僕が家に帰宅したのは夕方の6時に近い時間帯だったけど、夏真っ只中で、日照時間が長い時期な為、この時間でも陽の光は根強く照り付けていた。
「ああ、お帰り蒼馬」
穏やかそうな声色と表情で僕を出迎えたのは、僕の父さんだった。この時間帯に既に家で寛いでいるという事は、相変わらずのノー残業仕事日だったわけか、羨ましいねぇ。
「お婆ちゃんは部屋かな?」
「うん、いつも通り部屋にいるよ、何か用なのかい?」
「少し話がしたいだけさ」
そう、僕は婆ちゃんに聞きたいことがあった。帰りに瀬奈と拓と別れてすぐに、僕は改めてスマホを確認してみたけど、やはり昭和58年の時代に撮影した動画も画像も消えていたばかりか、僕の財布の中身もタイムスリップする前の状態に戻っていたのだった。
物的に僕が昭和58年にタイムスリップしていたという証拠を示せないとなると、後はその当時の人の記憶頼みとなる。
母さんは僕が物心つく前にすでに亡くなってしまっているし、魅音たちは大災害で死んでしまっている……レナと圭一は最早大災害の犠牲者ではないみたいだけど。
ともかく、そうなると僕が昭和58年に交流した人間で、最も身近で現代でも確実に生きているのは婆ちゃんだけとなる。なのでほぼ唯一の、僕がタイムスリップした事実の生き証人となり得る婆ちゃんに当時の事を確認したかったのだった。
僕は部屋をノックしてから婆ちゃんの部屋に入る。
「婆ちゃん、ちょっと良いかな?」
「おんや、蒼馬ぁ、どうしたんかい?」
のんびりとしたスローテンポな口調で婆ちゃんが反応する。昭和58年時に比べて随分と老け込んでしまっているのは当然だ。
「昔さ、雛見沢でガス災害があったでしょ?」
「ああ、あったねぇ、あったねぇ……あれは本当に……酷かったねぇ~」
「その少し前くらいの時期にさ、今の僕と同い年位で、当時の母さんと同い年位の男子中学生を預かってたよね?」
僕が少し急かし気味に問いかけると、婆ちゃんはボーっと天井を見上げて、当時の記憶を思い出そうとしている様子だった。
「言われてみれば……そんなような子が来とったかねぇ~、蒼馬のお母さんはなんでか、その子の事が偉くお気に入りじゃったみたいやねぇ~……」
一応その当時に、男子中学生を預かっていた事は覚えてるんだ。けど、僕を目の前にしても、僕がその引き取られていた家出少年だと気が付かないって事はまさか、顔と名前を忘れちゃってる?
「どんな名前だったとか、どんな顔だったとか、なんか覚えてる事ってないの?」
「う~ん……」
ぼんやりと上の空な感じの婆ちゃんが何を考えているのか、全く見当が付かない。なにせ37年も前の話だし、婆ちゃんも既に80歳近い高齢だし、当時の事を思出せなかったとしても無理はない……
「それがねぇ……不思議な事にねぇ、今となっちゃ顔も名前もなんも覚えてへんのよぉ」
やっぱりそうか、薄々はこんな反応になるんじゃないかとは思っていたけど、これで僕が昭和58年にタイムスリップしていたという証拠を示す手段が完全に失われたことに僕は軽く落胆した。
「けんど、おかしいねぇ……」
「おかしいって何がさ?」
婆ちゃんはボーっとしているけど、なんだか納得がいかないと言うのか、腑に落ちない事があるような様子でそんな一言を漏らしていた。
「いやね、40年以上も前のご近所さんとかね、町内会の人とかの顔とか名前とか、そういうのは婆ちゃんよ~く覚えとるよ~」
「あ、確かに……」
言われてみれば婆ちゃんは、自分が若いころや子供の頃の話を今でも僕に時々聞かせてくれることがある。
そしてそれは確実に昭和58年よりも前の時代の話になるのだ。それなのに……
「それなのに、なんでかねぇ……?あの時に来とった、男の子の事はね、今じゃな~んも思い出せへんのよぉ、なんでなんかねぇ……?」
僕の事だけすっかりと忘れてしまっているのか?その当時に確かに家出少年を預かっていたという記憶自体は残っているのに、僕の顔や名前は完全に婆ちゃんの記憶の中からは既に忘却と化してしまっていたのだった。
〇 〇 〇
その後、僕は自分で雛見沢大災害の事、そして圭一の家で起こった、圭一とレナの殺し合い事件についての事をノートPCで調べられる範囲内で調べ回った。
まずは圭一とレナの殺し合いの事件に関して、公開されている資料や情報の内容は、おおよそ僕が知っている通りの事だった。
通報者は少年S、つまり僕の事だ。僕の通報によって警察が駆けつけた時には既に圭一とレナも息絶えた頃だった。
犯行現場は圭一の自宅の一階の食卓で、圭一が金属バットを、レナが包丁を武器にしていた、この辺は大石さんが話していた事と一致する。
「って、レナの父親が……えぇ?」
が、そこで僕が昭和58年にいた時点では知りえなかった情報が記載されて僕はその一部を凝視した。
一方で少女Aにおいては事件発生の数週間ほど前に、興宮在住のキャバクラ店勤務の女性と同居人である男性によって父親が美人局紛いの手口で金銭の支払いを要求されていた事が、少女Aの父親の証言から明らかになった他、そのキャバクラ店勤務の女性と同居人の男性が、同時期に失踪していた事も明らかになっているが、本事件との関連性は裏付けられていない。
レナの家庭でそんなおっかない事が起きていたなんて……レナはそんな事が起きているなんて一切口にしなかったし、態度に見せる事も無かったので気が付く余地が全くと言ってなかった。
「んで、その付き合ってたキャバクラ店勤務の女が実は男と共謀しての結婚詐欺目的だったわけか……」
レナの父親とは一度も会わなかったけど、父親が簡単に水商売女の言う事を鵜呑みにして入れ込んで……娘のレナはそれを近くで見て、どんな気分だったろうか……
ひとまず、少年S、すなわち僕については瀬奈が一通り説明してくれた通りのようだったらしい。
「他に雛見沢村で起こった事件で何かないかな……」
昭和54年~昭和58年まで綿流しの日の夜に発生し続けたオヤシロさまの祟り、そして昭和58年の綿流しの祭りの日の数週間後に発生した圭一とレナの殺し合いの事件、更に6月31日~7月1日に掛けて発生した雛見沢大災害、昭和50年代の雛見沢村で起こった事件は概ねこんなところかな……ん?
そこで僕が見つけたのは、雛見沢大災害から23年もの月日が流れ、雛見沢村の閉鎖解除後を境に知られるようになったと言われる事件だった。
「昭和58年6月31日の正午に、神社の境内にて少女の惨殺死体が発見されただってっ!?」
昭和58年の6月31日と言えば雛見沢大災害が発生した日じゃないか。そんな日の昼頃に神社で女の子が惨殺されていた?
僕は更にそのサイトの記事を読み続ける。もっともそのサイトは、あくまで個人で立ち上げたホームページみたいなサイトであり、そこに記された内容がすべて事実に基づいた、確実な情報と言う保証は無いのだけど……
神社の境内で血まみれの状態で惨殺されたと思わしき少女の遺体を、参拝に来た老人が発見した事で事件は発覚。
足の裏に汚れが無かったことから、殺害された場所は他所であるものと推測されている。
司法解剖の結果、愉快犯の犯行的な痕跡は認められず、分かった事は、薬物で昏睡させられてから、神社の境内に運ばれて、腹部を切開……
切開って事はもしかして……生きたままお腹を裂かれたって事か……
その惨たらしい殺し方を一瞬想像し、僕は思わず口元を抑える。いったん呼吸を整えて僕は更にその記事を読み直し、そしてそこの記載されている内容に目を疑う。
被害者の少女は、神社の巫女として雛見沢村ではある種のマスコット的な存在であった。
神社の巫女……神社の巫女……じ、神社の巫女ってどこの?
そんなの決まってる、雛見沢村で神社って言えば古手神社だ。そして古手神社の巫女って言えば……
「梨花……ちゃんが……?」
マウスを操作していた僕の手がガタガタと震えて、その震えが全身にヒシヒシと伝わってくるのが分かる。
レナと圭一が前原屋敷で殺し合いになった事件に加えて、大災害発生日の当日の白昼に梨花ちゃんが惨殺遺体で発見された?生きたまま腹を裂かれて殺されていたっ!?
「なんで、なんで梨花ちゃんが……」
全く見当が付かない……レナと圭一は事件の数日前から様子がおかしかった気がしたけど、梨花ちゃんに至ってはおかしなことなんて何も……
「あ、いや……」
そう言えば僕、綿流しの日以降は、雛見沢の分校に自分から魅音に会いに行くまで、梨花ちゃんとは全く会ってなかったし、口も聞いてなかったっけ?
僕が知らない間に、梨花ちゃんの身に何かが起きていたとでも?何かってなんだ?生きたまま腹を裂かれて殺される何かなんてあるわけないっ!!
そもそもだ、梨花ちゃんの惨殺は僕のタイムスリップによって歴史が改変した結果発生した事件なのか?
歴史改変前はどうだったんだろう?どちらにしても腹を裂かれて死ぬか、雛見沢大災害によって死ぬかのどっちかになってしまうのだけど……
そこで僕は帰りに瀬奈が話していた事を思い出した。雛見沢村にはかつて鬼が存在していたという言い伝えがあったと言う。
そして雛見沢村の祭りである綿流しはそもそも、ワタ流し……つまり人食い鬼達が内臓を川に捨てた、と言う所から転じたらしい。
「だから……梨花ちゃんのあの死に方には雛見沢村にとって宗教的な意味があるかもしれない……」
そして、雛見沢村の昔話によると、人食い鬼と人間の調停者としてオヤシロさまという、神様が君臨しているという話だと言う。
そして梨花ちゃんは、そのオヤシロさまの生まれ変わりだとも言われていた。
それ故に、その
そして信仰に対する冒涜はそのまま、オヤシロさまに対する冒涜にも繋がり、その晩にオヤシロさまの怒り……雛見沢大災害が発生したとでも言うのだろうか?
「村の言い伝えじゃ確か、鬼ヶ淵沼(おにがふちぬま)って、沼の奥底には地獄に繋がってて、かつて村にやってきた鬼達はこの沼から訪れた……そして村の伝承によると、オヤシロさまの怒りに触れると、地獄の釜から瘴気が溢れ出すなんて言うんだっけな……」
そんな僕の独り言だったけど、それが出来過ぎないくらい、雛見沢大災害に通じる部分を感じて僕は自らの言葉に戦慄を感じずにはいられなかった……