DQ2 四つ葉の勇者~人間に戻った王女に1勇が降臨しました~   作:みえん

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8 四つ葉の姫君

 煌々とした月明かりがラダトーム城の西を照らしている。

 夕方にざっと降った雨は、瑞々しい春の若芽を濡らし、つかの間、涼しげな冷気をもたらした。

 

 カーン、と、夕刻を知らせる真鍮の鐘が鳴る最中。

 事情を知ったラヴェル王子が、王に会い、一通りの話をすると、現国王ラヴァリエ三世はあっさりとそれを信じた。

 

 ――確かに、昨日、王子は自分に会いに来た。

 だが、どうも変だった。

 弟王子の容態を、誰よりもよく知ってるはずなのに、なぜか自分に確認するし、召使いたちの顔も覚えていない。

 本人は、ロトの子孫たちとの戦闘で疲れたせい──と言ってはいたが。

 いささか「ラヴェル王子にしては」、融通が利きすぎるところがあったのだと告げる。

「だってさぁ。おやつに甘いものばかり食べても咎められないんだもんよ……」

 そう言った、ラヴァリエ三世の背中は、寂しそうに見える。

 そのあと、好きなだけお気に入りの猫たちと戯れていても、いさめなかった。それが、そもそもおかしかったのだ──と語った。

 

 ラヴェル以外は皆、無言で返した。微妙な空気が流れたが、そこは他国の人間が関与するところではない。

 ただ、カインは、これまでのラダトーム王に対する評価をこっそりと変えた。

 仮にこれが自分の父であれば──己より才ある子を、素直に認め、顔を立てて……なおかつ、心が離れないよう、上手に甘えることができるだろうか。

 相性と言ってしまえば、それまでかもしれないけれど。

 選出王子としての親子でしかない自分にとっては、かなり巧妙で、気持ちのいい計算高さのようにも思えるのだ。

(僕には、無理かもしれないな)

 サマルトリアで過ごした期間は短い。

 父とも母とも、妹とも、どうせ仮の家族なんだからと、どこか上辺だけで済ませてきた節があった。本当の息子のように接してくれる国王や王妃には申し訳ないと思いつつ、どこか一歩、踏み込めない。

 

 結局、ラヴェル王子の審議会は一ヶ月延長とされることとなった。ただし、紋章を取り返すための猶予期間でもあるので、王子は早急に行方を知らねばならない。

「星読みに訊くのが一番早いだろうな」

 そう判断したラヴェル王子は、単身、大灯台へと向かうと告げる。すぐに出立したいところだが、夜も更けた。再度竜化するのにも体力がいるとのことから、仮眠休憩を挟むため、自室へと退出する。

 一方、ロルたち一行は、王のはからいでラダトーム城で宿泊することになった。

 シアが抜けて、三人。

 ロルとカインと、アイリンの姿をしたレオン。

 ……のはずであったが、カインは「シアを探してくる」と告げ、各国の商会を渡り歩くべく、準備もそこそこに出立する。

 朝までには帰るつもりらしい。

 仕方なく、ロルはレオンと同室の部屋で、ベッドに潜る。

 

 ──月の光がやけにまぶしい。

 いつもなら明るいだけでは絶対に目覚めないロルであったが、妙に意識が冴えた。

 虫の知らせというか。野生の勘というか。

 とにかく、アイリンの寝息が、いつもとは深さが違うような気がしたのだった。窓の外で妙にざわめく、風の声に引き寄せられるように、そっと起き上がった。

 

 月明かりに照らされ、瞼を閉じたアイリンは、女神のように神々しい。

 神子姫なのだから、あながち間違いでもないかと苦笑する。

 白磁のように整った白い頬をひと撫でして──それで、満足して戻ろうと思ったのだ。しかし。

「……助けてあげて」

 紛れもない、か細いアイリンの声に、ロルはぎょっとして振り返る。

 レオンが。いや、レオンはこんな喋り方ではない。声色は同じこそすれ、太さが違う。息の出し方が違う。当然、口調も。

「アイリン……!?」 

 まさか、もしや。

 もう一度、アイリンの頬を触ると、それに呼応するかのように真紅の瞳が開かれた。

「ロル……?」

 彼女の瞳に、自分の姿が濃く映る。幾日振りだろう。

 久しぶりに会えた喜びに震えもするが、この幸運がいつまで続くのだろうという不安が、同時に芽生える。

 だって、触れたら、消えてしまいそうだ。──いや、声をかけたら消えるのではないか。淡い夢の中の出来事のように。

 そしてまたすぐに、あの男が、アイリンを支配するのではないか。

「ロル」

 意思に反して固まってしまったロルに、急に闇の中から二本の細い腕生まれ、絡みつく。

 一瞬、魔物かと警戒した。触れられて、嬉しいのは、魔物の暗示にかかっているからだ、とも。

 

「……会いたかった……」

 すぐそばに彼女の吐息を感じて、ロルの金縛りが一気に融解した。アイリンの上半身の重みが移動し、柔らかい曲線の肢体が、ふわりとしなだれかかる。

 肌は冷たいが、身体を重ねた部分から温かさが沁み出した。彼女の持つ、小さな熱をこれ以上、逃すまいとして、思わず抱きしめる──が、それ以上に、アイリンは腕に力を込めた。

 二度と離れまいとする番(つが)いの磁石のように。

 ぴったりと体の隙間を埋め、震える鳥の親子たちのように。

「……ごめん。怖かっただろ」

 何が。

 と問うまでもない。

 アイリンの双眸が湿気を孕む。それを見せまいとして胸に顔をうずめた。

「……怖かった……ロル、みんな、私が……、」

「もう、いいよ」

 その先はいい、と、そっと頭を撫でた。

 

 普段は少年のようなのに、こんなときのロルの掌は誰よりも大きいことを、アイリンはよく知っていた。

 自分のより高い体温は心地よく、無駄なく引き締まった体躯は、青年のそれよりも少し小さい。──そこが好きだった。

 見た目に反して低めの声は深く、「もう大丈夫だからな」と、アイリンの頭に振り注ぐ。ついでとばかりに髪にキスをされる仕草も、つい懐かしくて見上げると、今度は深い深い大海のような瞳の色が、自分のすべてを包み込んでくれる。

 そんなことを、幾度、繰り返しただろうか。

 遠く、平和だった頃の、幸せに包まれていた日々を辿るように、アイリンはロルの背の筋肉の継ぎ目を、丁寧に指でなぞった。

 

「あのさ……。ひとつ、謝らないといけないんだ。その、俺、アイリンと」

「初夜のこと?」

 アイリンがロルを。

 正面から大きな瞳でじっと見つめる。子供がなにかを観察するときの、少し首をかしげてみるそれによく似ていた。

 不意に出た言葉を、さも当然のように受け止める彼女に、動揺したのはロルのほうだった。目を逸らす。それから、悔しそうに吐き出した。

「うん、ごめん。煽られて……気がついたら、理性がふっとんでて」

「そんなこと、気にしてたの?」

「そりゃあ」

 気にするだろう。あんな形で、本人の意志も確認しないままで。

 漠然と想定していた、心の準備とか、愛の言葉とか。あるだろう。ましてやアイリンは、女の子じゃないか。

「別にいいの。あれは──」

「あれは?」

 聞き返した瞬間、アイリンが腕を縮めた。

 きらきらと際限なく煌く月光の髪の中心に、先ほどまでのあどけない瞳はなかった。

 綺麗な形の唇が、ロルの吐息を奪い、押し付けられ、吸われ、擦れた部分から新たな熱を生み出していく。

 潤んだ部分から甘い息が転がり、呻きともいえないような快楽の響きが、唇の端から漏れ出でた。

 理性の一端が崩れ、体内の琴線が喜びに疼く。やがて、酸欠の魚のように荒々しい呼吸となり、お互いがお互いの枷を外すように、意識を流れに乗せて、愛撫を始めていた。

 

「ちょ。まっ……、アイリン……神子姫だろ」

 自分のものとは思えない、低い声がロルの口角から漏れる。

「……いけない? 初めてじゃないわ。それに、最初のときも、ちゃんと私だった……」

 そう答えた彼女の口元の、意識的に見せたとしか思えない、薔薇のような紅い舌がを唇の中に見た瞬間、ロルはたまらず吸い付いた。

 ──二度目だ。

 アイリンを、知らないわけではない。

 焔のように暗闇で立ち上る真紅の瞳も、花の香りにも例えられない芳醇な香りも、本来のアイリンのものでしかない。

 心までもが好きな子の姿なら、ここで止まることなんかできない。

 触れ合わせて熟れた唇の隙間から、甘さを含んだ舌が絡み合った。

 歯肉を掻き分け、奥へ奥へと蹂躙する。やがてアイリンの唾液をなくしてしまうほど吸った後で、腕の中にあった体が、急速に弛緩した。

 

「……もっと、して。ロル。私、もう、姫じゃない……から」

 声色が変わった。

 いつものアイリンよりも、少し幼さが残る甘い声。

 ああ、心が裸になっているのか、と、決してこれが初めてではない状態のアイリンをみて、ロルは思う。

 その日の、神子姫としての役割を終えたとき、彼女は決まってこのような雰囲気を纏うのだ。

 どこかに魂をとばしたような、自分の見えないものを見ているような。

 

 ロルは体を反転させた。白い波のような皺を作る寝台に、アイリンの身体を抱えながらもそっと横たえると、もう片方の腕で頬を撫でた。

「レオンはね、私のためにしてくれたの……あれは」

「どういうこと?」

 無意識に顔をしかめたのは、アイリンの口からレオンの名が出たせいだと思う。

 指が頬から首をつたい、その下の丘陵に掌を被せた。

 そういえば、最初の夜は何もかも、無我夢中だった。女を知らないわけではないはずなのに、理性も意識も飛んだ。溺れ込むように柔肌を屠り、自身が獣になったようなことしか覚えていなくて、アイリンの様子なんて、記憶に留めていない。

 でも今は。

 見つめる先の瞳に、確かに、自分の顔が映る。

 

(本当は、他の男の名前なんか、聞きたくないけどさ)

 アイリンの身に着けた寝着は、布地が薄くやわらかい。重ねた生地の間から指を滑り込ませると、紅色に熔けた先端が、もどかしげに震えている。やがて、高く甘い声が肢体から鳴りはじめた。

 

 

 どれほど、眠っただろう。

 月の位置はいつの間にか雲に覆われ、闇の中、時間の感覚がなくなっていた。

 ロル、と名を呼ばれたような気がして、意識を浮上させる。

「ロル……抱いて。足りない、の」

「足りない?」

 確かに果てたはずなのに。と、幾分軽くなった体を起こし、温かく柔らかな熱を手放した。

 組み敷いたまま、彼女を見つめると、瞳に涙をいっぱいためて、溢れた分が、こめかみへと幾重にも流れている。

 よくなかったのか──などと、考えたくもない不名誉が頭をちらつくが、様子からしてそれもおかしいと思い直した。

「アイリン?」

髪を撫でようと手を伸ばすと、「違う、違うの」と拒否するように首を振った。

先ほどまでの情事の痕が、アイリンの躰のそこかしこに赤く残っている。

力が入らないのか、起きようとしても、そのままくにゃりとしなだれて床に戻ってしまう。ロルはアイリンの身を起こさせ、重心を自分へと落とさせた。

「言ったのに……もっと、ひどくしてって。壊れて、欠片になって……小さくなりたかった」

──ああ。

確かにそんなことを聞いたかもしれない。でも、流していた。

できるはずもないことだった。

 何に怯えているのか。何が怖いのか。──神子が人になることなら、到底罪とは思えないし、それ以外の理由は思い当たらない。

「しない」

「こんなに、お願いしてるのに?」

「うん、ダメ」

にこりと笑うロルの瞳の奥に、揺るぎない意志を感じたのか。アイリンはそのまま黙った。

どこか諦めたような風体に、彼女の躰から生気が抜けていく。

「アイリン」

わきの下へ掌を滑り込ませる。唇を彼女へと押し付け、舌を攫う。滑らかな肌と、甘い舌。どちらの感触も変わらないはずなのに、温度だけが、先ほどとは違う。――冷たい。

「傍にいるよ。アイリンが、そう望むなら」

 答えはなかった。

 糸の切れた人形のように力を失った彼女は、しばらく、何かに魅入られているように瞳を動かした。

 

「なぁ、アイリン、シアってさ。敵なの?」

「……シア……?」

 そろそろ眠気もお限界にきたのか、頭をこくりとさせたアイリンに、あえてロルは尋ねた。

 すっかり忘れていたが、シアの行方を、アイリンならわかるのかもしれない。だったら、彼女が眠る前に、聞いておきたかった。

「ああ、シア。アイリンの大事な友達」

 ロルは彼女の、さらさらと流れる金の髪を指で梳く。

 頭を撫でるように優しく手を乗せると、アイリンは気持ち良さそうに頭を掲げ、子供のように柔らかく微笑んだ。

「あのこ、は、私のはんぶん、なの」

「ん?」

「……遠い昔……に、ひとつだったわたし、の魂が……たまたま、わかれたの」

 意外な答えではあった。

 アイリンの身に毛布をかけ、すっぽりと包む。自分はまだ裸だが、体内は余韻を残し、まだまだ熱気を宿している。

「なんで?」

「わからない……でも。よかったの、これで。愛する人に会いたくて、だから……時を超えてき……」

 表情が泣きそうに歪んだのを見て取って、ロルは慌てて話題を変えた。

 どうやら今の処は、触れてはいけない部分らしい。

「ごめん、忘れていい」と耳元で呟くと、アイリンは安堵の表情を浮かべ、もとの笑顔に戻るのだった。

 

「あとさ。俺、なんか間違ってると思う?」

「まちが、ってる……?」

 とろんとした瞳を向けて、アイリンは返事をした。しかし返事といえるほどの、はっきりとしたものではない。ただ、言葉を繰り返し、真似をするだけのそれと一緒だった。

 ロルはそうとは気づかずに、若干視線をずらして頭をかく。

「王になる資格が無いって言われたんだ。……わかんねーよ、俺、誰にも言われたことないのに、どうして」

「ん、ロル……好き……」

 眼を閉じ、いよいよ眠りに入るアイリンの気配を察した。

 もう止めることはできなかった。時間切れなのだろう。そして、おそらく次に会うアイリンは、このアイリンではない。

 仕方なく、ロルは起こしていた上体を寝かし、枕元に沈み込んだ。

「うん。俺も、好き」

 耳朶に触れ、囁いた。

 

 窓からの光は仄かな明かりを伴っていた。もう夜明けが近い。

 月は白さを帯び、空に溶けていく。やがて赤々と燃える太陽に、その身を隠して密かに力を蓄える。

 アイリンのようだ、と思った。

 すぐさま寝息をたてはじめた彼女を隣に、ロルも少しの眠りに落ちるのだった。

 

 


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