秋の大学生恋愛モノ。酒を飲みながら鍋をつつくお話。5000字短編。

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始まりの秋―或は、唯の酒臭い晩秋―

 寒さが増して上着を手放せなくなる季節。暦では霜降を過ぎた晩秋。カーキ色のコートをまとった男、白峯秋人は憂鬱な息を吐きながら校舎を出た。大学に入って二回目の秋。今年も嫌な季節がやってきたものだ、と秋人は思う。なんといっても寒いのはいけない。今まさに吹き付ける木枯らしなんて、寒がりの彼には天敵だった。

時刻は16時20分。日が落ちるのも早まったこの頃、本来ならこのまま直ぐに帰宅する秋人であるが、今日はそうにもいかなかった。

 

「わるい、待たせた」

 

 秋人はベンチに腰掛けた女に近づく。彼女の名前は青山春海。秋人と同じ二年生だ。

秋人が大学に入って一番の変化を聞かれるならば、間違いなく春海との出会いだと答える。去年の今頃に二人が知り合って以来、一言では表せないような、それはもうスピリタスのショットの如き濃い体験を幾度となく繰り返してきたのだが……それはまた別の話。

ウェーブのかかったセミロングの黒髪、白のオーバーニットと空色のパンツに身を包んだ春海が、えい、と勢いづいて立ち上がる。

 

「ええ九十分も待ったわ。遅かったわね」

「授業だしな。つーか、青山だって別にずっとここに居たわけじゃないだろ」

 

 澄ました顔で答える春海を、秋人はジト目で睨んだ。

 

「寒い中わざわざ来てあげたのにつれないわね」

 

 春海はそっぽを向きながら文句を返す。秋人も春海から目を逸らして歩き出した。

 この一年で幾度となく修羅場を潜り抜けてきた互いの扱いは、それなりに雑だ。

 

「鍋だろ。早く行かないと満席になるぞ」

「そこは抜かりないわ、アキトくん。もう全部買ってあるから」

「……買った?」

 

 思いもよらない返答に秋人の頭に疑問符が浮かび、立ち止まる。彼の記憶が正しければ今日は駅前の店で鍋をつつく予定だったのだ。戸惑う秋人など気にも掛けないそぶりで春海は続ける。

 

「ええ。鍋つゆに野菜にお肉、全て自宅で保管済みよ」

「……あー、うんなるほど。わかった。じゃあ行くか」

「物分かりが良くて結構だわ。帰りましょう」

「もう慣れたよ……お酒も飲めるし」

 

 酒豪かつ大金持ちの春海の父は、毎月必ず高品質な酒を春海に贈る。酒好きの血を受け継いだ春海はもちろん、同じく酒好きである秋人はそのおこぼれに与っているのだった。秋人が春海の家に行く理由の半分以上はお酒だと言っても過言ではない。この前はなんと当たり年のロマネコンティが贈られてきたらしく、一口でいいから味わってみたいものだと秋人は考えていた。

 閑話休題。

 

 春海の突拍子もない言動に秋人が慣れきっていることもあり、彼の適応は早い。

 秋人は上機嫌に笑みを浮かべると、コートのポケットに手を入れて再び歩き始めた。

 合わせて春海も歩き始める。

 二人の身長はさほどない。並べばまっすぐ目線が絡み合う。

 

「何鍋?」

「キムチ鍋」

 いいね、と秋人は満足気につぶやく。暫く無言になった彼に春海が話しかけた。

「ねえ」

「ん」

「……やっぱりなんでもないわ」

「ん、なあ」

「なあに」

「……いや。やっぱなんでも」

「ふふ、気になるじゃない。教えて」

 

 面白そうに小さく微笑んだ春海が、自身の肘を秋人のわき腹に当てる。同時に揺れた春海の髪が秋人の首元に掠り、彼は何とも言えない恥ずかしさを覚えた。

 

「なら青山から言えよ」

「私? 私は……取るに足らないこと、よ?」

「ふーん、なんとなく分かるけどな」

 

 可愛らしく首をかしげる春海を横目に秋人は言う。

 春海はこの疑問形と共に言葉を濁すことがある。これは、彼女が秋人に“お願い”があるときの仕草だった。

 

「なんかムカつく顔ね、本当に分かってるの?」

「もちろん」

 

 実際、秋人にはひとつ保留にさせてもらっている“お願い”がある。それは自分のことを名前で、『青山』とではなく『春海』と呼んでほしいというもの。彼女のささやかな願いを彼は恥ずかしさから保留にしていたのだ。

しかし秋人とて男。互いの家に入り浸るほど仲が良いにも関わらず名前呼びで恥ずかしがるなど何たることか。春海の見せるもうひとつの“予兆”に比べればどうってことはない、今日こそは、と秋人は意を決する。

 

「ハ……青山」

「ん、なに?」

「……もう家に着くな。詳しいことは食べながらで」

 

 秋人はヘタレた。

 自らの不甲斐なさに消沈し暗い雰囲気をまとい出した秋人を春海は胡乱な目で見つめる。

 

「いいけど、どうしたの?」

「べつに」

 

 秋人は早歩きになった。冷気が彼の肌を刺す。

 数分後、二人は春海の家に到着した。正確には春海が所有するマンションの一室だ。春海は慣れた風に秋人を招くが、当の秋人はぎこちない。何度来てもこの帝国ホテルもかくやという内装に圧倒されるのだ。一般家庭育ちには刺激が強すぎるのである。

 

「どうぞ~」

「お、お邪魔します」

 

 定型のやり取りをして部屋に上がると、既にカセットコンロと鍋、取り皿が設置されている。しかもこたつの上に、だ。秋人は急なギャップに眩暈を覚えた。そういえばこの部屋は前回とは違う場所だ、と秋人はため息をもらす。

 

「準備が良いでしょ」

「………………はやいな」

 

 春海渾身のドヤ顔と対称的に秋人は苦虫を百匹ほど噛み潰したようである。

春海はドヤ顔と共に、このようなおふざけをすることがままある。そしてこれは、彼女が秋人にとって恐ろしく厄介なことを持ち込む前触れでもあった。

 

「そーだな。じゃ、残りも準備するか」

 

 秋人はとりあえず、冷蔵庫から野菜とバラ肉、そしてワインボトルを取り出した。深く考えを巡らさないことで現実逃避している、というより酒に逃げようとしている。

 春海といえば、何食わぬ顔で鍋つゆを開封していた。

 秋人は具材を入れ終わると鍋に蓋をし、火に掛ける。並行してソムリエナイフを用いてワインを開け、互いのグラスに注いで乾杯の音頭を取る。ちびちびと味を堪能していれば、もう食べごろだ。

 だがそれにしても美味い赤ワインだ、と秋人は思う。彼は無心になっていたせいでよく見ていなかった銘柄を確認しようとしたが、その前にボトルを春海に取られてしまった。

 ならば仕方ないと、手持ち無沙汰の秋人はお玉で鍋を取り分ける。

 

「いただきます」

 

 秋人がつぶやくと、春海も続く。

「いただきます」

 

 ピリリと辛いスープが二人の体温を上げる。湯気も相まって先ほどまでの寒さが嘘のように引いていった。具材といえば肉にも野菜にも赤色がしみ込んで絶妙な味わいだ。素の旨味に辛みが混ざって、これ以上のものはないと二人に思わせる。食べる手が止まらない。秋人と春海はハイペースでおかわりをしながら鍋を囲んだ。

──しばらく後、満腹感で落ち着いてきたのを見計らうと、春海は居住まいを正して秋人に話しかける。

 

「話があるの」

 

 その言葉に秋人も覚悟を決めた。今回ばかりは逃げるつもりはなかった。

 春海が続ける。

 

「一年前の秋のこと、覚えてる?」

「俺たちが出会ったときのことか。忘れるはずない」

「『大学生活は青春の終わりであり、人生における最後から二番目のモラトリアムでもある』ってアキトくんは言ったわね。」

「そうだな。初対面のお前に色々と詭弁を弄した」

「青春が終わると──」

「──朱夏が来て、白秋が過ぎて、玄冬になる」

 

 青春。このありきたりな言葉には、意外と長い歴史がある。具体的には二千と数百年ほど。もとは陰陽五行思想から生まれたもので、厳密には十五歳から二十九歳までを指すのだが、現代では高校卒業か長くとも大学卒業までが限度だろう。残り三つも同様だ。

 

「私たちは青春を終えた。かけがえのない友情も、忘れられない初恋も、私たちは経験した。別の場所で、全く関係のないところで、それぞれの青春を終えた」

「……真面目な話をする際に前置きが長くなるのは青山の悪い癖だな」

「ふふ、ごめんなさい。でも私だって散々待たされてるわ。だからお相子よ」

 

 悪びれる様子もなく、むしろ不敵な笑みを浮かべて春海は言う。

 

「……そこを突かれるとどうしようもないな」

 

 どうやら春海は自分を本気で詰ませにきているらしいと秋人は直感した。

それならばいっそ開き直って一切合切ぶちまけてやろうかと秋人は思考する。もちろん酒の力だ。

 

「今と、これからの話をしましょう」

「話すというよりは一方的な詰問になりそうだけどな」

「茶化さないの。本当に詰問するわよ?」

「それは怖い。愛が感じられないね」

「愛ならこの食卓にあるわ。分からないの?」

「へえ、なら恋はどこにあるのかね。胸のとりでか、さもなくば影法師か」

「漱石やシェイクスピアも好きだけど、個人的にはベッドルームだと思うわ。でもやっぱりパリにある方がロマンチックかしら」

「女とパリは留守にするなってか。とんでもなく迂遠な詰りだ」

「その通り、よく分かったわね」

 

 全くの不毛な応酬に、どちらからともなく笑みがこぼれる。

 

「秋だからって終わりを意識する必要はないのよ。行きつく先が死でも何かを始めてはいけない理由にはならない。春だけが始まりの季節じゃないわ。折角のモラトリアムを有効活用しないなんて損よ。あとね、何よりも私は四季の中で秋が一番好きなの!」

 

 春海は一息に言い切ると、空になっていた二人のグラスに最後のワインを注ぎ、片方を秋人へ手渡した。

 それを受け取りながら、秋人はつぶやく。

 

「うん、きっとその強かさが、俺がキミを好きな一番の理由なんだろうな」

 

 最後の一杯。秋人は人生で最高の赤ワインに感謝を込めながら飲み干す。

 

「好きだ春海。結婚を前提に付き合ってくれ」

 

 どれだけ酒が入っていても、いや酒が入っているからこそ飛び出した秋人の本心だった。

 

「……やっと言ってくれた。ええ、私もあなたのことが大好きよ、アキトくん」

 

 春海の目元がじんわりと滲む。それだけではない。春海の心臓は早鐘のようで、顔なんて爆発しそうなくらいに赤くなっている。

 

「お、泣いてるのか。嬉し泣き?」

「は、な、泣いてないし!」

 

 小動物のようにぷるぷると震える春海を秋人が煽れば、春海も負けじと言い返す。

 いくらかの応酬の後、秋人が問うた。

 この不思議な煽り合いにどことない恥ずかしさを覚えたのだ。

 

「あ、あーそういや、なんで秋が一番好きなんだ? やっぱり俺の名前が入ってるからか」

「……違うわよ。秋に失礼だわ」

 

 春海は小さな声で否定する。

 

「え、あ……はい。ごめんなさい。じゃあなんで……?」

「アキトくんと初めて出会った季節だからに決まってるじゃない」

 ──尊いとはこのことか。秋人は理解した。

 

 酔いすらも通り越して湧き出た感情を持て余した秋人は、話題変更を試みる。

 

「あー!たぶん俺が婿養子になるよな。てことは青山秋人か。言い名前だなあ」

「あら、私はアキトくんの名字が欲しいんだけど。白峯春海。言い名前でしょ」

「うぐごぎが」

 

 形勢逆転、秋人の敗北。自爆とも言える。

 

「……ふふ、これくらいで勘弁してあげるわ。驚いたでしょ」

「………………ああ、驚いたよ。酔いも醒めた」

 

 春海渾身のドヤ顔と対照的に秋人は苦虫を百匹ほど噛み潰したようである。

 こんなことが少し前にもあった気がする、と秋人は思い返す。

 デジャヴ。秋人は覚醒した頭で考える。これは非常によくないやつだ。

 悪い予感は当たるもので、案の定春海の攻撃は止まらない。

 

「今ね、私に縁談が来てるの。それ自体イヤなんだけど、もっと悪いことに相手は悪趣味な金持ちの御老体。というわけでアキトくん……ね?」

 

 畳みかけるように言葉を濁して疑問形。傾げられた首。春海特有の仕草。

 本日二度目のデジャヴ。大量絶滅でも引き起こせそうな程の質量を持った“お願い“に、秋人はもう冷や汗が止まらない。

 

「も、もう遅いしその話は後日にしよっか」

 

 虚しい抵抗であった。いよいよ進退窮まった秋人に対し、春海は最悪の奥の手を繰り出す。

「ふ~ん、そんなこと言っちゃうんだ。はいこれ、アキトくんが飲んだワインなんだけど。もしもこの値段が払えるなら今日は許してあげる」

 

 イヤな予感が拭えない秋人ではあったが、受け取る以外の選択肢はない。

 秋人はラベルに目を落とす。

 

「ロマネコンティの……1990年……1990年!? まさかこ、これ!?」

 

 驚愕した秋人が尋ねると、春海は当然とばかりに答える。

 

「うん、当たり年。値段は8桁いかないくらいかしら。アキトくんが今まで飲んできたのも含めれば余裕で億越えするけど、払える?」

 

 宇宙の真理でも垣間見たかのような顔をした秋人はここに至って漸く心の平穏を取り戻した。キャパオーバーとも言う。

 秋人はそのまま滑らかに正座をすると、床を破壊せんばかりの勢いで頭を下げた。

 

「ごちそうさまでした!!」

 

 綺麗な土下座であった。それはもう、その後何十年にも渡ってネタにされるほどの。

 

「お粗末様でした。末永くよろしくね、旦那さま」

 

 心の底からの笑う彼女の目じりには、薄らと涙が浮かんでいた。

 

 

 それは寒い寒い秋のできごと。

 今日は彼と彼女の新たな始まりの日。或は、唯の酒臭い晩秋である。

 



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