Anima-Ability 好きな人を幸せにする能力   作:水銀@創作

6 / 6
 早朝の五時、山の稜線の向こうから太陽が顔を出している。
 帝国内地、とある平和な農村で、村人たちが牛の声で少しずつ起き出しはじめていた。戦時とは思えないほどのどかな空気感以外には特に取り柄のない場所だが、強いて特徴を挙げるなら、ところどころで回っている製粉用の風車が目立っている。

 そしてその中には、ただひとつだけ扉の開いた風車があった。

「……1470。……1471。……1472」

 風車の内側、差し込む陽の光の中でほこりが舞っている。木の歯車が回転する音に混じって、苦し気な声が響いていた。一人の少年が、異様に高い位置についた手すりに足を固定し、逆さ吊りになって腹筋を行っているのだ。
 おそらくこの村で、この時間帯に覚醒しているのは彼だけではないだろうか。彼の癖っぽい金色の髪がしっとりと汗で濡れ、脳天から直に滴り落ちた水滴で、木目の床には既に水たまりができている。

「1480。……1481!」

 カウントを取る息も絶え絶えだが、決して一秒一回のペースが落ちることはない。背丈と顔つきからして、彼はまだ十代になったばかりだが、裸の上半身には一切の贅肉がなかった。鋼鉄のように密度の高い筋肉で出来た屈強な肉体は、壮年の熊のような威圧感を発している。

「――クリスト。もうすぐお父さんたちが来るよ」

「……あぁ、もうそんな時間かい? ありがとうミーナ、少し夢中になりすぎたらしい」

「はい、タオルとお水。いつも通り置いておくからね」

「あぁ。もうちょっとで1500回だから、それだけやったら出るよ」

 扉の外から涼しい風を呼び込みながら入ってきたミーナは、慣れた様子でクリストのそばに水筒とタオルを用意して出ていった。クリストは急ぎ足で1500回までの端数を終え、逆さ吊りのまま熱い息をつく。手を伸ばして足の拘束を解こうとした時、机の上に置かれた新聞が目に入った。

「……昨日のか……情勢はどうなったかな?」

 まだ仕事が始まる時間ではなく、ミーナとクリスト以外に今日この風車に入った者はいなかった。よって放置されているのは昨日の新聞というわけだが、そもそもこの田舎の村には新聞が一日遅れで届くため、実際の日付は二日前である。



「――『スムーズ・クリミナル』」



 熱帯の海のように透明度の高い、緑がかった碧い瞳。男らしからぬ長い睫毛。鋭く輝く鷹のような眼光。それらを兼ね備えるのがクリストの目だが、彼が短く息を吸うと同時に、()()()()()()()()()()。一瞬の輝きが消えると、既に新聞が逆さ吊りのクリストの手に収まっている。

「『アリア=ディオルド、昏睡状態から回復』か……。()()()()()()()()()()()()()

 ミグルドとフリューゲル亡き今、アリアの安否は帝国人にとって最重要の情報である。一面を丸々使った大きな見出しを見て、しかしクリストに驚きはない。新聞を無造作に床に放り投げ、その手で足の拘束をはずして地面に降り立った。
 全身の汗をふきとり、黒い染みに変わるまで床の水たまりをタオルに吸わせ、長袖の上着を羽織る。すると、その一枚の上着に彼の屈強な印象は覆い隠され、ほっそりとした頼りない少年が出現していた。
 着やせというにはあまりに劇的な変貌である。まるで、最初から隠すことを前提とした筋肉の鍛え方をしているようだった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「今はつらいだろうけど……がんばってくれよ、カーミラ。僕も、自分にできる範囲でなんとかやっているから」

 アリアたち以外は知らないはずの固有名詞を呼び、クリストは風車の外へ出た。
 爽やかな風に全身をゆだねて涼み、そのまま村の道を歩いていく。朝早く犬の散歩をする老人、川上から流れてくる笹船。彼は日常とすれ違い、日常は同じく日常とすれ違ったと思い込んだ。

 日常は彼と反対の方向へ進んでいく。
 金髪の未知が目指す先を知る者は、この村にはいなかった。


カーミラの『メモリアルウィング』 その1

 子供にとって、親はただの親である。それが父親であれば、夜になったら家に帰ってきて、朝は自分より早く起きて仕事に行く姿しか子は知らない。母親であれば、三食を用意してくれて、自分が外で遊んでいる間に黙々と家事を済ませる姿しか子は知らない。

 つまり子供は、自分の世界の範囲内でしか他者を理解できないということだ。両親が仕事場の同僚や友人にとってどのような存在であるかなど、たいていの子供は考えもしない。親に『公人』という側面があることを知るのは、思春期以降のことだ。

 自分の仕事がどれだけ大変か、子供に分かってほしい親は多いと思う。だが、子供がまだ純粋なときから大人の世界を見せることを忌み、家の中では家庭人に徹する親も確かに存在するのだ。

 そして――私、カーミラ・ザ・ヴァンピールの父は後者であった。

 

「三度目の復活を遂げられたヴァンピール卿は、社会の近代化にとりかかった。これは、効率的な社会制度に裏打ちされた粘り強い国力と、質の高い教育によって育成された多数の優秀な人材を持つ敵国に対抗するための政策だ。これら数々の政策の中でももっとも重要なのが、十年前から始まった教育制度改革だが……」

 

「……おい、リュカ。気持ちはわかるが寝るな」

 

「んかっ!?」

 

 ここは、私が通う魔物たちの学校。教室内は明るいが、窓の外は月夜だ。

 魔軍の政治経済についての講義の時限である。隣に座っているリュカ・ライツは、退屈さに耐えかねて肘杖をついて目を閉じてしまっているが、若干瞼が開いて白目が見えていた。居眠りというより熟睡に入りかけている。あと十秒もすればいびきが部屋中に聞こえることだろう。

 親友に恥をかかせたくはない。私は机の端に鉛筆を配置し、さりげなく肘で転がして落として、それを拾おうとするふりをしながらリュカの耳もとで低くつぶやく。囁き声は案外聞こえてしまうものだ。ここは魔軍の中ではかなり格の高い学校で、居眠りは見逃してくれない。

 

「!? !?」

 

 『もうすぐ順番が当たる』という爆弾情報でも投下しなければ、熟睡した者はそう簡単に目を覚まさない。鼻提灯が割れてのっそりと現実に戻るようなのを予想していたが、リュカはなぜか肩を跳ねさせて瞬時に覚醒した。

 

(カ、カミィか? 今のは)

 

(あぁ、寝てるようだったからな。しかし、ノートの字もぐちゃぐちゃではないか。眠気と格闘した形跡がばっちり残っているぞ。あと、勝敗もだが)

 

 小声でも私語はばれるが、筆談は視線をちょっと動かすだけで足りる。リュカとこっそり話すのが私の楽しみでもあった。ちなみに『カミィ』というのは私である。ゆえあって本名は名乗れないので、家の外では『カミィ・ヴァンピィ』という偽名を使っているのだ。

 起きて以来、リュカはなぜかずっと顔を赤くしている。肌は浅く焼けているが、頬の紅潮を隠すには白すぎる色だった。鬼神(デーモン)族は生まれつき肌が白く、毎日のように太陽の光を浴びるリュカでもこの程度しか色がつかないのだ。

 

(貴様、どうしたのだ? からかってしまったが、具合でも悪いのか?)

 

 視界の端でリュカの手がためらった。

 

(お前の息がおれの耳にかかったからだよ。もうちょっとで叫ぶとこだったぞ)

 

(私の息? よくわからないが、病気でなければまぁいい)

 

(人間の言い回しを使えば、ある意味病気かもしれないけど)

 

 どうも煮え切らない。だが体調が悪いわけでないのなら深入りする必要もないだろうと、書きかけの授業のノートの行に私はペンを移動させる。すると、どこか不満げな気配をリュカが発した。

 不完全とはいえヴァンピールの体質を持つ私は、すぐ近くの者の感情を読み取ることができるが、その背景にある心理まではわからない。普通に会話していた相手が、ずれたタイミングで怒ったりすると誰でも戸惑うが、私の場合、なまじ表に出されなくても感情の動きが分かってしまうので常人よりそういう経験が多かった。リュカは特に私と話しているときだけ、唐突に拗ねることがけっこう多いが、すぐもとに戻るので気まずい空気にはあまりならない。話題をぐだぐだ引っ張らないのは、『怒ってるのか?』と聞いて原因究明できないということにもなるが……。

 

「まさに今この時、お前たちが受けている教育は、魔物・人間を含めた世界全体でも最高水準に近いものだ。魔軍への愛国思想を抱かせることで、我々の生存権を保証する国家への帰属を深める。これは従来通りの路線だが、過去の教育方針と比べて画期的な点が二つある。一つは、人間の学説を貪欲に取り入れた座学だ。広範な基礎能力を養い、万能な人材を育成するために、知識に優劣をつけず科学的な態度を身に着けさせるためのものだ」

 

 教師が言っていることは、大筋では間違っていない。だが、私にとっては無視できない誤りだった。

 『万能な人材を育成する』というのは、『戦略でも武術でもこなせる、文武両道の兵士を造る』というニュアンスだ。父が本当に求めているのは、民間レベルの識字率や技術力の向上、それによる国力の底上げである。魔軍は依然雑多な部族の寄り合い所帯であり、知識の地域差が激しい。田舎でも器具設備は手に入るのに、それを扱える者がいないので、まともな医療を受けられないという状況だ。また、未開の地の民族は自給自足の粗末な暮らししか知らないため、外から商品を買うということをしない。教育の質が上がれば、これら潜在的な需要を徐々に開発して、さらなる経済の発展を見込める。

 

 ……だが、そもそもの話、父が優秀な若者の将来を兵士に限ろうとするはずがない。もしそうなら、私は物心ついた時から、父に戦闘技術を叩き込まれていたはずである。なにせ私は、魔軍最強の戦士の直系だ。自分で言うのもなんだが、私以上に才能を見込める子供など存在しないだろう。

 だが、父が私の力を引き出そうとしたことは一度だってなかった。それどころか、私が一生力を振るわずにいることを望んでいた。『いつかお父さまと一緒に戦場に出たい』。私は何年もそう言い続けたが、決まってばつが悪そうに顔を背けるだけだった。私は純粋に父の役に立ちたいのに。

 

『親が軍人だったら、子供も軍人になるべきだなんて、ぼくは思わないよ。それに、自分の子供から職業選択の自由を奪うほど、ぼくの趣味は悪くない。今は、エリィと一緒に料理を作ってくれるだけでいいんだ。ぼくにはそれで充分すぎる。勉強すればいろんな道が見えるよ。決めるのは、この書庫の本を全部読んでからで遅くない』

 

 いつか聞いたこれが、父の本音だ。子供たちに広範な教養を学ばせることで、職業選択の幅を広げる。彼らのなりたいものが軍人であれ、医者であれ、画家であれ、それになるための道を開けてやる。ただそれだけなのだ。兵士の育成が最終目的であると解釈するのは、邪推ですらある。

 ……とはいえ、肝心の私に対してだけは、父は『職業選択の自由』とやらを認めてくれない。父が戦場に出るならそこについていく。母が厨房に立つなら料理を手伝う。私の自由意志で決めた進路は、『お父さまとお母さまの役に立つこと』なのに、それを受け入れてくれない。

 他の家の子供は好きにさせるのに、私だけ束縛するのだ。私はもう年頃の娘で、世間一般で言う反抗期である。お父さまは自分のことを私が見習うのを嫌がっているようなので、私はそれに反抗し、お父さまの考えを誰よりも鮮明に理解しようと努めている。

 魔軍の政治のことはそれなりに分かっているつもりだが、正直魔軍の将来などどうでもいい。お父さまの思考に近づこうとしていたら、いつのまにか理解していただけだ。

 

「もう一つは、人間へ敵意を抱くことを戒めたこと。人間は紛れもなく不倶戴天の敵だが、過剰な憎しみは判断を鈍らせる。魔軍の戦いは人間を倒して終わりではない。次世代を担う諸君には、魔軍の中核としての自覚を身に着け、実りある未来を築く役目がある。熱狂的に破壊するだけでなく、冷静に大局を見据えることを求める意思を、この方針から感じとることができる」

 

 これも違う。さっきのはある程度的を射ていたが、今回のは根本的に間違っている。

 人間を過剰に憎まないのは、魔軍設立当初からの父の基本姿勢だった。父が『魔王』と魔軍を樹立したそもそもの目的は、抑圧されていた魔物の権利を守ることだ。民の権利を守るために国が必要で、国をつくるためには独立戦争は避けられなかった。だがあくまでも独立のための戦いであって、最終目的は人間国家との対等な講和に過ぎない。

 魔物にとって、人間とは共存すべき他者でしかない。それが父の考えだった。だが、魔軍が何十度にわたって講和を申し出たというのに、帝国が交渉にすら応じなかったせいで戦争は慢性化。時が経つにつれてどんどん民衆の姿勢も過激になり、魔軍の本当の国是とはかけ離れた目的――『人間の絶滅』を目指して拳を振り上げる者が、愛国者としておおっぴらに称えられる状況である。

 帝国とは依然国力の差があったため、今までは父も戦意高揚のためにそういった風潮も黙認せざるを得なかった。だが、これ以上の過激化を許せばさらなる泥沼に陥りかねない。下手をすれば、魔軍が長年求めた帝国からの和平を、魔物自らが蹴ることすらあり得る。

 帝国は、トータルの国力で魔軍に勝る。民が熱狂的に帝国を憎むのは、つまるところ帝国の強さが怖いからだ。よって民衆の危機感が和らげば、その意識を人間との和平という本道へ回帰させることができる。そのために、ぜひとも魔軍を帝国以上の大国に育てなければならないというわけだった。

 

 教師の言う『大局』は、対帝国戦の大局でしかない。戦争が終わったらその先どうするかという発想はない。

 父は、人間と手を取り合って世界を再建する時がいつか必ず来ると言っていた。いかに早く、そして傷つかずにその時を迎え、建設の時代に移行するか。父にとってそれこそが、皆に考えて欲しいことなのだ。そんな父は一方で、私が政治について話すのを嫌がるのだが。

 

(なぁ……カミィ。お前、そんなにこの話が面白いの?)

 

(あぁ。興味深いよ)

 

 かじりついて講義を聞いていた私に対し、リュカは得体のしれないものを見る目つきだ。紙に書かれた文面も引き気味である。

 実際、つまらなくはない。考えることも突き詰めれば娯楽になるのだ。だが思考には触媒が要る。授業を聴くのはそのためだ。自分とは違う考え方を聞いたりすると、頭が勝手に反論を考えようと動いてくれるから。

 リュカは、授業そのものに大した内容を期待しているのだ。だから眠くなる。私は、つまらない授業にも自分で問題を見つけて頭の体操をやり、脳を柔らかくする者こそが優等生になると思っていた。私のように体操に熱中し過ぎて内容を聞いていない場合、それはそれである。

 

「そこの二人、何をやってる!」

 

「げっ」

 

 教師が目ざとく私たちの筆談を見つけた。露骨に私の手元を見ていたリュカのせいである。教壇からは最後列が一番目につきやすいことを計算に入れていない。

 なにも試験中ではないのだし、見つかったからといってどうということもない会話だが、絡まれても面倒だった。

 

「はい。あまりに興味深い内容だったので、つい話し込んでしまいました」

 

「……えっ!?」

 

 私の前の席にいるヒューゴ=シナプスが、突然はきはきと喋り出す。

 彼は私と同じく、飛び級で最上級生になってこのクラスに入ってきた成績優秀者だった。人間と精霊のハーフなので、この学校で唯一姓と名の間の記号を『=』と書くが、全学年で無遅刻無欠席の優等生であることから教師陣に好かれている。私にとっても、リュカと並ぶ親友である。学校で私の小難しい話についてこれるのは、こいつ以外いない。

 この三人で議論していたという設定の言い訳。ヒューゴと私はともかく、リュカは明らかにそういうタイプではない。だが先手をとられて追及の方法を失い、教師は口をとんがらせて引き下がるしかなかった。

 

「……そういうことならいいが、次からは見つからんようにやれよ。私も昔はよく手紙をまわしたりしたが、私語を見つけると立場上、何も言わないというわけにもいかんのだから」

 

「はい。気を付けます」

 

 笑いがそこら中で起こる。ヒューゴの機転に救われたリュカは胸をなでおろした。

 その後リュカはさすがに眠る気になれなかったようで、終わりまでまじめに授業を聞いていたが、休みを挟んだ次の時限ではいつもの調子に戻ってしまった。

 

 

 

 § § §

 

 

 

「あとは特に何も起こらず帰ってきました。リュカは下校までヒューゴに頭が上がらない様子でしたよ」

 

「そう。カミィもちゃんとお礼は言った?」

 

「えぇ、言いましたよ。彼からはお礼なんていらないと言われましたが」

 

 館に帰って手を洗うと、母エリザベートの寝室に直行した。今はベッドに横たわった母に人肌の白湯を飲ませ、今日あったことを聞かせている。こんな他愛もない話を聞いて何が良いのかは分からないが、母が聞きたいと言うなら聞かせる以外の選択肢はない。

 

「あぁ、そういえば、またリュカに遊びに行かないかと誘われましたよ」

 

「そうなの? いいじゃない。お友達と一緒にお出かけなんて」

 

「ダメですよ。リュカは昼間のアウトドアばかり誘ってくるんですから。お前もたまには太陽の光を浴びろー、とか言って……」

 

「そうね。でも、リュカ君も悪気はないのよ」

 

「わかってます。誘ってくれるのがうれしくないわけでもありません。ずっと断り続けるのも忍びないですが、さすがに命を賭けてまで遊びに行けませんよ。第一、こんな時期ではおちおち遊んでられませんから」

 

 言い切る前に後悔した。うっかり口を滑らせたせいで、母の表情が一気に曇る。疲労に青ざめた顔が熱っぽく、自分を責める目をして、ベッドデスクの上で握りしめた両手を見つめていた。

 母はこの半月、病に臥せっている。普通の病ではない。治る病気であれば父がたちどころに治している。直接力を分け与えてもいいし、負荷が大きいようなら、科学者としての顔も持つ父が薬を処方してもいい。それができないのは、母を蝕む症状の正体がANIMA能力であるからだ。

 もともと、母は人間である。詳しくは教えてもらえなかったが、なにかのきっかけで父と知り合い、魔物に生まれ変わって人類の天敵と結ばれた。本来ANIMAは精神の産物であり、発現させた時点で能力者は強い精神力を身に着けているものだ。精神力を持たない不適格者が力を持てば、それを制御できずに自らの魂を焼くことになる。父は、おそらく魔物となって大きすぎる力を手に入れたせいで、穏やかな精神に見合わない出力のANIMAを突然目覚めさせてしまったのではないかと考えている。

 

 母が精神を高ぶらせれば、その分病状は重くなる。ならば、母を安心させる以上の療法はない。本当なら学校だって休んで母の看病に専念したいところだが、それでは『自分のせいでカミィが学校に行けない』と心労を与えることになってしまう。私は普段通り学校に通い、そこであったことを聞かせてあげて欲しいと父から直々に頼まれていた。

 また、魔力の濃い土地にいることも、ANIMAを活性化させる原因となる。いまの母は、魔軍領奥深くにあるヴァンピールの城には居られない。現在私たちが仮住まいとしている館は、帝国との国境付近の山の中にあり、魔物の領土でこれ以上魔力の薄い場所はない。……しかし、どうやらこの場所でもまだ魔力が多すぎるらしく、母は日に日に弱っていく一方だった。

 

「……お母さま。お湯が冷めてしまいます」

 

「……うん。ありがとう」

 

 私が気を遣えば遣うほど母はストレスをためるだろう。そういう辛さを吐露せずに、自分ひとりで抱え込む人だ。

 辛さを分かってあげるべきなのか、それともこのまま隠させてあげた方がいいのか。世の中の子供は、親にどういう言葉をかけるのだろう。

 

「ん、カミィ? 帰ってたのか」

 

「お父さま」

 

 『カミィ』とはもともと、両親が私を呼ぶ愛称だった。それが転じて、学校での偽名にもなっている。なので『カーミラ』と私を本名で呼ぶのは、たまに父と話すために家までやってくるベオ・ウルフという魔軍の将と、使用人ぐらいしかいない。

 

「知り合いに連絡して受け入れ先が見つかった。引っ越したばっかりのところ悪いが、三日後に帝国へ行く。準備をするぞ」

 

「帝国へ……?」

 

 確かに、ここ以上に魔力の薄い場所といえばもはや国境を越えるしかない。だが、我々が国内に入るのを軍がおとなしく見逃してくれるだろうか? 母ほど強い魔物が、素性を隠せるとも思えない。

 

「古い顔見知りでね。現在は放浪しながら闇医者をやっていて、帝国軍とのコネがある。最前線の帝国軍には、エルフだの竜人だの、亜人の魔物も多い。そこの病床を空けてくれるらしいよ」

 

「木を隠すならなんとやら、ですか?」

 

「そういうことになるな。エリィやカミィのことは魔軍でも一部しか知らない。二人なら長く滞在しても気づかれないはずだ。一応、どちらにも人間の血が入っているし」

 

「なるほど。お父さまは?」

 

「二人を送り届けたらすぐ帰るよ。帝国軍に顔も割れているし、居座ったらさすがにバレる。そうなったら知り合いにも迷惑をかけることになってしまうからね」

 

 つまり、自分と母だけで敵国に滞在することになる。『知り合い』とやらが融通してくれるのだろうが、不安はぬぐえなかった。

 

「わかりました。……お母さま、大丈夫そうですか?」

 

「うん。もともとは私もあそこの国民だから。里帰りみたいなものよ」

 

 嘘だ。母に帝国への愛着などない。でなければ、こうして父といる辻褄が合わない。もちろん父を悪く言うわけではないが、同族に酷い仕打ちを受けでもしなければ、ただの人間が人類そのものの仇と子供まで作る訳がない。帝国、ひいては人間に対しては、母はきっと暗い気持ちしかないだろう。今日まで両親のなれそめを詳しく聞かなかったのは、それを思い出させないためでもある。

 しかし、母がこう言っている以上私は口出しできない。もしかすると、本当に自分のルーツを確かめることに興味を持っているのかもしれないから……。

 

「じゃあ、さっそくその知り合いに会って来る。二時間ほどで帰るよ。カミィも今から荷物をまとめておいてくれ。悪いが、しばらく学校には行けない。登下校の度に国境を越えてたらさすがに危険だ」

 

「えぇ。構いません」

 

 カーテンと蓋で厳重に遮光された窓を開けると、真夜中に雨が降っていた。横殴りの暴風雨が容赦なく部屋の中に入り込もうとするが、見えない膜に阻まれて部屋の中には入ってこない。それどころか、音すら完全に遮られていた。

 

「ちゃんと薬を飲むんだぞ。いいな?」

 

「分かった。いってらっしゃい」

 

 窓のへりで翼を広げ、父は雨の中へ飛び立った。厚い雲を一気に突き抜け、あっと言う間に見えなくなる。母が小さくせきこみ、私はあわてて窓を閉めた。

 

「私が薬を取ってまいります。少し待っていてください」

 

「いいわよ。メイドに頼むから」

 

「私がやりたいのです」

 

 空になったコップを下げて廊下に出た。この屋敷はどこかの貴族が避暑地にしていたらしいが、大きさはお父さまの城の五十分の一にも満たない。ろくに調べる時間もなく買い取ったにしては、なかなか悪くない住み心地だった。お母さまの病を治したら手放すのがもったいない。

 

「……ん? どうしたのだ、貴様ら」

 

 玄関の前で、使用人が三人固まって不審そうな顔を突き合わせていた。今この屋敷で彼らに命令を出せるのは私だけだ。放っておくわけにもいかず声をかけた。

 

「カーミラお嬢様。なにやら、雨宿りさせてほしいという者が門の前に……」

 

「……なんだと?」

 

 ここはろくに人も通らないような山奥である。だからこそ父はこの屋敷を選んだのだ。私たちの素性を嗅ぎつけたとも思えないが、少しきなくさい。なにしろ真夜中で、父が出かけた直後だ。

 

「……旅人がこんな時間に、しかもこんな場所にか? 怪しいな。庇くらいなら貸すが、建物の中には入れられないと伝えてくれ」

 

「はい」

 

 使用人が扉を開ける。次の瞬間、衝撃が使用人を巻き込んで扉を突き破った。分厚い金属製のドアが、ベニヤ板のようにへし折れて壁に激突する。

 

「――!?」

 

 押しつぶされた使用人が、背中側の扉に大きな血痕を残してずり落ちる。肉体が白く変色し、細かい粉末に変わっていった。

 がら空きになった玄関からぬっと現れたのは、蒼い髪をした人間の男だ。鎧を着ているが軽装で、冒険者の普段着の域は出ていない。青白く発光する斧を持っており、左目は同じ色に発光している。

 

 ――人間のANIMA能力者だ。

 

「お前は……カーミラ・ザ・ヴァンピール、でいいのか?」

 

「……ッ!? 誰だ、貴様は!?」

 

「否定しないか。なら、ここにいる奴らは皆殺しでいいってことだな」

 

 腰を抜かした使用人を一瞥し、手首の軽いスナップだけで斧を振るう。目の前で二人が両断され、同質量の(ソルト)に変わった。さっきまで生きていたのに、三人が三人とも命を奪われた。

 なぜここを、私の名前を知っている? 誰から情報を聞かされた? 疑問はいくらでも浮かんでくるが、こいつを放っておけば、恐らくお母さまが死ぬ。殺される。

 

 私がやるべきことは一つだ。

 

「かぁッ!」

 

「!!」

 

 結論は頭より先に身体が出していた。まっすぐに男の急所めがけて蹴っていた。

 いつかこういう時が来るのではないかと思った。今まで独学で鍛えたのはきっとこのためだ。

 

 私しか、母を守れない。

 

「へぇ。鋭いじゃないか。さすがにヴァンピールだな」

 

「……今すぐ帰れば見逃してやる! お母さまに手を出すな!」

 

「ハッ、既にお見通しかよ! だがお断りだね!」

 

 男は斧の刃で蹴りを受け止めて、体勢を崩した私の腹に、お返しとばかりに拳を入れる。筋力そのものは自信があるが、実戦など初めてだ。一瞬視界がぶれるのを無視し、一歩引いた。

 

「……う……」

 

 気分が落ち着くと、鈍い痛みがこみあげてくる。そして、恐怖だ。こいつは母とは違う、本物のANIMA能力者の戦士なのだ。

 長年空想してきた戦いは、空想の中とはまるで違っていた。殺すか殺されるかの戦いとは、ほんとうに、殺すか殺されるかの二択しかなかった。世界がこんなにも殺伐と、容赦なく牙を剥いてくるものだと知らなかった。

 

 ――殺せるのか? 私は、こんな奴に勝てるのか?

 

「シッポ巻いて逃げれば、見逃してやってもいいぜ。母親さえ殺しちまえば、どうせすぐだ」

 

「……お母さまは、殺させない……!!」

 

「殺すさ! ――お前らみたいな生き物に、二度と子供なんか作らせてたまるかよ!!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが切れた。

 私はヴァンピール。ちょっとやそっとの傷では死なない。だがこいつはただの人間だ。怖気づきさえしなければ、生物としての差で押し切れる。

 

 獲物の長さを逆手にとり、懐に飛び込んだ。

 二本の爪を伸ばして尖らせ、迷いも振り切る速さで両目めがけて突進させる。

 

「く――!!」

 

 会心の攻撃だったが、顔をのけぞらされてしまい、瞼を浅く斬っただけだった。

 外れたことで私は焦った。それが間違いだった。攻撃は失敗して当たり前、次の手を前もって考えておかねばならないのだ。

 

「がッ!?」

 

 胸の骨を鈍い痛みが突き抜けた。男のANIMAは青く光る斧である。柄の部分だけを発現させ、逆手に持って殴りつけたのだ。

 今度は、しかし、私も立ち直るのが早かった。すぐにきっと顔を上げ、柄を持った腕をねじりあげ、思い切り膝を入れてやった。音が響いて、脂汗が間近の男の顔ににじむ。

 

 今だ。

 

「く……うおおおおおおおッ!!」

 

 ねじり上げたままの腕を、両手で持つ。あまりにつたない攻撃に自分が情けなくなるが、満身の力をこめて関節を逆に押しこんだ。思ったよりたやすく限界が訪れ、右腕をへし折ることに成功する。とどめに骨の外れた場所めがけて、ガンガンと何度も殴りつけてからまた蹴りを入れ、反動で遠ざかる。

 

「うっぐ……! この野郎……!」

 

 凄む男の表情は、まぎれもなく予想外の反撃に怯んでいた。

 これはいけるのではないか。そう確信した時、背後から鋭い声が飛んできた。

 

「カーミラ様! 逃げてください!!」

 

「ッ、バカ……!」

 

 バカ、逃げろ。咄嗟に振り向いてそう叫ぼうとしたが、視界の端で青く光る気体が男の左手に集まった。憤怒のままそれが振り下ろされる。

 だが間合いが遠い。当たらない。そう高を括った私の横から、何かが飛び跳ねて床に転がる。

 

「……え……?」

 

 いきなり、重心が変わった。自分の肉体から重量がごっそりと減った実感が襲う。床を見て、そこに落ちていたのは誰かの右腕。私の右肩から下は、消え失せていた。

 

 自分の腕がどこへ行ったのか、すぐには分からなかった。

 

「……う……あ」

 

 激甚の痛みが全身を震わせる。膝をつき、どさりとうつぶせに倒れてしまった。

 起きろ。起きろ。こんな痛みがなんだ。痛いのは今だけだ。このぐらい、すぐに治る。

 

「っ、こんな奴に『シャッタードスカイ』を使っちまったか。だがもういい、寝てろ」

 

 最後に残ったのは、男が後頭部を勢いよく踏みつける感触だった。

 震盪を感じる暇もなく、私の意識は暗い闇の中に落ちていった。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。