呪詛師、伏黒恵   作:砂漠谷

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呪物購入シーンは読み飛ばしてOKです


嫌悪、釘崎野薔薇

「なかろう……台詞が途切れてしまったな」

 

 咄嗟に考えた策、その要である大蛇の毒が効かなかった。宿儺は大蛇に噛みつかれ、影に引きずり込もうとしている足を気にせず、もう片方の足だけで体を支える。蛇喰蛇の爪や牙が四肢に食い込むのも構わずに俺と無理矢理の握手をし、宿儺は俺が印を結ぶのを封じた。

 

「おい、小僧……ああオマエじゃない、俺の中にいる奴の方だ。オマエが少しでも出てこようとすればコイツを殺す」

「……喉笛を噛み千切れ!」

 

 一瞬自死も視野に入れた。結局虎杖ごと殺す気で蛇喰蛇に指示したが、しかしその直後に、宿儺は指一本動かすことなく蛇喰蛇をバラバラに寸断された。大蛇も口腔内をズタズタにされて破壊されそうになったので解いておく。

 術式……いや御三家秘伝の領域対策を応用したのか?兎に角これ以上俺に出せる術はない、ここですべきことは、

 

「五条先生!」

「う~ん、まあ及第点かな?『蒼』」

 

 “最強”に助けを求めること、だ。

 

 術式が発動した瞬間、宿儺“だけ”が五条先生の方に吸い込まれた。宿儺だけとはいえ当然腕を捕まれている俺も引きずられそうになるが、その直後に、宿儺と俺の間に何かが挟み込まれたように手が外れた。

 

「ま、赤点を取っても満点を取っても上層部から追っ手が来るんだけどね、僕がまともに報告する訳ないけど」

「クソッ、呪術の呪の字も知らないような小僧にこの俺が押さえ込まれるなど……」

「……あ、うん、うし、戻った。伏黒、大丈夫か?コイツに殺されそうになってたけど」

 

 虎杖が自分をさしてそう言う。指さされた宿儺の体からは呪印が消えかけていた。宿儺の意識の浮上と呪印はどうやら対応しているようだ。

 

「ああ、まあ死にそうではあったが運良く……」

「はい終了、伏黒君は帰っていいよー、虎杖君はー、ちょこっとこっち向いて」

「うん、何s……」

 

 五条先生が虎杖の頭を小突くと虎杖の体から力が抜け、倒れたところを五条先生が支えた。

 

「何したんですか」

「ん?企業秘密。彼は持ち帰って扱いを検討するから君はもう帰っていいよ?もちろん指の一億は取ってこれなかったからナシね」

 

 一億は別にいい……と言っていたが、たとえ欲してなくても逃げた魚はデカい、惜しく感じる。いや、いまはそれよりも。

 

「そいつは……虎杖はどうするんですか?」

「どうしたい?」

「どうしたいって……正直、そいつが善人なのかわかりません。俺の指示に従って呪霊の誘導をしてくれましたが、自分の善意で俺に従ったのか、それともただ人の指示に従うしか能の無い馬鹿なのか。でも、もし善人だったとしたら生きてほしいです」

「相変わらず面倒臭いね、ま、僕に任せなよ」

 

 そう言って虎杖を背負い、俺から背を向けた。

 その背中に俺は大きく息を吸い、声を掛ける。

 

「助けてくれて、ありがとうございました!」

 

「あれは助けたんじゃなくて宿儺を捕獲しただけ、だからね」

 

 そうだ。呪術師が呪詛師を助けるなど、あってはいけないことだ。そういうことに、しておかなくてはならない。

 

 その後、東京郊外の自分の拠点に帰り、布団に入った。布団を被る時には、もう朝になっていた。足の骨の罅は海外産の副作用の強く高価な霊薬を飲んで治療した。これから忙しくなる。ギプスをはめて治療している暇はない。

 

 数日ほどすると、宿儺の指に一億を掛けるという情報が呪詛師界隈に広まっていった。俺が仙台に行った時には情報はほとんど広まっておらず、俺のような呪術師とのコネを持つ人間か、鶴瓶さんのような情報通しか知らなかったため、争奪戦という状態ではなかったが、今は多くの呪詛師が一本一億という金に釣られ、協力し合いつぶし合い裏切り合いの戦略が各地で繰り広げられている。

 今のところは争奪戦による一般市民の死者は出ていないようだが、いつ巻き添えが出るかわからない。一般市民の被害を躊躇しないような、特に悪質な呪詛師の行動を妨害し、可能なら殺害すること。それが俺の今の目的だ。

 まあその為には戦闘用の呪具呪物の準備や、術式の精度や戦闘技能の向上が必要なのだが。

 

 そして前者、呪具呪物を購入するために訪れたのは、ここ、食べ処“小鳥箱”……の二階にある置物屋だ。名前は下の店名と同じコトリバコだが漢字が違う。“児盗匣”……非術師やオカルトの知識が浅い者にもその不吉さがわかる字面だ。

 店内に入ると、壁は呪具や呪物が並んだ棚で覆われているからわからないが、天井や床は呪力の漏洩を抑える呪符で覆われていた。

 そしてカウンターには、店主である呪詛師、金切静がいた。

「おいーっす、伏黒っち」

「失礼します、静さん。いつものお願いします、あと霊薬も」

「ふーい、霊薬に術式浮上薬一丁!」

 

 店の中には俺と彼女しかいないが叫ぶ。これが彼女のルーティーンらしい。叫んだ後に自分で店の奥に入って商品を取ってくる。

 彼女の術式は“蟲毒”、生物を殺し合わせることで呪物を作成できる。

 繁殖力の強いゴキブリや鼠を育成した後に、結界の内側で殺し合わせる。これで二級までの呪物なら作成出来るようだ。

 そして何を注文しているのかだが、霊薬は前に足の治療に使った薬だ。反転術式により反転した呪力を保存しているため、どんな傷も治せるが、水銀が多く使用されているため、反転呪力による治癒・正常化を差し引いても有毒だ。

 で、術式浮上薬。これが以前言っていた【脱獄】に関わる薬だ。【脱獄】とは、術式の浮上のことであり、つまりは体の内部に刻まれている術式を体表に呪印のように浮かび上がらせることだ。正確には術式そのものが体に浮かび上がってくる訳ではなく、その影のようなものが入れ墨のように体表に見えるだけだが……それでも利便性は非常に高い。

一つ目の利点は、術式の構造が目に見えることだ。呪力がどのように流れて術式効果につながるのか、二次元的かつ象徴的に表される。五条先生の六眼は三次元的かつ詳細に見えるのでその劣化でしかないといえばそうなのだが。俺の場合は背中に浮かび上がっているため、鏡越しにスマホで写真を撮って見ている。背中には墨色で、セフィロトのような構造の十個の円とそれを繋ぐ線、円の中には十種類の象徴的意匠がある。こうした象徴を読み解き、術式の条件、媒介、空白を読み解けばどのような拡張術式が作れるのか、作ればいいのかがわかる。解読/解釈には専門的な知識が必要であり、かつ正規の術師なら五条悟の六眼によるアドバイスを受ければこのような代物は不要なため、現代では徹頭徹尾呪詛師側の技術である。

 二つ目の利点は、拡張術式を記憶してくれる点だ。拡張術式を一度一から組み上げれば、次からは自分で組み上げる必要は無く、通常の術式と同じように呪印に呪力を流せば自動的に発動する(俺の術式は掌印が省略できないタイプのため、掌印も結ぶ必要があるが)。ただし領域展開や極の番レベルの高度な術式は容量をオーバーする、らしい。

 俺の場合は相伝の術式であり、小学生の頃に取り扱い説明書が禪院家から送られてきたため一つ目の利点にあまり意味は無いが、二つ目の利点はしかし大きい。普通なら拡張術式を一から即座にノーミスで組み立てられるようにしなければ実戦では使えないが、一度成功すれば実戦で使用可能というのは訓練の時間を大幅に削り、それを他の訓練の時間に充てることが出来る。このお陰で、かなりの時間を呪力による肉体強化や近接戦闘技能、呪力量の向上に費やせた。

 この“術式浮上”を、具体的にどうやって行うのかというと、最初は激痛の伴う施術を行い、そして定期的に浮上薬を塗らねばならないというものだ。浮上薬は低級呪物の一部を擂り潰して加工したものであり、霊薬と同様当然有毒で、容量を間違えると誰に呪われるでもなく自然に呪いにかかることもある。

 だが長生きするつもりもないので問題ない。こんな悪人はさっさと死んだ方がいいのだ。まあ他の悪人を殺す使命があるため自死するつもりは無いが。

 この技術、元々は金切静の曾祖父が呪言師の呪印の差異を研究し、百年前に開発したもので、その技術を代々改良しつつ受け継いでいるらしい。彼女は施術の効果を浮上薬で際限なく延長する技術を開発した、と誇っていた。昔は十数回施術すると魂が削り切れて死ぬという致命的な欠陥があったのだが、彼女の代でそれも無くなった。そして彼女の術式で原料となる低級の呪物を作成することで、百年の時を経てようやく実用化されたと言っても良いだろう。

 

 少しして出てきた彼女から薬を塗ってもらい――塗るのにも特殊な呪力運用が必要で自分でするのは難しい――ちょっとした雑談/情報収集をして店を出た。

 彼女は呪詛師――比較的悪質な者を含む――相手に商売をしているが、個人情報の秘匿義務など無いため、尋ねれば普通に客の情報を教えてくれる。そのため正規の呪術師にも泳がされているし、俺も手を出さない。ちなみに俺の場合は行動も術式内容もここ一年で有名になったのでもはや隠す意味はない。

 逆恨みで殺されそうになることもあるが得意の結界術と術式効果のある呪具・呪物を使いこなして返り討ちにする、らしい。実は通信教育をしてもらったのも彼女だ。

 

 金切静や鶴瓶加也、孔時雨から手に入れた情報――鶴瓶の情報は当然有料である、情報屋なので――を元に私刑対象を探して私的制裁を課したり、孔時雨から仕事を斡旋してもらったり、特に悪質な呪詛師を狩ったり、偶に感知した呪霊を祓ったりする日常を過ごしていた。ある日東京の少年院上空に特級レベルの呪胎が発見された、という情報が入った。“窓”の一部から情報を横流しさせている呪詛師のネットワークだ、信用性はあるだろう。

 少年院なので放置でも良いかとも思ったが、特に噂も信仰も無い場所で特級レベルの呪胎ということは、宿儺の指のような特級呪物を呪胎が食べた可能性がある。それに少年院といっても看守の人たちもいるだろう。即座に向かうことにした。

 

 到着した。既に“帳”が降ろされている。フードを深く被って顔を隠して――雨なので怪しまれることはないだろう――一般人を装い、現場の状況について尋ねる。「毒ガスが散布され、まだ受刑者と刑務官の避難がほとんど出来ていない」らしい。毒ガス云々は呪霊の隠蔽のための虚偽だろうが、避難が出来ていないことはおそらく事実だ。

 別の方角から“鵺”を使って上空から侵入する。普通に帳をくぐり抜けて入ることが出来た。もう一度出て入ってみても問題は無かったため、この帳に術師の出入りを防ぐ効果は無いと判断した。

 帳の中に入ると、十分強いが特級にしては少し弱い呪力の気配があった。まだ呪胎だからだろう。しかし情報にあった上空にも、屋外にも見えない。『鵺』を解いて屋内に侵入することにした。

 

 扉を開けてすぐのところには人間の姿は見えなかったが、人間の呻き声がする方向に向かう。その部屋には、例の呪胎と多くの一般人、そして一人の術師の男がいた。

 呪胎と一般人は様子がおかしい。呪胎はその透明な卵の内部に、深青色の線虫のようなものが大量に這っており(数万匹か?)内部の呪胎本体が見えない。そして一般人の非術師らは呼吸で体は僅かに上下しているが、全員が地面に突っ伏している。服装からして受刑者と刑務官だろう。比率は4:1と言ったところか。

 

「お?呪術師がキたと思ったらガキが一人かよぉ!高専もたった一人で特級相手にサセるとか人材不足もハナハダしいな!」

 

 どうやら俺を高専生だと勘違いしているらしい。制服を着てない時点でそうじゃないとわかるだろう、馬鹿かコイツは。それにしても奇天烈な喋り方だ。個性アピールに必死なのか?呪詛師はそういう所がある。普通からハミ出してないと負けみたいな所だ。

 呪詛師の見た目はサングラスにロン毛、アロハシャツの中年男であり、如何にもダメ人間と言った感じだ。喋り方と比べれはそこまで個性は感じない。

 

「お前は特級じゃないだろ、日本で唯一の特級呪詛師は去年に死んだ。というか何してるんだ」

 

 馬鹿は大仰な振る舞いをしながら口を開く。

 

「あぁ?これはなぁ、特級呪霊を俺が支配スる準備だよ、準備!俺の『生霊虫』は寄生した対象の呪力を吸収シて支配スる能力をモつんだ。そしてコレは式神じゃネぇ!俺の精子を術式で変異・肥大化サせ呪力をアタエたれっきとシた生命体だ!だから維持に俺の呪力をツカわず、無限に使役デキるんだよ。特級といえど呪胎の状態なら寄生サせることがデキた!これで俺も特級呪詛師ってワケだ!」

 

 術式効果を向上するための術式の開示か。心なしか呪胎に寄生している生霊虫とやらの蠢きが活発になったように見える。嘘ではないだろう。

 つまり今やるべきことは。

 

「その精子塗れの呪胎を祓う」

 

 天井も低い屋内だ、鵺は使えない、万が一呪胎が孵化した時のために呪力を消耗したくもない。だから、真正面から《呪詛師》バカ|を物理で潰して呪胎も潰す。相手から見えないように剣を影から引き抜き、それを突きつける。

 

「はっ、これをミてもそれがデキるとでも?」

 

 地面に突っ伏していた非術師たちが立ち上がり、馬鹿と呪胎を覆う肉壁として立ちはだかる。涎を垂らして呻く受刑者と刑務官はまるでメイクのないゾンビ映画のエキストラのようだ。

 

 精子使いの馬鹿は非術師を壁にして特級呪霊の孵化まで持たせようとしているのだろう。おそらく俺を、宿儺の指争奪戦相手の呪詛師ではなく高専の呪術師と勘違いしているから、こうすれば手を出せなくなるだろう、という寸法か。

 

 何発か呪力を込めた拳で殴ってみるが怯む様子はない。痛覚は麻痺しているようだ。

 これは……正直やりたくはないが、やれないことはない。今選ぶべき選択肢は受刑者の殺害だ。

 

 そのまま突っ込み、剣状の呪具にさらに呪力を込めて、年齢が高そうな受刑者を選んでその首を切断する。首から血が吹き出るのでそれを馬鹿に見せつけるのだ。

 他の似非ゾンビたちに手首を掴まれないように距離を取り……後ろから呪力の籠もった釘が飛んできたので咄嗟に振り向き、血に濡れた剣で弾き飛ばす。

 

「完全に死角を突いたと思ったのに!どんな反応速度よ!?」

「というか、え?伏黒……?嘘だよな?」

 

 ……完全にカオスの状態に突入してしまった。特級の呪胎の気配で人の気配に感づくことが出来なかったのが原因だ。「俺は殺しを躊躇しない、無駄だ」というブラフで肉壁を退かせ、最小限の犠牲で済ますつもりだったのだが……受刑者でも過半数はわざわざ殺すほどの悪人ではないだろうし、刑務官を殺すなんて以ての外だ。

 

 面倒なので後ろの虎杖と茶髪ショートヘアの女は無視しよう。

 

「無駄だ、俺は殺しを躊躇しない。指を奪いに来た一介の呪詛師にすぎないし高専の人間でもない。さっさと邪魔な肉壁を退かせて戦ろう」

「はぁ~?指ぃ?何のことだ?兎に角俺が特級呪霊を手にイれるのを邪魔スるんだったら容赦しネぇぜ?」

「指!?宿儺の指のことか?何で宿儺の指を奪うんだよ、何でここにいるんだよ、何で人を殺してんだよ……殺しを躊躇しないって何なんだよ、伏黒!」

「落ち着きなさい、相手は呪詛師ニ体、救助対象は一般人数十人、内一人は死亡。アンタが若い方の呪詛師と何があったが知らないけど、すべきことを忘れないで」

 

 もう状況が混乱しすぎている。俺は呪霊とバカ(呪詛師の方)を殺せて刑務官が救出されればそれで十分なので、後ろの二人を邪魔する気は無いのだが……それを《呪詛師》バカ|の前で言うと嬉々として刑務官を肉盾にしてくるだろう。

 

 前後を警戒して動けずにいると、女の呪術師が釘を飛ばしてくる。剣で弾き飛ばすと、虎杖が突進してきた。

 

「うおおおおお!!俺はお前を絶対に止める!伏黒ォ!」

 

 何がうおおおおおだ馬鹿(善人の方)。しかしその速力は俺の反応速度を超えていた。釘を弾き飛ばした瞬間で短い距離を詰め、剣を振り終わった隙に組み付かれる。

 

 突進の衝撃で虎杖と一緒に肉壁まで吹き飛ばされる。虎杖に背後から組み付かれたせいで動きが取れず、さらに虎杖ごと肉壁の非術師に覆い被さられる。

 

「ひゃはははは!もっと覆いカブされ!ツブしてシマえ!」

「あんたは私が相手よ、洗脳野郎」

「んあぁ?俺の術式は洗脳じゃナくて生霊虫の生成だぞ!そんなしょぼい術式と一緒にスんなや、釘打ち機のアマ!」

「私のは趨霊呪法だ!感染呪術だってのボケ!」

 

 女呪術師とバカ呪詛師の言葉の応酬で術式の開示が行われたが、今はともかくこの拘束を解かなければいけない。片手で印を組める“大蛇”を出す。

 

「拘束を剥がせ、殺すな」

 

 バカ呪詛師に聞こえないように囁いて命令する。虎杖と俺の間の影から“大蛇”が出現することで無理矢理拘束を解く。出現時の圧力は虎杖の力を上回ったようだ。その後、俺は大蛇に掴まり、非術師の山から這い出る。その後虎杖は素の力で非術師の山から抜け出した。

 

「伏黒!あの時先輩を助けてくれただろ?なんで……なんでこの人は殺したんだよ!あのビリビリで気絶させたりとか!お前ならなんとか出来ただろ!」

「取り敢えず今は呪胎を祓うのが先だ!そこの目的は合致してる筈だろ?」

 

 正直に言うと、『天威武放』や素の『鵺』で気絶させることができる可能性もあった。拳では気絶させることはできなかったが……だが、それでも相手は殺傷攻撃を封じる肉盾として非術師を使ってくるだろう。全員気絶させなければいけない羽目になる。呪力を消耗した状態で特級呪霊と相対することは絶対に避けたい。殺した相手の罪状はわからないが、少年院の受刑者なんて碌な人間ではないだろう。コラテラルダメージの押しつけ先としては適当だ。

 

 虎杖の拘束から解放されると、バカ呪詛師と女呪術師がバチバチにやり合っていた。

 

「クソッ、これ式神でしょ?なんで『共鳴り』で殆ど効かねぇんだよ!」

「ッツ……、イテぇなぁ……よくも俺の生霊虫をツブしやがってぇ!?」

 

 非術師の口や肛門から排出された巨大な(それこそ成人男性の腕程の太さや長さがありそうな)生霊虫が女呪術師に這い寄っている。女は釘を飛ばして虫を地面や壁に留めてはいるものの、数が多く、留め損なった虫が女にじりじりと這い寄ってくる。

 呪詛師は股間を押さえて蹲っているが、生霊虫が弱ったり崩壊したりする様子はない。創造主の指示に従うだけで存在としては自立しているのだろう。

 

「うぇ、雑魚っぽいのに群としてはしぶといわね。それにしてもゲロクソ塗れの式神押しつける精神攻撃以外できねぇのかグラサン野郎、ちょ、何股間押さえて……まさか」

 

 

 

 ――ー少し戻ってside釘崎――ー

 

 

 

「いい虎杖、ガキの呪詛師、伏黒って奴の方に釘を飛ばすから、弾いた後の隙にその短剣をブっ刺しなさい」

「いやっ、でも、事情があるかもだろ?伏黒は人を助ける奴だし……」

「あんたに何があったのかしらないけど、民間人を殺してた奴は呪詛師で敵よ。今生かして捕らえる余裕なんかない」

「……生かして捕らえればいいのか、わかった」

「全然わかってない……もうそれで良いわ」

 

 相手が前後を警戒して動けない間に小声で作戦と言うには稚拙な行動のすり合わせをする。

 私たちと同年代に見える呪詛師の男――伏黒と言うらしい――と同じく呪詛師のロン毛男。ガキの方は剣を持ってるから近接もイケる口なんだろう。六本木の廃ビルで見せた超身体能力を持つ虎杖に任せた方がいい。

 

 つまり私が相手をすべきなのは、ロン毛呪詛師の方だ。人の壁で見えにくいが、呪胎は深青色の大量の線虫に覆われている。報告ではあんな姿の呪胎ではなかったから、線虫がおそらくロン毛の式神だ。術式効果はわからないが、触れないに越したことはないだろう。

 不衛生担当は虎杖なのでそっちに丸投げしたい欲求に駆られるが、私も呪術師だ、給料分の仕事はしなければならない。

 

 釘を金槌で打ち、伏黒とやらに飛ばすが剣で弾かれる。あとは虎杖に任せよう。

 

「うおおおおお!!俺はお前を絶対に止める!伏黒ォ!」

 

 熱血主人公みたいなことを叫んで吶喊していった虎杖を尻目に、ロンゲ呪詛師の方を向き合う。

 民間人が邪魔であそこまで釘を飛ばすことは難しそうだ。“簪”で天井を崩しても民間人に被害が出そうな気がする。

 

 そう思ったら、民間人の半数程が組み付いた虎杖と呪詛師伏黒(全国の伏黒さんに失礼なので呪詛師と頭に付けることにした)に覆い被さった。人の壁に隙間ができ、呪詛師はともかく巨大な呪胎には届きそうだ。

 

「ひゃはははは!もっと覆いカブされ!ツブしてシマえ!」

 

 あの程度で虎杖がつぶれる訳ないだろう。呪詛師伏黒の方は知ったこっちゃない。

 

「あんたは私が相手よ、洗脳野郎」

「んあぁ?俺の術式は洗脳じゃナくて生霊虫の生成だぞ!そんなしょぼい術式と一緒にスんなや、釘打ち機のアマ!」

 

 洗脳をショボい術式呼ばわりとか、よほど自分の術式に自信があるようだな。

「私のは趨霊呪法だ!感染呪術だってのボケ!」

 

 感染呪術というのは、元々接触していたものはその後離れても、一方に与えた影響がもう一方にも与えられるという、なんたらフレーザーが提唱した理論だ。非術師によって提唱されたその呪術理論は間違っているとはいえ、それに類似した生得術式が世界各地で確認されている、らしい。仮想怨霊と分類される呪霊はこういった架空のオカルト知識に基づく噂等によって生まれる場合も多いため、呪術高専ではそういった知識も一般教養として教えられる。

 誤った理論とはいえそれなりに有名だ。術式の開示はそれなりに面倒だし、隙も多い。趨霊呪法は感染呪術とほぼ同じ論理で動く。「私と接触していた釘」に遠隔で呪力を流し込む『簪』や、「部位と繋がっていた相手」に部位と人形を使ってダメージを与える『共鳴り』。「感染呪術」と言っただけで、術式を不明瞭にだが開示した扱いになり、縛りにより術式効果が僅かにあがる……たぶん。

 ぶっちゃけ実際に試すのはこれが初めてだ。不発でもまあ構わない。特級呪胎の気配で相手の呪力量は殆ど分からないが、逆に言うと特級とはいえ呪胎で分からなくなる程度。油断するつもりはないが、そこまで恐れる相手でもない……と油断して廃ビルで子供を死なせかけた女は誰だよ、私だ。

 後付けでオカルト知識を早口で披露して言い訳をするオタクになってしまった。単純に売り言葉に買い言葉で術式の開示になるには微妙な発言をしてしまっただけです反省します。

 

 閑話休題、人の壁、救出対象の民間人の一部が震えだし、突然嘔吐したり脱糞したりし始めた。いや、脱糞という表現は正確ではない。ひりだしたのは糞ではなく巨大な深青色の線虫だったからだ。もちろん嘔吐したものもそれと同じだ。これが呪詛師ロン毛が言う『生霊虫』という式神だろう。

 一人から何十匹何百匹と出て来て、総数は数千にもなりそうなソレはこちらに近づいてくる。吐瀉物、排泄物塗れかと思ったが体表から出る分泌液で洗い流されているのかそんなこともない。近づいてくるとはいっても速度は亀の歩み、大したことはない。しかし一本一本釘を飛ばして祓っても釘が足りなくなりそうだ。

 そう考えていると、虎杖たちに覆い被さった人の丘の中から、デカい白蛇とそれに掴まった呪詛師伏黒が出てきた。ゴリラ虎杖の組み付きからどうやって逃れたんだよ……やべえ、が、こちらに敵意は無いようだ。そのすぐ後に出てきた虎杖に「今は呪胎が先だ」とか言っている。

 

 やはり呪詛師ロン毛の対処が先決だ。式神使いは一般的に、式神の維持に術式を常に回している。つまり式神と術師には強い“繋がり”がある。本人の一部と言ってもいいだろう、『共鳴り』の格好の餌食だ。一度ブチ込めば瀕死に追い込めるだろう。

 一匹だけ突出した巨大線虫モドキに藁人形を重ね、直接触れないように釘を金槌で打って『共鳴り』を発動させ、即座に離れる。

 しかし、呪詛師ロン毛は苦痛に顔を歪め蹲るも式神は解除されない。ロン毛呪詛師は痛みに弱いだけのようで、その生命や呪力に支障はないようだが、それにしたって蹲るほどの苦痛なら術式は解除される筈だ。意外さについ叫んでしまう。

 

「クソッ、これ式神でしょ?なんで『共鳴り』で殆ど効かねぇんだよ!」

「ッツ……、イテぇなぁ……よくも俺の生霊虫をツブしやがってぇ!?」

 

 呪詛師の逆ギレと共に、線虫モドキの蠢きが一層活発になる。術式を発動させるために線虫モドキに近づいていた私は当然蠢くソレの標的となり、這い寄られることになる。近いものから釘を飛ばして床に留めるが、数が多すぎてすべてに対応することが出来ない。

 これ以上相手から離れると、呪胎が射程範囲外になるのだが、後退も視野に入れるべきか、と考えた時だった。

 

「うぇ、雑魚っぽいのに群としてはしぶといわね。それにしてもゲロクソ塗れの式神押しつける精神攻撃以外できねぇのかグラサン野郎」

 

 呪詛師ロン毛の式神操作の集中を反らそうと相手に顔を向けて適当に毒づく。よく見ると、相手は股間を押さえている。嫌な予感がする。

 

「ちょ、何股間押さえて……まさか」

 

 通常、『共鳴り』のダメージは心臓に行く。それは心臓が循環系の中心だからであり、即ち体の全てに強い“繋がり”を持っているということと同義だ。

 しかし生殖細胞はそれよりも強い繋がりを持つ部位がある。女性なら卵巣、そして男性なら……睾丸だ。生まれ出た場所、それの根源。循環系よりずっと強い繋がりだ。呪詛師ロン毛は自身の術式を『生霊虫の生成』と言った。式神とは言ってない。もしこれが呪詛師ロン毛の精子を変成肥大化させたものだとしたら……?嫌な予感が増大する。

 民間人から明らかに内容量以上に這い出た巨大線虫モドキ、呪胎に数万もこびり付いた線虫、底辺呪詛師がこれだけの式神を独力で生み出せる訳ない。元は精子、術式の本質は?

 苗床、繁殖、受精。この文脈で考えると、あまりにも悍ましいキーワードが脳裏に浮かんだ。

 

「無理無理無理絶対無理、ゲロ塗れクソ塗れは他人の命のためなら耐えられたけどこれは無理。虎杖後は任せたソレの処理が終わったら呼んで!!!」

 

 踵を返し全力で走って逃げる。部屋を出て扉を閉じ、鍵を掛ける。少年院だからだろうか、鍵は外から掛けるタイプだったのが幸運だった。

 

 

 

 




伏黒は非戦闘員という意味で「非術師」、釘崎は救出対象という意味で「民間人」と呼んでいます。別に伏黒が夏油思想に染まった訳ではないです。

必要とはいえ躊躇なく民間人をぶち殺したのは受刑者だからです。少年法で罪が軽減されても保護観察処分で済まされない程度には重い罪を犯した人間だということを伏黒は理解しています。

タイトルの嫌悪は、人を殺した伏黒への嫌悪と精子術式への嫌悪の二つです

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