Act.1 前兆、悪夢の始まり
ハイブリッド車を含む、化石燃料車は世界中の道路から徐々に徐々にと姿を消しつつあるが、完全に死滅してはいなかった。
"彼ら"には、まだ『サーキット』という舞台が残されていたからだ。
自動車やバイクを取り扱った『モータースポーツ』では、今もガソリンが燃やされてエンジンは動き、排ガスが
一方、極東の島国・日本国では法改正がなされ、16歳から普通自動車免許を筆頭に自動車だけでなく重機、航空機、船舶など様々な乗物の運転免許の取得が可能となった。
これはその中で自動車と自動二輪車、そして戦車を駆る少年少女たちの青春の物語である―――――。
* * * * *
黒森峰学園は戦車道、学生モータースポーツの名門校というだけあって設備や環境は充実している。
戦車道は訓練の真っ最中だ。広大なフィールドを機甲科自慢のドイツ戦車の軍団が統制された隊列を組んで前進すれば、砲塔から放たれた"矢"は標的を確実に射抜いてみせた。その動きに一切の迷いは見られない。
撃てば必中
守りは堅く
進む姿は乱れなし
鉄の掟
鋼の心
それが黒森峰に浸透している西住流戦車道。
統制された陣形で、圧倒的な火力を用いて短期決戦で敵と決着をつける単純かつ強力な戦術。
黒森峰が強豪たらしめる最大の理由でもある。
―――――それからしばらくして、日が傾きはじめたところで今日の訓練は終了した。
「………では本日の訓練はここまでとする。なにか質問のある者は……………いなければ解散とする。では解散、みんなご苦労だったな。ゆっくり休んでくれ」
『『『ありがとうございました!!』』』
隊長の西住まほの号令のもと、機甲科生徒たちは解散して帰宅の準備に入る。
そんな彼女たちの耳に少し離れたところから甲高いエキゾーストノートが響く。戦車のものとは違うそれが何かを彼女たちは知っていた。
「モータースポーツ科の人たち、まだ練習やってるんだ」
「流石にもうそろそろ切り上げるでしょ。走ってるのは台数からして3、4台ってところだし」
音の正体はモータースポーツ科のレーシングカートによるものだった。練習用の小さなサーキットではモータースポーツ科が毎日レーシングカートや、日によっては二輪の
「それに確か今週でしょ? スーパーフォーミュラ・ハイスクールの開幕戦」
「確かもてぎだよね? その日特別なんにも予定ないし、観に行こっかなぁ」
「私はいいや。結果だけ分かればそれでいーし」
生徒の一人が言うように、今週末学園艦は内地に寄港し、モータースポーツ科のスーパーフォーミュラ・ハイスクールのチームは同選手権の開幕戦の舞台である栃木県にあるサーキット、ツインリンクもてぎへ向かう。
同じ学校のチームが出ることもあるので応援しに観戦する者もいれば、わざわざサーキットへ足を運ぶことなく自宅でネット配信で見る者もいれば、端から興味もなく結果さえ分かればそれでいいという者もいた。
すると生徒の一人が辺りを見渡し、ある人物の姿が見えないことに気づく。
「あれ? そういえば副隊長は?」
「解散したあと真っ先にサーキットのほうへ行ったよ。ちなみに
「あー……なんていうかほんとに
「ま、実際お似合いなんだし、いいんじゃない?」
「あーあ。私も彼氏欲しいなぁ……」
「整備士の誰かにでも声かけてみればいいじゃん」
「うーん、そうだけど……」
「私は今はいいや。戦車道と大会のほうが大事だし、終わってからでも遅くないと思うし」
「それ、典型的な乗り遅れるパターンの思考よ」
「う、うるさいわね!!」
「はいはい、ムキにならない」
機甲科生たちの年頃の女子らしい会話に花が咲いていた頃―――――練習用サーキットではレーシングカートによるトレーニングも終わりが見えてきた。最後の一台がピットに戻り、エンジンを切ってガレージへと収めていく。マシンからドライバーはヘルメットとバラクラバを脱ぐと、垂れ下がった前髪をかき上げる。
「来牙くん。はい、これ」
黒森峰学園モータースポーツ科1年の
「ありがとう、みほ。そっちの練習はもう終わったの?」
「うん。今日はいつもより走りこんでたね。そういえば、今週末だったよね? 開幕戦」
「そっ。現地でもフリープラクティスの時間はあるけど、どんな時でも走れるうちは走っておかないと気が済まないんだ」
「熱心なんだね。私もそれくらい戦車道に打ち込まなきゃいけないのに………」
来牙の練習熱心さに感心する一方でどこか暗い表情を浮かべるみほ。
そんなみほを見かねた来牙は彼女の頭を優しくポン、ポンと撫でる。
「みほ。いつも言ってるけど一人で背負い込む必要はないんだ。君は君らしく堂々としてればいい。君のことを
「そうだ。みほはみほらしく振舞えばいいんだ」
「あっ、お姉ちゃん。それに太牙お兄さんも」
みほが振り向いた先には姉であるまほと来牙の兄である逢雪
「お互い、大会と選手権10連覇がかかった大事な年でもあるんだ。重圧はかなりのものだが、だからこそ一人で抱え込まないでお互いに支え合っていこう。俺がまほを、来牙がみほを………逆もまた然りだ」
「太牙お兄さん……うん。そうだよね。お互いに支え合っていこうって、あの日から約束したもんね」
「……言っておくけど兄さん、SFHは」
「その先は言わせん。俺には10連覇と同時に
「黒森峰のドライバーが10連覇を達成するならわざわざ同じ人間である必要はないんだろ? だったら俺が10連覇目を決めるさ」
血のつながった兄弟であると同時に
その様子にみほは苦笑いし、まほはいつものことだと言わんばかりの「もう慣れた」表情だった。
そんな兄弟と姉妹の様子を少し離れたところから見ていたのは同じくモータースポーツ科1年のドライバー6名であった。その表情は共通して"面白くなさそうな"顔を浮かべていた。
「ちぇっ、相変わらず見せつけてくれるよなー。あの兄弟と姉妹」
「ドライバーなら俺たちもおるのになー。全く見向きもせえへんもんなぁ」
「しょうがないだろ。SFHはあくまであの2人なんだし、箱には興味ねえーんだろきっと」
「それはそれで寂しいよ。せめて『頑張って』の一言くらいあってもいいような気はするけど」
「やめとけ。そんなもん期待するだけ無駄だ」
「それに、別に女子からチヤホヤされたくてやってるわけでもないしな」
順に、明るくお気楽な
奈良県出身の関西人の
斜に構えた喧嘩っ早い
最も温厚と言われている
冷めた態度の
偏屈で素直になれない
彼らもまた黒森峰を代表する高校生レーサーであった。
「2輪の二人もじきに切り上げてくるよな?」
「いやもう先に終わってるやろ。いまさっき更衣室に向かってるの見かけたし」
「今日は俺たちがサーキット使ってたし向こうのほうがトレーニングメニュー終わるの早かったんでしょ」
「んじゃ、俺たちもさっさと着替えて帰ろーぜ。あーもう、スーツで汗ビショビショだよ……」
6人は更衣室で2輪競技に参戦している2人と合流した。
「よっ。お疲れージン」
「おう、お疲れ」
「お疲れさん、鷹。ここにはもう慣れた?」
「お疲れ様。うん、おかげさまで」
"ジン"のあだ名で呼ばれている
真面目だがどこか抜けている
この1年生2人が今年の黒森峰学園のレーシングライダーである。
こうして集ったドライバー6名、ライダー2名の計8名がレーサー繋がりでつるんでいるグループである。
8人が着替え終わって下校しようと正門まで歩を進めると数人の女子が待っていた。みな見知った顔であった。
「あれ、赤星さん。それに他のみんなも。先に終わって帰ってたんじゃなかったの?」
「はい。だからここで阿平さんたちを待ってたんです」
「全く、どんだけ待たせるのよ。待ちくたびれたわよ」
「だったら先に帰ってればいいだろーが」
「何よ! 人が待ってあげたのにその言い草は!」
「別に頼んだ覚えもねーよ」
「まーたやってるよこの2人は」
「喧嘩するほどなんとやら、てか?」
「もーいいからさっさと帰ろうぜ……こちとら疲れてるし」
8人を待っていたのはいずれも機甲科1年の女生徒たちであった。
優しい性格から密かに男子からの人気のある赤星小梅
銀の長髪とキツイ性格が特徴の逸見エリカ
そのエリカと同じ戦車に乗るチームメイトで二分けヘアーのほうの井上佳音、ポニーテールのほうが中村李子
エリカの幼馴染である楼レイラ
願掛けと履帯破損に定評のある小島エミ
アホ毛が特徴的な
後に某超重戦車の車長を務める
眼鏡をかけた三上スミレ
機甲科生徒の中ではレーサーである彼らとは同じ1年生同士ということもあってか特に絡むことの多いメンバーである。
「そういえば今度の寄港日、飛澤くんたちは現地観戦するの?」
「んー、そう言われると特に俺たち何にも言われてねーんだよなぁ……パドックで見るにしても邪魔にならないように立ち回らねえとなんねーし」
「どうせ邪魔者扱いされるに決まってる。おとなしくスタンドで見るのが賢明だ」
「そこまで卑屈になることないんじゃない? 乙成くん」
「俺むしろ前座のレースだけ見れればあとどうでもえーねんやけど」
「いやよくないだろ!」
「だな。よほどのことがない限りあの兄弟負けることはないだろうしな」
「何だかんだで実力は認めてるんだね」
「まあ負けてくれたほうがこっちにも評価されるチャンスが廻ってくるからそのほうがありがたいんだが」
「荒浪くんぶっちゃけすぎだよ……」
帰路につきながらどこにでもいそうな高校生の仲良しグループのように会話に花を咲かせる一同。
誰も直接口には出さなかったが、その顔を見るからに楽しさが伝わってくる。
「……ふふっ」
「赤星さん?どうかした?」
「いいえ。なんでもありませんよ」
「そう?」
この時、メンバーの中で小梅はこんなことを思っていた。
"こんな楽しい時間がずっと続けばいい"
と。
―――――だがこの時彼女も、他の者たちも、こうした日々が
思ったほど絶望感、悪夢感感じられない……反省