Mercenary Imperial Japan 作:丸亀導師
歩兵装備
日本軍一個分隊は総勢12名で計算される。
44式自動拳銃/Browning Type44
口径38
銃身長
88㎜
使用弾薬
武式9×17口径弾(380acp)
装弾数
7+1発
作動方式
シングルアクション
ティルトバレル式ショートリコイル
全長
151㎜
重量
570g
武郎任具 宇太郎が設計した自動拳銃。
幕府の頃からお抱えの銃・砲設計師の家柄であった彼が、作り出した最高傑作の一つ。
軍、警察問わず使用されることを前提に設計され、あらゆる局面での安定した作動を実現した一品。
量産性にも優れており、ヨーロッパ等にも広く輸出された。
30年式歩兵銃
口径6.5mm×50
銃身長797mm
使用弾薬6.5×50SR 三十式実包
装弾数
5発
作動方式
ボルトアクション方式
全長
1,276mm
(三十年式銃剣着剣時: 1,663mm)
重量
3,630g
(三十年式銃剣着剣時: 4100g)
最大射程2000m
有効射程420m
情報
日露戦争時に使用されていた日本軍の主力歩兵銃。銃弾形状は円頭型である。
6.5㎜口径でありながら、7.7㎜クラスに匹敵する体内破壊力を持っている。また、弾芯に鉄を使用することにより対装甲目標に対して高い貫徹能力を有する。
ライフル自体に防砂用のダストカバーが付いておらず、満洲地方での戦闘時ライフル内に砂塵の混入によって動作不良が確認された。
38年式歩兵銃
口径6.5mm×50
銃身長697mm
使用弾薬6.5×50SR 三八式実包
装弾数
5発
作動方式
ボルトアクション方式
全長
1,176mm
(三十年式銃剣着剣時: 1,563mm)
重量
3,430g
(三十年式銃剣着剣時: 3,900g)
最大射程2400m
有効射程460m
30年式と同様に6.5㎜弾を使用し、弾芯に鉄を使用している。ダストカバーを装着したことにより砂塵や泥等からの機関部の保護を用意にした。
実包の形状は尖頭型であり、装甲目標に対してより高い貫徹能力を有する。
また、銃弾の重心を微妙にずらす事により人体に侵入した後に転倒し、体内を破壊するような動きをする。
重心をずらしたことによる軌道のズレを銃身内の旋条により克服した。
30年式から100㎜程の短縮に成功し、命中精度の低下を抑えた名作である。
八十二式狙撃銃
口径6.5mm×50
銃身長697mm
使用弾薬6.5×50SR 三八式実包
装弾数
5発
作動方式
ボルトアクション方式
全長
1,176mm
(三十年式銃剣着剣時: 1,563mm)
重量
3,430g
(三十年式銃剣着剣時: 3,900g)
最大射程2400m
有効射程460m
38式歩兵銃の機関を換装して八十ニ式自動小銃の弾倉での装填を行うよう改造した。
2倍〜4倍迄の倍率変更可能な狙撃眼鏡を搭載するために、排莢ルートを上部ではなく右側に変更した。
八十二式自動小銃
塹壕戦の教訓から生み出された、世界初の完全自動装填連続射撃を可能とした実用的アサルトライフル。
38式実包を、使用弾薬とする事で従来の銃との弾の共用を可能とし、各国の同様の兵器よりも低反動に抑えられているが、フルサイズライフル弾を使用するため、連射時の制御はm14よりかはまし程度。南部と武郎忍具の最後の合作。
前期型後期型比較
口径6.5mm×50
装弾数20発箱型弾倉
作動方式
ロングストロークピストン・ガス圧作動方式
ティルトボルト式
全長940mm
銃身長420mm
重量4.0kg(銃剣着剣時4470g)
連続射撃毎分500発
有効射程400m
八十二式短機関銃
八十二式自動小銃とのコンペティションに破れた、短機関銃。
軽量高発射速度を実現し、塹壕戦内部での戦闘を想定した短い全長の銃である。
しかし、冬季の厚手の服を貫通した後の人体へのダメージが少なかった為、主力小銃とはならなかった。主に戦車兵や要人警護等に使用される。
後期型では銃床が、プレス加工品となり更に重量が軽くなる。
口径9mm×17
装弾数30発箱型弾倉
作動方式
シングルブローバック方式
オープンボルト
重量3.7kg(専用ナイフ着剣時4.0kg)
連続射撃毎分600発
有効射程190m
72式軽機関銃
口径
6.5 mm×50SR 三八式実包
銃身長
500 mm
装弾数
最大30発
作動方式
ガス圧作動方式ホッパー式弾倉
全長
1,100 mm
重量
10.3 kg
発射速度
500発/分
日露戦争時、機関銃の有用性を改めて実感した日本軍がそれの軽量化と、小隊での使用を前提に研究し実用化したもの。
ホッパー式弾倉を使用しており、歩兵の装備している実包をそのまま使用可能とした。
しかし、銃弾が剥き出しであるゆえに泥などで汚れた場合給弾不良が起こる場合もある。(どの機構の機関銃もこれに悩まされている。箱型弾倉型以外。)
比較的軽快な連射速度であり重機関銃等の据え置き用のものとは違い、歩兵の速度に対応する為に軽量で機関銃搭載型の73式装甲車両の装備である。
この給弾機構を基に、大型の対空機関銃が開発された。
(史実の11年式に該当するが、銃床形状や塗油装置が備わっていいない。また、突っ込みのような減少は構造を見直されており、発生していない。)
82式軽機関銃
口径
6.5mm
銃身長
550mm
装弾数
50発
最大50×リンク接続数
作動方式
ガス圧作動方式 ロングストロークピストン オープンボルト
全長
1216mm
重量
9.28kg
発射速度
700発/分
有効射程460m
1922年頃から更新されていった日本軍の主力軽機関銃。72式はで問題となっていた重量配分による傾き、発射薬の不完全燃焼から来るフラッシュの問題を解決し、一度射撃に使用する弾薬の数量を解決した。
ベルト給弾方式により、継続射撃時間を延長したことにより銃身の加熱が多くなったため、より銃身交換を用意にするために冷却機構を簡略化し、冷却筒ではなくフィンとした。
コッキングレバーは存在せず、グリップと一体化されておりグリップを中心から射撃位置にスライドさせることにより射撃体勢となる。そのため、排莢は下部から行われ撃つたびに開く蓋がついている。
(機構に関してはvz59を参照されたし。)
73式重機関銃
口径
12.7 mm
銃身長
1,143 mm
使用弾薬12.7x99mm 73対物実包
装弾数
ベルト給弾(1帯50発連結可能)
作動方式
ショートリコイル
全長
1,645 mm
重量
38.1 kg(本体のみ)
58 kg(三脚を含む)
発射速度
485-635発/分
射程
2,000 m(有効射程)
6,770 m(最大射程)
日露戦争の教訓から防御主体となった時、ロシア軍の分厚い冬服に小銃弾を使用する機関銃弾が効率的に殺傷し得なかった(なお重症になり体内に残る)
そのため機関銃弾の大口径化が推し進められるも、歩兵銃等と共に行動することを前提とする軽機関銃という概念を作り出すことに成功したため、より防御に主眼を置いた大口径銃弾を使用する運びとなった。
また、来たるべき対装甲車両戦闘用に徹甲弾等の研究も開始しされる。
開発当初、保弾板による給弾方式としていたが継戦能力に対していちいち横の者が入れる事になってしまうと、現場からの声を取り入れベルト給弾方式となった。
小銃開発に対して度々激突していた武郎任具 宇太郎と南部 麒次郎の二人が協力の下設計した作品。武郎任具が100発のベルトと提案したのに対して南部は50発のベルトの方が振り回しやすいと言った。
事実50発にする事によって使用する際の補助を低減することが出来た事から的確であった。
この後自動小銃開発で武郎任具から得た知見を元に、南部は自動小銃を開発することになる。
83式30粍小銃擲弾器
使用例
口径
30mm
銃身長
200mm
全長
372mm
重量
1.6kg
最大射程
200m
有効射程
100m
八十二式自動小銃用擲弾発射器、1型擲弾筒の重量による機動力低下に看過されて開発された。
直射を想定した設計思想により、近距離でのより有効的な火力を得るために開発される。
加害半径が減少するものの、よりピンポイントの火力投射を行うことを想定された。
後にレールシステムへ対応するタイプも製造される。
30年式曲射歩兵砲
ストークス式
口径 81mm
仰角 45°-75°
発射速度
毎分 6-8発
有効射程 700m
最大射程 1100m
日露戦争前の、対塹壕戦用に開発された。
従来のモーターと呼ばれる迫撃砲とは違い、薄い砲身に旋条の無い物である。曲射射撃による攻撃により、塹壕の上部から敵に砲弾を降らせようと考案された。
後に発展していくも、その完成度から殆どの改造なく凡そ40年の間使用され続けた。
1型擲弾筒
口径50mm
銃身長254mm
全長610mm
重量4.7kg
最大射程
1型72式榴弾:670m
有効射程
1型89式榴弾:120m
第一次世界大戦時の日本軍の主力擲弾筒。89式重擲弾筒と同様。
迫撃砲の威力を再確認した日本軍であったが、より至近での歩兵火力の増強を目的に装備された。
その威力は60㎜口径の迫撃砲並みであり、これによって日本軍からは60㎜級迫撃砲が姿を消すことになった。
車両
33年式輜重貨車
動力
トラクション・エンジン
全長6m
全幅4m
全高4m
重量9tn
25馬力
最大巡航速力20km/h
燃料 石炭or薪
連結機により、専用の荷車を牽引可能。
最大牽引重量5tn
世界初の軍用自動貨物輜重車。従来馬引きであった輸送を、機械化することにより馬の食糧費を削減し、より不整地での高速輸送を実現した。
一線から退いてからは、主に発電機を兼任し簡易炊飯車としての側面を持った。
38式自動貨車
速度性能が不満であった33式の蒸気機関をガソリンエンジンとすることにより、より高速性能を上げた。
73式装甲戦闘車
世界初の実用的な戦車。日露戦争の塹壕での損害から編み出された物で、装甲により機関銃の無効化と機動力による騎兵の置き換えを目的として作成された。
84式軽装甲車
快速力を基本とした機動戦術の為に開発された車両。車両の特性上装甲厚は必要最低限に留められており、至近距離からの対戦車砲の攻撃には非常に脆かった。
攻撃力として世界的な装甲車両よりも上ではあるが、多少というだけである。
87式シリーズ戦車
84式の欠点を補うための正式採用車選定試験にかけられた3つの車両。
この中で抜け出したのは軽戦車であり、中・重戦車は重量制限という中で充分な性能を示せなかった事から不採用とされた。
しかしながら、重戦車の研究は引き継がれる。
95式とその試作車両
87式軽戦車の鈍足を取り除くべく開発された試作車両と、それを基に開発された95式戦車。
95式はその優れた足で、対戦中悪路で物資輸送困難な場所での運搬や牽引、またはその護衛で活躍した。限定的であるが敵の補給路分断部隊との遭遇戦時、当時の軽戦車としては強力な主砲によって敵を返り討ちにするなどの戦果を上げている。
試作中戦車
将来的に発生するであろう対戦車戦闘に対する研究の一環として、攻防速全てを兼ね備えた主力足り得る戦車の試作型。
鋳造による装甲はお世辞にも強固なものではなく、後の整式生産車は圧延式装甲板が用いられた。
95式装甲車両
戦車よりも低価格でありながら、軽戦車の役割を果たすために開発された車両であるが、その速度は速いとは言えず、走行装置の未発達故にそれ程の地形追従性が得られなかった事から、95式軽戦車に
その座を取られた。
95式装甲機動車
日本軍の偵察小隊用車両。小銃弾程度への防弾性をほこりつつ、その速力は遅くない。これ以降開発された車両はこれを視野に入れて開発された。
94式小型輸送車
日本軍の小隊車両、民生品小型トラックを小改造して作られており、小規模である利点を生かし山岳地帯等で活躍した。半装軌型等も存在する。
97式中戦車
97年採用の日本軍正式中戦車でありながら、主力戦車。開発当時これに並び立つ車両は存在せず、t34/76に対して砲貫通力で上回りそれを圧倒する。
95式半装軌兵員輸送車
民生品トラックの改良車両、日本軍の平野部での主力輸送手段。
95式半装軌105粍自走榴弾砲
95式半装軌兵員輸送車に105粍榴弾砲を載せたもの。命中精度は、変わりなく機動力を補うために使用された。しかしながら、隠蔽性は減じた事により砲兵の不満材料となるため、97年以降では脱着可能であり、砲架との分離が可能となる。
97式軽装甲機動車
95装甲機動車をより小型にしたもの。主に中隊指揮車両とされた。
1942年には主力となっていた、日本軍の上陸用舟艇とその支援車両。
その役割は地味なことこの上ないが、現場の兵士からは正しく盾として矛として信頼された。
支援車両はスクリュー航行を行っており、陸上において多少の不自由があった。
97式中戦車前期後期比較
砲塔装甲厚の向上と量産性の向上を測るため、砲塔の装甲材の見直しの結果より装甲に適した材質へと変更されるとともに、ロマノヴァの技術である鋳造に置き換えられた。
サスペンションの剛性なども向上しており、地形追従性は前期型よりも増している。
1式装甲車
1式軽戦車との次期歩兵戦闘車輌として戦い勝利を収めた結果、軽戦車に取って代わって量産された。
水泡作戦:欧州名称オペレーションネットバブル
高度な情報伝達により行われた戦術、半包囲、包囲戦術。
中規模な包囲網の中に、更に細分化した包囲を形成することによって分断を可能にし早期の敵無力化を主眼においた戦い。
高度な指揮能力が必要な為に、2000年では既に過去の遺物として使用されていない。
pz3 ドイツが欧州向け対ソ連向けに開発した第一世代主力戦車、その採用には様々な物語があるものの結局完成したのは戦後てあった。欧州外向けのタイプは基本的に欧州よりも火力が劣る75㍉砲タイプである。
Ohey1 トルクメニスタン陸軍省が日本帝国の73式装甲戦闘車を原型として現有可能な性能を求められて作り出したもの。完全防衛戦用の車両であり、攻勢には不向きである。
艦艇
薩摩型戦艦
日本初の弩級戦艦、可能な限り無駄の無いような主砲配置を目指した結果、背負配置式の主砲配置となった。
石見型戦艦
登場時最強と呼ばれた超弩級戦艦。その高速性能、防御能力は他の既存の戦艦を凌駕した。
また、遠距離での戦闘となった場合砲弾は、山なりとなるため水平装甲の強化を行った。
扶桑型
石見型戦艦を基に砲塔を3連装として砲撃能力を強化したもの。
船体強度は新型の高張力鋼の採用と船体構造の最適化により、重量はそのままにより砲撃に対する強度が強化された。
伊勢型
扶桑型で問題となった偵察機に対する爆風問題に対する帰結点として、砲塔の集中配置が行われた。
これにより、爆風により偵察機が吹き飛ぶことが無くなった。
また、装甲防御をより強固なものとした。
長門型
世界最初の16インチ砲搭載戦艦。走攻守全てが水準以上を叩き出し、その船体形状からより衝波性の高いものとなっている。
以後条約を想定した船体はこの艦艇をモデルに、無条約型等多種多様な派生計画が出来上がる。
大和型
それは帝国海軍、最初から電子戦を意識した最初で最後の戦艦である。
それはその巨体とは裏腹に、異様に足の速い艦艇として知られ2000年代となってもなお、第一線に存在し続けた。
対空兵装である両用速射砲は従来の89式よりも一発の炸薬量、並びに毎分の投射量、旋回性能など全てにおいて凌駕した。
また、弾着観測用であった筈の水上機を回転翼機に換装した最初の艦艇でもある。
夕張型軽巡洋艦
薩摩型戦艦の主砲配置を元に、5,500tという重量に高い攻撃能力を有する戦闘艦として仕上げた。
なお、この世界の5,500t型は基本こいつの派生型である。
古鷹型重巡洋艦
夕張型の火力底上げの名の下に設計された。
高火力、高速性能を追求した艦艇であり後の重巡洋艦の設計の基礎とされた。
航空機
1号偵察機
全長:8.60 m
全幅:10.90 m
全高:3.31 m
主翼面積:29.43 m2
自重:657 kg
全備重量:890 kg
空冷星型7気筒(最大160 hp) × 1
最大速度:162 km/h
巡航速度:102 km/h
実用上昇限度:4,600 m
航続距離:419 km
乗員:2名
日本初の軍用航空機。
欧州の機体が車両用エンジンを元に作られているのに対して、完全新規の設計のもと、回転トルクを抑えるために考案されたエンジンを搭載する。
偵察、爆撃等の任務に従事した他、後期量産型はプロペラ同調装置により機種に12.7㎜機銃2丁を搭載した。
93式艦上戦闘機
航空母艦に搭載するために可能な限り機体を小型化するため、複葉機を諦め単葉機となった。
その完成度は意外な程に高く、引き込み脚など様々な新規技術を詰め込んだ為に、『整備士泣かせ』と呼ばれた。
92式艦上爆撃機
敵艦に対する攻撃の帰結の中に急降下爆撃があるが、それを行うため強固な機体が必要となったため、不安要素の無い複葉機をとなった。
しかし、時代は単葉機へと移ろいゆく真っ只中であり出現からおよそ3年で陳腐化してしまった。
98式陸上戦闘機
※正式に採用は97年。戦闘機対戦闘機を目的として作られた制空戦闘用戦闘機。
グローバルスタンダードと仇名が作られるほどの精巧さと、量産性の高さを持った機体。しかし、スタンダードであるが故に、同年代の戦闘機との差はそれほど無く、突出しているところがない。反面その汎用性は非常に高く、時には爆撃すら行えるほどであった。対爆撃機等の戦闘も行うが高高度戦闘能力はカタログ程高くはない。
97式戦術爆撃機
日本軍の戦術思想である歩兵等の地上軍への掩護並びに、敵塹壕の掃討を目的とされた機体。
急降下爆撃機や斜銃による対地掃射、後にガンポッド等によるガンシップの先駆けと言われた機体。
99式戦略爆撃機
正式採用は97式と同年代であるが、97シリーズと言われるほどこの年代に兵器が集中しているため便箋上言われていた。
黒龍と呼ばれる仇名があった。
日本軍の戦略的な思想として、敵地工場に対する壊滅的打撃を目的とされ作られた。
98式戦略偵察機
※正式採用は97年。日本軍の戦略的な思想として敵地の鉄道路線や補給線、並びに地形図等の作成等を目的に開発された。
内部には同調式電波発振器(TV電波発振器)が取り付けられ、リアルタイムで敵地の様子を映像として作戦司令部へと送り届けた。
1942年時の艦載機のうち半数はこれに置き換えられていた。
2式艦上戦闘機
対爆撃機能力の向上と高高度戦闘。自動空戦フラップによってその速度からは信じられない程の機動性を有した機体。
2式汎用攻撃機
攻撃機と急降下爆撃の双方の側面を持ついいとこ取りの機体。雷装は外装式、爆装は収納式であり限定的であるが高い空戦能力を発揮して恐れられた。
戦後ターボプロップエンジンに換装され15年の間運用された。
1式回転翼機
世界初の軍用回転翼機。黎明期のものであり、そのテールローターの配置は後のシングルローター式とタンデムローター式の長所と短所を併せ持つ。
非常に中途半端な性能であり、通称セミ・タンデムローターと呼称される。
艦載機などのバリエーションが存在し、対潜哨戒任務に主に活躍した。
2式戦略偵察機
世界初の実用的ターボプロップエンジンを登載した軍用機。ターボプロップエンジンの開発に時間を要し、採用から2年間試験機としての活躍が続いた。
4式戦略爆撃機
ターボプロップエンジン搭載上昇限度は9200mと言われているが、実際メーターには13000mまで刻まれており、実戦では凡そ12000mでの運用実績がある。そのため、過小表記されている資料が多い。
4式陸上戦闘機
日本軍初の実用的ジェット戦闘機。
その機体形状と、エンジンの配置は後の世の戦闘機に多大な影響を与えるも、時代に不釣り合いなその形状から低速領域での戦闘に非常に不向きであり、後に誘導噴進弾の開発によって一応の対応を見せるも、基本的には高速度領域のプロペラ重戦闘機や高高度爆撃機、自機と同じジェットエンジン機の迎撃を主任務として20年ほど運用される。