ナザリック、避けて挑まぬボウケンシャー 作:ペドリアン・アルシェスキー
自領の収穫作業を終えた後、エルシオンは帝都にて再び騎士見習いとして剣の鍛錬と、そして戦争の準備に励み始めた。
王国へと侵攻する戦争を何故行うのか、騎士見習いたちはそこまで深く考えてはいなかったが、戦争に先立って帝都外れに存在する麻薬の更生施設の見学へと連れられた騎士見習いは現実を、一部民の惨状を目にした。
王国からは既に多種多様な麻薬が帝国内に流入し、多くの者が麻薬によって人生を狂わされ始めていたのだ。
麻薬に溺れ、金のために子供たちを売り払った者。
人の区別さえつかなくなり、子供に手をかけた者。
妻を、子供を、娼婦とさせてまで麻薬を欲した者。
重症者に対しては近づくことすら許されなかったため、麻薬の後遺症から脱しつつある軽症患者からの話を聞いただけであったが、それは騎士見習いたちに王国への反感を持たせるには十分すぎる現実であった。
ましてや王国は貴族などの裕福層まで麻薬に侵され、果ては王子に至るまで麻薬を出自とする金に手を染めている。
王都に限らず、王国は麻薬を資金源とした組織に実体経済を半ば乗っ取られつつあり、有効的な手を打たずに沈黙しているのが実情なのだ。
「――先輩。王国は、こんな……こんな鬼畜にも劣る所業を本当に許しているのですか?」
一人の騎士見習いが、麻薬への怒りに言葉を震わせながら案内をする正騎士に問いかける。
「ああ。皇帝陛下と皇太子殿下は麻薬撲滅のため、国を超えた協力体制の構築を内々に申し出たのだけれども、断られたんだ。『王国では麻薬の栽培など許してはいない』、『何の故あって帝国は王国の国としての名誉を穢すのか』ってね」
「そんな……このような犠牲者が帝国でも出ているというのに……」
もはや面子を気にしている状態ではないのは明らかだ。
けれども、王国は現実から目を背け権威を着飾ることを優先した。
「だから国の長期的指針として帝国は王国を打ち倒すつもりでいる。麻薬による汚染から帝国を、帝国民を守るためにね」
「当然です、こんなこと許されていい筈がない……」
そう応える騎士見習いたちの目には、ただ自らの立身出世の為だけでなく、帝国を、帝国民を守る為に自分たちが戦うのだと、正義の怒りに満ちていた。
「王国は腐り果てているんですね……」
その点はエルシオンも同様であった。
自分が守ると誓った無辜の民、彼らにこのような明日をもたらしてはいけないのだ。
未来からの知識の一端として王国に麻薬組織がはびこっているのは知っていた、けれどもエルシオンは麻薬というものの現実を知らなかった。
このような哀れな被害者を生み出し、中毒者と変え、食い物にする組織。
そしてその出自を知った上で麻薬による金に手を出し、享楽にふける者たち、なんとおぞましいことか。
少年ゆえの純粋さが、王国を唾棄すべきものとして、滅ぼすべき存在として認識させる。
王国の兵に刃を向ける事への抵抗を失わせていく。
「そうだ、だから戦争には勝たなければならないんだ、みんな分かったな?」
「「「はい!」」」
騎士見習いたちの声から迷いは消え、決意に満ちている。
以後、戦争への準備を精力的に騎士見習いたちは励んでいった。
そして数週間後、帝国軍は王国との戦争の準備を終えた。
戦場は王国領江・ランテルの程近くを予定している。
王都よりは若干帝都アーウェンタールに近い場所となるが、それ故に地の利は帝国にある。
勝つ気を漲らせ、帝国軍は出立した。
「エルシオン、大丈夫ですよね? 怪我とかしないですよね?」
エルシオンはもう居ないと分かっていながら、アルシェはアガルタ邸を何度も訪れてはアガルタ家の家宰を相手に心配を口に出す。
戦いの数週間前から、エルシオンの雰囲気は少し怖いものとなっていたからだ。
それは、エルシオンが麻薬の現状を知った故のことなのだが、流石にアルシェに麻薬の惨状を知らせることをエルシオンは躊躇い、口にすることはなかった。
しかし、それ故にエルシオンのことを余計に心配するアルシェ。
友人との集いにおいてもエルシオンへの心配を事あるごとに口にする、そんなアルシェに、貴族の令嬢である友人の一人がお茶会の解散の間際に囁いた。
「ねぇ、アルシェ。最近取り寄せた心配事がなくなる良いお薬があるのだけれど……秘密にしてくれるのなら一度使ってみない?」
「え?」
翌日、毎日のように行っていたアガルタ邸への訪問をアルシェは取りやめる事となる。
囁きが人の皮をかぶった悪魔の罠であるとは、今のアルシェには知る由もなかった。
「フルト家の令嬢が蜘蛛の巣にかかりました、薬を使い始めたようです。程なくして、我らの手に落ちるでしょう」
「はは、エルシオンは剣の才能に溢れた神童とは聞いていたが、その想い人までは天才ではなかったようだな、あとは……」
「ええ、我らの思うがままでございます」
帝都を蝕み始めた闇が人知れず動き始めていたのだ。