「何、蓮夜の様子がおかしいやて?」
紫苑と桔梗から楊燕に関する相談を受けた張遼は、視線を楊燕の方へと向ける。その視線の先では、楊燕は木陰で昼寝の真っ最中だった。
張遼は今、同僚の呂布とともに董卓の使いとして益州へと赴いていた。そして、楊燕が離れている間に、紫苑と桔梗から悩みを打ち明けられていたところだった。ちなみに、呂布は璃々と一緒に愛犬のセキトと戯れていた。
「うーん、いつもと変わらんように見えるけどなあ」
確かに、楊燕の体の動きにキレが出てきているようで、先ほども張遼は完膚無きまでに打ち倒されたばかりであった。しかし、雰囲気は前より柔らかくなったようで、以前に比べて刺々した部分は感じられなくなっていた。つまり、張遼には特に問題あるようには見えなかった。
「でも、最近は昼間も寝てることが多くて、政務の方が少し心配なのよ」
「それに、どうやら夜中に出歩いているようじゃしのぉ。ただ、何も言ってくれぬがの」
だが、紫苑も桔梗も納得していない様子である。いつも一緒にいる二人にしてみれば、楊燕の行動パターンが変わったのだから当然である。
「あれやな、他所に良い女でも出来たんちゃう……ひっ!」
「あらあら、私に黙って浮気なんて、お仕置きしなければいけませんわ」
張遼がそう言った瞬間、紫苑の表情が険しくなる。それを目の当たりにした張遼は、思わず悲鳴を漏らした。
「ちょ、待ちぃや! まだホンマか分からへんやん」
「さすがに、ちと早計ではないか? まだ浮気と決まった訳では無かろう」
今にも寝ている楊燕に襲いかかりそうになる紫苑。さすがに放置できず、張遼と桔梗が止めにかかる。
「この間だって、あんなに愛し合ったのに……私というものがありながら……」
しかし、紫苑の機嫌は治まりそうにない。どうやら、この世界の紫苑はかなり嫉妬深いらしい。桔梗一人ならともかく、他の女に手を出そうものなら、一体どうなることやら。
とんでもない事を言ってしまった、と張遼は後悔するのであった。
※※※※※
現在の楊燕の状態が心配ではあるものの、夜な夜な抜け出して何をしているのかは、当然教えてもらえる気配も無い。楊燕からすれば、師の存在を固く口止めされているのだから当然なのだが、それが紫苑にはもどかしかった。紫苑からすれば、お互いに身体の隅々まで知った仲なのだから、秘密なんて作ってほしくなかった。そして、それは桔梗も似たような気持ちである。
となれば、彼女らの取る行動はただ一つ。それは、深夜に抜け出していく楊燕の後をつける事であった。
「一体、どこに向かうのかしら」
いつものように、深夜に抜け出した楊燕の後をこっそりと追うのは、紫苑と桔梗の愛妻二人と、後をつける事を提案した張遼。そして、もう一人……。
「なんや、恋も来たんか?」
「……何となく、面白そうだから」
意外なことに、呂布までついて来ていた。動物的な呂布らしい理由であり、面白そうという感覚で首を突っ込まれても困るのだが、それで言い争っていると、楊燕を見失いそうであった。なので、呂布の同行を認めざるを得ない。
「それより桔梗、貴方こそ大丈夫なの? お腹の子に何かあったら……」
「大丈夫だ。もう安定期に入ってるし、軽く運動もせねばならんからの」
少し目立ってきたお腹を愛おしそうにさすりながら答える桔梗。その間も、どんどん進んでいく楊燕。彼は後をつけられている事に気付かないまま、暗い森の中へと入っていく。
森の中だから、追跡は困難だった。近すぎたら気付かれる。しかし、離れすぎたら見失う。そんな時に役立ったのが、呂布である。正確にいえば、呂布の愛犬セキトであった。
「……セキトが、こっちって言ってる」
どうやら、楊燕の匂いを辿っているらしい。最初は犬を連れているのに難色を示していた一行だが、これなら見失う心配はなさそうである。
しばらくして、開けた場所に出た一行。視線の先には、すでに誰かと会っている楊燕の姿があった。
「どうやら、逢い引きではなさそうじゃの」
少しほっとした様子で、桔梗が呟く。しかし、こんなところまで来て、楊燕は何をしているのか。その疑問は、すぐに解消された。
彼女らの目の前で披露されていく、楊燕の剣技。恒例の、鍛練が始まったのだ。紫苑たちの気付かぬ内に、増していた楊燕の剣の冴えの秘密は、ここにあったのだ。
その卓越した剣捌きに、思わず見とれる紫苑たち。しかし、そんな楊燕ですら寄せつけず、圧倒していく外套の人物。その存在に、彼女らは戦慄する。
その時、鍛練の様子を見ていた呂布が、核心に迫る一言を呟いた。
「……師匠」