問1……『悲劇なくして喜劇は輝けないのか?』

三流の喜劇は一流の悲劇に勝ると人は言う。悲劇で涙を流した気分を、喜劇は晴れやかにしてくれるからだ。一流の悲劇は一流の出来だから泣きたくない観客も集まるが、三流の喜劇は三流の出来に過ぎないから、最初から笑おうと決めてる観客しか来ない。喜劇は悲劇あってこそ存在意義を得る。答えは〇。

問2……『ならば、一流の喜劇を見た人は、三流の悲劇を求めるのか?』

これは言うまでもなく×だ。三流の悲劇だけは誰も絶対に見たくない。
確かに一流の喜劇なんて、はたから見たらつまらないだけだろう。幸せに起伏はない。起伏がないから幸せだ。喜劇はすべて三流で、一流なんてものはないのかもしれない。
だけど、そこには楽しい時間があった。優しい空気があった。たとえそれが退屈な、スクリーンの向こう側の出来事だったとしても、見た人は確かに優しい気持ちになれるはずだ。そのあとにつまらない悲劇が待っていて、温かかった世界を無意味に壊される結末を迎えたら、作家の悪趣味に吐き気がするだろう。

泣いたままでは終わりたくない。犬死にしたままじゃ死にきれない。
犬死にさせたままじゃ、悔いても悔い足りないから。

過程がどれだけつらくても、最後に笑って終わりたい。

問3……「なあ、そうだろう、みんな?」



「月兎耳のべる」女史著「好きな人を幸せにする能力」(ハーメルン版:https://syosetu.org/novel/192518/、なろう版:https://ncode.syosetu.com/n8038fo/)の二次創作です。
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