「さっちゃん珍しいね」
「何が?」
「穂乃果たちと一緒に屋上来るの。いつもはもう少し日が落ちた時間じゃん」
「……まぁ、ちょっとね。みんな揃ってる?」
顔を見合わせて確認し、それから彩月ちゃんに向かって首を縦に振る。いつにも増して険しい表情は気のせいじゃなかった。嫌な予感がする。それを払拭したくて彩月ちゃんの袖を引くが、彼女の笑顔でさらに心がザワザワとし始めた。泣きそうな顔なんて久しぶりに見たよ。
「今日さ、練習中に人が来るかもしれないんだ。私にお客さんが来るらしくて、迷惑をかけるから先に言っておこうと思って」
「お客さんって……そういうの、どこか部屋を借りるべきでは?渡良瀬先生ならそれこそ、保健室にいなくていいんですか?」
絵里ちゃんの言葉。正論過ぎて彩月ちゃんは少し苦笑いをした。そもそも勤務中の保健医にわざわざ会いに来るなんて奇特な人はいない。それに客人ということは、お母さんや他の先生を通してその事を知ったはずだ。彩月ちゃんが断っても強制的に貸し出されるのではないだろうか。
「んー、へーき。私が会いたくて今日の約束があるわけじゃないんだ……いつまでも逃げてばっかじゃダメって、南さんに言われたからさ」
「それって……彩月ちゃん、ほんとに……?」
「ああ……その通りだよ」
私と彩月ちゃんにしか分からない会話。主語はなくて他のみんなには何事も伝わらない。その空気感のせいでみんな黙り込んでしまう。とてもじゃないが練習をする気にはなれなかった。結局、屋上でお喋りする日になった。飽きるまで楽しく過ごそう。どうせ彩月ちゃんに会いに来る人のせいで、練習は中断することになっただろうから。
ちょっとした鬼ごっこを始めた希ちゃんとにこちゃんを眺めていると、扉が開く。校舎では見かけたことの無い大人の女性は、私と彩月ちゃんを見つけては妖艶な笑みを浮かべた。
__やっぱり、どうしても好きになれそうに無い。
「久しぶり、渡良瀬さん」
「どーも。相変わらず腹立つ顔してますね」
「嫌だわそんな冗談。ことりちゃんもずいぶん大きくなったわね。昔も可愛かったけれど、すっかり美人さんになっちゃって」
「……お世辞ありがとうございます。でも残念、ことりが1番嬉しいのは彩月ちゃんからの褒め言葉なので〜、あなたから言われても何とも思いませんね♡」
「どこでそんな言い回しを覚えちゃったのかしら。渡良瀬さんの隣に長くいすぎたのね、離れるべきだと思うわ?」
「余計なお世話でーす。私から彩月ちゃんを奪おうなんて無駄なこと、考えない方がいいですよ〜?」
__と、年上を堂々と煽るのは初めてであると言い訳させていただこう。彩月ちゃんをからかうことはあるが、悪意を持って言葉を発したことはただの1度もない。
彼女は彩月ちゃんが高校生の時の保健医の先生だ。出会いを詳しく聞いたことはなかったけれど、彩月ちゃんの人生と私の人生、大なり小なりどちらとも関わりが強い。だから私もこの人に好感は持てずあまつさえ苦手意識がある。
私と先生の煽りあいを聞いた彩月ちゃんは、暗い顔で私の頭に手を置いた。先生の言う通り私の言い回しが彩月ちゃんの影響を受けているとしたら、その暗い顔は申し訳なさから来るものなのかな。
「マジで何しに来たんですか。言っときますけど、私は南さんに言われて返事しただけなんで。あんたと話すことは何もないんすよ」
「釣れないわね、少しくらい思い出話に花を咲かせましょ。今はあなたも保健の先生だそうね、もしかして私を追いかけてたり?」
「んなわけ。あんたみたいなのから生徒を守るためだよ、自惚れんじゃねぇ」
「口が悪いわ、変わらないのね。ねぇ、ゆっくりお話しましょ?2人きりで」
「嫌だね、あんたと2人きりとか虫唾が走る。それに下心見え見えだっつーの」
段々と彩月ちゃんの口調が荒れていく。10年前の彼女がその姿に重なっている気がして、私はつい彩月ちゃんを後ろから抱きしめる。抱きしめるというより、抱きつく。押し付けた耳に聞こえてくる鼓動は落ち着きがなく、体もどこか震えていた。
「……先生、今日は帰ってもらえませんか。このままじゃ彩月ちゃんが倒れちゃいます」
「あらぁ、私はそんなつもりないのに。でもそれは、そんなふうになるほどあなたの心に私がいるってことでいいのかしら?」
「……さぁ、どうですかね。彩月ちゃんの心の片隅に例えあなたがいても、大部分を温めるのは私の役目なので。今もまだ彩月ちゃんが好きだと言い張るのなら、今日はもう止めてください」
「ええ、そうする。傷つけるつもりはないから。じゃあね、渡良瀬さん。ことりちゃんも、また来るわね」
嵐のように去っていった彼女を見送る。ついに最後まで、メンバーのみんなが口を開くことはなかった。
心拍数が上がっていた彩月ちゃんが、少しずつ落ち着きを取り戻す。普段と変わらない音になるまで私は抱きしめていたが、それが正しかったのかは分からない。
「……ねえ、さっちゃん。私も海未ちゃんもあの人のこと知らないよ」
「教えてないからな……知る必要もないし」
「彩月、あなたはどうして抱えようとするんです。ことりにそっくりですよ」
「それは違うだろ。ことりが私に似ちゃったんだよ……あの人の言う通り」
「彩月ちゃん、顔見せて。ことりにちゃんと、……見せてよ」
回した腕から彼女を解放すれば、顔を隠すように体育座りをしてしまう。168センチの彩月ちゃんもこうしてしまえば子供のようだ。穂乃果ちゃんと海未ちゃんの言葉に返す声もどこか覇気がない。何より彼女の顔が見えないのが寂しかった。
「……嫌だよ。だって今の私、ダセェもん。やっぱ無理だよ、向き合うなんて無理だ。貰ったものがデカいなら、失ったもんもデカいんだよ」
「彩月ちゃん……私、もう嫌だよ。我慢するなんて嫌、彩月ちゃんが私以外のことで悩んでるのも嫌なの。……私のことだけ考えて、悩んで、……好きって言って」
「ことり……」
ようやく顔を上げた彩月ちゃんを独り占めするように、正面から抱きしめる。受け止めてくれる温かさは変わらない。
「彩月ちゃんが辛くて、逃げ出したいのも分かるよ。でもそれじゃ、何も変わらない。また私に守られて、……まだ私に我慢させて、彩月ちゃんはそれでいいの?」
「……いいわけないだろ、今度は逃げない。南さんと約束した、ことりを守るって。それってようするに、ちゃんと言葉にさせてやらなきゃいけないってことだろ」
優しい顔で笑った彼女の瞳にもう臆病さはない。まっすぐ私だけを見て、愛おしそうに目を細めた。トクントクンと、甘く鼓動が鳴る。恋を知った日のように幼い笑顔で彼女は、私の頭を撫でた。
「あともう少し……待っててな」
今回のタイトル、China asterはエゾギクというお花です。
青いエゾギクの花言葉は、「あなたを信じているけれど心配」