱兵を!もはや我らに敵う訳もなし。全軍進めぇぇ!」

 

「「「「応!!!」」」」 

 

 川は虐殺の場と化していた。その様はある意味興国寺城の戦いにおける今川軍よりもひどかった。首は捨て置かれ、遺体は川を流れていく。最前線では正木時茂が無双の槍を振るう。穂先が敵兵に触れた瞬間に敵兵は物言わぬ死体となって血煙を川にまき散らす。安西実元らの里見家臣もその剣を、槍を、戦斧を振りまわす。千葉家の家臣団とて負けてはいない。

 

 下総一の名門、千葉家の将が里見に後れをとるなど彼らのプライドが許さない。原胤清、原胤貞、高城胤辰、相馬治胤、豊島明重など里見家臣団にも負けない将たちがいる。千葉軍は里見家よりも兵数が少ないながらも奮戦する。彼らはかつて病弱な姫を侮って反乱が勃発した時にも利胤に従い続けてきた忠臣である。普段は意見の違いなどから対立しており、主・利胤の発言権も奪いつつあったが、それでも主への忠誠心は残している。たとえ自分と意見は違っていても、主が古河公方や関東管領との決別を決意したのなら、それに従うだけであった。

 

 古い名門、旧権力の代表として北条家に認識されている古河公方、関東管領であるが、彼らは所詮室町幕府の支配体制になってからの権力者である。対する千葉家は鎌倉時代、もっと言えば平安時代の武士団からの権力者である。その血の系譜は圧倒的である。本来ならば北条には敵対するのが普通であった。だがそれでも利胤は新たな力・北条家に未来を見出した。最初は反対していた家臣たちも、それを感じ同じ力に希望を見出すことにした。

 

 競争心から里見軍は益々奮起する。足利軍の戦線は完全に崩壊した。まさしく潰走という他はなかった。 

 

 

 

 

 

 

 関宿城では里見軍と足利軍の戦闘が始まる少し前に城門を開け放つ。まさか敵が万全の態勢で待ち構えているとは夢にも思わない。

 

「かかれぇ!」

 

 城将、梁田持助自らが指揮を執る。城門から一気呵成に出陣した梁田軍は一路真里谷家の陣を目指す。奇しくも里見軍とほぼ同じタイミングで真里谷家の陣に一斉に灯火が灯る。

 

「なんだと…!まずい、退け、退け!」

 

 一瞬にして梁田持助は状況を悟るが、軍は急には止まれない。先頭が止まろうとするも後ろから突き上げが来る。ゴタゴタしている状況など襲ってくれと言っているようなもの。元より数は真里谷軍の方が上。信隆はここまでは想定通り、と全軍に前進を命ずる。敵兵を殲滅しつつ、中央を突破。がら空きの城門を何者にも妨げられることなく抜け、城内に侵入する。かつては頑強に抵抗していた関宿城の郭群も誰も守兵がいなくては意味をなさない。瞬く間に占拠されていった。同時進行で城外に出ていた城の軍は次々と屍を晒す。間もなくして信隆の下に城将・梁田持助の首が届けられた。

 

 ホッと一息つこうとした信隆であったが、ここで義堯の言葉を思い出す。

 

「そうだ、里見殿よりの伝言である。関宿城には救援部隊が来るはずだ、と。警戒せよ」

 

 これにより、急遽真里谷軍は警戒態勢に入る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 一方、足利軍別働部隊として関宿城に向かっていた梁田晴助は燃え上がる火や煙を自らの居城に見た。これにより、少なくとも関宿城においての作戦は失敗したことを知る。しかし、ここで引き下がるわけにはいかなかった。そこで彼は、関宿城を攻略している敵軍(真里谷家の部隊)はおそらく攻略に夢中になっているはずだ、と考える。敵軍が夢中になっている間に、息子を見殺しにしてでも勝ちを得ることを優先することにした。その策とは単純で、関宿城の後方を素通りし、利根川を渡河し敵陣を急襲する作戦である。

 

 なお、梁田晴助は主・足利晴氏の軍と同僚の結城晴朝の軍が里見義堯によって敗走させられていることを知らない。関宿城は放棄して、連携して挟撃することにしたのである。そこで晴助はおそらく命は無いであろう息子のことを思い流れる涙を拭い去る。そして、彼が目指している地点には現在少数しか兵のいない利胤隊がいるのである。

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 一方、警戒し続けている信隆はおかしいと感じていた。いつまでたっても襲撃がないからである。

 

「殿、本当に襲撃はあるのでしょうか」

 

「ううむ……」

 

「もし襲撃が無いのでありましたら、里見殿の援助に向かうべきではありませぬか」

 

 その家臣の発言に対して信隆は考え込む。別働隊がいるのなら、既に関宿城の状態は把握しているのであろう。そのうえでなお来ないのはこちらの出方を窺っているからであろうか。だがそうする必要が敵にあるのだろうか。別働隊であるならそこまでの大軍ではないはずだ。少なくとも本隊より少ないはずである。敵の数は二万五千。たとえ四分の一であっても、こちらより多い。敵もこちらのある程度の数は把握しているであろうから、数の多寡は分かっているだろう。では、敵が来ない理由は何か。

 

 そこで、信隆はふと気付く。現在最も手薄な部隊は誰の部隊か。里見軍?最も兵数の多い部隊だ。千葉軍も合わさり一万はいる。自軍は兵数は多少減っていても二千弱。残る最後の部隊、千葉利胤の後衛部隊は……僅か二百。

 

「まずいぞ!もし敵がこの城を迂回していたら!」

 

「危ないのは千葉殿ですか!」

 

「それがまことなら、直ちに救援に向かわねば!」

 

「万が一のため、五百を残す。残る全軍で千葉殿の保護に向かう。直ちに反転。橋を渡れ!」

 

「「「「「応!」」」」」

 

 急遽真里谷軍は数百を城に残し、橋を渡り始めた。

 

 

 

 

 

 

 果たしてその予想は的中していた。梁田晴助の部隊は関宿城の真里谷軍に作戦通り気付かれないまま利根川を渡り、そこで利胤の二百の部隊を発見する。僅かしかいない利胤隊は、格好の獲物であった。梁田晴助は全軍に突撃を命じる。

 

 後衛部隊として気を張ってはいたため、利胤は襲撃にはすぐに対応できたものの多勢に無勢。次々利胤の護衛は討ち取られていく。息子の復讐に燃える梁田晴助は、攻撃の手を止めない。最後の一兵まで殲滅するつもりであった。

 

「姫様、もはや防ぎきれません。お逃げください、ここは我らが時間を稼ぎます。里見殿に合流すればお命を長らえられましょう!」

 

「そうです。我らにも限界があります。我らは千葉家の家臣。ここで果てるとも姫様のために死ぬならば本望!我が先祖や子々孫々も誉れとするでしょうぞ!」

 

 村上綱清、大須賀政常らの近衛の武将が次々と叫ぶ。利胤は、それに答えず、小姓に持たせていた刀を受け取り、抜き放つ。

 

「ここで逃げては関東の武門の名門、千葉家当主としての名折れ。里見殿なら勝利を掴めましょう。私一人の力など大したものではありませんが、せめてもの時間稼ぎを致します。退くわけには参りません」

 

 利胤は傍らにいた馬にまたがり、剣を構える。

 

「ごめんなさい。私が北条に付くなどと言わなければ…」

 

「姫様!」

 

 利胤の呟こうとした懺悔は宿老の一人、井田胤徳によって遮られる。

 

「我らは名誉と誇りの為に死ぬのです。そこに悔いはござらん!姫様は懺悔などなさらず、私の為に死ねとでも仰せになればよろしい!我らにとってすれば、それこそが一番の名誉なれば!」

 

「…そうね。それでは、行きましょう」

 

「「「いずこまででもお供仕ります」」」

 

 利胤の本陣にも敵兵が入りだす。病弱なその身を叱咤して、刀を振るう。その表情は、思わず梁田軍の兵がたじろぐ程悲壮であり、また鬼気迫る顔であった。共に戦う将兵も歴戦の強者揃い。それでもジリジリと押されていく。時間稼ぎの限界を悟った利胤は義堯と信隆に希望を託した。北条は自らの為に当主が戦死した千葉家を決して粗略には扱わないだろうという確信があった。

 

「関東八屋形、千葉家当主、千葉中務大輔利胤はここにいる!私の首が欲しければ取りに来なさい!」

 

 その言葉に多くの兵が群がり始める。彼女が死を覚悟したその時であった。

 

 

 

 

 

「千葉殿を死なせるな!全軍突撃!」 

 

 信隆の号令に雄たけびを上げながら、真里谷軍が突撃を始める。少数の兵に群がっていた梁田家の兵士は突然襲い掛かられ、大混乱に陥る。

 

「助かった…、の?」

 

「千葉殿、ご無事ですか!救援が遅くなって申し訳ない」

 

「い、いえ、助かりました」

 

 慣れない行動に疲弊している利胤は咳き込みながら、よろめく。それを馬に乗りながら駆けよった信隆が支える。

 

「申し訳ありません、お手数おかけしました」

 

「お気になさらず」

 

 両軍の当主が邂逅している間に、千葉軍に襲い掛かり、殲滅できる、勝てると確信していた梁田隊の兵たちは統率は崩れていく。千葉家の近衛も負けずに最後の力を振り絞り反撃する。真里谷隊によって崩れた戦列は立て直せず、梁田隊は壊滅する。梁田晴助はついに敗れたこと、息子の仇を討てなかったことに呆然としているところを周囲を真里谷兵に囲まれ、引きずり下ろされ捕らえられる。殺されなかったのは信隆の命令であった。今後交渉する際に使える材料が欲しかったのである。繰り返すが、まだ彼らは義堯の勝利を知らない。その上で交渉材料が必要だと判断している。

 

 かろうじて利胤の救援に間に合ったため、梁田晴助率いる別働隊が壊滅したことにより房総連合軍の勝利が確定した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 足利晴氏は愕然として、激しく後悔していた。敗戦。その文字が脳内に染みつく。なぜこうなった。即戦闘せず兵の士気を下げたこと、夜戦などという手段に頼ったこと、慢心、油断、情報の洩れ…。あの万全の備えは完全にこちらの情報が漏れていたしか思えなかった。これが風魔か。知っていたが、その力を侮っていた。それとも、自らの野望の為に、愛する妻の実家を攻めると決めたその時からか。野望に呑まれ裏切りを決めた罰か…。

 

 だが、晴氏はここで死ぬ訳にはいかなかった。馬に乗り、全軍に撤退命令を出したのち一心不乱に近習と共に古河城へ駆け始める。背後で死んでいく兵たちの断末魔を聞きながら、彼は馬を走らせ続ける。里見軍も深追いを禁じており、追撃してこなかった。自分たちの見た目が完全に落ち武者であることを自覚している晴氏は早く帰る必要があった。さもなくば落ち武者狩りにあう可能性がある。

 

 帰りたい。帰らなくては、帰らねばならない。古河公方としての地位も、その面目も、最初抱いていた野望も最早どうでもよかった。ただ、自らの城に帰り、彼女に会いたかった。自分の実家を攻めると聞いた時も、自分の武運を祈り、無理して浮かべた笑顔で待っていると言ってくれたその姿をもう一度見たかった。古河公方としては、間違いなく間違った想い。だが、それを自覚しつつも、彼はその想いを消せなかった。無事に帰れたら、北条に許しを乞おう。誇りも捨てて良い。あんな罵倒しかしてこない正妻はとっとと離縁してやる。北条に筋を通すためなら正当性があるだろう。たとえ古河城を追われても、二人でいられたら良かった。

 

 駆け続けた末に、何とか古河城にたどり着いた時、先に逃亡した家臣に敗戦の情報を聞き、顔を青くしながら城の家臣に止められるのも聞かずに待ち続けた彼女の顔を見た時、緊張の糸が切れた晴氏は馬から落ちる。泣きながら駆け寄り、着物が汚れるのも気にしない彼女に抱き締められた時、晴氏は疲労により意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして関宿城の戦いは帰結した。結城晴朝は降伏。梁田晴助は捕らえられ、足利晴氏は逃亡。関宿城の守将、梁田持助は死亡し、足利軍の将も多くが死傷した。二万五千の軍は四散した。対する里見・千葉・真里谷連合軍は要地、関宿城を落とし、夜襲をはねのけ大勝。足利軍死者行方不明者五千三百。里見軍死者行方不明者千二百。西の興国寺城で北条軍が大勝するのと時を同じくして、東の関宿城で里見連合軍が大勝する。関東管領の趨勢は着実に敗北に傾きつつあった。

 

 だが、河越城包囲部隊はこの事実を知らない。北条家の情報封鎖は完璧であった。

 

 古河公方、足利晴氏は、降伏の準備を始める。里見軍は兵をまとめ、更なる北上を始め、南常陸を荒らし始める。

 

 

 

 河越夜戦まで、あと十日。




次回、河越夜戦です。長かった。前半の山場です。これを迎えられたのも、皆さまの応援のおかげです。感想や評価に力を貰ってます。これからもよろしくお願いします。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。